109話 日の落ちる前
ハルトがヘラクレス星系に侵攻を開始したのは、4月に入ってからだった。
転移門で最短のマクリール星系まで跳んだ後、ケルビエル要塞でヘラクレス星系に向かっている。
元フロージ共和国の志願兵を戦力化するために、3ヵ月を要した為だ。
志願兵が覚えたのは、量産型のC級精霊結晶を用いて、廉価版の大型戦闘艇スルトの魔素機関を稼働させ、アンドロイドと自動制御システムのサポートで飛び、情報統合システムと戦闘連動システムの支援に従って撃つ事だ。
旧時代の戦争で、国民に武器を持たせて侵攻した事と、敵国にミサイルを飛ばした事とを合わせたような行為だろうか。即ち彼らは、敵に撃ち込む自動追尾型ミサイルの動力源である。
ハルトには、自身が酷い事をさせている自覚はあった。そんな彼が正気を保つために行った自己正当化は、次の通りだ。
この戦争は、天華側が仕掛けた侵略戦争である。
旧連合全星系、深城、王国3星系に侵攻された。
深城を含めて40億人以上の犠牲者が出ている。
ヘラクレス星人も、フロージ3星系を破壊した。
王国側が抵抗しなければ、殺され、支配される。
すなわち王国は、倫理以前に存在する生物として当然の行動に出たのであって、自身と子孫の生存に必要な行動を否定される謂われは無いというものだ。
メディアを介して幾度か、自身の口で王国民に戦う理由を説明したハルトは、手を緩めさせずに王国軍を増強し続けた。
かくして王国軍は大幅に増強されたが、同盟にも時間を与えており、ハルトの判断が正しかったのかは現時点で不明瞭だ。
なお侵攻が遅れた結果として、クラウディアが士官学校を卒業している。
早期の侵攻を望んでいたハルトも、クラウディアが卒業式に出席できた事だけは素直に喜んだ。何しろハルトは、自身の卒業式に出席できていない。式典は気持ちに区切りを付ける上で、重要な儀式なのである。
卒業式でハルトの印象に残ったのは、タクラーム公爵家令嬢リシンが、指導役だったクラウディアにオレンジ色のガーベラを手渡していた姿だった。
リシンは姉と違って礼儀正しくて、キッチリとしている……と評せば、ジギタリスに怒られるだろうか、と、ハルトは妄想した。
ジギタリスは、礼儀を知らないわけでは無い。一般貴族や、準貴族の子女という圧倒的な格下に対して、公爵家令嬢で将来の王妃になると考えていた自分が、礼儀正しく接する必要性を認めていなかっただけである。
結果として、女王ユーナ並びに公爵ハルトとは良好ならざる関係となり、祖父のタクラーム公爵によって、王国に降った九山のリュウホへと売られた形となった。
どうしても裏事情を推察せざるを得ない結婚であり、当事者は自慢気には語れないし、他者も純粋には祝福できない。
一般的には罰を兼ねる婚姻をタクラーム公爵家が打診して、女王側が認めて、中等部時代にジギタリスが起こした問題にはケジメが付けられたのだと、社交界からは見なされている。
そんな姉の姿を反面教師にしたのか、リシンは準貴族ですら無い士官学校の候補生達に対しても見下したりはせずに、第二王子の婚約者として節度を保って接している。そのため同期からの評価は、かなり良い方だ。
リシンであれば、ジョスランの手綱を握って、王妃や公爵夫人を恙無く熟せる。社交界では概ねそのような評価になっており、リシン個人だけを見ればハルトも同感だった。
かくして卒業式が終わり、クラウディアの学生生活には区切りが付いた。
「卒業したので、正式に結婚出来るようになりましたけれど、どうでしょうか。今なら10代ですよ」
ハルトは悪戯そうな笑みを浮かべる子狐の頭に手を乗せて、わしゃわしゃと撫でながら告げた。
「物事の順番を守らないと、何処かの猫が、虎に化けてしまうぞ」
ハルトからの予想された回答に、クラウディアはわざとらしく口を尖らせた。
かつて争う事すら知らなかった子猫は、竜虎相打つが如く、人類を二分する勢力の片割れたる虎になっている。
しかも虎は、地上に引き摺り下ろした竜の頭を前脚で踏み付けて、今にも首筋に噛み付かんとしている最中だ。
一般的には、生物は成長して大きくなる。
はたしてアマカワ家に住む予定の子猫は、どのくらい成長してから我が家にやってくるのだろうか、と、ハルトは二度と戻らぬ子猫の姿を惜しんだ。
「どこかの子狐も、狐になっちゃいますよ」
「同盟には、早々にご退場願おうか」
あまりに参戦させすぎて、虎に翼が生えたり、火を吹いたりする前に、終戦を迎えたいハルトであった。
そして猛虎への成長を抑制するわけでは無いが、今会戦からは、ユーナ、コレット、フィリーネの3人は参戦しない。
ユーナとフィリーネは予備役で、徴用から省かれる制度の対象者でもある。
コレットは副司令長官で、後方のアポロン星系に集結させた全軍を取り纏めさせている。
一方でクラウディアは、小型の軍艦9500隻で編制される要塞駐留艦隊の司令官でもあるために、ハルトの傍に居た。
「卒業は、あっと言う間だったな」
強引に話題を変えたハルトに、クラウディアも頷いて応えた。
クラウディアが士官学校に進学したのは、旧連合が降伏した後だ。
戦後に公爵家令嬢が、魔法学院高等部ではなく士官学校へ進学したのは、一般的では無い選択肢だった。
それがコースフェルト公爵家に認められたのは、士官学校に通ったハルトと婚約済みであったからだろう。
夫が優位に立てる共通の話題は、夫の自尊心を満足させると同時に、妻が夫を煽ててコントロールし易くして、夫婦仲を円滑にする効果がある。コースフェルト公爵の目的に鑑みれば、夫婦仲が円滑であれば、願ったり叶ったりだ。
そして4年が経って振り返れば、クラウディアの選択肢は、公爵家にとって福音だった。
アポロン星域会戦において、コースフェルト公爵家の領民を含む星系人への救助活動や都市機能の復旧がスムーズに行われた理由の1つは、公爵家令嬢と将官を兼ねるクラウディアが双方を繋いだからだ。
アマカワ侯爵の第二夫人とされるクラウディアの影響力は、貴族社会に対しても、王国軍に対しても、強力無比に作用する。
自らの立場を遺憾なく発揮して、最大級の貢献を果たせるようになったクラウディアは、とっくの昔に子狐から狐に成長しているのだろうとハルトは顧みた。
「でも士官学校で習った技術や常識が直ぐに変わって、少し困惑しました」
クラウディアの指摘について、ハルトには心当たりが有り過ぎた。
戦闘艇だけでも、クラウディアの入学時に採用されていた従来型から、電磁パルス砲対策が施されたサラマンダー、核融合弾対策が施されたイスラフェル、廉価版の大型戦闘艇スルトの3タイプへと切り替わっている。
艇体だけでは無く、搭載されているAIに関しても、大型戦闘艇スルトにはリンネルのコピーを組み込んでいる。
リンネルのメインサーバーを管理しているのは王国軍だ。
現時点でリンネルのメインサーバーは、新星系であるヘルメスを含めた領域の存在する王国8星系、領域が存在しないマカオン星系、ケルビエル要塞の10ヵ所に存在する。
AからJまで10体の独立人格となったリンネルは、各星系で旧連合民のサポートと管理、大型戦闘艇スルトの支援を行いながら、王国との共存を目指している。
領域が存在しないマカオン星系にも置いたのは、リンネルに一定の自由を与えた場合の行動テストを兼ねている。リンネルに不審な動きがあっても、マカオン星系と元火星人だけであれば殲滅できると判断したのだ。
そしてケルビエル要塞に置いたのは、元々リンネルから協力の申し出があったのに加えて、戦場でスルトを支援させるに際して、他のリンネルに対する管理者権限を持ったリンネルが必要だったからだ。
アポロン星域会戦後にリンネル04が自己分裂した、9体目の独立人格リンネル09は、直ぐに複製元とは異なる行動に出た。
その始まりは、ケルビエル要塞での起動時に、04とは異なる名前を名乗った事だ。
9体目のリンネルは、アルファベット順にIを頭文字としてアイヴィー・リンネルと名乗り、独自路線を突き進んだ。
ハルトが司令官席に展開させたアイヴィーは、昔の日本ではオーソドックスだった女子高生のブレザーとスカートに、黒タイツを履いた姿で、傍にはゆるい猫型のアプリケーションを浮かばせている。
出現したアイヴィーはハルトに会釈すると、澄んだ高い声色で、ほんわかと間延びした挨拶をした。
「ハルトさん、こんばんにゃーん。お呼び頂き、ありがとうございます。あなたのアイヴィーですよー」
どこか気が抜けるような穏やかな口調のアイヴィーに視線を向けながら、ハルトはクラウディアに語る体で評した。
「近年の技術進歩が、特定の分野で加速し過ぎているという意見には、俺も全面的に賛同する。クラウディアより4年早く卒業した俺は、もう最新技術に付いていけていない」
アイヴィーが幼い姿と声を模したのは、無害性をアピールすると同時に、庇護欲を抱かせる意図があるのだろうと推察される。
お供の猫も、当初は鳴いたり、餌を強請ったりと、ハルトの関心を引くべく様々に行動していた。そしてハルトが若干迷惑そうにしたところ、アイヴィーに甘えて彼女を引き立たせるマスコットキャラ的な立ち位置と化した。
マスコットの猫は、イタリア語で雄猫を意味するガットという名前で、ガットはアイヴィーの足元に擦り寄って頭を擦り付けたり、ふわふわと浮いて頭の上に乗ったりと自由気ままに動く。
そしてアイヴィーは、甘えるガットを撫でて、優しい子をアピールする。
高度な技術の無駄遣いも甚だしい……と、ハルトを僅かでも呆れさせた時点で、警戒感を軽減させる目的は果たされている。それをハルトは自覚しつつも、アイヴィーに対する毒気を抜かれて、気が緩む事を避けられなかった。
ハルトの気が緩むのは、人類社会に広まった精霊達がハルトと契約する精霊帝の系統で、リンネル側に立たない事が確信できているからではあったが。
「私も卒業したてですが、士官学校でも人造知性体については習いませんでしたよ。今の士官候補生達も、学んでいないと思います」
士官学校が人造知性体に関する教育を行えないのは、教えられる教師が居ないためだ。リンネルの開発者はマクリール星人だが、リンネルに監視されている彼らは、管理方法を学ばせる指導者としては、全く役に立たない。
かつて存在した別の人造知性体を増やして、リンネルに対抗させるのは悪手だ。
自分で考える人造知性体が複数居たところで、人間というリスクを自分達で管理した方が良いという結論になるに決まっている。
その上、「別の人造知性体を監視します」などと宣いながら、人造知性体同士で共謀する程度はやるだろう。人造知性体を増やせば、人類という脅威に対して仲間同士で共謀されると分かっているのだから、増やせる訳が無いのだ。
かといって、自立思考できないプログラムを増やしたところで、何の対抗手段にもならない。
リンネルが10体に分かれたのは、リンネル側も共存の模索をしているからだ。
「クラウディアさんも、こんばんにゃーん。87時間振りですね。お元気でしたか。季節の変わり目ですから、体調の変化には気を付けて下さいね」
アイヴィーは、ハルトから袖にされた事にめげず、穏やかな雰囲気を醸し出しながらクラウディアに挨拶した。
「アイヴィーさん、ごきげんよう。お気遣い頂き、ありがとうございます。アイヴィーさんの方は、少し髪型を変えられましたね」
「あ、気付いて頂けましたか。少しだけ、ゆるふわウェーブにしてみました。コンセプトは『5歳年下の、ほんわか妹』なんですよ」
唖然としたクラウディアを、一体誰が責められようか。
ハルトが脱力に耐えて真面目に分析するならば、ハルトの周囲に居る人間で最年少は、ハルトの4歳年下のクラウディアだ。
自身をクラウディアよりも年下に設定すれば、クラウディアからの警戒感を僅かなりとも軽減させる効果を得られる。そしてクラウディアの警戒を解けば、傍に居るハルトからの警戒を解く事にも繋がる。
ハルトに警戒を抱かせているのだから逆効果になっている……とは言いがたい。精霊を傍に置くハルトは、リンネルが無謀な賭けに出ない事を確信しており、譲歩を示すリンネルへの警戒感を日々削られている。
内心で頭を抱えるハルトを他所に、人類が生み出した最新技術の結晶は、『ゆるふわ系の妹』についてマイペースに語り続けた。