103話 旅立ち
マカオン星系民は、マカオン星系に残るのか、ヘルメス星系に移民するのか。
公示から投票まで、僅か半月で選択を迫られたのは、情報が敵に漏れることが分かり切っていたからだ。
マカオンないしヘルメス星系に邪霊王を持ち込まれれば、移民計画が狂う。
全情報の公開後は、早々に決めてもらわなければならなかった。
『偵察艦より報告。ヘラクレス方面より、極めて大規模な敵艦隊が接近中。規模は巡洋艦換算で、12万隻相当。太陽系への到達時間は、推定48時間後』
精霊王に火星を饗させると知られれば、近場のヘラクレス星系から妨害艦隊も出てくる。司令部のサブスクリーンには、敵味方の戦力評価が100対159と表示された。
半年前の本陽星域会戦にて、ケルビエル要塞は熟練操縦者の半数以上を失った。技量順に選抜されたエリート集団では無くなった戦闘艇は、通常の評価値まで落ちている。
勝てないと判断したハルトは、太陽系民の乗船を打ち切る決断を下した。
「現時点を以て、移乗作戦を打ち切る。移民用コンテナを回収後、移民船と護衛艦隊は太陽系を離脱せよ。当要塞も、火星に天体を突入させて撤退する。周辺宙域に配置した偵察艦隊も任務完了、ディーテ星系に撤退せよ」
太陽系民の乗船は、9月半ばから1ヵ月に亘り、大規模に行ってきた。
1個で4万人を収容できる大型コンテナ40万個を火星全土に送り込み、それを10隻の大型移民船に運び込んでいる。そのため3週間以内に王国軍の通達に従った者は、全員が乗船できていた。
但し王国軍は、旧連合民、旧非加盟国民、どちらでも無い地球人、火星人の4種類に分かれて乗船するように通達を出している。そのため王国の意図を深読みした旧連合民はあまり従わず、乗船率は低かった。
ハルトは王国軍の最高責任者であり、王国軍とは王国と王国民を守る組織だ。そして対象を守る方法は、戦場で敵を倒す行為に限らないのである。
「さてと、果たして俺は、どちらの星系に行く事になるかな」
最前線でハルトが撤退の命令を下していた頃、マカオン星系では住民投票の結果が出ようとしていた。
多次元魔素変換通信波にて、太陽系のケルビエル要塞にも送られている報道番組の1つでは、キャスターがグラフを示しながら説明していた。
『投票締切りまで、残り5分を切りました。投票率は現時点で97%を超えており、投票結果は有効となります』
投票はマカオン星系民46億人のうち、選挙権を持つ全員が各々登録している端末を使って行い、11月1日午前0時丁度に締め切られて集計結果が直ぐに発表される。
自分の投票は、締め切られるまでに周りの情報を判断材料としながら、何度でも変更できる。
王国は、選挙や住民投票の投票率を上げるために、投票は有権者の義務と定めており、義務の履行と減税を連動させている。
投票率が高いのは、加齢や病気による判断力低下や犯罪などで有権者資格を失効した者を除き、ほぼ全員が投票できる社会的風土と、投票システムが整えられているからだ。
なお報道機関は、恣意的な偏向報道や有権者の誘導、事実を誤認させる行為などは一切禁じられている。報道機関に対する罰則は重く、最悪の場合は放送免許の停止や剥奪、選挙のやり直しにより発生する損失の全額賠償、実行犯達への刑事罰などが行われる。
報道機関で無くとも、誰かに投票先を強要する行為は禁止されている。それらに対しても相応の刑罰が科され、有権者資格も剥奪される。
但し、他人に強制しなければ、個人の主張を発信するのも、それに対して賛否を唱えるのも自由である。
『老い先短く、これまで住んできた故郷を捨てたくないから、移住したくない』
『戦争で負けたら困るから、王国が沢山資源を手に入れられる星系に移住しよう』
影響力のある人間が発信すれば、相応の影響が出るだろうが、強制していなければ認められる範囲内である。
今回の住民投票は、マカオン星系に残るのか、ヘルメス星系に移民するのか、それを選ぶためのものだった。
2星系を同時には領域化できない事。
敵の脅威が差し迫っており、選択の時間的猶予が乏しい事。
領域を作るためには火星を破壊せざるを得ず、太陽系民を何処かに移住させなければならない事。
王国政府が全ての王国民を領域で守るためには、領域のある星系に、全てのマカオン星系民を住ませる必要がある。そのためマカオン星系民に対して、強制力を伴う選挙となっている。
マカオン星系民は、自分達の住居を強制移転させられるかも知れない住民投票について、王国政府の発表を精読して利害を比べながら、周りの意見も判断材料にしつつ、熟考の上で投票を行ったはずである。
『今回の住民投票は、マカオン星系民に対して、どちらに住みたいのかを多数決で決めてもらうという王国史上、類の無い内容でした。それでは間もなく投票が締め切られます』
居住星系としてはヘルメスの方が圧倒的に優れており、王国が新たに組み込む星系として選ぶのであればヘルメスしか有り得ない。
だが、既に住んでいる人間が動かなければならない場合、動く側は金銭的な負担が無くても労力は費やさざるを得ないので、動きたくないという意見も当然出てくる。
ヘルメス星系案については、戦時特例の移住補償として、住宅を無償で5割増しにグレードアップして、都市建造施設群を用いた一定額まで無償で貰える家財道具の更新サービスなども付けている。
ヘルメス星系の恒星内資源を用いれば容易に実現可能で、王国が行った原資の公開も、ヘルメス星系案を後押ししている。
結局のところハルトとユーナは、クラウディアが発案したヘルメス星系案が明らかに良いと思っており、通るだけの条件を付けて、マカオン星系民の意見を問うたのだ。
それでも反対者は居るであろうから、なるべく大きな差が開く結果になって欲しいとハルトは考えていた。
注視するハルトの先で、メディアがカウントダウンを開始する。
効果音が鳴る度に数字が小さくなっていき、それが0になると同時に有効票の結果が表示された。
『ヘルメス星系移民95.7%、マカオン星系残留4.3%』
中継されていた要塞司令部内で、士官達から感嘆の声が上がった。
これほど極端な結果が出る事は稀であり、マカオン星系民による明確な意志表示があったのだと判断できる。
ハルトがクラウディアに視線を向けると、彼女は瞳をキラキラと輝かせながら、投票結果が表示されているスクリーンを眺めていた。
完全に自由な意見表明を解禁された各メディアは、一斉に速報を打ち、様々な報道を始めた。
『これから移民が行われますが、何か不安に思っている事はありますか』
ある番組では、マカオン星系の中心都市で事前に行ったインタビュー映像で、これから行われる移民について住民の思いを尋ねていた。
『利便性ですね。都市の広さが1.5倍、居住空間は3.3倍になるそうですが、移動距離も長くなりますよね。都市内の制限速度は引き上げて、交通機関の移動時間は変わらないようにしても、徒歩で行く場所は遠くなるかな』
記者から問われた若いカップルの男性が答えると、横から女性が、自分達はペットの犬と毎日運動公園へ散歩に行くのだと言葉を足した。
『うちは猫も飼っていて、家の環境が変わるとストレスになるのかなって思っています。気候も変わっちゃうから心配です。でもアポロン星系の事もありましたし、王国の未来も考えて、投票はヘルメス星系にしました』
男女の表情からは、8割ほどの期待と、2割ほどの不安が混ざっているような印象が窺えた。記者には訴えない不安も抱いているはずで、それを簡易化したのが先程の回答なのだろうとハルトは予想する。
自転時間が78時間だった惑星ロドスから、25時間の惑星ケリュケイオンに移り住めば、それだけでも環境の変化は不可避だ。生活リズムは変わらざるを得ず、影響が皆無とはいかない。
昼夜が長いからこそ成立していた商売も、廃業か規模を縮小するだろう。
不利益を被った住民に対して、どれだけ制度的な公平性を保ちながら、きめ細やかに支援できるのか。王国政府と、新たに立ち上げられた移民省は、その真価を試されていた。
『それでは逆に、移民にあたって期待している事はありますか』
人間は、最後に見聞きした事の方が強く印象に残る。
不安の後に期待を持ってきたのは、おそらく親近効果を得るためだろうとハルトが想像する中、男性は打って変わって明るく答えた。
『王国が勝てる事です。ヘルメス星系は、人類が進出した中で、最も居住環境に優れた星系だと聞きます。太陽系5つ以上に、同時進出するくらいだと。戦争に決着を付けられなくても、ここを押さえれば未来でも王国は負けないと』
男性に続いて女性が、「だから行くって決めたんです」と答えて、記者が御礼を述べた後、メディアの映像が報道局のスタジオに戻った。
スタジオの映像には別窓で、ヘルメス星系案が通った場合に備えて貴族達が用意していた移民船団が映し出された。
およそ400年前、コースフェルト公爵家が巨大移民船フューチャーアロー号で10億人を新天地に運んで以降、4度に亘って4つの星系に行われた星間移民が、今回は規模を大幅に拡大して再現される。
マカオン系貴族は公爵1家、侯爵2家、伯爵9家だが、一族を合わせれば星系単独でも、46億人の全住民を他星系に連れ出せる。全長1万3000メートルを超える数十隻の大型移民船が、各々の領民を乗せて新天地に旅立つのだ。
貴族家が所有する要塞艦もまとめて引き上げられて、いずれマカオン星系の宇宙空間からは、人工光の輝きが極小になる。
12集団に分かれて惑星周辺を流れる星々の群れに、惑星から物資を運び込む戦闘艇が流れ込んで、星系に最期の輝きを放っていた。
まさに大事業であるが、マカオン系貴族の必ず成し遂げるという強い熱意は、スクリーン越しにもハルトに伝わった。
マカオン系貴族を取り纏めるモーリアック公爵は、星系民が危機的な状況から脱するためであれば助力を惜しまないと、前々回の会議で明言している。
刺し違えてでも敵を殺すのが王国軍の戦いであるならば、身体を擂り潰してでも領民に安寧を齎すのが、現在のモーリアック公爵にとっての戦いなのだ。
『元帥閣下。全ての移民用コンテナが、惑星上から回収を終えました』
マカオン星系民が旅立ちの準備を始めた頃、太陽系も数十億年の生物史に幕を閉じようとしていた。
数十億年振りに、僅か1000年足らずの間だけ地表に海洋を復活させていた火星は、人類が別星系に移民する練習場としての役割を全うして、再び赤く染まる。
火星に資源としての価値は乏しく、惜しむとすれば歴史だが、太陽系にも寿命があって、未来永劫そのままに残しておく事も出来ない。熟慮の末の破壊であると再確認したハルトは、数秒だけ間を置いた後、厳かに命じた。
「予定通り、火星に天体40個を突入させろ。なお、何があろうとも作戦は中断しない。火星からの通信は、全て打ち切れ」
ハルトにだけ見える精霊が2体、陽炎のようにゆらゆらと姿を現わした。
白髪と黒髪の精霊達は、ミラから渡された精霊神の精霊結晶を2人で持つと、魔力を篭めた天体が火星に落ち始めたのに合わせて、精霊結晶から紫の光を引き出し始める。
白く輝く渦が発生して、2体ごとハルトを呑み込む。渦の中心には飛竜を模した白銀の竪琴を手にした紫髪の女が浮かび上がった。
アレこそが精霊神だと認識したハルトの前で、ハルト、ルル、マヤの順に視線を送った紫の精霊は、やがて携えた竪琴を奏で始めた。
葬送曲を彷彿とさせる悲しみを含んだ音色が、幾重にも波紋を生み出しながら、ゆっくりと空間の渦巻きに加わり、螺旋の輝きを次第に濃く、大きく広げていく。
精霊神が体験してきた悲しみの歴史だろうかとハルトは考えながら、空間の端で2体の精霊と共に、自身の魔力が掻き乱される流れに身を委ねた。
紫の精霊神は、どこか遠い虚空の彼方を見つめながら、静かに、そして丁寧に虚空に向かって竪琴を奏で続ける。
やがて精霊神が生み出す音色に、火星から溢れ出した赤い光が加わった。
新たに加わった火星の光が、精霊神の背後に浮かぶ水面とも鏡面とも取れる世界の裏側で、映り込んでいた2本の若木に力を与える。
2本の若木は瞬く間に成長して、2本の大木と化して青葉を一杯に生い茂らせた。木の葉は白い輝きを放ちながら、ゆらゆらと揺れ動く。
木の葉の揺れが大きくなるに連れ、鏡面世界に薄い線が何本も走り、世界の境界がひび割れ始めた。
ひび割れた世界の狭間からは、光の濁流が溢れ出して、ハルトの傍に浮かぶ白と黒の精霊に向かって流れ込んでいった。
どれだけの時間が過ぎただろうか。
やがて膨大な光の濁流が収まると、竪琴を奏でるのを止めた紫の精霊神は、軽く頷いた後、紫の光と化して消えていった。
空間に渦巻いた白い輝きが消え、火星から流れ込んだ光も消滅して、ハルトは狭間の世界から此方に戻った。
『パパ、聞いて下さい。グランマから、髪飾りとブローチを貰いました』
『マヤも精霊帝になりました』
怪しく輝く紫の瞳と、どこまでも黒い瞳が、揃ってハルトに向けられる。
2体の身体には膨大な魔素が渦巻き、太陽の表面に見られるコロナや太陽風のように吹き上がっていた。