119話 ヴァラク773より
『報告は以上です。白色矮星管理知能ヴァラク773は、本件を最優先事態と判断しました。直ちに、本国の対応を要請します』
白色矮星管理知能ヴァラク773において、天の川銀河から来訪した精霊を有する集団が、グレモリーの伯爵である紅炎のダリアと交戦し、これを撃破して魔素機関を有する軍艦を鹵獲した。
その上で交渉を求めているという緊急伝達は、ゴエティア5族が1勢力ウェパルを驚倒させた。
だがウェパルは、同時に納得もした。
そのような事態でもなければ、グレモリーの公爵である灰燼のアドレアナが、勝利が確定していたオリアス星系攻略を放り出して、撤退したりはしない。
そしてアルマロス侯爵が独断で、本国を飛び越えて3勢力に緊急伝達する事も無かった。
交戦から撃破に至るまでの経過も送られており、邪霊に対抗する存在と、グレモリーの軍艦鹵獲は疑いようが無い。
ディーテという王国は、1500光年の領域を治める集団を自称した。
それに関しては、グレモリーの1艦を倒すために数千の艦艇を犠牲にしており、大きくは異ならないと考えられる。
だが一方で、邪霊を有する軍艦を自爆も許さずに鹵獲している。
それを行えないウェパルは、遥か後進の文明が圧倒的な技術格差を覆せる精霊について、グレモリーに押される現状を覆せる決定打に成り得る、と、判断した。
「ウェパル皇帝の名において、あらゆる交渉に応じると伝えよ。会談場所は、クロケルのオリアス星系が良い。管理知能ヴァラク773は、案内役として同行し、ウェパルへの好印象を与えよ。なお白色矮星773は、退去時に破壊せよ」
『命令受領。管理知能ヴァラク773は、白色矮星773を破壊して、当該集団に同行します』
それは皇帝が報告を受け取ってから、殆ど間を置かない返答だった。
グレモリーに対抗できる技術を獲得できる交渉を行うか否かであれば、行わない選択肢は有り得ない。交渉内容に折り合いが付かなければ、条件交渉を行えば良いだけだ。
場所をウェパルの領域内では無く、クロケルのオリアス星系にしたのは、対グレモリー戦で、クロケルを矢面に立たせる目的があった。
ゴエティア全体の1割に過ぎないウェパルは、グレモリーの攻勢が集中すると耐え難い。
ある程度は耐えられるクロケルを矢面に立たせ、ウェパルが全面支援して、さらにレラジェも巻き込んで、ようやく状況をコントロールできる。
方針を示したウェパル皇帝は、次いで交渉団の人員を検討した。
だが選定は、非常に難航した。
文明の進出域が1500光年を治めるに過ぎず、個体の姿も生身という古い生命体の文明に対して、発展度合いを侮らないウェパルは居ない。
ウェパルは、13万4000年前に星間文明を成立させている。
13万年前を人類の視点で考えれば、相手は中期旧石器時代に動物を追いかけていた原始人に相当する。
棍棒を片手に、野生動物に向かって走って行く原始人を見て、現代人は相手を対等の存在だと思えるだろうか。
この場合は対等だと思う方が、明らかに間違っている。
感情を抑えて仕事をしろと命じるのは簡単だが、邪霊と同等の精霊を有する相手は、察知能力が原始人ではない。
侮りを察せられて、不快に思われて、交渉が破綻すればどうなるのか。
相手は別銀河を発祥とする未知の集団であり、ゴエティアの価値観は全く通用しない。たった一度の失敗で、互いの損得を無視して交渉を断絶されないとは限らないのだ。そうなれば、取り返しが付かない。
自身で直接交渉に臨みたいとすら考えた皇帝だったが、これがグレモリーの罠で、3族の王が一網打尽にされる可能性もある事から、直接交渉は断念せざるを得なかった。
「交渉団の団長は、聖歌のパメラにしよう。本人の希望にも沿うはずだ」
皇帝が信を置く聖歌のパメラとは、ウェパルにおける聖女だ。
彼女は、現代では意味を為さないが、ゴエティアが身体を持っていた時代の末期、生体を修復できる能力の高いクラゲとして、癒しの力でウェパルの聖女と呼ばれていた存在である。
半永久的に生きるクラゲから、最古の量子思考体達へと身体を作り替えた時代の最古参のウェパルにとって、パメラは色褪せない聖女だ。
皇帝も最古の量子思考体であり、聖女の力で癒やされた事もある。
ウェパルにとっては、至高の宝石にも等しい聖女パメラだが、彼女は問題も抱えている。
自らパメラに連絡を取った皇帝は、情勢を告げた上で、交渉団の団長を命じた。
「彼らは別銀河から来た、邪悪な敵を封じる特別な力を持った勇者だ。そして、ウェパルを助けてくれるだろう。故に聖歌のパメラ、勇者に仕え、国家と民衆を守れ。君が勇者の傍で支えれば、国民も勇者を侮らないだろう」
パメラの問題とは、夢見勝ちを『拗らせ過ぎた』乙女である点だ。
肉体を持っていた頃から『癒しの聖女様』と呼ばれ続け、国民から大切にされ続け、やがて他国にまで名が轟いた結果として、パメラは癒しの聖女という自己認識を確固たるものとしている。
パメラが自覚を持ち、聖女として振る舞い、そして気が付けば13万余年。
その間に、永劫の時に飽いた同世代の者達が、続々と離脱していった。
やがて新たに生み出された者達が台頭して、それらも飽いて去り、以降の世代も台頭と脱落を繰り返していった。
皇帝も聖女も、強い意志で己を保っている。
だが変わらない時を50万年、100万年と続けていけるだろうか。
その先には、1000万年、1億年が待っている。
そして、さらに先には…………。
いつしかパメラは、聖女として『次のステージ』を望むようになった。
それは聖女が勇者に仕えて、やがて妻になるという、肉体と雌雄が存在した時代の夢であった。パメラは四六時中、おとぎ話を夢見るようになったのだ。
もしも皇帝が雄型であれば、パメラと結婚して子孫を作るという選択肢もあっただろう。そうすればパメラの無聊も慰められたかも知れない。
だが皇帝は雌型で、沢山の子孫も居る。
そして皇帝の他には、聖女にして最古参の公爵級思考体でもあるパメラに釣り合う者が存在しなかった。
ここ数万年のパメラは、聖女という自覚と、夢を追い求める状態を続けてきた。そこに訪れたのが、掛かる事態である。
皇帝は、ウェパルに通信を送ってきた黒クラゲの姿と、明瞭な意思伝達をパメラに見せた。
『こちらは天の川銀河で、1500光年の領域を治めるディーテ王国で、軍の最高責任者を務めるハルト・アマカワだ。爵位は公爵と侯爵を併せ持つ。婚約者は現女王。邪霊に対抗する精霊の管理者でもある。そしてグレモリーの伯爵ダリアの乗艦を鹵獲した。そちらと交渉したい。我々は、邪霊と戦っている。双方にとって利のある交渉となるだろう』
それはゴエティアよりも上位の存在である精霊のルルが、ゴエティアに伝わるように変換したハルトの仮想体と意思伝達であった。
翻訳に手落ちが無いどころか、仮想体が理想的なイメージで伝わった結果として、あまりに凜々しいハルトの姿と、明瞭で力強い意志伝達を見せられたパメラは、ついに自身へ訪れた運命の時を確信した。
『…………勇者様』
「あちらは肉体を持っているそうだが、このように完璧な意思疎通が出来て、量子思考体にもなれるのだから、何も問題なかろう。お互いに理想の姿に成れるのだから、そうすれば良いだけだ」
恋する乙女の瞳をしたパメラは、既に皇帝の言葉をまともに聞いていなかった。
人間の身体で表すのであれば、潤んだ瞳で黒クラゲを見詰め、小さく歓喜の溜息を吐き、期待に鼓動を早めながら、緊張の面持ちで背中を押されるのを待っている。
問題ないようだと判断した皇帝は、聖女に使命を与えた。
「勇者には他にも仕える者が居るようだが、国を救う偉業を成す勇者には沢山の仲間が居るものだ。君はウェパルの聖女として仕え、力の振るい方を知らない勇者を導き給え。また国民に侮る者が居れば、矢面に立って勇者を支えよ」
『勿論です。心身共に、勇者様へお仕えします。直ぐに向かいますわ』
ウェパルの代表として赴き、勇者と先進文明のウェパルを繋いで導く。
そのような使命感をパメラに負わせる事で、皇帝は状況を望む方向に向かわせようとした。
パメラがウェパルに利益を齎すと確信する皇帝は、人間であれば満面の笑みを浮かべるに等しい満足感を得た。
派遣者の最適解を選んだ皇帝は、次いで矢面に立たせるクロケルとレラジェにも連絡を取った。
ウェパル皇帝の目論見は、連絡を受けたレラジェにも正確に伝わった。
グレモリーに対抗する3族は、中央にゴエティアで1割の勢力を持つウェパルがあって、その両側に2割を持つクロケルとレラジェが位置する。
クロケルとウェパルの領域での交戦に、レラジェは即座には影響が無い。
アルマロス侯爵の緊急伝達に応じて行った逆侵攻も、グレモリー側からの反応は殆ど無かった。
それでもレラジェの王女メリッサは、対抗手段を放棄する選択肢は有り得ないと判断した。そして交渉団として、信頼する有能な侯爵級思考体のオルニアスを送り出す決定を下した。
なおハルトが雄体であったため、送り出す思考体は、わざわざ雌体を選んでいる。
「交渉では、相手が後進文明である事を念頭に臨みなさい。原始的な対応に出られるかもしれませんが、相手が原始生命体なのだから、それは当たり前です。一々気にせず、グレモリーに対抗できる精霊を安定的に手に入れる事を至上命題として行動なさい」
『もちろん否はありませんけれど、王女様は行かないのです?』
「グレモリーの罠という可能性を否定できません。この身が捕まると、困るでしょう」
かつてレラジェには王が存在したが、惑星スローンを訪れていた際にグレモリーのイマミア王女が反乱を起こして、狙い撃ちで邪霊王に捕縛されている。
その際にレラジェの情報と管理者権限を抜き取られ、惑星侵攻でゲート封鎖を行われ、軍団の制御権を奪われ、徹底的に叩き潰された。
本国には国王の複製が保存されているが、本物が捕縛されてしまい、復活させられなくなった。
手痛い経験をしたレラジェを含む3族は、国家に対する権限の強い王級と公爵級の思考体は最前線に出さず、侯爵級以下の思考体を総督として迎撃を行うようになった。
このような事情により、王級思考体であるメリッサを最前線には出せない。
『グレモリーに捕まるの、本気で嫌なんですけど。それくらいなら、まだ原始生命体に捕まって、触手でグルグルに絡め取られて、苗床にされて、子供を沢山生ませられちゃう方がマシかな。ちなみに詳しい情景を描写するとですね……』
「うっさい、馬鹿。勝手に絡め取られろ。こっちに精霊だけ送れ」
側近の戯言を切って捨てたメリッサは、求める結果を告げた。
交渉団の目的は、グレモリーに対抗できる精霊を安定的に手に入れる事にある。それと引き替えに、見合う対価を払っても良いと伝えた。
なお相手に対する認識としては、資源においてグレモリーの邪霊結晶に対抗できる対等な集団であり、伯爵級思考体を捕縛できる侮れない技術を有している事を共有した。
そして上から目線で脅迫する事を禁じて、致命的な失敗をすれば、その身を相手に差し出す事も厭わないと厳しく申し伝えた。
『あたしを除く雌体の侯爵級思考体には、無理かもしれませんねぇ。相手の文明レベルが、あまりに低すぎますもの』
「失敗したくないから、なんとかして頂戴。成功報酬は、なるべく配慮するつもり」
『それじゃあ、これでグレモリーを押し返せたら、公爵級思考体に上げて貰いましょうか』
全員が不老不死であるゴエティアにとって、爵位が上がって序列の入れ替わりが起こるのは、並大抵の事では無い。それでもメリッサは即答した。
「分かった。それで良い」
『やれやれ。仕方がないので、原始生命体との交渉、がんばりまーす』
「頼むわよ。貴女の過失で失敗したら、内容次第では本当に、原始生命体に売るから」
『それってもしかして、すごくエッチな事をされちゃったりします?』
「分かった。失敗したら、本気で売り飛ばすわ」
かくしてウェパルとレラジェが交渉団を派遣して、クロケルの領域内にあるオリアス星系でハルト達と会う事になった。
なおウェパルが公爵級思考体の聖女パメラを送り出し、レラジェが王女の側近である侯爵級思考体のオルニアスを送り出したのに対して、クロケルではオリアス星系の総督であるアルマロス侯爵が対応する事となった。
アルマロスは従来からの任務遂行能力に加えて、本件で示した対応力と意欲が評価されての決定であった。