112話 第二次ヘラクレス星域会戦
ヘラクレス星系の全域で、両軍戦闘艇の爆発光が咲き乱れていた。
質量波凝集砲撃の閃光が縦横無尽に飛び交い、あらゆる人工物を次々と貫いていく。
艦艇の魔素機関については、王国側が劣勢を強いられていた。
邪霊帝が恒星系内で手に入る以上のエネルギーを消費して、領域干渉の圧力を一気に高めたためだ。それによって同盟の魔素機関が出力を増大させ、王国側は減衰して、両軍の戦力評価は本来の3倍ほどにまで広がっていた。
もっともルルの評価は、極めて冷静だった。
『今のグランマは、短距離走の速度で走り続けています。あまり長くは保ちませんね。それに比べてルルは、結晶体の消費量を増やしていませんから、まだまだ保ちます。でも、どうして走るのでしょう』
ルルの疑問符は、邪霊帝が力を尽くしても劣勢を覆せない事を指摘していた。
王国軍が投入した大型戦闘艇は、スルト1億6413万艇、イスラフェル1億8000万艇である。戦力評価は0.5と0.4であり、天華ヘラクレス同盟の戦闘艇1艇の0.04に比べて、10倍から12.5倍の戦力評価を有する。
対する同盟側が投入した天華の戦闘艇は、10億艇を超えている。
王国側の戦力評価が、3分の1になった現状で10億艇を倒すためには、スルト2億4000万艇、あるいはイスラフェル3億艇が必要になる。
両大型戦闘艇の犠牲を半々と考えれば、スルト1億2000万艇とイスラフェル1億5000万艇で天華の10億艇を倒せる。
ハルトが投入した戦力は、10億艇を倒すに足りるのだ。
さらに王国側は、戦力が不足しても転移門を使って、各星系を守る残り1000万艇ずつのイスラフェルや、サラマンダー部隊を投入できる。
同盟側には、イスラフェル数百万艇分の戦力評価になる軍艦もあるが、両軍が投入した戦闘艇の数に比べれば誤差の範囲だ。王国軍が受ける損害は甚大だが、敗北は無い。
『ルル、結晶体のエネルギーは、どれだけ残りそうだ』
『元々4割ほど残っていましたけれど、会戦後には2割くらいになりそうです。これならパパは、天都星系にも侵攻できますね』
邪霊帝の干渉に対してルルは、冷静に受け流す方針を採っている。
すなわち、王国軍艦艇の魔素機関に発生する出力異常を仕方が無いと諦めて、王国軍の犠牲と引き替えに、精霊神の精霊結晶を節約する方針だ。
『そうか、分かった』
先を見据えたルルの判断に、ハルトは納得せざるを得なかった。
王国軍の戦闘艇は補充できるが、精霊神の精霊結晶が内包するエネルギーは補充できない。天都星系に邪霊王と領域が残っている以上、目先の犠牲を減らすために、全てのエネルギーを使い切る訳にはいかなかった。
戦闘艇に発生する損害を覚悟したハルトは、ベルトラン総参謀長に命じた。
「戦闘艇を除く軍艦には、転移門の後ろで前線基地を作らせろ。最前線は乱戦状態で、大型艦の長射程砲が撃てない上に、取り付かれれば単なる的だ」
恒星系外縁部から内側の宙域では、全域で乱戦状態に陥っている。そこでは交戦中の戦闘艇が津波のように押し寄せてきて、巻き込まれた軍艦が破壊される事態も散見された。
駆逐艦1隻は、大型戦闘艇スルト2艇と互角の戦力評価だ。
乗員数で考えれば、駆逐艦1隻の150名と、戦闘艇2艇の2名が互角になる。
駆逐艦の乗員150名は、士官学校や軍の専門学校を卒業した職業軍人達で、転移門を介さずとも恒星系外での索敵や星系探索など、様々な任務を行える。
戦闘艇スルトの乗員2名は、数ヵ月前に徴用した元フロージ共和国の志願兵だ。彼らは精霊結晶を装着して、魔素機関のエネルギー源になる事しか出来ない。
75倍の人的損失を考えれば、戦闘艇2艇を失う方が遙かにマシである。そして同人数であったとしても、駆逐艦乗員の方が軍として痛手になる。
ハルトは軍艦側の損害を惜しんで、最前線の乱戦宙域から軍と貴族の艦隊を引き下げさせた。総参謀長の立場にあるベルトランも、当然の判断だと受け入れている。ベルトランが懸念を抱いたのは、政治的な事情の方だった。
「元帥閣下のご命令は、我が軍と徴用貴族を安全宙域に逃がして、志願兵だけを突撃させる結果に至りますが、よろしいのですか」
「我々には、天都星系の攻略も残っている。大型施設を運び込めるのは高魔力者だけだ。億単位の戦闘艇同士の潰し合いに、数万隻しか無い貴重な軍艦を投入できない。総司令官として命じる。全て後退させろ」
軍と貴族は、国家と王国民を守るために存在している。
国家と国民のバランスは重要で、国家を存続させなければ国民を守れないため、国民1人を守るために全軍が戦死するわけにはいかない。
今回の場合、持続可能性を保つ上で、ハルトは王国軍艦の保持を選択したのである。
艦隊を温存したハルトは、次いで2人の徴用貴族に通信を送った。最初に通信を繋いだのは、武勲章の基準に達したジョスラン第二王子である。
「司令長官アマカワ元帥だ。ジョスラン・ストラーニ・アステリア戦時准将、通信状態が思わしくないが、聞こえているか」
『聞こえております、元帥閣下』
ケルビエル要塞司令部のサブスクリーンに投影されたジョスランは、ハルトの姿を認めると、リシンと共に立ち上がって敬礼をしてきた。答礼したハルトは、通信状態に鑑みて端的に告げた。
「卿とタクラーム戦時准将は、会戦後に昇進と新たな武勲章を与える。卿が乱戦に巻き込まれて戦死すると困る。総司令官として命じる。転移門の後ろまで下がれ。だが公爵家の戦闘艇は、卿の護衛以外は最前線に残しておけよ。全て引き上げれば、後でケチが付くからな」
『了解致しました』
昇進と武勲章を告げられたジョスラン達は、満面の笑みを浮かべて敬礼した後、撤退を開始した。
ジョスランの次にハルトが通信を繋いだのは、ベルナールだった。
ベルナールは公爵代理として堅実に貢献したものの、武勲章を得られる個人的な条件までは満たしていない。
だが両軍は戦闘艇での乱戦状態に陥っており、乱戦宙域に要塞砲を撃てるはずも無く、この辺りが潮時だろうとハルトは判断した。
「以上により、総司令官の私は、各軍艦に退避を命じた。卿の全体を支援する働きは立派であったし、なるべくならば武勲章を得る機会も用意してやりたいが、乱戦状態に至って味方ごと撃てとは言えない。後退して後方の前線基地建造を手伝え」
『承知しました』
撤退命令を受けたベルナールは、軽く息を吐いて一礼した。
ハルトが2人の王子に直接声を掛けたのは、活躍の機会を与える調整役だったからだ。そしてハルトは、2人には機会を与えたと認識している。
ベルナールは、前王ヴァルフレートの薫陶を受け過ぎたのではないか。第三王子時代の前王ヴァルフレートは、兄弟の王位継承争いを避けて、王国全体を支えようとしていた。
もっとも、前王ヴァルフレートの行動が間違いとは言えない事は、王国の恒星間進出に身命を捧げた初代コースフェルト公爵が、身を以て証明している。
ハルトはそのように認識して、ベルナールの性格と行動を尊重した。
他の貴族達には直接声を掛けなかったが、彼らはハルトが総司令部に出させた命令に従って、後方宙域へと後退していった。
やがて軍艦を後退させたハルトは、艦隊の損害を抑制できた事に安堵した。
味方の戦闘艇は凄まじい損害を出しているが、敵の艦艇も同様に沈んでいるため、損害は割り切るしかない。勿論ハルトは、アポロン星域会戦のような状況の打開も試みた。
『戦略衛星を投げ込んで、邪霊帝の邪霊界に直接攻撃できないか。アポロン星域会戦では、ミラが邪霊王に対してやっていた』
『ルルは、グランマを抑えるだけで、手一杯ですよ。先に恒星系を押さえている分だけ、此方では差があるんです』
『お父様、マヤが出来るよ。戦略衛星は、全部もらって良い?』
『それなら、マヤがやってくれ。戦略衛星は準備していた30基か、それとも防衛用を含めた42基か』
『42基』
ハルトは一瞬だけ逡巡したが、惜しむべきではないと即断した。
『分かった。全部使ってくれ』
ハルトが依頼した瞬間、ケルビエル要塞から周辺宙域に向かって、無形の魔素が放たれた。
それは王国軍の戦闘艇操縦者に付く精霊達に伝わり、待機状態にあった戦略衛星に届いて、戦場全域に明確な変化を齎した。
戦略衛星3基が同時に動き出し、王国軍の戦闘艇が砲撃によって進路を作り始めたのだ。
「戦略衛星3基、動き出しました」
ベルトランは報告と同時に、ハルトに説明を求めている様子だった。
精霊が何かを行う場合、他の誰に聞くよりも正確な回答が、ハルトから返ってくる。
ハルトは軍事機密の保護についてあまり信用しておらず、基本的には情報共有を好まないのだが、今回は戦略衛星を補充させるべく正確に説明した。
「アポロン星系の再現を依頼した。中級精霊と契約する軍艦をアポロン星系に送り出して、待機状態の戦略衛星27基、そして念のために用意していた防衛用の12基も、直ぐに全部届けてくれるように、あちらの精霊帝に伝えろ」
「はっ、39基の全てでありますか!?」
聞き直したベルトランに、ハルトは時間を浪費するなとの意思を込めて強い口調で命じた。
「そうだ、全て投入する。今すぐ伝令艦を出せ」
「了解しました。中級精霊と契約する高速巡洋艦艦2隻、アポロン星系へ伝令に出ろ。戦略衛星を全て使う。中級精霊を介して、精霊帝に39基全てを送り込むようにアマカワ元帥が求めていると伝えよ」
ハルトにしか出せない命令を携えた巡洋艦が姿を消して暫く、ルルが維持する転移門から、戦略衛星が続々と投げ込まれてきた。
それらはヘラクレス星系に進路を変えて、慣性の法則で中心部に向かって進み始めた。
宇宙空間で進む場合、一度進み始めれば、出力を維持する必要は無い。
マヤは精霊神の精霊結晶の力を僅かに使い、魔素機関に魔力を流し込んで軌道を修正しながら、戦略衛星を恒星ヘラクレスと惑星アルカイオスの間にある何も無い宙域に向かって飛ばし続けた。
天都と繋がる転移門に送り出すのでは無いのか、と、ハルトは訝しんだ。だが口に出しては何も言わず、マヤが操る戦略衛星の動きを見守る。
ベルトランら幕僚も、ハルトが行わせる事に口を差し挟まず、戦略衛星の動きをメインスクリーンに映し出させながら観測だけを続けさせた。
やがて先行した戦略衛星3基は、乱戦宙域の間に生まれた空白地帯を縫って、何も無いはずの宙域に迫った。そこで3基は、3方向に大きく分散した後、進路を変えて衝突する進路を取った。
「戦略衛星3基、衝突コースに乗りました」
ベルトランは淡々と事実を報告して、ハルトに判断を促す。
もちろんハルトは口を出さず、マヤの動きを見守った。
王国軍が注視する中、戦略衛星3基が衝突する……かと思われた直前、3基は何かに衝突して、爆発四散した。
次いで惑星規模の巨大な白球が1つ、虚空に浮かび上がった。
「あれは何だっ!?」
スクリーンに投影される映像を見ていた総司令部の誰かが、思わず口に出して呟いた白球は、次第に色褪せた惑星に姿を変え始めた。
突如として出現した未知の惑星は、大気が無いままに隕石が衝突し続けたかのように、表面が凹凸の激しい荒れた大地だった。
周囲には、まるで霊魂のような青色の光が乱舞している。
それら乱舞する光の中に、錫杖を携えた1人の修道女が浮かび上がった。
だが宇宙空間に、人間が浮いているはずがない。
総司令部の士官達が息を呑む中、マヤの操る後続の戦略衛星が、次々と未知の惑星に襲い掛かっていった。
その攻撃が物理的なものでは無いのだと、マヤと繋がるハルトは直感した。マヤは戦略衛星を衝突させる瞬間だけ、ルルが保つ精霊神の精霊結晶からエネルギーを引き抜いて戦略衛星に流し込んでいた。
おそらく戦略衛星に注げるだけ注いでいるのだろう。投入される戦略衛星は、3基で滅んだ邪霊王の14倍の42基にも及ぶ。
マヤは容赦なく、徹底的に戦略衛星を叩き付けていった。
そして白い惑星には、大きな変化が現れ始めた。衝突して抉れた部分に、黒い液体が発生して、白い表面を黒く侵食し始めたのである。
「出現した白い惑星の表面に、黒いシミのようなものが発生しています!?」
報告したベルトランの視線は、表面では無く、白い修道女に向いていた。
修道女の白い衣が灰色に染まり始め、顔が歪んで苦しみ始めたのだ。同時に王国側に発生していた魔素機関の出力異常が軽減され、通信状態が回復を始めた。
攻撃を受けて苦しんでいる……という単純な話ではない事を、精霊が色に応じて属性を持つ事を知るハルトは察していた。
ミラであれば緑、ルルであれば白、マヤであれば黒。
各々の属性を強引に変えられる事は、存在を破壊されている事に等しいのではないか。そのようにハルトが想像する中、邪霊帝の全身は、白から黒へと反転していった。
藻掻き苦しむ邪霊帝は、顔を上げ苦悶の表情を能面に消した後、目を細めて、スクリーン越しにマヤへと笑みを向けた。
ハルトが一歩引き、ルルがマヤの正面に立ちはだかる。そしてマヤは、邪霊帝の動きに構わず、新たな戦略衛星を投げ込んだ。
次の瞬間、邪霊帝が戦略衛星の直撃を身に受けながら、錫杖を振り上げて次元に穴を開けた。
ハルトは状況の変化に追い着けず、身体を強ばらせ、目を見張るしかなかった。
精霊帝ルルは、精霊神の精霊結晶を使って、ケルビエル要塞を強固に守った。
精霊帝マヤは、残る全ての戦略衛星を叩き込み、邪霊帝の全身を打ち砕いた。
そして邪霊帝は、発生させた次元の穴に、ヘラクレス星系を呑み込んでいった。