14話 会戦前に防衛要塞が残骸になった
王国の首星ディロスに、連合との戦争再開の知らせが届いて3ヵ月半。
ロキ星系に集結中の敵部隊を撃破すべく、王国軍はディーテ星系から16個艦隊3万2000隻、移動要塞2基、攻撃要塞1基を出撃させた。
敵のフェンリル作戦に対して、王国軍はヴィーザル艦隊を名乗った。
ヴィーザルとは北欧神話の主神オーディンの息子で、フェンリルの下顎を踏み付け、上顎を掴んで引き裂き殺した神の名である。
神名を冠されたヴィーザル艦隊は、中央に移動要塞2個を据え、周囲に16個艦隊で二重の八角形を作った円盤状の壁を形成している。
敵に対して面を正対させて応戦し、敵陣形や戦況次第では円を伸縮させ、楕円に伸ばして左右から挟撃し、あるいは円の外周を前進させて半包囲する陣形だ。
整然と並んだ陣形は美しく、全体の調和が取れた艦隊運動が生み出されていた。
その端で攻撃要塞1基だけが、艦隊陣形から外れて併走している。
要塞の名前は、ケルビエル。
由来は、偽ディオニュシオスの『天使の九階級』において、第二の階層である智天使たちの長とされる『ケルビエル・ヤハヴェ』から引用された。
『エノク第三章』によれば、智天使ケルビエルは巨大な存在で、身体には火のついた石炭が詰まっており、口を開けば燃え盛る炎を吐き出したという。
また太陽よりも遙かに明るい光輝シェキナーの弓を携えており、『創世記』では神が燃え上がる剣と共に智天使を置いて、エデンの園を守ったと伝えられる。
神話の通り、ケルビエル要塞は人工天体の内側に凄まじいエネルギーを内包し、ひとたび砲撃を行えば標的を焼き尽くす眩い光を解き放つ。
名は体を表わす。
改装されたケルビエル要塞は全長9万mまで拡大し、周辺人工物では最も大きく、大きさに見合った最高の戦闘力も有していた。
「残念だったのは、要塞の主機関強化が間に合わなかった事だね。君と精霊結晶を合わせれば、駆逐艦6588隻分の出力を発生させられるけど、それに見合った魔素機関は建造されていなかったんだ。次に帰ってくるまでには、用意しておくよ」
そう宣ったカーマン博士は、出撃までに軍の工作部隊と協力して様々な改造を行った。
魔素機関は複数名で動かせないため、攻撃要塞はハルト1人用の大型魔素機関で動かす計画だった。それを博士は、ハルトが使用しても他の魔素機関を副機関として同時使用できるように調整したのだ。
元々の攻撃要塞は3つの魔素機関を設置していたため、魔素の伝達ラインは複数存在した。博士は首星に配置されていた防衛要塞2基のうち1基から、魔素機関とそれに付随する兵装まで取り外して、ケルビエル要塞に増設したのだ。
防衛要塞から取り外されたのは魔素機関、主砲の専用質量波凝集砲、大規模な魔素変換防護膜発生装置、要塞専用の推進機関、広範囲の多次元魔素変換観測波などだ。さらに乗組員も転属となり、戦闘艇や制圧機、アンドロイド兵、大量の核融合弾まで移された。
要塞外周には、ハルトの余剰魔力に見合った金属ナトリウム、ロンズデーライト、カリウム、窒化ホウ素、サーメット、共晶合金などを用いた複合流体金属層による厚い追加装甲が施され、敵の核融合弾が降り注いでも耐えられる装甲に改装された。これによって要塞は、建造当初は星系内配備型として不十分だった戦闘力を大幅に強化され、恒星間移動型の戦闘要塞として生まれ変わった。
結果としてケルビエル要塞は、丸まったハリネズミに複合流体金属を纏わせたメタリックな姿となった。その引き替えに、防衛要塞の1つであるイブリース要塞は、ハリネズミが針と毛皮を剥がされ、肉を抉り抜かれたような残骸と化したが。
すなわち会戦前に、防衛要塞が1つ残骸になったのである。
報告を受けたヴァルフレート上級大将は、さぞや度肝を抜かれた事だろう。もっとも彼は驚きを一切表に出さず、ユーナ、フィリーネ、コレットの3名をハルトと同じ手法で戦闘用魔素機関の運行者に相応しい少佐まで昇進させて、増設された魔素機関の稼働要員としてケルビエル要塞の司令部に送り込んだが。
ユーナが送り込まれたのは、未来の公爵令嬢に箔を付けるためだとハルトは考えた。コレットはサポート役で、フィリーネだけを加えなければ後日ケチが付くからだろう。
重戦艦科4人が全員揃ったため、今回の遠征は実習扱いにされ、教官たちも同乗して授業まで行われている。
上級精霊の力を合わせたユーナとフィリーネの魔力は王族級、コレットが公爵級であり、要塞の戦力評価は当初の想定を大きく上回った。
王族級の2人を副砲、コレットを推進機関に割り振ったケルビエル要塞の戦闘エネルギーは、4556+506+506で、駆逐艦5568隻分に達すると推定されている。
そのように極めて特異な戦力を加えたヴィーザル艦隊は、ロキ星系に向かって進撃していた。
『偵察艦隊より通信。ロキ星系まで40光年。周辺宙域に敵は確認されず』
多階層が吹き抜けになっている要塞中央の作戦司令部に、通信士官の報告が流れた。
サブモニターには、ヴィーザル艦隊の全体像が表示されている。16個の大きな光点はワープの度に多数の小さな光に分かれるが、すぐに吸い寄せられるように集まって大きな光へと戻っている。ハルトは光が整然と集まる姿に、何度も魅入っていた。
「士官候補生とは比べものにならないほど綺麗な艦隊運用ですわね。ワープも誤差が少ないですけれど、旗艦からの相対距離も全く変わりませんわ」
「全員が大ベテランだからな。中級精霊の補助効果もあるだろうけど」
ハルトが座る司令官席の左隣には、運行補助者のフィリーネが強引に席をくっつけて座っている。それどころか時折ハルトの左手に自らの右手を絡ませながら、積極的に話し掛けてきた。
ちなみに左手が太ももに乗っても、偶然だが肘が胸にあたっても、フィリーネは一切怒らなかった。対抗馬のユーナという薬が、フィリーネにゲーム同様の効果を及ぼしたらしい。
この様子であれば、二人だけの空間であれば猫耳カチューシャを付けてくれとか、メイド服を着てくれと頼んでも聞いてもらえる可能性がある。と、17歳のハルトは妄想した。流石に肉球グローブは不可能だろうが。
ユーナもフィリーネに対抗して、ハルトの右隣を確保している。
右隣は航宙実習と同じ配置で、当時は震えていたユーナの左手をハルトが握り締めていた。本来のユーナは押しが強い性格では無いが、ここは自分の席ですと主張してフィリーネに一歩も引かなくなった。フィリーネが猫耳を付けるなら、ユーナは頼まなくても自ら付けそうな勢いだ。
以前の純真さは戻ったが、ふとした拍子に陰の部分が現われて、ダークモードのユーナに変化する。その状態のユーナは、良いですよと言って首輪まで付けかねない。
そしてコレットは集団から一歩引いて、ハルトに視線だけで「ほらみなさい。どうするのかしら」と伝えてくる。
どうするも、こうするも、作戦司令部では自重して欲しいのが今のハルトの気持ちだ。フィリーネに積極性を求めていたはずのハルトだったが、2人が対抗し合って止まらないので、抑え役に回らされている。
現在は進軍中であり、ハルトは「この戦いが終わったら、ラブコメをするんだ」と固く心に誓った。
「ねぇハルト君。右舷方角でプレアデス星団が青く輝いているよ。ここから見えるのは、ディーテ王国が独立宣言をした頃の光かな」
「439光年先か。あの辺りには、地球からの脱出者たちは移住しなかったな。地球から625光年のベテルギウス方面には、移住に成功した連中がいるけど」
天体群を落とされて他星系に逃げ出した国家は、数多存在する。
人口では推定80億人ほどが太陽系外への移住を行っており、大半はディーテ政府の反対側に位置するヘラクレスやフィンに移ったが、それとは別の星系に向かった国家も少なからず存在した。
西暦3282年の技術は現代に比べて低く、母星に天体群を落とされた状況もあって、見知らぬ星系へ向かった挑戦者の殆どは失敗したと考えられる。
だが西暦2992年に人類が5番目の恒星系であるマーナ星系に定住してからの290年間、他の星系への移住を進めてきた国は複数存在した。
天の河銀河には、人類が住める惑星が沢山存在するのだ。
居住可能な惑星数を推計するには、ドレイク方程式を用いるのが分かり易い。
ドレイク方程式とは、西暦1961年にアメリカの電波天文学者フランク・ドレイクが、この銀河系にどれだけ交信可能な知的生命体が存在するかを説明するために用いたものだ。
N=R×fp×ne×fl×fi×fc×L
N=交信可能な文明の数
R=天の川銀河で一年に誕生する星の数
fp=恒星が惑星を持つ割合
ne=生命が存在し得る惑星の数
fl=実際に生命が発生する割合
fi=生命が知的生命に進化する割合
fc=交信可能な高度文明を持つ割合
L=文明が電波を発し続ける年数
ドレイクは、それぞれに妥当な値を入れれば、Nが1以上になるため、銀河系を丹念に探索すれば必ず他の文明が見つかるはずだと主張した。
天の川銀河には少なくとも4000億個の恒星が存在している事が確認されている。
そんな恒星のうち、地球型惑星とスーパーアースを持つ恒星『fp』は1割の400億個以上。
恒星400億個中5%は、水が液体で存在し得るハビタブルゾーン内を惑星が周回している。そのうち1%は地球サイズだ。すなわち恒星の周りを、水が液体で存在する距離で恒星を廻る地球サイズの惑星は、天の河銀河に4億個が存在する。
生命が存在するために必要な次の条件は水だ。
宇宙には大量の水素が存在し、太陽などの主系列星は水素を使って核融合を起こしている。また酸素も恒星の核融合や爆発などで自然発生する。そして水素と酸素が出会えば水分子が作られ、宇宙空間上に存在する岩石と結びつく。
例えばハビタブルゾーン内で惑星が形成された後、恒星系の外周から氷の天体が引き寄せられて惑星と天体衝突を起こせば、惑星は水を獲得できる。そしてハビタブルゾーン内にある地球サイズの惑星は、程良い大気があれば引力圏内に水を引き留めておける。
生命が存在し得る惑星『ne』は、観測した惑星のうち40分の1ほどだった。すなわち天の河銀河系には、推定1000万個もの原始生命発生惑星『fl』が存在する。
但し、いくら1000万個の原始生命発生惑星が存在しても、全てが人類に適した環境ではない。
大気成分や大気圧、磁気圏の有無や放射線量、平均気温など様々な条件で省かれ、人類が居住可能な惑星は1000分の1ほどに減る。
結論として、天の川銀河では平均10光年に1つ、改良すれば人類がギリギリ住めそうな惑星が存在していた。
もっとも惑星改造には莫大な手間と時間、環境を維持する労力が掛かる。
そのため人類は、最初から殆ど改良しなくても住めそうな惑星に移住している。
「ベテルギウスに向かったのって、ユーラシア大陸にあった国だよね」
「ああ。人類連合国家群とは分かれて、独自にやっているらしいな」
439光年のさらに彼方へと思いを馳せていると、ハルトの左手が強く弄ばれ始めた。
すました顔の銀髪の侯爵家令嬢が、茶髪娘とばかり話をするなと無言の抗議を行っているらしい。すると右側からも未来の公爵令嬢から左手が伸びてきて、ハルトの右手にぺたんと乗せられた。
ハルトは咄嗟にカルネウス侯爵とヴァルフレート上級大将の顔を思い浮かべ、反応を抑え込んだ。
そんな3人の行動を押し流すように、戦闘指揮所のアラートが鳴り始めた。
『先行する偵察艦隊より緊急通信。人類連合の大艦隊発見。敵進路、ディーテ星系』
指揮所の人員が一斉に目を向けたサブモニターに、偵察艦隊が観測した敵艦隊が表示されていく。
敵艦隊数 推定2万5000隻から3万隻
移動要塞 6〜7基
侵攻計画の露見を確信した連合軍が、ハルトの知る歴史を早めてディーテ星系への進撃を開始していた。
なお攻撃要塞の司令官代理が「この戦いが終わったら、ラブコメするんだ」と死亡フラグを立てた件との相関関係は、未だに科学では解明できない現象である。