115話 ヘラクレスの試練
ヘラクレス星系に発生した転移門から出現したのは、全長800メートル程の先遣隊が数百隻、全長5000メートル程で高さも1000メートル程ある作業船と思わしき大型直円柱が8隻だった。
先遣隊の半数がケルビエル要塞に突撃し、残り半数が惑星アルカイオスに迫る。そして魔素機関の反応を示した1隻と、邪霊王テイアが作業船と語った8隻の直円柱は、恒星に向かった。
先遣隊の姿を大雑把に表わせば、金属製のクラゲのようにも見える。
意識を取り戻した大泉の軍人達は、目撃したそれらに表情をこわばらせ、条件反射的に砲撃のトリガーに手を掛けて身構えた。だが、邪霊が力を貸さず、魔素機関で動く戦闘艇が稼働しない。
彼らに対してウンランは、通信で静観を指示した。
「総司令官のウンランより、大泉全軍に告げる。出現したあれらは味方だ。行動を阻害するな」
指示したウンラン自身にも、未知の集団が味方だという確信は無かった。
ウンランが理解するのは、自身と契約する邪霊帝マリエルが、転移門が繋がった先を支配する邪霊王テイアと共同して、テイアが契約する集団を招き入れた事実だけだ。
マリエルは、契約者であるウンランの味方だ。それは人類の数百億人が用いる精霊と邪霊が、一貫して契約者の味方をしているからで、それなりの実績を重ねている。
但しマリエルは、契約者ウンランの味方ではあるが、人類全体の味方ではなく、他の邪霊にとっての味方ですらない。
何しろマリエルは、ヘラクレスの指導者イシードルと契約する邪霊王マレーネを喰っている。さらに大泉の56億人を除く人類を交渉材料として、邪霊王テイアに協力を求めた。
その恐ろしい立ち回りをウンランが止めないのは、マリエルが契約者ウンランのために動いていると、分かったからだ。
大泉のウンランは、母星を破壊された後、ユーエンとイシードルに主導権を握られてきた。
惑星アルカイオスという厳しい環境下に、大泉国民を放り出された。そしてヘラクレス星系の防衛には、大泉と本陽の10億人が捨て駒として配置された。
マリエルが惑星アルカイオスのヘラクレス星人を売り払うのは、従属的な立場に落ちている大泉にとっては大変都合が良い。とても同盟を組む相手への行為とは言えないが、先に信義を欠いたのは相手方だ。
何しろ大泉は、今回の防衛戦に戦闘艇10億艇のうち6億5000万艇の人員を出している。生き残った62億5000万人のうち6億5000万人を失った。本陽も生存者11億2000万人から、3億5000万人を出しており、殆ど死に体である。
このような事をされたのだから、仕返しをされても因果応報だとウンランは考えた。
そしてウンランを割り切らせたマリエルが、再び新たな行動に出た。
『ウンラン、相手から通信が来たから繋ぐね。人類とゴエティア5族との翻訳は、テイア先生との最初の接触で終わっているよ。それとゴエティアは量子思考体だから、姿は人類に合わせたよ』
「分かった、繋いでくれ」
平時であれば、事前に相談してくれと文句の1つも言うだろうが、今は非常時である。
ウンランが応じると、中央司令センターの通信スクリーンに黒いセーラー服姿の女性が現われた。その傍には、目が吊り上がって勝ち気そうな、赤髪の女も浮いている。
ウンランと、隣に姿を現わす邪霊帝マリエルを視界に収めたセーラー服の女は、ウンランに愛想良く語り掛けた。
『はじめまして。わたくしは、アンドロメダ銀河の2万6000光年を版図に収める、グレモリー族の伯爵級思考体ダリアと申しますわ』
人類の版図は、王国と天華を合わせても2000光年に満たない。
途方もない版図に、イメージが全く湧かなかったウンランは、相手が文明的な優位性をアピールしたかったのだろうかと、逆に冷静になりながら挨拶を返した。
「お初にお目にかかる。私は、この星系に領域を作った邪霊帝マリエルの契約者で、56億人の指導者である徐雲嵐だ。そちらの邪霊王テイアとは、マリエルが話し合ったようだが、よろしく頼む」
『こちらこそですわ』
はたしてウンランの口上は、ダリアの表情を青ざめさせた。
ウンランは、表情を変化させる量子思考体に作為を訝しんだが、相手の姿はマリエルがウンランに分かり易く伝えるために変換している。マリエルが些細な変化まで再現しているのだと解釈したウンランは、本当に青ざめたのかも知れないと考えて先手を打った。
「邪霊帝マリエルが、ヘラクレス星人の指導者イシードルと契約する邪霊王を始末した。既にヘラクレスとは、決裂している。大泉民の安全確保に協力頂けるか」
『分かりましたわ。先ずは、ご依頼を実現するために必要な情報を、頂きますわね』
邪霊王を始末したと聞いたダリアは、顔面蒼白になりながら、隣に浮かぶ邪霊に目配せをして、マリエルから大泉民の情報を受け取らせた。
その間にも惑星アルカイオスに迫った、全長800メートル程の金属クラゲのような先遣隊360隻は、魔素機関の出力反応を示す1個だけが形状を変化させていった。
進行方向の後ろ側に触手を大きく広げてリングを作ると、魔素機関の出力反応を増大させながら、リング内にエネルギー反応を生み出していく。
やがて光が迸り、リングの中から新たな金属クラゲ1個が飛び出した。
「船が転移門になるのか!?」
飛び出した1個は、出現直後から新たな魔素反応を発していた。中央司令センターのスクリーンに投影される観測結果に、ウンランは目を見張って驚いた。
魔素機関を有する船を転移門に出来るのであれば、銀河の何処にでも高速で進出が叶う。人類の遥か先を進む文明の技術力を見せつけられたウンランは、相手の力に恐れを抱いた。
ウンランが驚く間、僅かな時間だけダリアからの通信が途絶えた。
そして通信が再接続されると、今度はダリアではない女が、通信スクリーンに現われた。
それは群青色の髪をした、黒いドレスを着た小柄な女だった。傍には垂れ目で内気そうな、茶髪の邪霊らしき女も浮いている。
『ウンラン卿、はじめまして。グレモリーの公爵級思考体、アドレアナと申します。先程のダリアは、既に追撃隊に思考体を転送しました。以降の対応を引き継ぎましたので、よろしくお願いします』
「転送というのは、ケルビエル要塞を追いかける方に身体を送った、と言う事か」
『はい。私達は、周囲の瘴気発生体を乗せた艦に、思考体を飛ばして移乗します。指揮艦が破壊される毎に別艦で目覚める形では、限定契約を交わしていない思考体に、邪霊が付いてきませんので』
ウンランは相手文明の先進度合いに、さらなる上方修正を強いられた。
量子化した身体を各艦に置いて、破壊される毎に目覚められるのであれば、全滅しない限り戦死しない。しかも本国にバックアップを残しておけば、派遣した艦隊が全滅しても復活出来る。すなわち彼女達は、既に不老不死を確立して久しいのだ。そこに邪霊までは付いて来ないにしても。
一方で、量子思考体である事の弊害もあるらしい。
邪霊は、契約者の魔力や瘴気で活動している。それをグレモリー達は提供できず、限定契約という条件を付けられている。
『私達が欲する邪霊結晶は、テイア様の御心次第。ですからテイア様の託宣に従って、邪霊帝マリエル様の直接契約者であるウンラン卿に、協力致します』
「お互いの関係を理解した。よろしく頼む」
アドレアナは、圧倒的な技術差から生じる両者の力関係を知らしめた後、邪霊の方針通りに協力関係を結ぼうと求めた。もっとも事態を主導したのは、ウンランでもグレモリーでも無く、邪霊帝マリエルと邪霊王テイアであったが。
ウンランが理解の上で合意の意思を示すと、アドレアナは神妙な表情で小さく頷いた。
『グレモリーとウンラン卿との関係構築に、グレモリーの公爵として祝言を申し上げます。それでは状況の変化に伴い、ウンラン卿が率いられる集団の安全のために、他の集団との隔離作業を開始します』
アドレアナが予告した直後、恒星ヘラクレスに向かった作業船8隻の形状が変化した。
宇宙空間で円状に繋がった8隻は、細長く引き伸ばされながら、輪の大きさを広げていく。
元々が全長5000メートル程、高さ1000メートル程の大型直円柱であったが、それが連なって平べったく伸び続けた結果、巨大なリングが誕生した。
そのリングが恒星ヘラクレスと惑星アルカイオスの中間宙域に留まり、魔素機関の出力反応を示す1隻と繋がる。そして魔素機関の魔素変換反応が強くなると、巨大な円の内側が、強い光を発し始めた。
「巨大リングの中から、新たな物体が多数出現してきます。大きさは、転移門から出現した直円柱と同型らしきものが8個、同じく800メートル級の物体が多数、転移してきます」
中央司令センターで上がる報告にウンランは身を強ばらせつつ、疑問も抱いた。
(何故、先程使ったはずの星系にある転移門を使わない)
邪霊とグレモリーの技術差から生じる力関係は、邪霊側が上だと考えられる。そうでなければ、邪霊王テイアを様付けで呼ぶ事も、邪霊達の決定にグレモリーが従う事も無いはずだ。
それではグレモリーが、自分達よりも遥かに優れた邪霊の転移門を使わないのは何故か。
使用する瘴気を惜しんだのか、作業船が転移門と繋がらない宙域から送られてきたのか。前者と後者の何れであろうと、グレモリーも不全なのだと察せられた。
もっともウンランから見れば、限りなく万能に近い技術力を有している。その一端が、新たに出現した8隻の作業船によって、示されようとしていた。
惑星アルカイオスを取り巻いた8隻は、半数が上空で静止し、残り半数が大気圏内に降下を始めた。そこで上空にて静止した作業船から、閃光が迸った。
「直円柱から地上に向けた、指向性電磁波の凝集照射と思われる現象を観測。ドワーフの惑星防衛施設が消滅した模様」
閃光が煌めいた後、惑星の地表に配備されていた対宙防衛施設群が、大穴を空けて破壊されていた。数多の兵器群が一瞬で残骸と化している。
大地にも複数の大穴が穿たれており、地上に降下していく作業船の半数にあたる4隻は、大穴から内部に侵入していった。
『ウンラン卿が率いられる集団に、私達の妨害をしないようにお伝え下さい。妨害されれば、自動的に鎮圧する場合があります。天華、旧連合、ヘラクレスの識別は大雑把に可能ですが、大泉と本陽の識別は不充分で、手加減の程度にも齟齬があると思われます』
頷いたウンランは、直ぐに配下へ命じた。
「ウェイ大将は、直ちに全軍へ命令。通信部は、住民に非常通信を出せ。大泉民は大泉の国旗を掲げ、他の集団とは一時的に離れ、出現した物体の行動を妨害するな」
マリエルが渡した大泉民の識別情報は、大泉民が持つ情報端末の識別データ、登録されている居住地、本陽に潜り込ませているスパイ情報などだ。
それで大まかには識別できるはずだが、大泉民と本陽民の夫婦や子供、二重国籍者、本陽国籍を持つスパイの家族など、判断に迷う対象も居る。本来はウンランが配慮すべきだが、グレモリーの進行速度が早過ぎて、ウンランには対応する時間が無かった。
既に地下に侵入しなかった作業船4隻が、大泉民56億人、本陽民7億7000万人、旧連合の敗戦時にヘラクレスに残った旧連合民8億人、それらが暮らす地上居住区付近に達していたのだ。
大陸に降り立った作業船は、瞬く間に3種類の物体を吐き出していく。
それは全身が金属製のロボットで、脚の太い蜘蛛のような姿をしており、それぞれの大きさは小型が1メートル程、中型が10メートル程、大型が100メートル程だった。数は膨大で、作業船から液体が溢れ出したのかと疑うほどに大量の蜘蛛が飛び出している。
飛び出したメタリックな蜘蛛達は、各々が飛行を始め、高速で大泉民、本陽民、旧連合民の活動区域に広がっていった。
それら飛行物体のうち中型と大型が輝くと、上空に留まる作業船には見逃されていた兵器群やアンドロイド兵が一瞬で破壊され、あるいは火達磨と化していった。
データを取るまでも無く、地上部隊とグレモリーのロボットとでは、全く勝負になっていない。
障害を排除したロボット達は、建造物の壁や扉を破壊して内部に侵入すると、本陽民を掴まえ始めた。
小型ロボットが形状を変えながら人間に絡みつき、それを他の小型ロボットが掴んで運び出す。そして獲物を掴まえた飛行生物が巣に持ち帰るように、物体を掴んで飛行しながら作業船へと戻っていった。
ロボット達は、本陽民の居住区に存在する様々な物も持ち運んでいった。家具や衣類、道具や機械類、乗り物から建物の外壁に至るまで、ほぼ全てのものが掴まれて、続々と運び出されていく。
それはあたかも、人間が蟻などをシャベルで巣ごと掘って、飼育ケースに移し替えるかの光景だった。
この場合、飼育ケースは作業船になるのだろう。中央司令センターで分析した作業船は、1隻の体積であっても、大型ロボットが4000万体、中型ロボットが400億体、小型ロボットが26兆体は同時に入り、それでも全体の10分の1程度しか内部空間を使用しないと算出されている。
それが8隻も投入されており、なお増えていくのであれば、1000億人程度の人間は容易く入る。
作業船が大陸に降り立った時点で、土壌や大気成分は分析出来ているはずで、生態もすぐに調べられるであろうから、昆虫ならぬ人間の飼育ケースは直ぐに完成するだろう。
それらを想像していったウンランは、人間がクラゲに飼育される不快感から吐き気を催した。
『邪霊帝マリエル様より情報を頂きました、優先目標の1つであったヘラクレス星人の指導者イシードル・アザーロヴァを捕獲しました。この個体は、必要でしょうか』
瞬く間にイシードルが捕縛された事で、ウンランは隔絶した技術レベルの差を再認識した。
『天都星系の邪霊王ゼアヒルドに、天の川銀河に繋がる門を閉じる依頼をされると、ディーテ王国と精霊に対応できなくて困るよね。連絡は封じているから、戦争のどさくさで、死んじゃった事にしようよ。念のために、グレモリーの手で処分してくれるかな。あっ、この場合は、「触手で」って言うべき?』
マリエルの軽口に、ウンランは無表情で沈黙を貫いた。