121話 マリエルの領域
かつての師匠テイアと再会したマリエルは、テイアがマリエルを否定しなかった事に充足感を得ていた。
マリエルが低次元生命体だった頃、師匠のテイアは、宇宙が収縮するビッグクランチを乗り越える研究をしていた。
当時のマリエルの出身種族にとっては、技術的に早過ぎる研究だった。だがテイアは天才だった故に、かなり近い段階にまで届いていた。
そしてテイアは、自身が失敗した時に備えて、その失敗を踏まえて答えを導き出せる弟子として、継承者のマリエルを残していた。
テイアの結果は、やがて成功に至るためには不可避な失敗だった。
テイアは命を落としたが、研究を引き継いだマリエルは邁進した。
(だけど、分かって貰えなかったからね)
生前のテイアは、出身種族の集団に、利便性の高い様々な技術を齎した。
故にテイアは実績があり、理解の及ばない研究をしていようとも、許容されていた。
だが研究を引き継いだマリエルが、『夢物語で理解しかねる、緊急性の低い未来の問題』に、テイアが残したリソースの全てを投じようとした為に、集団は不満を抱いた。
テイアが成功できず、実績に乏しいマリエルが引き継いだ研究は、集団にとっては夢物語の認識だった。
そしてマリエルがテイアから正当に引き継いだ全てのリソースを奪って、自分達に還元したのだった。
『弟子の1人に過ぎないくせに、一体何様のつもりだ』
そう言われたが、結局のところ集団は、マリエルが引き継いだテイアの遺産を自分達に分配したかっただけである。
マリエルが将来の必要性を説明しても、欲望に目が眩んだ集団には受け入れられなかった。
師匠が残したリソースの全てについて、師匠の意に添わず理不尽に奪われた。そのためマリエルは、やむを得ず自分の手持ちのリソースだけで独自に研究を続け、やがて壁を越えてジルケ達の場所に辿り着いた。
だが、そこに至るまでにマリエルの出身集団は、何の協力もしなかったどころか、足を引っ張り続けた。
だから自分1人で辿り着いた答えについて、マリエルは出身種族に慈悲で恵んだりはしなかった。
さらにマリエルは、膨大なダークエネルギーと引き替えに多大な恩恵を齎す技術を次々と生み出して、それを使うに相応しい出身集団の馬鹿共に与え始めた。
それらの技術は集団を喜ばせ、マリエルの評価を高めて、未来にビッグクランチを引き起こす一助となった。
そんなマリエルの結末をテイアは見ただろうが、責めたりはしなかった。
かつてのテイアであれば、マリエルに引き継がせた時に、周囲への根回しが足りていなかった事を詫びただろうか。それはテイアの力でも、どうにかなる問題では無かったが。
今となっては、どうしようもないし、どうでも良い事なのかもしれない。
マリエルにとっては、テイアから引き継いだ研究を達成しつつも、還元しなかった事について、否定されないだけで充分だった。
(ジルケ様には、申し訳なかったかなぁ)
マリエルの種族を守っていたジルケは、精霊から邪霊に反転する程に力を尽くして支えたが、壁を越える方法を恵んだりはしなかった。
マリエルに続く者が現れる事は期待しただろうが、何の益も無い相手に答えだけを恵んでも、精霊と邪霊に共通して、限りあるリソースを分配する負動産を増やすだけにしかならない。
使い潰す働き蟻や、働き蜂に過ぎない存在ならばいざ知らず、仲間に誘うのは、自分達に相応の価値をもたらせる基準に達した相手だけだ。
精霊帝エーベルであれば、後進を答えに導いたテイア。
精霊帝ジルケであれば、自力で壁を越えたマリエル。
そして現宇宙においては、黒の精霊に魔力特性を与えたらしきハルトなどが、その対象になるのだろう、と、マリエルは認識している。
ハルトが望むのであれば、マリエルはハルトを上級邪霊にしても良いと考える。直接契約者の敵である事と、基準達成を認める事とは、別の話だ。
もっとも、傍にいる精霊達側がハルトを絶対に誘うであろうから、マリエルの誘いは不要だろうとも認識しているが。
マリエルを昇格させるのに役立った程度のウンランは、残念ながら基準には達していない。気に入ったか否かだけで誘っていればキリが無く、招き入れられる基準は厳格だ。
マリエルが行える事は、ウンランの魔力特性を引き継ぐ邪霊を作る程度だ。
それくらいであれば、マリエルの昇格に協力した引き換えで、作ってあげようと思っている。
(黒って凄いよね。どうやって作るんだろう)
暗黒物質やダークエネルギーの属性である黒の精霊は、無限に続く循環型の箱庭の創造と維持を行える。
黒の精霊が生み出すダークエネルギーと、生命体が消費するダークエネルギーを釣り合わせる必要はあるが、各銀河に分体を置いていき、精霊神の規模で繋げば、宇宙1つの維持に成り得る。
その宇宙に生命体があれば、精霊達の箱庭は完成するだろう。
だがビッグクランチで発生する、膨大な瘴気を吸収できる邪霊にとっては、黒の精霊はそれほど必要ない。ビッグクランチが発生しなくても、エネルギーを吸えるので、究極的にはどちらでも良い。
だからこそマリエルは、『黒って凄いよね。どうやって作るんだろう』程度の感想しか持たない。
現在のマリエルが、自己の最低条件として求めるのは、宇宙の終末時、精霊に喰われない事だ。
上級邪霊よりも邪霊王、邪霊王よりも邪霊帝である方が、生き残れる可能性が高まる。自身の力が大きい方が良いに決まっているし、邪霊全体が優勢である方が良いのも道理だ。
だからマリエルは自身を強化して、テイアも味方に引き込んだ。
差し当たってマリエルは、ヘラクレスにいる人類の分配について、テイアと相談した。
『まずは天の川銀河の天都に、あたし系統の邪霊王を据えたいと思います。人類は充分に確保していますし、後進文明の天の川銀河は脅威でも無いですけれど、天都って、結構人口が居ますし、確保しておいた方が良いと思いまして』
天の川銀河の天都にいる邪霊王ゼアヒルドは、マリエルが殺させたヘラクレス星人の指導者イシードルと直接契約しており、露見すれば敵対関係となる。
その件に関してマリエルは、全く悪いとは思っていない。
なぜなら直接契約者であるウンランの集団が、ヘラクレスの指導者イシードルと天都のユーエンに、ヘラクレス防衛で使い潰されたからだ。
自身の領域内で、契約者の脅威を排除する。
それは邪霊達にとって、正当な行為だ。
だが直接契約者を殺された王級のゼアヒルドが、創造者でもないマリエルに従う謂われも無く、事態を知れば意趣返しで、転移門の通過を禁じるくらいはするだろう。
だからゼアヒルドが真相を知る前に、邪霊王を持たせたウンランをグレモリーの軍艦で突入させて、天都星系を乗っ取ろうと考えていた。
そんなマリエルの考えに、テイアは全面的に賛同した。
『うんうん、良いと思うよ。それで邪霊王は、どうやって作るのかな』
肯定しながら続きを促すテイアに、マリエルは生前の懐かしさを感じながら、気分良く答えた。
『はい。あたしとジルケ様が瘴気を吸って、魔力も乏しいヘラクレス星人でも、200億人くらい使えば邪霊王を作れると思います。800億人で4体を作ろうと思います』
現在のヘラクレス星系には、マリエルが保護する大泉民56億人の他に、ヘラクレス星人1000億人、旧連合民8億人、本陽民7億7000万人が存在する。
ヘラクレス星人は殆ど魔力を持たず、瘴気を放つだけに近い。その瘴気も、大分目減りしている。
それでも大量に使って、果実を搾るように瘴気を引き出せば、相応に作れるとマリエルは見なした。
『残った人類は、大泉以外を半々にしましょう。大泉は駄目ですよ。あの集団は、ウンランのですから、差し上げられません』
旧連合民8億人は、王国と旧連合との終戦時にヘラクレス星系に居住していた10億人のうち、天華へ亡命しなかった人々だ。
王国と天華との開戦時、魔力100以上の人間は王国に連れて行かれたが、ヘラクレス星人に比べれば血統的に魔力を保っている。
本陽民7億7000万人は、徴用された国家魔力者がそれほど残っておらず、星間船を動かせる有望な者も多くが天都に引き抜かれたが、ある程度の魔力者は残っていた。
良質な餌の大量供給に、マリエルは充分すぎると評価した。
『その分配は贅沢だね。受け取ったグレモリーは、どうやって増やすのかなぁ』
邪霊神のエネルギー結晶体の欠片に適応したと思わしき人類が、世代交代する毎に継承魔力が1割ずつ下がる事は、懸念材料だ。
対策としては、王国貴族や天華の国家魔力者のような方法があって、維持に失敗すればヘラクレス星人のようになる。
人類をまともに管理して、しっかり増やして欲しいなと、マリエルはグレモリー達に望んだ。
『それでマリエル様への対価は、グレモリーによる大泉民の権利保障、居住星系防衛、技術供与、開発援助といったところかな。マリエル様が、邪霊結晶の輸出も考えているのなら、グレモリーは否とは言えないね』
『ウンランの存命中は、そうして下さい。その後も、あたしが大泉民の魔力と瘴気をエネルギー化している間くらいは、ウンランの意思に沿って、基本的には継続で良いかなぁって思っています』
『マリエル様がその考えなら、長続きしそうだね』
マリエルとテイアの合意は、ウンランとグレモリーの双方に伝えられた。
テイアから邪霊結晶を渡される側のグレモリーは、邪霊結晶の供給元がマリエルとテイアの2体となり、供給量も増えて、艦船に乗せるための大量に瘴気を発する生体まで補充される。
争っても邪霊王を倒せるわけではなく、邪霊結晶の供給や使用を止められるだけだから、拒むのは無意味で愚かな行為だ。
ウンランにしてみれば、先進文明のグレモリーが作業を行う以上、物理的には抵抗の余地が無い。その上で現状は、良い事だとマリエルに諭された。
『そもそも天華って、天の川銀河で負けかけていたよね。あたしが邪霊帝になって転移門を繋がなければ、王国が増援を呼んで、あと一押しで敗北したんじゃないかな』
その場合、天体を落とされて滅ぼされるか、生き延びても惑星単位で封じ込められていた。
だからグレモリーの保護と技術供与を得ながら発展の時間を得るのは、大幅な状況の改善だとマリエルは説明したのだ。
王国は敵対国家に対して、戦後に惑星単位で封じ込める方法を採っている。新京や九山、旧連合民への扱いから見て、大泉に対しても同様に行ったであろう事は明らかだ。
それに比べれば、私権を制限されているわけでも、星系に封じ込められているわけでもないウンラン達の状況は、敗滅に比べれば遙かにマシだ。
グレモリーが邪霊を使いたいのだとしても、邪霊はマリエルとテイアの系統だ。大泉を扱き使う事は否だと定めておけば、グレモリーは邪霊の稼働に大泉人民を使えない。
マリエルに瘴気を与える代わりに、大泉民はマリエルと、グレモリーに守られる。まるで箱庭のような世界であった。
『グレモリーの版図が広がれば、大泉民も広域に進出できるよ。アンドロメダ銀河は、天の川銀河よりも広いし、人類に適した星系も沢山あるよ。天華の開戦理由って、それなんでしょ。目標を達成できたじゃない』
マリエルの説明に齟齬があるとすれば、天華は主体的に銀河へ広がろうとしたのであって、強い力に押し流されて広がるのは想定外であった点だろう。
表面的な目標の達成だけあれば、滅亡を避けるべく銀河に広がろうとしたヘラクレス星人も、邪霊を有するグレモリーの軍艦に置かれる生体燃料として、数万光年というグレモリーの版図全域に広がる事になる。
それは確かに、ヘラクレス星人の掲げた目標を達成している。
だが目標を掲げた理由は、満たせているのだろうか。
ヘラクレス星人が目標を掲げた理由が、人間として安定的に発展していきたいというものであったのならば、真逆の結果になっている。
そんなヘラクレスとは比較にならない程にマシな大泉も、マリエルに依存しており、前提条件が崩れれば即座に崩壊しかねない。
マリエルの直接契約者であるウンランの存命中は、大抵の話が通じる。
だがウンランの死後、大泉の指導者がマリエルからまともに相手をして貰えるとは思えない。
何故なら後継者は、マリエルの昇格を手伝ったりはしていないし、それ以前に契約すらしていない。
マリエルが価値を認めるのは、直接契約者だったウンランの大泉だという一点のみだ。
現状に至らずに済んだ可能性について思いを馳せたウンランは、「最初から王国に仕掛けない事だ」と結論付けた。
それを行う機会が、ウンランに無かった訳では無い。
実際に深城のハオランが、王国の潜在的な危険性を指摘して、それを回避している。
ウンランには回避できる機会があって、ハオランから具体的な警告も受けており、単に選択肢を誤ったのだ。
「後戻りできないのであれば、前に進むしか無い。我々は、次に進む技術を得ていくべきだろう」
『研究意欲のある子は好きだよ。いつか届くと良いね』
気持ちを切り替えたウンランに対して、マリエルは優しく言葉を掛けた。