124話 天都侵攻作戦
かつて存在していた宙域からヘラクレス星系が消えた事態は、天都のユーエンも把握していた。
アポロン星域会戦後、精霊が領域の塗り替えを行える事を知ったユーエンは、ヘラクレス星系の領域外に、監視目的の偵察艦隊を配備していた。
それが功を奏して、偵察艦隊の魔素機関稼働者と契約する邪霊が、『ヘラクレス星系が高次元に呑み込まれて、ケルビエル要塞ごと何処かに跳ばされた』という異常事態を知ることができた。
おかげでユーエンは、自身の契約邪霊ローラに、事情を問えたのだ。
「邪霊帝ジルケは、どうなったのだ」
『人間も死ぬでしょう。精霊や邪霊であろうとも、不滅なんて無いよ』
「つまり負けて死んだのか」
焦燥を浮かべたユーエンに対して、ローラは微妙に異なる答えを返した。
『互角の存在同士が争って、倒されると糧になって、元の性質を受け継いで、新生するの。そうすると、負けた時の弱点を、克服していけるでしょう。より優れた存在になっていくの』
「なんだと?」
精霊と邪霊が争う理由を語られたユーエンは、危機的状況を忘れて、呆然としながら聞き返した。
『あらゆる手を尽くして、最大の抵抗をして倒されることは、より良い進化を果たすための過程の1つ』
最強の生物は、進化しない。何故なら進化の必要が無いからだ……という話をユーエンは耳にした事がある。
人間も、人間同士で争って兵器や技術を進化させている。
決して争うだけが、進化に必要な要素では無い。だが、争いは進化を生まないという考えも事実とは異なる。
『ジルケ様の力は、精霊となって、いつか邪霊に返ってくる。だから、ほんの少しの旅立ちに過ぎないの。わたし達と人間とは、物事の尺度や、死の概念が異なるかな』
ローラの言い分を聞いたユーエンは、精霊と邪霊の適応進化に一定の理解を示しつつも、喫緊の問題に話を戻した。
「邪霊の尺度は朧気に理解したが、我々は負けると死ぬし、それで終わる」
『大変だよね。でも人間も、昆虫の生活が人間より大変そうでも、そういうものだって思うでしょう。頑張って?』
平然とした様子のローラから、昆虫に喩えられたユーエンは、苦々しい表情を浮かべながら言い返した。
「昆虫も、殺されそうになれば抵抗するだろう。契約しているのなら、手伝って貰おうか」
『良いよ。それは、わたし達にとっても、進化の循環の1つだからね』
ユーエンが考えたのは、常識的な防衛だった。
邪霊帝ジルケを倒されており、天都の邪霊王ゼアヒルドが耐えられるとは思えなかったが、ヘラクレス星系ごとケルビエル要塞が消えた事に一縷の望みを持ったのだ。
王国で精霊関連を一手に握るアマカワ侯爵が居なければ、領域化のような異常事態を引き起こされない……可能性がある。
そうすれば天都の邪霊王は倒されず、天都の戦闘艇は王国の侵攻艦隊を易々と弾き返せる。
天都から侵攻することも叶わないが、互いに手詰まりの状態に至れば、それから数百年が経って戦争世代が居なくなった後、冷静な指導者同士の話し合いで、いつか終戦するだろう。
そしてユーエンの期待は、呆気なく打ち砕かれた。
最初に到達したのは、邪霊マリエルが生み出した転移門の開通反応だった。
マリエルを同じジルケ系統の邪霊だと認識していたゼアヒルドは、いつの間にか転移門を繋げられる邪霊王に至っていたマリエルに多少訝しがりながらも、開通を認めた。
ヘラクレス星系の監視艦隊がユーエンに行ったものと同様の報告を邪霊達から受けていたゼアヒルドは、ジルケの死亡が王国によるものだと知っており、マリエルに対して疑いは抱いていなかった。
此方の契約者であるイシードルの死亡は、マリエルの領域で情報を遮断されていた中では、常識的に王国の侵攻によるものだと誤認していた。故に大泉民が動かす、大泉の艦隊を通過させたのだ。
だからウンランが3体の邪霊王を同時に用いた時、敵だと即断できずに、ほんの僅かな間だけ対応が遅れた。
『マリエル様が仰せのとおり、本当にお馬鹿な邪霊王なんだね』
ウンランが使った邪霊王3体のうち、1体が挑発しながらゼアヒルドに襲い掛かり、同時にもう1体が加勢して2対1で押さえ込んだ。
それはヘラクレス星人200億人ずつを擂り潰して、大量に得た瘴気で生み出したエネルギーであり、ゼアヒルドを上回っていた。
2体のエネルギーで変換された魔素がゼアヒルドを押さえ込む中、3体目がゼアヒルドの天都星系に繋げていたエネルギー回収の根を引き剥がし、自身の根を植え付けて、領域を奪おうと図る。
1対1であれば、ゼアヒルドも負けなかっただろう。
2対1であれば、勝敗は確定的ではなかっただろう。
3対1であったために、ゼアヒルドは押し込まれた。
ゼアヒルドが、加速度的に劣勢へと立たされた事を示すように、天都星系には見慣れぬ赤い転移門が広がっていった。
「一体、何が起きている!?」
『人間にとっての天災だよね』
ユーエンの驚きに、ローラが他人事のように語る中、赤い転移門から未知の構造物が飛び出してきた。
それはアンドロメダ銀河に到達したヘラクレス星系に、最初に出現したのと同様の集団であった。
800メートル級の軍艦多数、全長5000メートル級の作業船72隻。
それらは邪霊王の勝利を確信しているかのように、恒星天都と、居住惑星の富春に向かって移動を始めた。
天都からは、大泉の軍艦に対して通信で呼び掛けも行われたが、ウンランからの返答はなかった。
そしてヘラクレス星系で、大泉民を除く人類に対して行われたのと同様の制圧作戦が再現され始めた時、ケルビエル要塞が到達したのであった。
天都とアンドロメダ銀河の邪霊が争う中への乱入は、ハルトにとって想定外だった。
アンドロメダ銀河から侵攻されるタイミングなど分からず、狙ってやれるものではない。それに最善は、アンドロメダ銀河から相手が来る前に天都を押さえてしまうことだった。
だが削り合う天都の邪霊王と、アンドロメダ銀河の邪霊王達の間に割って入れたのは、それほど悪いことでは無いと思い直したハルトは、引き連れてきた精霊帝マヤに攻撃を指示した。
「マヤ、やれ」
「はい、お父様」
精霊にとって最善の戦いを知らないハルトは細かい指示を出さず、目前に集中していたマヤも短く答えた。
不意打ちとなるマヤの初手は、ヘラクレス星系でゼアヒルドの根を剥がしていた3体目の邪霊王に対して行われた。
不意打ちの第一撃は、絶大な効果を発揮する。
それを戦っていないために最大のエネルギーを残しており、ヘラクレス星系とも転移門で繋がった3体目の邪霊王に投じたのだ。
邪霊帝ジルケから奪い取ったエネルギーの塊が、鋭い魔素の剣と化して、3体目の邪霊王に突き刺さった。
それと同時に、アポロン星系から強引に繋がれた転移門からは、戦略衛星が投げ込まれて宙域で炸裂した。
悲鳴の代わりに、宙域に広がっていた赤色の魔素が震えるように軋み、人体が破裂して血液が吹き飛ぶように、赤色の魔素が弾け飛んだ。
赤色の転移門が掻き消え、ヘラクレス星系に侵入中だったグレモリーの艦隊が一部消し飛ぶ。
『1体目』
ハルトの脳内に、マヤからの短い報告が届いた。
その戦果は、劇的な形で現れた。ケルビエル要塞の付近に黒い転移門が生み出されて、オリアス星系と繋がったのだ。
それを示すように、オリアス星系に配備されていた巨大人工物の一部が黒い転移門から飛び出してきて、ケルビエル要塞と通信を繋げてきた。
『クロケルの伯爵級思考体ディナです。天都星系とオリアス星系との接続を確認しました。戦闘天体群、突入を開始します』
グレモリーの艦隊に危機感を抱いていたハルトとケルビエル要塞は、増援の出現に安堵した。
相手の艦隊も多数あるが、クロケルの増援は規模が異なる。
魔素機関と邪霊を有していなかったクロケルは、魔素機関でのワープを考えない大型の戦闘天体を採用している。
グレモリー艦隊という蟻の大軍を押し潰す、クロケルに属する巨大な象の群れが続々と出現して、怒濤の勢いで向かっていったのだ。
『あの程度のグレモリーは、直ぐに殲滅できる。ケルビエル要塞には、指一本触れさせはしない』
精霊によって自動変換された「指一本」に対して、本当は触手や刺なのではないだろうかと妄想するほど、ハルトには心理的な余裕が生まれた。
一方でマヤは、撃破した3体目の邪霊王を吸いながら、ゼアヒルドと1体目が争うのを援護していた2体目の邪霊王に襲い掛かった。
先程の3体目とは異なり、マヤに対して身構えていた2体目だったが、ゼアヒルドに対しても警戒しており、万全な体勢で迎え撃つことは出来なかった。
邪霊帝ジルケを吸った精霊帝のマヤは、邪霊王同士の争いでエネルギーを消費していた2体目の邪霊王に対して、圧倒的に上回る力を全力で振り抜いて、真っ二つに切り裂いた。
切り裂いた傷口から黒い光が一気に侵食して、土色の光をしていた邪霊王を塗り潰していく。
『2体目』
まだ最初に倒した邪霊王を吸い切っていない中、2体目に倒した邪霊王が、吸収される光に加わった。
その力を天都の邪霊王や、それと争う邪霊王が横取りできないであろう事は、吸われる光が黒く変換されている光景からハルトも想像できた。
殆ど消費せずに2体を撃破したマヤは、天都の邪霊王と争うアンドロメダ銀河の邪霊王に標的を定めて襲い掛かった。
既にアンドロメダ銀河の邪霊王は、天都の邪霊王に攻撃を仕掛けていなかった。むしろ攻撃を受け払いながらいなしており、必死にマヤの方へと警戒を向けるように誘導していたのだ。
『状況判断が出来ないなんて、本当に愚かな邪霊王。撤退なさい』
アンドロメダ銀河の邪霊王は、愚かな天都の邪霊王を唾棄した。そしてウンランに向かって、ヘラクレス星系への撤退を促した。
天都星系に赴いたウンランは、マリエルに4体の邪霊王を持たされていた。2体がゼアヒルドに相対し、1体が領域を奪い、もう1体は緊急退避用である。
未だマヤと邪霊王達が争い合う中、敗北を確信した1体目の邪霊王は、4体目の邪霊王に向かって、領域を作れる間の撤退を促したのだ。
邪霊王の損失は痛いが、それを増やせるヘラクレス星人、旧連合民の一部、本陽民は、アンドロメダ銀河でマリエルの手中にある。
王国軍が戦闘艇の損失を回復できるように、マリエルも邪霊王の損失を回復できるために、撤退の判断を下せたのだ。
愚かでは無い邪霊王が即断した結果、天都に金色の転移門が現れて、ウンラン達の艦隊を引き込んでいった。
金色の転移門に対してマヤは、対応しなかった。
よそ見をせず、油断せず確実に残るアンドロメダ銀河の邪霊王を貫いて、引き裂き、侵食した。
『愚かではない精霊帝は、可愛げが無いわよ』
それは単純な反撃以上にマヤの心に影響を及ぼしたが、戦い自体には影響を及ぼさなかった。
アンドロメダ銀河の邪霊王3体を倒したマヤは、最後に満身創痍となっている天都の邪霊王に向かった。
ゼアヒルドは堂々と向かい合い、袈裟懸けに存在を切り裂かれて、切口に天体を投じられて炸裂され落命した。
2体を続けざまに倒したマヤは、ハルトに向き合って報告した。
『お父様は、どのような娘が可愛いと思いますか?』
3体目と4体目を撃破した報告はどうした……と、心の中で突っ込みを入れたハルトは、娘からの質問に対して、どう答えたものかと頭を悩ませた。