118話 紅炎のダリア
そこは恒星の最終形態の1つである、白色矮星が静かに浮かぶ宙域だった。
中性子星に成るほどには質量が大きくない恒星は、膨張して赤色巨星となり、外層を放出して、白色矮星という核を残す過程を辿る事が多い。
白色矮星は、核融合反応を起こさない。
だがエネルギー放射は行っており、縮退炉に利用できる質量も有している。
そのためゴエティアにとって、白色矮星並びに周辺宙域は、資源やエネルギーの回収効率こそ低いものの、多少の価値はあった。
『村1つ、井戸水1つ程度に過ぎなくとも、敵対勢力に渡す訳にはいかない』
ゴエティア5族の1つ、ウェパルが管理してきた白色矮星の1つには、対策が施されていた。
敵対するグレモリーの侵攻に備えて、量産型の白色矮星管理知能である識別名ヴァラク773を置き、白色矮星を人工ブラックホールに飲み込ませる準備を整えていたのだ。
確実に破壊される井戸水1つのために、わざわざ立ち寄るかも定かではないグレモリーの侵攻に備えて、ヴァラク773は延々と最期の日を待っていた。
そして本日、ヴァラク773の観測範囲内に想定外の侵入者達が駆け込んできた。
それは白色矮星管理知能ヴァラク773にとって、完全に想定外の侵入者だった。
最初に出現したのは、全長90キロメートルに達する巨大な人工物体だ。出現にはゲートを介さず、通常の航行方法も用いず、何もない宙域から突然現れた。
『観測衛星、すべて正常作動中。有り得ない……グレモリーの新技術……?』
グレモリーの侵攻に備えて、周辺宙域に大量の観測衛星を配備していたヴァラク773は、見間違うはずのない結果に混乱した。
これまで邪霊と契約するグレモリーの艦艇は、800メートル級しか存在しなかった。
それが縮退炉を有する星間船として実用的な最小サイズであり、邪霊結晶で運用できる最大サイズだからだ。
その1種類だけでも3勢力は圧されているのに、90キロメートル級という新艦艇が導入されたのであれば、絶望的に形勢が傾いてしまう。
ヴァラク773は、自己崩壊する当初の計画を一時中断して、可能な限りの情報収集を行い、本国へ情報伝達する方針に転換した。
元々、本国へ報告するために必要なゲートとエネルギーは蓄えている。
優先事項を切り替えたヴァラク773の前で、90キロメートル級の人工物は白色矮星に向けて、光速を超える速度で、未知のエネルギーを放った。
『出現したアンノウンより、未知の事象を観測。目的不明、効果不明。自壊装置に障害無し。観測を継続します』
観測衛星群の注目が集まる中、直径90キロメートル級の天体は、その内部から続々と艦艇を吐き出した。
それは大雑把には無骨な直方体で、触手や腕の1本も無く、惑星スローンの生命体からは全く想像できない、非効率で理解しがたい形状だった。
湧き出した数は、全長1200メートル級が25隻で、全長600メートル級が5万6700隻。それほど多くは無かったが、信じがたい事に全てが魔素機関の出力反応を示していた。価値の低い白色矮星1つに対して、それほどの情報思考体を送り込む理由が想定できない。
ヴァラク773はいつでも自壊出来る態勢を保ちながら、謎の人工物に対する観測を続けた。
5万以上の艦艇が展開した後、宙域に新たなワープアウト反応が現われた。その魔素機関が放つ出力反応は、ウェパルに登録されているものだった。
『本国へ報告。白色矮星773にて、紅炎のダリアを確認しました』
紅炎のダリアは、ヴァラク773が所属するウェパルと、連合関係にあるクロケルとを繋ぐ宙域を寸断するように進撃しているグレモリーの公爵・灰燼のアドレアナの大軍団に属する伯爵級思考体だ。
過日、アドレアナはオリアス星系で、勝利を目前に不可解な撤退を行った。
アドレアナの配下であるダリアの行動には、関連性がある。そのように判断したヴァラク773が、さらに追加の情報を送り出そうとした時に、周辺宙域を取り巻くダークエネルギーの流れが変容した。
それは穏やかだった大海の海上が、上空に台風が到来しかたのように急に荒ぶっていくようだった。
ダリアの軍艦は、簡易ゲートを形成しながら多次元魔素変換通信波で位置情報を知らせようとしたが、魔素を用いた通信波が掻き乱れて、高次元空間を飛んでいかなかった。
さらにダリアの軍艦周辺宙域に、無数の白い渦潮が浮かび上がる。
それはアンノウンの周囲に展開した5万6725隻の周辺にも展開しており、直方体が続々と飲み込まれて消えていき……直後にダリアの周辺に飛び出した。
『本国へ優先事態報告。アンノウンによる、ゲートを介さない、短距離の跳躍を確認。恒星周辺では不可能な、ハイパー航法型ワープと推定。クロケルのアルマロス侯爵から緊急伝達のあった事象と関連する可能性が有ります』
ヴァラク773が判断を保留する中、飛び出した艦艇はダリアの軍艦に攻撃を始めた。
数万条の質量波凝集砲撃が伸ばされて、ダリアの軍艦が発する魔素機関の周辺に突き立てられていく。
それは標的を正確に捉え、周囲と連動して行われる精密な射撃だった。
伯爵級思考体のダリアと、邪霊の強烈なタッグが動かす軍艦が、信じがたい事に何度も直撃を浴びて貫かれた。但し攻撃の威力は、グレモリーの軍艦の外壁を破壊できず、外壁で防げないダークエネルギーの一部が艦を通過していく。
対するダリアの軍艦も、簡易ゲートを形成していた触手を全方位に伸ばして、未知の艦艇に電磁波砲撃を浴びせていった。
未知の艦艇は魔素機関を用いたシールドを展開していたが、攻撃を行う際にシールドの威力が低下するらしく、その瞬間に攻撃を浴びた艦艇が次々と爆散している。
『本国へ緊急事態報告。アンノウンを、グレモリーと敵対する未知の戦闘集団と断定。現在、白色矮星773にて、アンノウンとグレモリーが交戦中。クロケルの緊急伝達事象と推定、白色矮星管理知能ヴァラク773の対応権限を逸脱します。本国の命令を要請します』
数千の爆発光が煌めく中、一際大きな白い輝きを放つ艦艇がダリアの軍艦周辺に跳躍してきた。
ダリアは瞬時に跳躍艦艇を迎え撃つが、エネルギーを全てシールドに回しながら突っ込んでくる艦艇を破壊し切れずに、強行接舷を許してしまう。外壁は傷付かなかったが、艦の外壁同士が触れ合った。
接舷されている状態にも拘わらず、ダリアは触手を突っ込んで艦艇を爆散させ続けた。
だが艦艇側も破壊されるのに構わず、ダリアの軍艦の一部を巻き込みながら、高次元空間へと跳躍した。
魔素機関は、複数名の魔力を同期させられない。軍艦同士が繋がれば、魔素機関同士が干渉し合って、機能が停止してしまう。
だが白色矮星の周辺宙域で、ダリアの軍艦はシールドの発生範囲が極端に小さくなっていた。シールドが発生していない部分を巻き込んで艦艇が跳んだ結果、そこだけ剥ぎ取られるように高次元空間へと飲み込まれたのだ。
次元で引き裂かれたダリアの軍艦が、大穴を穿たれて損壊した。
その瞬間を逃さず、周囲の数万艇が質量波凝集砲撃を浴びせて、ダリアの艦艇内部を焼き払った。
ダリアの軍艦は、艦内に乗せている瘴気を放つ生体を質量波凝集砲撃で殺され、艦内を蹂躙されて邪霊を殺され、魔素機関の発生装置を稼働不能に陥らされた。そこへ艦艇が再跳躍して迫り、再び強行接舷して、今度はダリアの軍艦ごと高次元空間に跳躍した。
艦艇が跳躍した次元は、人類が魔素機関で跳べる、ほんの僅かな高さでしか無かった。
それでも魔素変換防護膜という高次元空間で身を守る術を失っていたダリアは、衛星軌道上から惑星に叩き落とされるどころではない衝撃を受けて、艦の機能を破壊された。
勝敗の確定は、ダリアの側から告げられた。
『わたくしは、ゴエティアのグレモリー族で伯爵位を賜るダリアですわ。ケルビエル要塞の司令官ハルト・アマカワ、通信に応じられますか』
戦闘中に敵へ通信を送るなど有り得ない。
敗北を認めたダリアの通信に、白色矮星管理知能ヴァラク773は本国への伝達すら切って、傍受に努めた。はたして未知の艦艇の攻撃が止まり、全長90キロメートル級の人工物からダリアに向かって通信が送られた。
それはヴァラク773から見て、奇っ怪な生命体だった。
第一に、量子思考体では無い。
第二に、海洋生物ですら無い。
量子思考体では無い文明レベルの集団がグレモリーの軍艦を破壊した時点で信じがたいが、それ以前に呼吸はどうしているのか等と、生物としての危うさに不安すら覚える。
すると三度点滅した後、それは人類から見て黒いクラゲのような姿に変じた。
「ケルビエル要塞の司令官ハルト・アマカワだ。用件を聞こう」
ゴエティアにとって、標準的な電子思考体の仮想体に変じた司令官を名乗る男の明瞭な通信に、ダリアは複雑な表情を浮かべながら語った。
『わたくし、あなた方の情報は頂いておりましてよ。でもあなた方は、どこで知ったのかしら?』
「そちらに邪霊が居るように、こちらにも精霊が居る」
両者の通信を傍受していたヴァラク773は、アンノウンがグレモリーの伯爵級思考体に勝利し、邪霊に対する精霊も有しているという情報の重さに愕然とした。
その存在は、3族の窮状を打開する決定打と成り得る。最優先事項と見なしたヴァラク773は、傍受以外の行動を全て停止して、情報収集に専念した。
『納得しましたわ。ところで、わたくしが本国に情報を送るのを妨害しなければ、わたくしは権限の範囲内で、いたぶるのを多少は加減してあげられますわよ。ほんの僅かですけれども』
「それは不可能だな」
『わたくし、自称するのも何ですが、報復や拷問は、酷いんですの。貴方の身体を電子思考体に作り替えて、泣き叫んで殺して欲しいと懇願されても、未来永劫、いたぶり続けると思いますわ。天華からの情報で、貴方の婚約者とか伺いましてよ。きっと、色々な事が出来ると思いますわ』
薄らと笑うダリアに対して、ハルトと呼ばれた黒いクラゲは、冷たい目を向けた。
「もう少し情報を貰おうかと思ったが、この辺で良いだろう。お前は、終わりだ」
『…………くっ!?』
一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたダリアが、次の瞬間には自爆を試みた。だがそれが実現するよりも早く、彼女の身体が掻き消えた。
その後、黒いクラゲの隣に浮かび上がった小さな白いクラゲが、触手の先に精霊結晶のような結晶体を浮かべて、弄ぶようにクルクルと回転させ始めた。
自爆に失敗したダリアの軍艦は何の反応も示さず、無防備に宙域を漂っている。
「これは一体、どういうことなのでしょうか」
司令部要員を代表して尋ねた総参謀長のベルトランに対して、説明の範囲を迷ったハルトは、僅かに間を置いてから答えた。
「この星系で、俺の契約精霊が仮の領域を作ったところに、相手が攻めてきた。契約者を害する敵が領域内に侵入すれば、精霊は相応に対応する」
高次元生命体の精霊と、低次元に存在する相手とでは、次元のレベルで上下差がある。ようするに精霊と相手とでは、精霊の方が格上だったという事である。
『空の精霊結晶の亜種に閉じ込めました。12次元の壁を越えたら出られる程度の隔離宇宙ですが、この隔離宇宙の時間は自由に変えられますし、ダリア本体も記録しましたから、複製して、無限の時間と様々な方法を使って、色々と聞いてみますね』
(……11次元では無いのか。同じ高さの壁で塞いだら、さらにもう一つ越えないと、出られないのか)
紫の瞳を細め、冷めた口調で、ルルは途方もない事をハルトにだけ伝えた。
高次元生命体のルルにとってハルトは、直接契約者であるのみならず、父娘関係を自認しており、精霊化の誘いを好意的に受け止められている相手でもある。
そんなハルトに対してダリアは、ルルの領域内で攻撃を行った挙げ句、『身体を電子思考体に作り替えて、泣き叫んで殺して欲しいと懇願されても、未来永劫、いたぶり続ける』と、ハルトの精霊化が不可能になる脅迫まで行った。
ルルの様子から、対応の揺るぎない規範を感じ取ったハルトは、最低限の要求だけを伝えた。
『天華ヘラクレス同盟側が得た程度の情報は、引き出してくれ。その他は、ルルの好きにして良い』
『はい。その他は、ルルが好きにしますね』
これからルルの隔離宇宙では、宇宙の始まりから終わりが、幾度も繰り返されるくらいの時間は拷問が続けられるのだろう。しかも与えられる責め苦は、人類が創造した程度には留まらないに違いない。
ルルはダリアを苦しめる事で反省を促したいのでは無く、ペットに躾をしたいのでも無く、自らの規範に則った対応を行うだけだ。故に、慈悲は無い。
魔力を持たないダリアでは、どうやっても出られない隔離宇宙の中で、それは続くのだろう。
それからハルトが存在する宇宙では暫くして、ケルビエル要塞のコンピュータに、ルルが引き出した情報が次々とアップロードされていった。
隔離宇宙では、どれほどの時間が流れ、どれだけの複製されたダリアが責め苦を受け続けたのか定かでは無い。だがダリアから得られる情報は、全て引き出したのであろう。
その情報によって、当該星系がダリアの所属するグレモリーと戦争中の他国だと知ったハルトは、当該星系の白色矮星管理知能に通信を試みた。