107話 合意形成
魔素機関が発生させるシールドは、中心点から球状に広がる。
そのため被弾面積を気にせずに、シールドの展開範囲を余すことなく最大限に活かすのであれば、移動要塞のような球状が望ましい。
その考え方を基に、アテナ星系で新型輸送船が生み出された。
球体を半分に割った半球状のコンテナが、板のように細長いコアユニットに上下から繋がって球体となり、シールドに覆われながら転移門を通過していく。
転移門を通過した輸送船は、次の星系で上下の半球コンテナを切り離して、転移先で待機していた別の半球コンテナを抱え込んで、反転してアテナ星系へ戻っていく。
転移門を通過する際には、精霊と契約した魔力者のシールドで艦船を覆う必要がある。だが通過してしまえば、魔力者とシールドは必要ない。
通過の瞬間だけ魔力者を用いて、転移門を何度も往復させる。転移門以外のコンテナ輸送は、魔力者を用いないで自力航行させれば良い。
なお新型輸送船を導入させたのは、第一王子ベルナールである。彼は必要性を確信してアテナ星系で取り入れると同時に、姉に働きかけて国家全体でも作らせた。
「ベルナール殿下が、大型宇宙港に続く功績を立てられたか」
平時には、大型コンテナには入らない巨大な資源や商品を運ぶ。そして戦時には、大量の兵器や軍事物資を送り込むのが、新型輸送船のコンセプトだった。
アテナ星系で誕生した新型輸送船は、サイズが駆逐艦級から移動要塞級まで10種類あって、王国全星系の経済活動を活性化させつつ、次の戦いに向けた準備も進めていた。
ヘラクレス星系に転移門を繋げる予定のハルトと王国軍にとって、ベルナールの新型輸送船は、敵星系に軍事物資を送り込むのに役立つ。どのくらい役立つかと言えば、ベルナールの評価を見誤ったか、と、ハルトを考え込ませた程だった。
最終的にハルトは、ベルナールの政治力が成長しているのだと解釈した。未だ19歳であり、これからいくらでも成長する年齢だ。
だが、一度決定した選定基準は覆らないし、覆してはならない。ハルトは僅かに惜しいと思いつつも、過去は振り返らずに侵攻準備を整えていった。
転移門の存在は、官民を問わず王国全体に巨大な影響を及ぼしている。
ディーテ星系のメディアは、2億キロメートル先にある転移門に光通信を送り、転移門を通過してから別星系の放送局にデータを送信する形で、30分以内に同じ番組を別星系で配信できるようになった。
具体的には、次王の選定基準について、ディーテ星系でしか呼べない特別なゲストを招いて語らせて、それを30分後には王国全星系に流す事もできるのだ。
「昨日政府から公式発表されました、次王陛下の選定基準につきまして、引き続きスタジオに特別なゲストをお呼びして、語って頂きたいと思います」
次王の選定基準を語るだけであれば、アテナ星系のスタジオだけで充分だ。
女王ユーナが定めた後継者の選定基準は、士官学校に進んだジョスランの武勲章が、公爵代理として政治の実績を挙げたベルナールを超えるか否かで判断するというものだ。
判断基準は明確で、王侯貴族制度の趣旨と合致し、王国民も理解できる内容だ。
少なくとも義務教育を受けた、平均的な知的水準を有する王国民であれば、意味が分からないとは言わないだろう。その問題について語るだけであれば、特に難しい事ではないので、各星系だけでも行える。
だが世の中には、首星でしか呼べないゲストも存在する。
番組の収録スタジオには、転移門が繋がって移動時間が短くなろうとも、他星系では招けない特別なゲストの姿があった。
ゲスト出演者は、リスナール伯爵コレット。
伯爵にして王国軍大将であり、役職は女性初の副司令長官。
勲二等アルゴル章を受章した歴戦の女勇者であり、第一次ディーテ星域会戦では首星を守り、大泉星域会戦ではケルビエル要塞不在時の全軍を率いる代理司令官を務めた。そして彼女は、女王ユーナの幼馴染みにして唯一といえる親友でもある。
どのような権力者が、何を対価に招こうとも、軽々しく顔を出す人物では無い。
今回メディアが招聘に成功したのは、タイミングが良かったからだ。
メディア側が会長と社長の連名で、どのような意見でも全肯定するからコメントをして欲しいと求めたタイミングと、コレットが補足しておこうと考えたタイミングが一致した事で、コレットの出演という放送局のミラクルが成功した。
「リスナール伯爵、本日は当番組にお越し頂き、誠にありがとうございます」
「いいえ、もしも誤解があるなら解いておきたいと思いましたので、お招き頂いたのは丁度良い機会でした」
カメラの後ろで会長と社長が見守る中、深いお辞儀をする番組キャスターのホブキンズに対し、コレットも和やかに答えた。
コレットが解いておきたい誤解とは、ユーナが選んだ次のアステリア家当主は、アステリア家の当主でしか無いという点だ。
アステリア家の当主を王位に就かせるか否かは、王国議会に決定権がある。
それは王国憲法で定められており、国民院の反対だけでも、王位に就く事は出来ない。そして王位に就いた後からでも、議会は国王の解任決議案を出せる。
それではアステリア家の当主を王位に就かせない場合、どうなるのか。
アステリア家は、当主と国王を別に提案する事も出来るし、王国民が合意しないのであれば、王家という権利と義務を解消する事も出来る。
王族で無くなっても、過去にアステリア王家へ支払われてきた報酬は没収されないので、相応の財産を持って市井に下る事になる。
立憲君主制の王国において、建国の歴史や貴族制度に関する義務教育を受けた王国民は、制度を維持するか否かを判断する国民としての権利と義務を持つ。
結論として、アステリア家の後継者はユーナに決定権があって、アステリア家の後継者を次王にするか否かは両院議会に決定権がある。
ユーナが自分の家の後継者を決める事に関しては、王国民が口を出す権利は無い。
王国民にあるのは、アステリア家の次代を次王として受け入れるか、それとも拒んで王家を無くすか、それを自分達の選んだ政治家に議会で選択させる権利だ。
コレットは番組冒頭で、その考え方について前置きした。
「アステリア家を誰に継がせるのか、それはアステリア家の当主が決める事です。選定に不満があれば、王国民は議会で国王を選ばない権利があります。そして結果については、決めた側が全責任を負います」
「なるほど、よく分かりました。カンタール教授は、伯爵のお考えについて、どのように思われますか」
放送局は、自社のキャスターには私的な意見を述べさせず、他組織の人間であるカンタールに話させる対応を採っている。これは平時からの手法だが、今回は特に厳命しており、逸脱すればキャスター個人が業務命令に反したという形を徹底していた。
なおカンタール教授に対しても、事前にコレットの考えに問題が無い事を確認させていた。最初にカンタールは、王国民と魔力者の関係について語った。
「契約とは、双方の合意によって成立します。王国民と魔力者との間で交わされた契約は、貴族制度と引き替えの従軍義務です」
貴族側は、依頼主である王国民が要求した魔力値が規定に達する者を戦場に派遣する。その代わりに王国民は、魔力に応じた待遇を行う。
そしてアステリア家のユーナは、魔力値が規定に達するベルナールとジョスランのどちらかを選ぼうとしている。
どちらを代表者に選ぼうともアステリア家の自由で、王国民は選んだ相手を断る事も出来るが、その場合は契約解除と成り得る。
なおユーナの選定方法は、依頼主の要望に沿うように、武勲章の獲得数を選定基準とした。契約として考えた場合、ユーナは契約の趣旨に沿う誠実な選択をしている。
カンタールは、女王の考えを尊重すべきだと訴えた。
「魔力者の責任感と自発性を促す貴族制度は、人権を奪う旧連合や天華よりも良い結果をもたらしています。この王子が駄目だ、等と口出しをして責任感と自発性を削ぐ行為は、国防に悪影響を及ぼすでしょう」
アステリア家の次代を選ぶ権利は、現当主のユーナにある。その決定に不満があれば、国民は当主を国王に選ばない事も出来るが、貴族の権利を奪えば従軍義務も解消される。
貴族制度がどのようなものかをコレットとカンタールが説明して、メディア側が全面肯定するのは既定路線ではあったが、出演者達は本心から納得して頷いた。
もっとも、アステリア王家を放逐する選択肢は、王国には有り得ない。
前王ヴァルフレートは、建国来の悲願であった連合滅亡を果たした。
女王ユーナは、侵略者の天華5国を押し返して、王国を守り抜いた。
ここでアステリア王家を廃止しようと言い出せば、もはや国家の敵なのだ。
従って王国民は、ユーナが選んだ次代のアステリア家当主を次王にするしか無い。ホブキンズは、両王子が選ばれた場合の影響について質した。
「それでは選定基準に沿って決定される次王陛下につきまして、両王子が選ばれた場合、それぞれどのようになり得るのかを伺いたいと思います。伯爵は、両王子の印象について、どのようにご覧になっておられますか」
これこそがコレットにしか答えられず、他の星系では番組を制作できない理由だった。
貴族は自家の魔力を保つためにも、自領と他領との経済的な繋がりを保つためにも、他の貴族家とは良好な関係を維持しなければならない。
全ての上級貴族家と仲良くする必要は無いが、派閥に属して自家を守らなければ、自家の魔力や経済力が派閥に属している場合よりも落ちる。
そして派閥に属する以上、最高権力者である次期国王の不興を買って派閥が巻き添えになるような事は出来ない。ベルナールが大規模宇宙港を実現させた際、開港記念式典で、コレットが動くまで周囲が石像と化した所以である。
コレットはハッキリと答えた。
「そうですわね。両王子について、国民の理解が深まった方が良いと思いますので、お答えしますわ。ベルナール殿下は、真面目なところが前王陛下に似ていらっしゃいます。そして経験を積めば、政治は前王陛下を超えますわ」
「断言なさる理由は、何でしょうか」
「未だ19歳のベルナール殿下は、既に公爵代理として大型宇宙港を奏上して実現させ、新型輸送艦も導入させました。同じ年齢の時、前王陛下は士官学校の4年生です。今後もベルナール殿下は政治を行われますから、伸び続けるでしょう」
もっともコレットは、ベルナール以上にユーナを評価していた。
男爵令嬢の娘でしかなかったユーナは、帝王学など学んでいなかった。
そんなユーナが女王として行った全ては、独学と自己流だ。ハルトや精霊と相談して、国家の目的に鑑みた国主の役割が何であるのかを踏まえて、自ら考えて導き出した。
ベルナールも立派だが、ベルナールを再教育したユーナこそ国主に相応しい、と、コレットは考えている。退位したい親友の意を汲んで、決して口に出したりはしないが。
「軍事に関して、ベルナール殿下はアマカワ元帥に任せる考えをお持ちですが、それは女王陛下も同様です。殿下も武勲章を受章しておられますので、臆病との批判にはあたりません。ですからベルナール殿下が次王でも、全く問題ないと思いますわ」
コレットの発言は、放送局の配信を介して王国中に伝わった。
王国軍の副司令長官にして、伯爵家の当主にして、女王の親友でもあるコレットが、ベルナールが次王でも問題ないと保証した意味は、極めて大きい。
それは王国軍が、国防上の問題は無いと保証した事になる。
そして伯爵が、政治的にも問題は無いと保証した事になる。
さらに女王の親友が、親友の弟の人柄を保証した事になる。
この問題についてコレットは、軍事、政治、王室の3分野で最上級の専門家を兼ねる。コレットという存在が行う保証の重さに、ホブキンズは思わず息を呑んだ。
質問できなかったキャスターの代わりに尋ねたのは、カンタールだった。
「それではジョスラン王子については、どのような印象でしょうか」
問われたコレットは、アレと呼ぶジギタリスの実家を思い浮かべながら、多少の間を置いて答えた。
「高校2年生で、本人の人格や実績に結論を出すのは、早すぎるでしょう。士官学校に進んだ意志は買いますし、武勲を挙げれば国民の希求に応えられるのですから、戦果を見せて欲しいですね」
「つまり現段階においては、ベルナール王子の方が次王に相応しいと考えておられて、武勲を挙げればジョスラン王子が相応しいという事でしょうか」
「現段階の実績を比較すると、そうなりますね」
同じ武勲であれば、政治の功績分だけベルナールが評価される。
だが王国の王侯貴族制度は、政治では無く、武勲を期待して作られたものだ。ジョスランがアステリアの後継者に相応しいと示せば、次代に相応しい王子はジョスランに移る。
そういう事なのかと質したカンタールに、コレットは頷いて肯定した。
「アステリア家とは、陣頭に立って船団を率いる家柄。ジョスラン殿下が、ベルナール殿下よりもアステリアの後継者に相応しいと戦場で示せば、評価も変わりますわ。それが今回、女王陛下が定められた基準です」
王国全体に公表できる公平、かつ公正さを心掛けて定められた基準について、カンタールは納得を示した。
そして彼は、王国民にとって次王の選定にも匹敵する重大事項を問うた。
「選定基準については、とても良く理解できました。それで女王陛下の退位については、いつ頃になるのでしょうか。私は個人的には、当面は女王陛下に在位して頂きたいと願っておりますが」
収録スタジオが静まり返り、出演者とスタッフ、そしておそらくは番組の視聴者にまで緊張が走った。
アステリア家の次期当主を定めれば、いずれ女王は退位する。
後継者の確定と、当主の交代は、同時に行われる訳では無い。それでも物事の順序としては、後継者の確定後には、交代の時が訪れる。
コレットは次のように語った。
「精霊の管理者であるアマカワ侯爵には、引き継げる後継者が居ません。それは婚約者が戴冠してしまい、子供を産むと国王の魔力値に満たなくなる事情が発生したためです。ですが次王の目処が立つのであれば、アマカワ家の継承者も必要でしょう」
であれば第二夫人の予定者であるクラウディアで、先に子供だけ作っておけば良い……とは、王国に滅私奉公する女王に対して、国民側が誠意や信義を欠く事甚だしい。
それに救国の英雄ハルトと護国の女王ユーナの子孫であれば、精霊関連という重大事項を引き継いでも「2人が居なければ王国が滅んでいたのだから」と国民は納得できる。だが、女王の血筋では無い人物に引き継がせれば、王家との間で主導権争いの火種となりかねない。
第二夫人との子供であれば、後継者問題で、お家騒動にまでなりかねない。
第三夫人との子供であれば、天華人民が主導権を握る不安や猜疑心が生まれる。
遺伝子提供相手であるカルネウスやリスナールでは、引き継ぎ先が他家になる。
結局のところ、ハルトとユーナの子供に精霊関連を引き継がせるのが最適解なのだ。
その人物が優秀であればハルトとユーナの延長線上で考えられるし、無能でも国家ぐるみで王家などと婚姻させて血を混ぜてしまえば、想像し得る諸問題も解決する。
かくして王国民は、近い将来に女王の退位が不可避である事を理解した。
Kindleと、BOOK☆WALKERでも、予約が開始されました。
電子書籍もございますので、何卒よろしくお願い申し上げます。