12話 ヒロインの親友に腹パンされた
「ぐえっ」
振り返り様に腹部を殴られたハルトは、思わず呻き声を上げた。
犯人は、コレット・リスナール子爵令嬢。
普段は風に揺れる草花のように静かにユーナを見守り、ユーナが困った時は微笑みながらそっと手を差し伸べる優しい親友キャラだ。
そんな花も恥じらう乙女が、ウェーブの掛かった淡い金と緑の腰まで伸びるロングヘアを大きく揺らしながら、校舎裏でハルトの腹部を殴り付けたのである。
完全に油断していたハルトは、精霊が緩和した物理的な衝撃ではなく、精神的な衝撃でダメージを受けた。
「あたしは第三者だけど、2人同時は不誠実じゃないかしら」
まさかの親友キャラ介入である。
彼女は「乙女ゲームで男側のハーレム展開など許さない」というストーリー修正プログラムか何かなのだろうか。そう疑わざるを得ないほど、行動がユーナに寄り添っている。
コレットの介入に、ハルトは一体どうしたものかと考えた。
「ユーナから聞き出したみたいだな」
「ええ。それと本来は2人だけに渡すはずだった上級精霊結晶を、おまけであたしにも贈って下さってありがとう。それは本当に感謝しているわ。それであたしも側室にしたいなんて言っていたら、当事者として手加減せずに済んだのだけれど。残念だわ」
釣った魚を一度はリリースした部分まで匂わせて、コレットは全て聞き出したと肯定した。
「コレットが誰かの側室に納まる印象は、全く受けないな」
「あら、あたしにだって貴族の柵はあるわよ」
「とてもそんな風には見えないんだが」
少なくとも『銀河の王子様』では、コレットが誰かの側室になった展開は無い。
自立心が強く、大抵のことは自分で何とかしてしまう性格だ。ユーナが結婚相手を決める頃には、コレットも結婚相手を見繕って自分で決めている。
「貴族の結婚は、基本的には派閥内で娘を出し合う相互協力よ。自家の後継者が高魔力の妻を迎えて、子孫がより高魔力になる。そのために自家も、相手の家に自分の娘を出すの」
「ふむ」
「差し出した娘と迎えた妻の魔力は差し引きされて、貸し借りとして繰り越されるわ。借りが大きくて返せない家が娘を側室に差し出すのは、割と良くある話ね。うちの借りが大きければ、あたしだって側室に出されることは有り得るの」
そう説明されれば、ハルトも頷かざるを得ない。
貴族に課せられた義務は、連合との戦いで矢面に立つこと。そのために必要な高魔力を保つことは、貴族家にとって最優先事項だ。
だが結婚相手は、自家や近しい親族だけでは用意できない。そのため各貴族家は、派閥内でお互いに結婚相手を出し合っている。
借りを作って返さない家には、誰も娘を出さなくなるだろう。高魔力の妻を迎えられない家は、魔力が爵位継承の基準値を下回ってお家断絶となる。貴族であるからには、その柵からは逃れられないというわけだ。
「道理でタクラーム公爵家のジギタリスが強かったわけだ」
大派閥を形成する領地持ちの上級貴族20家が、他の貴族1480家に無茶を言えるのも、相互協力を取り纏める力があるからなのだろう。
タクラーム公爵家のジギタリス然り、カルネウス侯爵家のドローテア然り。我が儘な貴族や、悪役令嬢が誕生する土壌は、斯くして形成されている。
「でも、そこまで理解を示せるなら、カルネウス侯爵家の相続問題とか、アマカワ子爵家に正妻が必要な理由も分かるんじゃないか」
ハルトは反論を試みたが、コレットは全く動じなかった。
「ユーナは純粋だから、お相手に遺伝子提供相手がいて、それがクラスメイトで毎日顔を合わせるなんて、心の中では割り切れなくて抱え込むに決まっているでしょ。クラスの雰囲気もどうなると思うの」
「それは、うーん」
「逆に考えてみて。男3人と女1人で合計4人のクラスがあります。そこで女は、男2人を遺伝子提供者と、婿候補に選びました。そのクラスの空気は、一体どうなるでしょう」
コレットの指示通りに男女を入れ替えて想像したハルトは、渋面を作った。
一人目の遺伝子提供者に選ばれた男は、自分以外を配偶者にするのかと思う。
二人目の婿に選ばれた男は、自分以外の相手と子供を作るのかと思う。
三人目の選ばれない男は、自分の男としての魅力を気にせざるを得ない。
三者の関係は、非常にギクシャクする。
最初から仲が悪ければ問題ないかも知れないが、二人は親友で、もう一人も長い付き合いになって友人関係にはなっている。
一人目と二人目の男は、将来を考えて女に文句は付けないだろう。女の気を悪くさせて、破綻しては困るからだ。
唯一選ばれなかった三人目だけが、堂々と文句を付けられる。反転させていた男女を元に戻せば、コレットの立場である。
「いっその事、みんな娶った方がマシか」
「馬鹿じゃないの」
ハルトの冗談をコレットはバッサリと切り捨てた。
「せめて同じクラスからは、1人だけにしておくべきでしょう。なんてことをするのよ」
「言い分は分かった。だけど俺の感情を差し置いても、正妻にユーナ以外を探すのは無理だった」
「どうしてかしら」
「アマカワ子爵家の評価だ。外で探したら、どこが娘を候補に送り込むと思う?」
連合の奇襲攻撃や首星侵攻情報をもたらしたアマカワ子爵は、あらゆるメディアが徹底的に調べ上げて報道し続けた結果、誰1人として知らない者が居ないくらいに知れ渡った。
救国の英雄であり、王太孫を倍以上も上回る史上最高の高魔力者。
戦闘と離脱に貢献した精霊結晶は、ハルトが会社の株式を独占所持。
興された直後の子爵家で、一族は当主となった17歳のハルトだけ。
ハルトが超高魔力、現代最高の名誉、途方もない財産、貴族位、若さまで兼ね備えている超優良物件だと、あらゆるメディアが王国中に知らしめてしまった。
「父方の祖父であるヒイラギ男爵家は、干渉しないのかしら」
「俺の父親は次男で、伯父に子供が生まれた後に財産の分配無しで独立した。俺自身も次男で、独立が決まっていた。二重に家が異なるから、ヒイラギ男爵家には干渉の正当性が無い。母親も、士爵の父親と結婚した段階で実家とは貴族の縁が切れている」
叙爵後にハルトは父方の祖父であるヒイラギ男爵と会っており、功績や叙爵は立派だと褒められた。だが子爵としての今後には、特に指図は受けていない。そもそも独立すれば干渉の正当性がないとハルトに教育したのはヒイラギ家である。
母方の祖父であるメレンデス男爵とも会ったが、そちらは最後に会ったのが5歳くらいだと教えられたほどに疎遠だった。
アマカワ子爵家は、目下の所1人だけだ。
「それならカルネウス侯爵家が、フィリーネを正妻に迎えられない代わりを送り込むのではないかしら。姉には婚約者が居て、フィリーネは無理でも、まだ妹がフリーでしょう。確かドローテアだったかしらね」
「事情があって、それは絶対に有り得ない」
カルネウス侯爵家がハルトにドローテアを勧める可能性は、どう考えても皆無だ。
「それなら侯爵家の眷属の娘とかは」
「遺伝子提供と、侯爵家の後ろ盾は等価交換。一方的な貸し借りは無いから、眷属の娘を受け入れる謂われは無いな」
「あら、それなら本当に柵が無い状態なのね」
「今のところは、何処にも無いな」
「羨ましい家ね。それなら、まずはタクラーム公爵家がジギタリスを送り込むわ。狙っていた王太孫殿下よりも高魔力で稀代の英雄だから、妥協ではなく方針転換。ジギタリスのプライドも傷付かないわ」
ハルトは中等部の同級生を虐めていたジギタリスを思い浮かべて、心をざわつかせた。
ドローテアが夜中に動き出す人形ならば、ジギタリスは獲物の全身を締め上げる大蛇だ。公爵家の力で締め上げて、獲物の全身の骨を折って押し潰し、しれっとしている。公爵家も魔力を奪う装置を中等部に入れており、親戚もお察しである。
「アマカワ子爵家が、初代で終わりそうなんだが」
「あら奇遇ね。あたしも同意見」
賛同したコレットは、さらに候補を挙げた。
「他にも上級貴族家なら、実家の紐付きの娘を送り込むでしょうね。ハルトが社交界に無知なのを良いことに、他の貴族に売れなかった娘も続々と押し寄せてきそう。まあ大変」
「ジギタリス並の相手も居そうで怖い」
「もちろん居るわよ。でもジギタリス並の逸話なんて、聞きたいのかしら」
ハルトは力無く首を横に振った。
流石に乙女ゲームの世界と一致しているだけあって、悪役令嬢は各種取り揃っている。しかも結婚相手を探そうとすれば、ハルトを目掛けて一斉に押し寄せてくるらしい。
もはや人生自体が、罰ゲームであろう。
「上級貴族は問題児の押し付け。子爵以下は、カルネウス侯爵家に遠慮して娘を出せない。準貴族以下だと、あなたとの魔力差が10倍を超えて正常な魔力継承が無理。ユーナでなければ、アマカワ家が初代で終わりそうね」
「人生がハードモードすぎて辛い」
「ハルトの立場は塩アイスくらい甘いわよ。それでアマカワ子爵閣下は、カルネウス侯爵家に遺伝子提供者として協力する見返りで支援を受けつつ、正妻にはユーナを迎えて家の独立を保ちたいという考えで良いのかしら」
改めて考えたハルトは、それしか無いと考えて力無く頷いた。
それを見たコレットは肩を落として溜息を吐き、情報端末を操作し始める。程なく、ハルトの端末にメッセージが届いた。
「それならユーナの父親からの招待状。あなたがその選択をするなら、出頭しなければならないわ。もちろん外出許可は下りるわよ」
「どうしてコレットが渡してくるんだ」
「リスナール子爵家が、ユーナの父親の実家の眷属だからね」
原作に出ていない裏設定を聞かされて驚いたハルトだが、ユーナを庇い続けるコレットの行動や、ユーナ自身の血筋を考えて腑に落ちた。
ユーナのサポートに眷属の令嬢が付いていた理由は、第三王子が王位を継承した場合、ユーナが王女の一人になるからだろう。
コレットが王家の血を引く眷属ならば、子爵家の出自でありながら公爵級の魔力を持っている理由にも説明が付く。
「第三王子殿下がユーナを一度正式な公爵令嬢にして、箔とフィリーネに対抗できる身分を付けてから出す。そうすれば戦時下で王家の血筋が絶えない保険を作れ、戦争必需品の精霊結晶も他の貴族に頭を抑えられずに済む。といった所かな」
「時々、洞察が鋭いわね。ちょっと驚いたわ」
せっかくの高評価だが、カンニングのおかげだ。
曖昧な苦笑いを浮かべたハルトは、念のため確認を行った。
「娘に手を出すな。じゃないんだな」
「手元で育てたわけじゃないから、そんな事は言えないわよ。でも試練は有るから、頑張って頂戴…………って、どうしてあたしが応援しているのかしら」
「試練って何だ」
「ちょうど人類連合が、王国への侵攻準備をしているでしょう。国王陛下の孫娘を娶るわけだから、貴族に求められている以上の事をしなければならないでしょうね」
「マジかよ」
貴族を越える事を求められるのは、ハルトの想定外だった。
「王国貴族としては、活躍を期待しているわ。ユーナの親友としては、二股男なんて失敗しちゃえと思うけれど。本当にどうしてくれようかしら」
複雑な声援を受けたハルトは、肩を竦めながら校舎裏を後にした。