104話 従容就義
王国暦445年12月。
女王戴冠の2年目は、天華とヘラクレスによるフロージ共和国侵攻から始まり、逆侵攻した王国が大泉と本陽を壊滅させて、王国民の住む全星系を領域化して終わりを迎える事になりそうだった。
11月中に太陽系を放棄したケルビエル要塞は、ディーテ星系からアポロン星系への転移門を経由して、今月中にはヘルメス星系に到着する予定だ。
1年目に敵国との勢力差を逆転させ、2年目で全星系を領域化して、3年目は最終決戦となるか。国家と国民を率いる女王ユーナは、旭日昇天の勢いで突き進んでいた。
ユーナにとって母親違いの妹ミラベルが姉に面会を申し込んだのは、まさにケルビエル要塞が最後の王国星系を領域化しようと向かっている最中であった。
ミラベル・アステリアは、まごう事なき王国の姫君である。
前王ヴァルフレートを父に、前第一王妃カサンドラを母に持つ第三子であり、女王ユーナは母親違いの姉にあたる。
年齢はユーナの8歳下で、現在は中等部3年。
魔力値は、公爵級には僅かに及ばない程度であり、王位継承権は有していない。故に、王位継承争いから無縁でいられて、末妹として姉と兄から可愛がられる立場にある。
王家の姫君であろうと、降嫁すれば立場が落ちるのが常であるが、ミラベルに限っては例外だ。なぜなら未来の方が、影響力が強くなる。
兄のベルナールとジョスランは、いずれも次王と、次期公爵。
姉のユーナは、退位後は星系全域を1家で支配する初代大公。
義兄のハルトは、王国唯一の元帥で深城星系を統治する公爵。
さらに兄姉達は、全星系の領域と転移門に政府と軍も掌握しており、実績から王国民の圧倒的な支持も得ている。そして昨年は、若さを侮ったドラーギとジェロームの侯爵2家を見せしめにして、貴族に一罰百戒を為した。
いずれ王族籍を外れるからといって、誰がミラベルを軽々しく扱えるだろうか。
現女王の妹にして、将来も国王、大公、公爵らの兄姉4人を持つミラベルは、王家の姫としては、人類史上最大の影響力を有している。
「女王陛下にあらせられましては、この身に奏上の機会を頂戴致しました由、まこと感謝に絶えません」
指導係の教育が行き届いたミラベルは、ユーナよりも遥かに王族らしく挨拶した。
貴族社会に軽く台風を引き起こせるミラベルは、春の陽気のように柔らかくて穏やかな気性の持ち主である。
ミラベルに対して尊大な態度を取る人間がおらず、誰もが最後まできちんと話を聞いて、最大限に意図も汲むために、本人には荒ぶる機会が無いのだ。
同級生の貴族子女は子供だが、その親達が自分達の子供とミラベルとの関係を気にする。無礼な態度を取った貴族子女は、ミラベルが何もしなくても、翌日には勝手に謝罪してくるのだ。そして余程酷い者は、親が転校させて居なくなる。
唯一の荒ぶる機会は、たった一人の対等な友人であるフロージ共和国大使の娘デイジーに関する事だった。他国民だと侮ったり、不当に扱ったりする上級生、同級生、下級生達とは、これまでに何度も戦ってきた。
昨年末頃には、ミラベルの意志が魔法学院の隅々にまで行き届いたらしく、他国の大使の娘に無礼を働く愚かな貴族子女は一掃された。あるいは姿を現わす前に、他の貴族子女が教育するようになった。
今年に入ってから、フロージ共和国は存続の危機に陥ったが、魔法学院でミラベルの友人を悪く言う者は、少なくともミラベルの視界には入って来なかった。もちろん人類社会から陰口を根絶できない事は、ミラベルも承知していたが。
アマカワ侯爵邸を兼ねる王宮のテラスには、ユーナとミラベルの他には、アンドロイドとロボットしか存在しない。ユーナは手で椅子を指し示しながら、ミラベルに着席を促した。
スカートの裾を軽く摘まんで一礼したミラベルは、アンドロイドに椅子を引かれながら、羽根がふわりと舞い降りるように音も無く着席する。
向かい合った2人のテーブルには、マカオン星系産の紅茶が運ばれてきた。
アンドロイド達は、女主人と客の好みに合わせて別々の飲み物を運ぶ程度の気は利かせられるが、生憎と2人とも同じ茶葉のミルクティーを好んでいる。
原因は共通の父親にあって、娘達に同じ物を与えたために好みが揃ったのだ。
それに気付いたミラベルが微笑を浮かべて、和やかな空気が流れたところで、ユーナが話題を切り出した。
「進路に関する大切な話って何かな。出来る事と、出来ない事があるけれど、大抵の事は応援するよ」
「御姉様にお力添え頂けるのは、とても心強いですわ」
ユーナに保証されたミラベルは、穏やかな笑みを浮かべた。
単一国家として、人類の完全統一すら成し遂げかねない女王と司令長官の運命共同体に出来ない事は、人類社会にあるだろうか。
2人がやると決めて、事前に準備をした上で実行すれば、それを阻止できる人間は、誰1人として存在しない。それこそ貴族全体が徒党を組んでも、本気になった2人は強引に押し通せてしまう。
ティーカップに軽く口を付け、一口含んでから静かに置いたミラベルは、揺れる液体を自身の心情に重ねるように口を開いた。
「近年の王国は、マクリール、深城、九山を取り込むために、新たな家を次々と興しています。御姉様、御義兄様、従兄弟達、タクラーム公爵家令嬢。そこで王妹のわたくしは、考えました。希望するフロージ共和国民を取り込み、王国を人類全体の国家とするために、新たな伯爵家は如何でしょうかと」
短い言葉に、一体どれほどの重大事が含まれていただろうか。
現在の王国は、アルテミス星系に避難してきた80億人のフロージ共和国民を難民と認定しているが、彼らは王国の枠外においている。
国籍や社会保障を与えず、無償支援や無期限の土地貸与も行わず、数年後からは土地の賃貸料を請求する。
支援しないのは、彼らが王国と天華との戦争に中立の立場であったからだ。
相手が中立の立場を取って支援していなかったのに、王国側が支援する道理は無い。ディーテ王国民は、自分達のために労働して税金を納めているのであって、他国民のために働いているのではないのである。
それに自分が襲われている状態で、転んだ相手に手を貸せば、共倒れとなる。なぜ中立だった相手のために、自分が倒されるリスクを負わなければならないのか。
王国にとって共和国の事態は、国家を挙げて救うものでは無いという認識だ。
故にフロージ共和国は、状況を改善する目処が立たない。
元の星系復活と、新星系移住のいずれであろうとも、テラフォーミングには膨大な人員、資金、資源、歳月を要する。
天華侵攻軍に居住星系を破壊されて、着の身着のままに逃げ出したフロージ共和国には、それらを揃える力が無い。
逃げ出した民間船は、民間企業や個人の所有物であって、フロージ共和国の物では無い。彼らの居場所は王国であって、法律と徴税権は王国が有しており、共和国が勝手に徴発する事は出来ない。
共和国政府の職員に給与を払うとすれば、共和国が持ち出した財産や、王国に所有していた資金も、人件費として失われていく。
母星を失ったフロージ共和国は、滅亡までのカウントダウンに入っている。
そしてミラベルは、新たな伯爵家を興して、共和国民を王国に取り込むと表明したのであった。
伯爵家の統治人口は2億人とされているが、王国民としての権利を十全に与えない元他国民であれば、爵位の4倍程度の統治人口を抱えられる前例がある。
80億人の難民中、1割の8億人しか受け入れられないように思われるが、中立国として交易を行っていたフロージ共和国民に移動制限は設けていないため、難民達はミラベルの領地に移動できる。
領主と領民政府が合意すれば、難民に対する低い賃貸料や、社会保障など、大抵の事は実現可能だ。
それを行う力が新興の伯爵家にあるのかという問題はあるが、フロージ共和国民を王国に取り込む国家方針を掲げれば、実現主体は領主ではなく国家となる。
「ミラベルは、自分の意志でやりたいと思っているの?」
「はい。誰かに操られているわけではありませんわ」
ユーナは、出来ないとも、駄目だとも言わなかった。
相応の理由さえ有れば、伯爵家を興させる事は難しくない。そしてミラベルの提案は、人道に則した難民の王国編入と、王国民の人口増加に伴う担当貴族の増員であって、伯爵家を増やす相応の理由にあたる。
動機が友人を助ける事であろうとも、それが王国のためになるのであれば問題とはならない。
フロージ共和国民は、自国を復活させるために惑星のテラフォーミングを行わせようとするから王国の負担になるのであって、王国に従う労働人口として組み込まれるのであれば、現状のアルテミス星系と変わらず、負担は増えない。
諦めるまで放置するか、積極的に受け入れるかの違いでしかなく、積極的に受け入れた方が人道的だ。
ミラベルの提案は、王国が人道的であったと歴史に刻まれる内容であって、人類社会に対する王国の価値や信頼度を向上させ、国家の興亡という長期的な視野で見た場合、王国がより長続きする未来に繋がる。
ミラベルが象徴的存在となり、難民に温情を示して、共和国民が素直に王国へと編入されるのであれば、受け入れない理由が無かった。
「でもミラベルは、まだ中等部の3年生でしょう」
「3ヵ月後には卒業しますわ。これから些か、忙しくなりそうですので、高等学校はオンラインで済ませます」
ミラベルのティーカップが持ち上げられ、再び置かれるまでの間、ユーナは妹の未来に思いを馳せた。
選択の余地が無かったユーナとは異なり、ミラベルには人生の最後まで綺麗に舗装された専用道路が用意されている。
ミラベルの魔力があれば、70家ほどある伯爵家の第一夫人は確実だ。そして嫁いだ伯爵家で、他家や領地経営など様々な問題が生じたとしても、「兄姉に伝えますわ」の一言で解決する。
魔力とコネクションの2点によって、ミラベルは伯爵夫人に求められる仕事を完璧に果たした事になり、以降は何事にも苛まれず、自由気ままに暮らしていけるのだ。
そんな優雅な生活を捨てて、難民化した膨大な他国民を受け入れて導くという茨の道を進もうとする妹に、ユーナは背中を押す事に躊躇いを覚えた。
だがミラベルが領主になって自ら管理すると言わなければ、王国の難民に対する方針は決して変わらない。
ユーナは幾度も躊躇った後、やがて受け入れる決断を下した。
「領地は、開発中のヘルメス星系にします。都市建造施設群が自由に使えるし、広くて自由に出来る土地が沢山あるから、王国民に気兼ねなく領地を開発できるでしょう。政府に全面的な支援をさせて、家臣団も可能な限り集めます」
「ご温情に感謝致します」
「わたしが準備する間、ミラベルは、新しい家名を考えておきなさい」
「もう決めてありますわ。家名は、ギリシャ神話で、星座を意味するアステリアの娘、死者を導く冥府神ヘカテー。わたくしは、ヘカテー伯爵を名乗ります」
ディーテ王国のアステリア王家は、星座を意味する女神の名を由来とする。
王家の兄弟が分かれて多星系に進出し、王国民が星々の海に広がる礎となった一族に相応しい名だ。
そしてアステリアの娘ヘカテーは、古代ギリシャ語で「意志」を意味し、霊の先導者、死者達の王女ともされる。80億人を失い、国家として滅亡した共和国民の導き手となるアステリアの娘が名乗るに、これほど相応しい名前はないだろう。
そんなヘカテーは、エジプト神話の女神ヘケトに由来するとも言われている。
女神ヘケトは、エジプト神話の女神イシスが夫オリシスを復活させる儀式に力を貸して、復活の女神となっている。
フロージ共和国は、エジプト神話を由来とする星系名と惑星名を付けていた。破壊された星系名の1つはイシスであり、他の星系名の1つはイシスとオリシスの子供ホルスだ。
ミラベルは言外に、死に体となった共和国民が新たな身体で復活するための儀式を、自身が執り行うと告げたのだ。
置かれたティーカップからは、当初揺れていた水面が、綺麗に消えていた。
後書き
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