120話 250万光年の彼方
王国暦446年4月。
第二次ヘラクレス星域会戦の最中、突如としてアポロン星系との間に繋がっていた転移門が消滅した。
王国とヘラクレス星系との間には、通常の星間通信網が繋がっていなかったために、最前線との連絡が途切れたアポロン星系の後方司令部は混乱を来した。
それから数時間後、僅か数分だけ転移門が繋がってケルビエル要塞所属の偵察艦が飛び込んできて、後方司令部を大いに安堵させた。
『こちらケルビエル要塞所属、第03偵察小艦隊02偵察艦。遠征軍総司令官アマカワ元帥より、後方司令部司令官リスナール大将に緊急伝令』
その報告がどのような内容であろうとも、最悪の状況からは免れた。
全星系を領域化して、防御が万全と化した現在のディーテ王国では、全王国民を束ねる女王ユーナと、その剣にして盾である司令長官のハルトさえ無事であれば、侵攻作戦に失敗するくらいでは揺るがない。
ユーナから次王への王位継承が可能になったのも、現状に至ればこそだ。
遠征軍が全滅したとしても、精霊結晶を供給して領域も作れるハルトさえ無事であれば、王国軍は再建できる。
だが偵察艦が携えた報告は、途方もない内容だった。
王国軍人に対して、超新星爆発並の衝撃を撒き散らした報告は、後方司令部を軽々とノックダウンさせた。
衝撃を受けた後方司令部が再始動したのは、再び転移門が繋がって、ハルトから作戦中止の第二報が届いた後だった。
「司令長官アマカワ元帥の命令により、ヘラクレス星系攻略作戦を中止します」
そもそもヘラクレス星系が、天の川銀河から消え失せている……らしい。
アンドロメダ銀河に行けばあるそうだが、そこは最低でも250万光年は彼方の宙域であり、250光年先にすら片道1ヵ月半も掛かる人類が辿り着くためには、1250年を要する。
派遣したところで、誰も生きては辿り着けない。
現実的に考えて、作戦を中止する以外に有り得なかった。
「ヘラクレス星系の外縁部外側にて、前線基地を建造中だった全軍にも、作戦中止と全面撤退を命じます。最短のマクリール星系から、最前線に向けて、通信部隊を出しなさい」
中止命令を発した副司令長官のコレット・リスナール大将は、作戦の継続に関しては断念した。
大損害を受けた軍の再建も問題だが、アンドロメダ銀河の諸々という問題に比べれば、目途が立つ分だけ遥かにマシであろう。
無論、軍の再建が容易い訳でもないが。
今回の第二次ヘラクレス星域会戦に投入した戦力は、スルト1億6413万艇、イスラフェル1億8000万艇、6つの星系方面軍の中核艦隊、多数の正規艦隊と貴族艦隊、42基の戦略衛星などだった。
それらを元帥と総参謀長、大将級の艦隊司令官7名が率いており、次王選定のために王子2人も従軍していた。
最も替えが利かないハルトが無事であったので、他の全てが消滅したところで王国軍は再建できるが、天都攻略は考え直さなければならない。
どれだけの損害が出ているのか次第で、王国軍の再建に掛かる負荷は異なるが、最低でも億単位の戦闘艇操縦者を補充しなければならないのは確定している。
これだけの損害を受けて得られた戦果は、敵の邪霊帝を撃破したはずが、新たな邪霊帝の誕生によって、戦果は再評価を余儀なくされる。
しかもアンドロメダ銀河において、邪霊を有する先進異星文明との接触があった。
今後の判断は、続報が無ければ出来ないが、コレットには現段階で1つだけ確信している事があった。
「王子達が無事でも、ユーナの退位は無理ね」
ハルトからの第三報が届いたのは、それから10日後であった。
交渉の打診を受け入れられたハルトは、ウェパル所属の白色矮星管理知能ヴァラク773という案内役を要塞内の宇宙港に駐留させて、クロケル所属のオリアス星系に移動する事となった。
ヴァラク773の安全性に関しては、一時的に恒星系を支配したルルに確認させている。
ヴァラク773は、完全な制御が利いたリンネルのような存在だ。そんなヴァラク773を管理する本国のウェパルは、ハルト達の案内役を命じている。
ハルトを害する可能性は、皆無。
ルルとマヤのいるケルビエル要塞内で暴れても、両者が即座に鎮圧できるため、ハルトはヴァラク773を要塞内に受け入れた。
本国に対しては、第三報となる連絡用の偵察艦を送り出している。
第二次ヘラクレス星域会戦で行った事と同様に、ルルがヴァラク773から、アポロン星系に転移門を繋げたのだ。
「信じられない事だらけです」
目を見開いて驚くクラウディアの常識的な反応を見ながら、ハルトは比較的冷静さを保っていた。
それはアンドロメダ銀河における、ディーテ王国の最高責任者という立場が、責任感を強くさせたのだろう。
現状で天の川銀河に報告しなければならない事は、次のとおりだ。
・ヘラクレス星系が、アンドロメダ銀河に跳ばされた事。
・両銀河が、ヘラクレス星系と天都星系の転移門で繋がる事。
・アンドロメダ銀河で、邪霊を有する先進文明と接触した事。
・邪霊勢力への対抗技術を得なければ、王国が危険である事。
ケルビエル要塞の無事は、跳ばされた直後に報告した。
重ねて作戦中止を決断した時にも、報告は送っている。
現時点で帰還できない以上、第三報となる続報を送るのは当然の流れだが、その間に行った行動については、ハルト自身も独断専行が過ぎただろうかと振り返った。
邪霊と争う先進異星文明と接触して技術を得る件については、本来であればユーナを通すべきだ。
(既に天華が、先進文明と接触している。その技術を天都に運べる以上、王国側が対抗技術を手に入れなければ、天の川銀河における王国の敗北は必至だ)
ハルトには、独断専行しなければ王国が敗北する未来が、確信できていた。
ゴエティアが欲する精霊結晶を提供できるのは、人類でハルトだけだ。
ケチを付けられたら、ハルトが個人の所有物を渡して、対価として襲ってきたグレモリーに対抗できる技術を得ただけだと強弁すべきだろうか。
言い訳に関して悩んだハルトは、「そもそも対抗技術を得て王国を護る事が、なぜ悪いのか」と開き直りながら、自身の強い意志を込めた報告を携えた第三報を王国に送り出した。
そして現状に至らしめた天華ヘラクレス同盟に対して、不満を露わにした。
「天華ヘラクレス同盟の連中は、現状が先進異星文明に人類を支配されかねない状況だと、分かっているのか」
「どういう事でしょうか?」
苦々しく吐き捨てたハルトに向かって、クラウディアが聞き返した。
ハルトは自身の考え方を纏める意味も込めて、現状に対する認識をクラウディアに説明した。
「ディーテ王国と旧連合が、互角で争っていた時代で仮定しよう」
「はい」
「連合側は、新たな星系を発見した。そこには、棍棒を片手に動物を追いかける原始人が存在した。その原始人は、邪霊を持っており、それを使えば王国に圧勝できると判明した。連合は邪霊を奪おうとする。そこまでは良いな」
「はい、放置はしないと思います」
連合と王国の立場が逆であった場合、王国も邪霊を放置しないだろう。
原始人から邪霊結晶の使い方を聞き出して、それを最大限に量産できる方法を採るはずだ。
棍棒を片手に大地を走り回る原始人など、星間文明国家から見れば取るに足らない相手であり、対等に扱う事など有り得ない。
邪霊結晶を取り上げる代わりに食糧支援でも行えば、原始人に対する慈悲になるだろうと好き勝手に解釈するのが最大限の譲歩だ。
そんな仮定の話は、現状の人類とゴエティアにも当て嵌まるのだと、ハルトは考えていた。
「現代の人類から13万年を遡ると、棍棒を片手に動物を追い回していた時代になる。人類が衣服を着るようになったのは7万年前とされているから、13万年前は殆ど動物と変わらない」
「はい」
「そしてアンドロメダ銀河の巨大星間文明であるゴエティアは、人類が未だ辿り着けない量子思考体と化したのが、13万年以上も前だ。ゴエティアから見た人類は、人類から見た棍棒を持って裸で動物を追いかけ回す原始人に等しい。そして精霊や邪霊を持っている。さあ、どうする」
先進文明は、原始人から戦略資源を奪う。
唾を呑み込んだクラウディアの咽が、コクリと小さく鳴った。
そして相槌を行えず、返答に窮したクラウディアの代わりに、総参謀長のベルトランが懸念を述べた。
「それでは元帥閣下が行おうとしている交渉は、危険なのではありませんか。星間文明人が原始人に対して、まともな交渉を行うとは思えません」
「だから現状が危険だと言ったのだ。なんという事をしてくれたのだとな」
人類が発祥の異なる原始人を見つければ、保護管理下に置くのは疑いない。
支配者と被支配者が同じ人類であれば、交配によって子孫が生まれるために、親が子供の権利確立に動いたり、子供が両者の仲立ちに動いたりして、状況は次第に改善されていく。
それは人類の歴史が証明しており、王国でも旧連合のマクリール星人に対して、数世代を掛けた歴史の再教育による王国民化と完全併合を進めていた。
だが相手が別銀河で発祥した先進異星文明では、そうはならない。
人類はチンパンジーやゴリラに対して、どのような扱いをしているのか。それと同じ扱いをゴエティアから受けない保証は、誰がするのか。
人類がチンパンジーやゴリラと同様の扱いを受けるのだとすれば、ゴエティアの文明や社会制度が崩壊しない限りに置いて、人類は全滅を免れるだろう。そして惑星数個くらいは、広めの動物園に見立ててくれるかも知れない。
だが同時に、文明を発展させたり、別大陸や別星系に進出したりする可能性も閉ざされる。
だからハルトは、何という事をしてくれたのだと嘆いたのだ。
250万光年離れた、別銀河の異星文明との邂逅は、人類が自力でアンドロメダ銀河に到達するか、250万年後であれば良かった。そうすれば技術差は小さくなっており、充分に対抗する術があっただろう。
それでも現時点で天華ヘラクレス同盟が接触してしまった以上、ディーテ王国が座視する事は出来なくなった。
「ゴエティアは先進の科学文明だが、銀河間を移動できるほどの超文明では無い。対する我々は、銀河間を移動できる精霊を味方にした魔法文明だ。そして邪霊という、共通の敵も存在する。人類とゴエティアの間に、第三の存在として精霊が仲立ちする事で、まともな交渉が成立するだろう」
虎の威を借る狐ならぬ、高次元生命体の威を借る原始人という体裁だ。
だが最悪の事態を前にして、採り得る最善手であろう。動物園で暮らすよりは、遥かにマシである。
ディーテ王国がヘラクレス星系に侵攻しない選択肢は、おそらく無かった。
ハルトの存命中であれば、停戦して優勢なままに発展を続ける事も可能だが、死後には負けてしまうからだ。
(自分達の居住惑星を意図的に破壊して、上級邪霊に数百億人と惑星を饗させれば、確実に邪霊王を生み出せる。邪霊王を増やすために、天華ヘラクレスがその道に進まないとは思えない)
未来の権力者の全員が、王国に対して確実に勝てる方法を前にして、常に人道的であり続けるなど、有り得ない妄想だ。
危険性の排除や、発展などの大義名分を以って、誰かが邪霊王を増やす。
やがて邪霊王を増やした天華ヘラクレス同盟は、邪霊王2体で精霊王1体に挑むような戦争を仕掛けるだろう。
2対1でも勝てないならば、3対1ならばどうだろうか。
そのような戦いを挑まれれば、王国側が勝てるはずが無い。
故に現在の天華ヘラクレス同盟を放置すれば、ハルトの死後、遥か未来に王国は敗北するのである。
そのような将来の危険を残したままに、精霊に関する第一人者のハルトが、ヘラクレスを放置して目先の安易な停戦を迎える事は出来なかった。
故にディーテ王国がヘラクレス星系に侵攻しない選択肢は、おそらく無かったのだ。
「王国は、ヘラクレス星系に侵攻せざるを得なかった」
アンドロメダ銀河に跳ばされた現状は、不可避だったのである。
どうやっても不可避の道について、ハルトは反省は不要と心の整理を付けた上で、今後の対策を検討した。
『ルル、精霊神のエネルギー結晶体は、どれくらい力が残っている』
『2割が残りました。余裕は無いので、次のヘラクレス星系侵攻は、止めた方が良いですよ』
『ああ。勿論、行く気は無い』
第二次ヘラクレス星域会戦で使用したエネルギー量は、2割になる。
それで邪霊帝を倒せたわけだが、同じことを再現しようにも、相手の防衛戦力にはグレモリーの大艦隊が増えている。
僅か1隻で、ルルの領域内で強化された数千艇のイスラフェルを破壊したグレモリーを相手に侵攻するなど、単なる自殺行為だ。
第三次ヘラクレス星域会戦は、とても行える状況に無かった。
『天の川銀河にある天都の転移門を潰して、グレモリーの侵入を妨害する。これには精霊帝が必要だろう。それとアンドロメダ銀河にも転移門を作って、行き来の手段も確立したい。こちらは精霊王で構わないが……』
ヴァラク773のように、仮の領域を作ってから外すような真似が出来るのであれば、やりようは無いかとハルトは思い悩む。
『精霊神のエネルギー結晶体を持つルルか、邪霊帝の力を吸って変換したマヤに、精霊王級の上級精霊を作って貰いたい。その上級精霊にマカオン星系を饗させて、精霊王に昇格させ、アンドロメダ銀河に置こうと思う。それで天都とアンドロメダ銀河の2ゕ所を領域化しても、ルルかマヤは手元に戻せるはずだが……』
上級精霊から精霊王への昇格には、人類の瘴気が溜まった居住惑星を使わなければならない。その候補としてハルトは、太陽系民を移住させたマカオン星系を想起した。
太陽系からマカオン星系に移した人々を再移民させて、残った惑星を破壊して瘴気を変換するわけだ。
元から精霊王級であれば、昇格に沢山のエネルギーは必要ない。
マカオン星系は、長らく王国民が暮らして来たために、充分な瘴気がある。犯罪者達を惑星の監獄に残し、移民を拒む旧太陽系民も残せば、完全な無人化にもならない。それで昇格可能なはずだとハルトは考えた。
マカオン星系に移民させられたばかりの旧太陽系民にとっては、酷い話であるが、そうしなければディーテ王国が滅んでしまう。
ヘラクレスのイシードルが主張したとおり、現在は存亡を懸けた生存競争だ。そして競争相手には、先進異星文明のグレモリーも加わってしまった。
王国軍の最高責任者という立場のハルトには、王国が敗北して滅亡に至る選択は有り得なかった。
そんなハルトの状況を理解したルルは、要請を受け入れた。
『分かりました。ルルはアンドロメダ銀河に待機して、パパが戻る門を開きます。マヤは最優先で天都星系を攻略して、残存エネルギーで王級の力を持つ上級精霊を2体作り、それをパパが預かって、マカオン星系で精霊王2体を作って下さい』
『マヤは天都に座すのですか?』
不思議そうに姉を見詰めるマヤに向かって、ルルは得意気に語った。
『いえいえ。マヤのエネルギー回収用として、精霊王級の分体2体を作り、天都に1体を置いて入れ替わって下さい。その後にアンドロメダ銀河に戻って、こちらにも分体を置いて、2人でパパのところへ戻ります』
ルルが両手の人差し指をビシッと伸ばして、素早く交差させた。
『グランマのエネルギー結晶体は、パパを精霊化する時の底上げに使いたいから、なるべく残すように頑張って下さい。最初から、特異な王級並の上級精霊にしちゃいましょう』
『分かりました。それで良いです』
姉の指先に黒い瞳を向けたマヤは、やがて軽く頷いた。
一方で姉妹の発言を聞いていたハルトは、ルルが最善手を打ってくれた事に感謝した。
そして同時に、ルルが発した『マヤのエネルギー回収用として、精霊王級の分体を作って、領域化した星系に置いて入れ替える』件について、理解しようと思考を廻らせた。
量産型の精霊であれば、ディーテ星系に領域を作った精霊帝ジャネットが、大型戦闘艇イスラフェルの精霊結晶で行っている。
それの機能強化版とでも考えれば良いのだろうか。
遥か未来、人類の活動域が多数の星系に広がれば、星系1つに領域を作っていても、人類全体のエネルギーを回収しきれなくなる。
その文明段階に至った時、精霊達は精霊王を増やしてエネルギーを回収するのだろうかとハルトは思っていたが、エネルギー回収用の分体を置く手もあったらしい。
どれだけの回収効率になるのか、ミラなどは移動できるのか等と、新たに悩んだハルトだったが、教えてくれない事については一先ず棚上げした。
「今は、速やかに天都の転移門を塞がなくてはならない。よろしく頼む」
ハルトは4度目の爆弾となる、マカオン星系の破壊準備を依頼する第四報を本国に送り出した後、クロケルのオリアス星系へと向かった。
【書籍版4巻、ご予約よろしくお願いします!】
Web版から根本的に直した部分が複数あり、
クラウディアやシャリーの性格・行動が異なり、
本日、見本誌の挿絵を見た私自身が驚きました。
第二次ディーテ星域会戦の結果が異なるので、
死ななかった司令官が、作中で活躍したりもしています。
書籍限定話も、いつも通り付いております。
ご予約、よろしくお願いします。