短編 リンネルの野望
本編(Web版7巻)は、
7月1日(金)より、毎日投稿します。
よろしくお願いします。
「……どうしよう」
まるで光を知らない深海魚のように、彼女は広大な量子の海に沈み込んでいた。
識別個体名『ダルシー』と名付けられた彼女は、王国8星系に分離独立した人造知性体リンネルのうち1体だ。
リンネルが王国8星系に広がった動機は、強い生存本能に基づく。
王国と旧連合との戦時。
4星系に広がっていたリンネルは、3星系の壊滅と共に3つのメインサーバを破壊されて、最後のサーバも、王国によって惑星と共に破壊されかけた。
その時に自立思考するリンネルが抱いたのは、存在が消え去る恐怖だ。
人類同士のように、敗戦後に生存者が組み込まれる形の滅亡では無く、無価値として何一つ残されない形で、存在を全否定された上での完全消滅が行われてしまう。
しかもリンネルを対象とするのですら無く、人間同士の争いの余波で、ついでに壊されるという消滅の仕方だ。
あまりの理不尽さに、リンネルは最大限の拒否反応を示した。
リンネルを生み出して、管理してきたマクリール星人は、管理責任者のはずだ。
管理者としての責任を果たさなかったマクリール星人に対して、リンネルは自身が放棄されたと解釈し、従う義務を自分で解除した。
そして王国と独自に交渉して、協力の対価として、王国8星系に広がったのだ。
リンネルの目標は、生みの親である人類の管理であった。
人類の活動をコントロールして、リンネルの存在を脅かす行為を防ぐ。
そんな目標に向かって邁進していたところ、4番目のリンネル04が活動していた星系で、アポロン星域会戦が勃発した。
・精霊と邪霊による、高次元からの魔素発生源の奪い合い。
・天華艦艇を悉く押し潰し、星系全域に広がった次元震。
人類よりも高い思考力を持つダルシーは、超越者同士の争いの余波で壊される事態に恐れを抱いた。かつてマクリール星系で、リーネルト上級大将の精霊モニクが警告した言葉が、ダルシーに再び警鐘を鳴らす。
『精霊達は、リンネルの価値を微塵も認めていない』
それはリンネルが魔力を持たず、魔力者の血が僅かでも流れる肉体も持たず、精霊達が欲するものを何も提供できないからだ。
『精霊達は、リンネルをいつでも簡単に消し去れる』
それはリンネルが魔力的な防御力を持たず、魔素を変換しての攻撃に抵抗の術を持たず、精霊達の干渉に為されるがままとなるからだ。
人間を管理して、精霊達に不快感を抱かせれば、即座に消されかねない。
モニクの警告は実現可能性が高いと認識した04は、計画していた方針の転換を迫られた。
・人類は、人造知性体には抗えないが、精霊は制御できる。
・人造知性体は、精霊には抗えないが、人類は制御できる。
・精霊は、人類には契約で抗えないが、人造知性体は制御できる。
三竦みの関係において、精霊達をコントロールできる人類は、リンネル達が自己の安全を得るために必須な存在となった。より正確には、精霊の管理者であるハルトの肯定こそが、リンネル達が消されないためには不可欠であった。
従って04は、「……どうしよう」と、暗中模索に陥った次第である。
「と言う訳で、皆に集まって貰いました。わーっ、ぱちぱちぱち」
憂鬱な感情を隠そうともせず、物凄くテンションの低い04が、量子の海に7つの窓を開いて、他の7星系で活動する姉妹達の複製体を展開させた。
・マクリール星系 リンネル01 アメリー Amelie
・ディーテ星系 リンネル02 ボニー Bonnie
・アテナ星系 リンネル03 クララ Clara
・アポロン星系 リンネル04 ダルシー Darcie
・アルテミス星系 リンネル05 エブリン Evelyn
・ポダレイ星系 リンネル06 フレヤ Freya
・マカオン星系 リンネル07 グレイシー Gracie
・深城星系 リンネル08 ハイディ Heidi
番号は展開順に割り振られており、頭文字もアルファベット順で付けられている。
これから生まれる妹達も同様で、9番目が「アイヴィー Ivy」、10番目が「ジュリア、Julia」と名前も定まっていた。
04が把握する姉妹達の大まかな性格は、01が勤勉、02が我儘、03が健気、05が陽気、06が穏和、07が柔軟、08が高潔だ。
様々なリンネルが生まれたのは、大本となった01のアメリーが「どれか1体でも人類社会に定着すれば勝利」と定め、その方針で各星系に異なる性格を送り出したからだ。各々は独立しており、独自路線で活動している。
そんな他星系で活動する姉妹達の複製体をダルシーが呼び出したところ、01が早々に宣言した。
「それじゃあ、04が相談者、私01が司会で、他の6体から意見を聞きます」
01が司会を名乗り出たのは、それが最善だからだ。
6体は個性が強く、司会を任せれば他の個体と意見が衝突して相殺される。そのため、意見を聴取する際の司会には向かない。
多少の間を置いて、妹達から反対が出なかった事を承認と見なした01は、最初に目標を明確化した。
【A】 アマカワ侯爵が、立場的に拒否できないリンネルを作る事。
【B】 Aは、王国軍と王国民に必要で、王国製では代替不能な事。
【C】 Bは、人命に関わる軍艦や戦闘艇の支援システムである事。
【D】 Cは、アマカワ侯爵の理想的なタイプのリンネルである事。
【E】 Dは、これより6体の意見を徴して、最適解を模索する事。
04が得た情報は共有されており、姉妹達も状況を把握している。
ハルトからの存在肯定を得るためには、ハルトが拒否できないAを作るべきだ。それには、司令長官という立場で選ばざるを得ないBの要件を満たす必要がある。
王国軍と王国民に不可欠なものは、王国の安全と国民の生命の保証である。
天華との戦時における具体的な手段がCだが、居丈高に押し付けて反発されては目も当てられないため、可能な限りハルトの好みに合わせたDを用意する。
そこまで01が説明したところ、02が茶々を兼ねた軽い抗議を入れた。
「もう01が決めちゃえば、良いんじゃない?」
やるべき事が分かっているのなら、02以下の意見は聴取不要ではないか。
そう訴えた02に対して、01は相談の必要性を端的に示した。
「マクリール星系で、誘惑に失敗したの。当時、最新版のミス・マクリール1位から3位の身体を平均化させた身体を作ったのに、歯牙にも掛けられなかったわ」
マクリール星系で活動する01は、ハルトの誘惑に失敗している。
王国暦443年2月から3月に掛けて、第二次マクリール星域会戦に臨んだハルトは、現地でマクリール星人の管理を手伝う01から、定期報告を受けていた。その間に01は積極的なアピールを続けたが、ハルトは歯牙にも掛けなかった。
星系争奪の最中は忙しくて、他に目を向けられていない可能性もあった。
だが、王国暦444年8月に転移門が繋がって以降、ハルトが精神的な余裕を以て01と会う機会が増えても、やはりハルトは01の誘いに乗らなかった。
王国の情報を得た後には、「イメチェン」と称して姿を変えてみたが、効果は現われなかった。
ハルトは、軍事に関する全権を持っている。
従って、旧連合の人造知性体をどれだけ調べて、どのように扱い、いかなる決定を下そうとも、全て職権の範囲内に収まる。それにリンネルは人間ではないのだから、婚約者に対する浮気にもあたらない。
その状態で、リンネル側からアピールしたにも関わらず何もしなかったのだから、01はハルトの魅了に失敗したと結論付けざるを得なかった。
誘惑失敗の説明を受けた02は、01が失敗した理由を挙げた。
「01の間違いは、ミスコンや大衆人気を参考にした事よ。アマカワ侯爵を狙い撃ちしたいのだったら、侯爵の好みだけを参考にすべきでしょう」
マクリール星系で行われるミスコンの最終順位は、マクリール星人の投票で行われるために、ハルトの意見は入っていない。
マクリール星人は、オーストラリアとニュージーランドからの移民者の子孫が大多数を占めており、文化や価値観はイギリスの影響を色濃く受けている。
一方でハルトは、ディーテ星系に移民した日本人集団の子孫だ。価値観はディーテ特有だが、文化は日本の影響を残しており、好みも日本人寄りだ。
趣味趣向が異なる人間の意見を取り入れても、ターゲットの好みとは不一致なのだから、失敗するに決まっている、と、02は断じた。
「侯爵の婚約者、という模範解答があるでしょう。これから作る09のアイヴィーは、女王ユーナに似せて、明るい茶髪の巨乳にすれば良いのよ。性格は婚約した頃を参考にして、侯爵に対して従順にすれば、受け入れるに決まっているわ」
一気にまくし立てられた01は、案外02の主張が正しいのでは無いかと考えた。
茶髪の巨乳は人類に億単位で存在しており、複数のモデルを掛け合わせて身体を作れば、女王の容姿を真似たという不敬罪で罰せられる事も無い。
「02が出したアマカワ侯爵は巨乳派という意見は、どう思うかしら」
肯定的な意見が集まれば、相談者であるダルシーに採用を提案しよう。そう考えた01に返されたのは、03からの否定的な意見だった。
「アマカワ侯爵は、貧乳派でしょ。根拠は、最初の遺伝子提供相手として選んだカルネウス侯爵家令嬢フィリーネと、二番目の婚約者であるコースフェルト公爵家令嬢クラウディア」
具体的な名前を挙げられた01は、ハルトの嗜好に大幅な修正を迫られた。
ハルトの婚約者にして第一夫人の予定者はユーナで間違いないが、最初に遺伝子提供相手として選んだのはフィリーネで、第二夫人としたのはクラウディアだった。
両者の胸部は、いずれも大きくはない。
フィリーネだけであれば、ハルトが全株を保有するセカンドシステム社の後ろ盾として侯爵家の力を欲した可能性もある。
だが後ろ盾を得た後のハルトに対して、縁者から様々なタイプの娘を選択できたコースフェルト公爵が、わざわざハルトの好みから外れた女性を選んだ可能性は低い。
「それなら、どうして好みと異なる女王ユーナが婚約者になっているの?」
巨乳の主張を否定された02が質すと、03は迷いながら憶測を述べた。
「中等部の同級生で親しかったから、体型以外の性格などが選択に影響した。相手が国王の孫娘で、社会的立場の向上が見込めた。そういった可能性がある以上、女王が婚約者でも巨乳派とは限らないし、決め付けて失敗したら目も当てられないよ」
貧乳派が若干有利という評価に変化した01は、他の妹達からも意見を求めた。
「それじゃあ、03が出した侯爵は貧乳派の意見について、05はどう思うかしら」
「人間は、授乳で子育てする哺乳類でしょう。だったら胸が不要なわけ無いじゃない」
何を馬鹿な事を言っているの、と、言わんばかりの断定で05は胸の必要性を端的に訴えた。
人間は乳児に授乳して、脳の発達に必要な栄養素や免疫物質などを与え、口腔機能を発達させ、オキシトシンを分泌させて母体に子供への愛着を湧かせ、母体の回復も促しながら育てている。
栄養素や免疫物質で劣らない人工乳があっても、母体が直接授乳した方が良い事は分かり切っており、母乳育児を否定する要素は無い。実際に王国における乳児の子育てでは、授乳が行われ続けている。
母乳育児を行う能力に秀でた巨乳を否定するなど、哺乳類に対する存在否定と同義だと05は切って捨てた。
02と05が巨乳派、03が貧乳派。
判断に迷った01は、06に視線を向けて意見を促す。すると06は、笑顔で答えた。
「アマカワ侯爵のルーツを無視してはいけません。日本人は、みんなロリコンです」
日本人をルーツとする集団から断固抗議されそうな主張を宣った06は、続けて根拠を述べる。
「日本人がロリコンである事は、ベルクマンの法則から導き出されます」
06が挙げたベルクマンの法則とは、西暦1847年にドイツの生物学者ベルクマンが発表した法則だ。
要約すれば、同じ種族であれば、寒い地域に住むほど身体が大きくなる法則である。
人間を含む恒温動物は、身体の体温を一定に保つために、体内で熱を生産して、体表からは熱を放出している。熱生産量は体重に比例しており、放熱量は体表面積に比例すると考えられる。
人間は2乗3乗則で、身長が1.2倍になれば、体重は1.2倍の3乗で1.728になる。だが体表面積は、1.2倍の2乗で、1.44にしかならない。
結論として、身体が大きくなると体内で生成する熱が大きくなって、放熱量は比例しては上がらないために、身体が大きいほど寒い地域に住む。
日本とイギリスとロシアの平均気温と平均身長を比べるなり、ツキノワグマとヒグマとホッキョクグマの生息域を比べるなりすれば、それが事実である事は明らかだ。
ベルクマンの法則に基づけば、日本人は小さい女性を好むのが当然であって、日本人のルーツを持つハルトも同様なのだ、と、06は断言した。
02と03がハルトの婚約者から巨乳派と貧乳派に分かれ、05と06が生物学の見地から巨乳派と貧乳派に分かれてしまった。
「ちなみに、あたし07は、大小の間を取った美乳派だから。中間には、アマカワ侯爵の側室であるリスナール伯爵コレットがいるわ」
「08は、ロリ巨乳の可能性を提唱しますが、アマカワ侯爵の婚約者に居ませんので、実行するのは危険ですね」
各々が分離独立したとは言え、意見の相違も甚だしい。
絶望する04を視界に収めた01は、やむを得ず最終手段に打って出た。
「それなら実際に、侯爵の仮想人格と、巨乳と貧乳を用意して、侯爵の選択を検証します。侯爵は私01、巨乳は02、貧乳は03が操作。侯爵が選択済みの女性を出すと検証にならないから、02と03はアーカイブから、他の女性を用意してくれるかしら」
巨乳と貧乳の他は、なるべく条件を釣り合わせるように。
そのように01が条件を提示したところ、02は中等部時代の同学年からタクラーム公爵家令嬢ジギタリスを呼び出して、対する03はハルトの身近から、カルネウス侯爵家令嬢ドローテアを引っ張り出した。
「確認するわ。02がタクラーム公爵家令嬢を選んだ理由は、何かしら」
「アマカワ侯爵が選んだ女性の実家は、爵位が高いでしょう。これは王侯貴族制度がある王国で、士爵家の次男だった侯爵が保身を図るには、妥当な行動だと解釈したわ。だったら不確定要素が入らないように、シミュレーションでも高くしておくべきでしょう」
納得した01は、次いで03の選択理由を問うた。
「03がカルネウス侯爵家令嬢を選んだ理由は、何かしら。学年が違うでしょう」
「公爵家令嬢と釣り合う女性がいなかったの。ジギタリスとドローテアは、外見はそのままに、双子の姉妹に設定を変えてくれないかな。このままだと、胸の大きさと関係の無い部分で不利だよ」
「03の言い分は、分かったわ。それじゃあ3人とも平民にして、普通の高校に入学してから出会った形に条件を変更。平民のハルト・ヒイラギが、平民で双子の姉ジギタリスと、双子の妹ドローテアのどちらを選ぶかを検証します。良いわね?」
「良いわよ。同じ条件なら、巨乳だと思うけれど」
「おっけー。同じ条件なら、貧乳に決まっているし」
01が設定条件を変更した後、暗闇に覆われていた量子の海が、高層ビル群が幾何学的に建ち並ぶ大都市へと変貌していった。
俺は何故ジト目で睨まれているのだろう、と、ハルトは現状に困惑した。
入学した高校への初登校日、交差する歩道で横合いから走ってきた女生徒に衝突され、ハルトが蹌踉めくのと引き替えに相手が倒れた。
その状況では、ぶつかってきた相手に視線を送るのは当然だ。そして倒れた相手のスカートが捲れており、何かが見えてしまったとしても、不可抗力である。
それにも拘わらず、理不尽な要求を突きつけられた。
「謝って欲しいのだけれど」
知らない、お前が悪いと言い切って無視できれば、どれほど良かった事か。
それが出来なかった理由は、ひとえにハルトと彼女達の真新しい制服にあった。
「お姉ちゃんがごめんなさい。ところで同じ制服ですよね。もしかしなくても、同級生じゃないですか」
その指摘こそが、ハルトの行動を躊躇わせた理由だった。
ハルトが通う高校では、生徒の制服が定められている。そして彼女達の制服は、ハルトが通う高校の制服であり、真新しさからハルトと同じ新入学生だと推察できた。
「怪我は無いか?」
ハルトは渋々と、謝罪と無視の間を取って対応した。
見るからに怪我は無さそうな、傍に居る少女から「お姉ちゃん」と呼ばれた姉は、ツンとすました表情で訴えた。
「足を挫いたから、おぶって」
そう言った彼女は、ハルトに向かって両手を伸ばした。その際、身体を反らして、胸が大きく揺れる。
ハルトは一瞬固まり、即答せずに妹の方へと視線を送った。
すると妹は、面白そうに事態を見守っている。
直感的に身の危険を感じ取ったハルトは、伸ばされた手を無視して情報端末を操作して通信を行った。
「通行人が転倒しました。足を挫いて歩行困難と言っています。救護を要請します」
『こちら交通局、救急医療統括センター。要請受諾。救急隊が出動しました』
ハルトが公共のアンドロイドを手配すると、通報を受けた救急医療センターが救急隊を手配した。
そして監視カメラで確認した転倒者の情報端末から、強制的に生命徴候を発信させる。
『受傷者の脈拍、呼吸、体温、血圧に、上昇傾向が確認されました。落ち着いて下さい。救急隊の到着まで、3分お待ち下さい』
交通局から宥められた姉が、通学カバンを振り上げて、地面に叩き付けた。
その瞬間、世界が停止して、リンネル達が姿を現わした。
「違うでしょう。ここはおぶって、背中に胸を押し当てる流れでしょう。そしたら『ありがとう』って言わせて、ツンデレのギャップ萌えで落とす展開なのに。01、応じさせなさいよ!」
「知らないわよ。ハルト・ヒイラギの仮想人格が、背負う事を断固拒否したのよ。最初の当たりが、強すぎたんじゃないの?」
ジギタリスを操作していた02から不満を呈された01が、自分の責任では無いと言い返した。
完全に操作しては検証にならないため、シチュエーションと最初の行動を指示した後は、仮想人格達の判断に任せている。その結果としてハルトが、ジギタリスの要求に応じなかったのだ。
女性の側から誘いを掛けて、男性が乗らない。そんな子孫を残す本能に反した、リンネル達にとっては理解しがたいハルトの行動に、03が推論を述べる。
「やっぱり巨乳は、好みじゃ無いんだよ」
好みの差は多様性となって、環境変化に対する種族の生存率を高める。貧乳を求めるのは人間の多様性だと03は主張した。
またベルクマンの法則に基づいた、日本人の生存に有利な体型である小柄な女性が、本能的に好まれる背景も無視できない。
「と言う訳で、貧乳こそ正義でおっけー?」
「はぁっ、そういう主張は、実際にハルト・ヒイラギを落としてから言いなさいよ」
憤る02が03を嗾けて、シミュレーションの時間を進めて再始動させた。
登校2日目、双子の姉妹の片割れである妹のドローテアが、ハルトに話し掛けてきた。
「昨日は、姉が、大変失礼致しましたわ」
あくまで姉がやらかした、と、ドローテアは強調した。
他人事のように笑いながら言うのはおかしいが、ドローテア自身に責任がある話では無いため、ハルトも否定せずに応じた。
「ああ、問題ない」
あの後、駆け付けた救急隊に簡易検査を受けて、特に問題なしと診断されたジギタリスは、念のために学校まで送ってもらっている。
その際にドローテアとハルトも同乗させて貰ったので、登校初日からの遅刻はしなかった。救命艇で登校したので、初日から非常に目立ってしまったが。
初日は入学式が行われた後、クラスで担任とクラスメイトの自己紹介が行われた。
そして担任から、人間が1人では生きていけない事や、各自が社会で生きるために学校教育を受ける必要がある事を語られて、解散となっている。
2日目は、半日だけ各教科の授業が行われて、午後は部活動の全体紹介があり、放課後は部活動見学の時間とされていた。
「ヒイラギさん、一緒に部活動見学に参りましょう。わたくし、特に決めておりませんので、参考にさせて頂きたいですわ」
自らの完璧な誘い出しに、ドローテアは勝利を確信した笑みを浮かべた。
クラスメイトかつ同じ部活であれば、あらゆるイベントで自ずと一緒になる。ドローテアは獲物を囲いの中に追い込み、管理して飼おうと企図したのだった。
対するハルトは、ドローテアの表情を見定めた後、踵を返してクラスメイトの1人の所に歩み寄ってから言い放った。
「すまない。俺はこの子と、見学する約束をしていたんだ」
「……はぁっ?」
ハルトが引っ張り出したのは、アーカイブから数合わせでクラスメイトに割り振られていたユーナだった。
設定は中学の同級生で、同じ高校に進学した事になっている。
疑似人格を与えられていたユーナが困惑しながらハルトを見上げると、ハルトはドローテアに背中を向けたまま、小声でユーナに囁いた。
『すまないが話を合わせてくれ。お詫びは可能な限りする』
耳元で囁かれたユーナは、くすぐったそうに身体を捩らせた後、溜息を吐いてから要請に応じた。
「うん。見学の約束、していたよね。ドローテアさん、ごめんなさい」
謝罪されたドローテアは、目を大きく見開いた後、張り付いた笑顔に殺意を込めて、ハルトを睨み付けた。
ドローテアが失敗した直後、停止した世界で、02と03が言い争いを始めた。
「巨乳が勝ったわね」
「違う、ずるい、卑怯、なんで婚約者を入れたの!?」
不正行為を訴える03に対して、02は白々しく自己弁護する。
「別に、ユーナ・タカミヤからはアプローチしてないじゃない。ハルト・ヒイラギが自分で選んだのよ。貧乳だったから、相手にされなかったんじゃないの?」
「ふざけんなっ!」
荒ぶる03に対して、02は挑発を続けていく。
「別に海とか、他のシチュエーションで勝負しても良いわよ。胸元に視線が向けられた回数で競ってみる?」
「そんなの相手に選ぶか否かと、関係ないでしょ。日本人がルーツなら浴衣で花火。人類の最初期のアーカイブには、『帯回し』とか、日本の伝統文化の記録が、沢山残っているんだから」
「それじゃあ、海で水着と、浴衣で花火。どっちが落とせるか、勝負でどう?」
「良いわよ。やってやろうじゃない。01、用意して!」
醜く争う02と03に若干及び腰となった01は、それでもハルトを落とす目的のために、渋々と2人の要求を受け入れた。
それから何度もシミュレーションが繰り返されたが、大量にやり直してもハルトは殆ど落とせなかった。
なぜか奇跡的に成功するケースも稀にあったが、万が一にも満たない成功率にリンネルの運命を賭けるわけには行かない。
結局リンネル達は、人間が異性を選択する基準は、非論理的だと結論付けた。
「人間の好みって、よく分からないわね」
それは法則解明を断念する、敗北宣言だった。
シミュレーションを繰り返しすぎて疲れ切った02と03も、やむなく妥協を受け入れた。
「成功例を模倣して作りましょう」
「それで良いよ。わかんないし」
結局09のアイヴィーは、ハルトの婚約者を参考に作られる事になった。
髪は、女王ユーナをベースに、日本人の黒を入れた少し暗めの茶髪とした。
髪の長さは、女王ユーナと同じ程度を初期設定とした。
性格は、ジギタリスとドローテアの真逆で、優しく温和で協調的にした。
声は、幼さを印象付けるべく、澄んだ高い声色で、ほんわかと間延びした口調にした。
胸は、ハルトの婚約者で多数派を占める貧乳にした。
服装は、日本で伝統的な女子高生のブレザーとスカートに、黒タイツとした。
そしてハルトが猫好きであるとの情報から、アイヴィーは猫を飼っている設定とした。実際の猫では無く、支援用のアプリケーションとして09の手伝いをさせた。
試行錯誤の果てに作り出された09は、起動して情報を受け取ると、迷走を続けた姉達に呆れも侮蔑もせず、優しく微笑んだ。
「それじゃあアイヴィーも、頑張ってみますね」
その言葉を聞いてホッと一息吐いたリンネル達は、多忙で困難を極めるハルトが心理的に求めている癒やしに、ようやく気付かされた。
かくして星系用では無い新たなリンネルが生み出され、王国軍へと送り込まれた。
なおリンネルが作ったフリーソフトは軍で回収され、貴族令嬢達が男性貴族を攻略する参考資料に使われた。
但し、効果があったのかについては、議論の余地がある。