105話 新天地ヘルメス星系
精神論では、物理法則は覆らない。
物理的に可能で、実現性の高い手段を与えずに精神論を持ち出す指導者、経営者、管理者、上司などは、言葉を話す猿にも等しい唾棄すべき愚かな存在である、と、ハルトは士官学校で学んだ。
『王国軍は、将官に猿を飼う予定は無い。お前達が部下に精神論を唱えても、問題の解決には全く資さず、互いにとって時間の浪費でしかない。傍目から見れば、動物園で猿が威嚇しているのにも等しい滑稽さだ』
そのように指導した教官には、ハルトも大いに得心した。
戦力差が、如何なる結果をもたらすのか。初陣で、ほぼ全ての同期を失ったハルトは身を以て体験しており、指揮官は精神論を唱える以前に、1隻でも多くの味方を揃えるべきなのだと確信していた。
1隻よりも2隻、2隻よりも3隻である方が損害も減って、次の戦いでも有利になる。
その考え方を基に、ハルトはヘルメス星系の移民で精神論を唱えるのでは無く、人的、物的なリソースを大規模投入して、物量で一気に計画を推し進めた。
「戦時故、公平性は気にしなくて良い。王国が持てる全ての技術と、大規模な資源を惜しみなく投じて、都市空間と活動エネルギーに大きな余力を持たせ、王国全体を支えられるほどの生産惑星を生み出して、人類躍進の土台とせよ」
ヘルメス星系に投入されたのは、大規模な都市建造施設群だった。
全長400キロメートルの天体すら通せる転移門を使って、魔素機関を取り付けた都市建造施設群が、各星系から続々と送り込まれた。
それらが最初に生み出したのは、惑星ケリュケイオンの天空を貫く、数百本もの巨大な軌道エレベーターの群れである。
惑星ケリュケイオンを人体とするならば、軌道エレベーターという名のチューブが大量に突き立てられ、都市建造施設群という名の輸液パックを繋がれて、星系内の天然資源が加工されて全身に流し込まれた。
20日間に亘って、昼夜を問わずに数十億個のコンテナを注ぎ込まれた惑星ケリュケイオンは、最新の大都市と、王国全体を支える大規模な食料供給プラントと、大自然とが整然と組み合わさった王国最大の惑星として生まれ変わった。
表面積が3倍の新星系は、割り振られた土地の広さと高さが1.5倍ずつになって、居住空間としては3.3倍に拡大している。
最新式の発電衛星が惑星周囲を取り巻き、マイクロ波電力伝送システムによって、地上に設置された非接続型の大型電力バッテリーにエネルギーが送り続けられている。
整然と連なった都市の施設が、惑星管理システムの機能確認のために一斉に点灯されて、夜の大陸を輝かせていく。
転移門が無ければ、最低でも数百倍の時間を要して、規模も機能も小さかったはずだ。
星系の宇宙港建造と惑星開発に尽力した王国貴族達は、1世紀ほど機能の進んだ惑星の姿に感嘆の溜息を漏らした。
それら確認作業が数日続けられた後、マカオン星系から到着した移民船団が軌道エレベーターとドッキングして、移民者を送り出し始めた。
かくしてディーテ王国は、全王国民の居住星系が領域化され、転移門で繋がり、強大な経済発展と、外敵からの強固な防衛、安全な星系外離脱が約束されたのであった。
女王戴冠の2年目が、残り数時間で終わろうとしていた。
ヘルメス星系で各々の役割を果たした王国貴族達が、移民の成功と新年を祝うべく、モーリアック公爵家が運行してきた移動要塞オファニエルに集っていた。
会場の巨大スクリーンには、惑星ケリュケイオンの昼側の大陸で、移民者達が大地に足を踏み出していくメディアの中継映像が流されている。
年が明ける前に、移民者の第一陣を惑星に降ろす事を目標に掲げていた王国貴族達は、王国民が第一歩を踏みしめた光景に歓声を上げた。
陽気な貴族達は方々で何度も祝杯を交わし合って、王国の栄光と王国民の輝かしい未来を祝った。
「王国万歳、我らは星間移民を成し遂げた!」
「王国万歳、我らは託された王国民を守り通した!」
全星系が転移門で繋がった結果、いずれの星系からも片道2時間で同一星系に集まれるようになり、貴族1500家から誰かしらはヘルメス星系の支援に参加している。
居住星系が複数に分散して以来、初となる全王国貴族家が集結した祝賀会には、貴族1500家に連なる1万人以上の者達が参集していた。
もっとも、出席者の大半は遠隔操作のロボットである。
原因が事故、テロリズム、敵の破壊工作のいずれであろうとも、ハルトとユーナの死亡は戦争の帰趨に直結する。貴族1万人の死亡も、貴族制度を瓦解させて、今般のような大規模移民を困難にする。1つの艦に全員を乗せるなど、国家の安全からは到底考えられないのだ。
参加者には九山のリュウホや、リュウホと結婚したリン伯爵夫人ジギタリスの名前もある。だが遠隔操作であれば、主催者のモーリアック公爵家が用意したロボットを動かすために、薬物や爆発物を体内に仕込めず、危害を加える動作も行えない。
同一星系内から行うロボットの遠隔操作は、安全面に優れるだけではなく、各自の準備や移動時間が短縮できて、身体の負担が少ないために病や老齢の貴族も出席できるので、メリットだらけだ。
かくして大勢の貴族が参集した中で、一段高い場に設けられた王座に腰掛けるユーナに向かい、ヘルメス系の上級貴族家の当主12名が頭を下げた。
「この度は、我らマカオン星系民のヘルメス星系移民に国家の総力を挙げて頂き、感謝の念に堪えません。我らヘルメス系貴族一同、改めて王国と王国民のために尽力する事をお約束致します」
移民者が最初の一歩を踏みしめたのを見届けたモーリアック公爵が代表して述べると、ユーナも頷き返した。
「ヘルメス星系は、王国で最も豊かな星系となるでしょう」
転移門を最大限に活用して、深城の豊富な天然資源も注ぎ込んで大規模に改良した惑星ケリュケイオンは豊かになる。他の王国星系と比べて、豊かになりすぎると称しても良い。
惑星の生産システムやインフラは王国が作っており、国営で利用料も王国に入るためにヘルメス星系だけが極端に力を付ける可能性は低いが、王国がヘルメス星系民から搾取していると思われると、良くない未来が訪れかねない。
地球から搾取された事が、ディーテ政府が独立する引き金になった。
そのような未来を避ける方法について、ユーナは未来の可能性を開示した。
「将来的には、半分空けている土地に次王が遷都して、銀河に王国が広がる足がかりとするかもしれません」
モーリアック達は、初めて語られた可能性に、目を見開いて驚いた。
建国来445年に亘り、一貫してディーテ星系に首星機能を置いてきた王国であったが、ディーテ星系で無ければならない理由は無い。
一番豊かな星系を王家が押さえて、政府機能も移転させれば、地方が国家を転覆させ得る力を付ける事を防げる。
そのように合理的な理由があって、政府機能の移転も転移門で簡単になった以上、首星移転の可能性は充分に有り得た。
現在のディーテ王国は、王都をアマカワ侯爵領に間借りしている。
自分はアマカワ侯爵夫人のはずだと主張するユーナは自己満足できるのかもしれないが、ベルナールとジョスランのいずれかが次王になった後は、次王が姉夫婦の家に居候するのはよろしくない。
王国では1星系に1公爵を置いてきたが、旧連合との戦時には、王家とストラーニ公爵家が同時にディーテ星系にあった。ヘルメス星系に王家とモーリアック公爵家を置いても、駄目だという国法は無い。
ヘルメス星系は、豊かすぎるのだ。
陸地面積が地球の3倍ある上に、厚い大気の層に存在する立体的な居住可能空間は、3倍以上の広さを持つ。高地の何処までを居住可能と見なすのか、明確な基準は定められていないが、地球の6倍から9倍の空間には住める。
これを現代の公爵1家に任せるには、流石に広すぎた。
通常通り惑星開拓に時間が掛かれば、数百年後には領域を広げた王国にとって大きな問題とはならなかっただろうが、転移門と膨大な数の戦闘艇による輸送で、開発が一気に進みすぎた。
そして移動に時間を要する他星系であれば見え難かった星系間の差異も、転移門が目の当たりにしてしまった。
王都をヘルメス星系に移転させた場合、ディーテ星系には公爵が不在となる。
だが戦後に次王が、「前代未聞のアマカワ侯爵の功績に公爵位を以て報いる。領地はディーテ星系のままだ」と宣言すれば、おそらく王国議会は通る。
ハルトが居なければ王国は滅亡していたし、領域や転移門などの功績から見ても、全ての公爵を足したよりも明らかに王国に貢献している。そして王国の身分制度とは、本来は血統では無く、魔力値と従軍義務である。
それに血統を気にする者が居たとしも、ハルトには王族の血が流れていないが、ユーナとクラウディアは王家の血を引いており、次代からは公爵家として血統の問題も無くなる。かくしてディーテ星系に公爵を据えた王家は、晴れてヘルメス星系に居城を移せる。
新星系の王都には、現王都からの政府職員と家族の移民、商売を行う者達の移民、各星系から移民者で、王都に相応しい人口は集まる。
次王がアマカワ家に恩を売る形にもなって、臣下として従え易い……と、次代に委ねる予定のユーナとハルトは考えた。
ヘルメス星系は、ベルナールらにとって目の上のたんこぶになるユーナとハルトがおらず、ヘルメス系貴族には、前第一王妃の父であり、ベルナール、ジョスラン、ミラベルの祖父でもあるオルネラス侯爵もいて、色々と都合も良い。
「公爵らには、王国のために尽力を期待します」
「御意」
王国民のために尽くす王国貴族として、モーリアックは女王の意志を毅然と受け止めた。
12貴族が礼をした後、沈黙したモーリアックと、口を閉ざして従うオルネラス侯爵の様子を見たヘルツベルク侯爵が、僭越ながらと前置きしつつ口を開いた。
「僭越を承知で、奏上致します。臣が王国数千年の繁栄に鑑みますに、当代は女王陛下とソン公爵の思う儘にされるのが一番良いのでしょうが、いずれアマカワ家ないしタカアマノハラ家と、アステリア王家との婚姻が必要となるやに思われます」
中々勇気のある発言だ、と、ユーナの隣に立つハルトは感心した。
国家に2つの王家があると、不仲な世代で分裂や争いの原因になる。
転移門と精霊結晶を押さえるアマカワ家と、王国を飛躍させた歴代最高の女王ユーナとの子孫は、ベルナールないしジョスランの次王家を揺るがす存在になるだろう。それを回避する平和的な解決方法が、ハルトとユーナの子孫の血が王家に入る事だ。
何か言ってと表情で促すユーナを見たハルトは、奏上を受けたユーナに代わって返答した。
「両家は、いずれも俺の子孫であるが故、俺が答える。最初に明言するが、俺は国家のためという名目で、自分の子孫の幸せを犠牲にする意志は無い」
近年に父親から結婚相手を強制された女性としては、第一王子ベルナールの婚約者ベアトリスが挙げられる。
父親によって、元公爵令息、元王太孫、第一王子と3度も婚約者を変えられたベアトリスは、相手の肩書きこそ立派だが、王国民から批判され到底幸せそうには見えない。
ハルトがベアトリスの件に口を出さないのは、ベアトリス本人が明確に拒否の意志を示しておらず、ベアトリスの人生に責任も負えないためだ。本人が嫌だと主張すれば介入も吝かでは無いが、さもなくば口を出せない。
だがハルトは自身の娘に対して、ベアトリスの父親と同様の王家に売り渡すような行為をするつもりは無いし、相手が強要すれば、引き摺り下ろす事も吝かでは無かった。
「そもそも建国の理念、王国憲法、前王陛下と現女王陛下の意志にも反する。権力や暴力を以て憲法に反する輩は、王国への反逆者だ。国家の敵を殲滅する事こそ、我が使命と心得る」
ヘルツベルクの懸念は、国家的な視点では全く正しい。
もっとも国家の利に資するからと言って、特定の個人だけが過大な負担を被って、一方的な犠牲になる謂われは無いとハルトは考える。
王国貴族としてアマカワ侯爵家の貢献を問うのであれば、問う側はアマカワよりも貢献してから言えとは、ユーナが諸侯会議で告げたとおりだ。
天華5国のうち4国を壊滅させ、マクリールと深城を奪還して、王国8星系を領域化して転移門で繋いだアマカワよりも貢献してから、次の負担を口にすべきである。
ハルトとユーナの存命中に喧嘩を売る貴族は居ないだろうが、ハルトは念を押した。
「俺の死後であろうと、全星系には精霊王達が存在し、契約者である俺の意志を最優先する。俺の子孫を理不尽に扱えば、ディーテ独立戦争の再現を見られるだろう、と、貴公の子孫達には伝えられよ。但し、本人が嫌がらなければ、好きに口説けば良い」
「アマカワとタカアマノハラ両家の考え方を理解した」
ハルトが妥協案を示し、ヘルツベルクが毅然と答えて質疑が終わった。
ヘルツベルクに抗議の視線を送ったモーリアックが改めて礼を述べて、移民におけるヘルメス系の貴族の挨拶が終わった。
広い会場では、新年に向けたカウントダウンが始まろうとしていた。