101話 大規模移民計画
ヘルメス星系への移民を推し進めるにあたり、最初にハルトは、10隻の大型移民船を引き連れて太陽系に移動した。
最優先事項は、火星と精霊神の精霊結晶を用いて、ルルとマヤを精霊帝にまで引き上げる事である。敵が来て、太陽系民の移乗が間に合わなければ、火星に何十億人が残っていても天体を落とす必要があった。
幸いにも敵の姿は見えず、王国軍は天体突入準備と、太陽系民の移乗に専念できた。
次に行われたのは、マカオン系の上級貴族12名に対する説得だ。
ハルトの私物である精霊結晶を用いて、女王ユーナが統治する王国領のヘルメス星系に領域を作るだけであれば、彼らの同意を得る必要は無い。
『ヘルメス星系は、新たな精霊結晶の生産地に成り得たので領域を作った。これは国防上、やむを得ざる行為であった。ついては領域の無いマカオン星系民に提供するので、移住希望者を全員受け入れる』
そのように言い切ってしまえば良いのだ。
マカオン星系のモーリアック公爵は怒って抗議するだろうが、マカオン星系では精霊結晶の生産地に成らなかったとハルトが説明すれば、モーリアックでも受け入れるしか無い。
それが出来ないのは、太陽系民をマカオン星系に移住させる考えがあるからだ。
ハルトが移乗を行わせている火星には、何十億人かの人類が住んでいる。
太陽系を実効支配している王国が総数を把握できないのは、太陽系民が王国製の情報端末を身に付けておらず、より多くの食料援助を受けるために、人数を水増しして申告するためだった。
王国が大雑把に把握する元地球人は、旧連合加盟国民10億人、非加盟国民40億人。そのうち12億人ほどが、太陽系侵攻時の天華による攻撃と、その後にアルフリーダを精霊王に引き上げるための攻撃で死んでいる。
すなわち地球人は、38億人ほどが生き残ったはずだ。
だが地球には、旧人類連合と旧非加盟国のいずれの戸籍にも載っていない人類も相当数が住んでおり、天華が火星に移動させたので、王国側は総数を全く把握できていない。何億なのか、何十億なのか……といった具合である。
火星人に関しても、総数は分からない。
元々は地球が管理していた火星は、ディーテ独立戦争で大打撃を受けた地球が管理を放り投げざるを得ず、棄民となって現在に至る。
地球の3分の1を支配していた人類連合国家群も、地球の3分の2を支配していた非加盟の国々も、火星は管理していなかった。そして火星人は、食料のために総数を水増しして申告するのだ。
すなわち現在の火星には、38億人と、総数不明の元地球人と、同じく総数不明の火星人が混ざり合っている。
総数が不明瞭な数十億人のうち、旧連合加盟国民10億人は、王国民と同じ空間に住ませられないほど根深い恨みを持っている。それらが他の人類と混ざりあってしまったので、全員をディーテ王国民とは一緒に住ませられない。
それでは火星を文字通り火の星にする際、全員を焼き尽くすのか。
旧連合加盟国民だけであれば、『食糧難に陥った彼らを救援しようとした王国が襲われた』という状況を見せれば、火星と運命を共にさせる事に王国民の理解は得られる。
曰く、天華から太陽系の宙域は奪い返したが、旧連合加盟国民は王国に組み込まれる事を拒否して独立状態を続け、王国民に危害を加えるために、彼らを王国船に移乗できなかった。
だが火星を精霊王誕生に用いるのは、敵側の邪霊王誕生に用いられる事を防ぐためにも不可避だった。
先にはアポロン星系で、邪霊王による領域化を試みられており、王国民6000万人を殺されている。どちらが先に火星を使うかの違いでしかない以上、王国は国防と自国民生存のために、火星を使わざるを得なかった。
このような理由を用意すれば、致し方が無いという結論に至る。
ディーテ王国とは、国家の構成要員である王国民が、『生存して子孫を残す』という生物の存在意義を、全体が最大効率で行うための集団である。
生存とは、かつて地球に植民支配されて半奴隷のように生きていた状態ではなく、国家と社会の維持に必要な最低限のルールで、最大限の自由がある状態だ。
従ってディーテ王国には、天華に降伏して旧連合民を生かす選択肢も、旧連合民のために王国民を犠牲にする選択肢も無い。
だが、旧連合非加盟国民や火星人まで殺すのは、致し方が無い範囲を超える。
なぜなら旧連合との終戦後、彼らは組織的かつ継続的に王国民へ危害を加えようとした事実が無いからだ。
王国民から圧倒的な支持を得ている女王ユーナであっても、旧連合非加盟国民や火星人を焼き払った場合、国民からの支持は大きく下がり、指導者としての適性も問われるだろう。
さらに『支配星系の戦争状態に無い民間人を大量虐殺した』という行為は、遠い未来に王国が逆の立場になった際、相手側に同じ行為の大義名分を与える。
ディーテ王国には王国の倫理が有り、国家としての制約もある。
王国が制約の中で行えるのは、『マカオン星系を領域化して、太陽系民はヘルメス星系に移住させる』と、『ヘルメス星系を領域化して、太陽系民はマカオン星系に移住させる』の二択だ。
新たな居住星系をテラフォーミングするまでの間、移民船に押し込む三択目は無い。マンションに何十年も押し込めるが如き非道は、王国に対する復讐者の惑星を誕生させるだろう。
太陽系民への扱いについては、王国に対して制裁できる他国が無かろうとも、現代と未来の人類に許容される最低限のラインがある。
そのようにハルトが思うところを語り終えると、マカオン星系に配される上級貴族の1人、ヘルツベルク侯爵ヨーガンが見解を述べた。
『移住の判断に必要な情報を、全て公開した上で、全マカオン星系民を対象とした国民投票を実施すべきでは無いか。王国民の決定であれば、当家も否は無い』
結論が同じでも、上から一方的に決め付けられるのと、相談されて自分達で決定するのとでは、納得の度合いが異なる。
ヘルツベルクの極めて真っ当な主張に、他のマカオン系貴族達が賛同して、今後の方向性が定められた。
御前会議と諸侯会議の同時開催に先立ち、会議の出席者達には、ハルト及びユーナと、マカオン系貴族との議事録も送られた。
『それでは只今より、御前会議と諸侯会議を同時開催します』
王国暦445年10月。
ハルトの奏上を受けた女王によって、2つの会議が同時開催された。
両会議の開催は、余程の重大事に限られる。
ユーナが開いた御前会議は過去に1度きりで、それは第4回目の諸侯会議と同時開催された。過去に5度開かれた諸侯会議も、上級貴族を一堂に会させるに相応しい内容だった。
第1回目は、ディーテ・アテナの領域化と転移門作成が承認された。
第2回目は、マクリール・深城の主統治者となる公爵が承認された。
第3回目は、4星系の領域化と勢力逆転後の国家方針が承認された。
第4回目は、地球の破壊作戦と大泉・本陽への逆侵攻が承認された。
第5回目は、7星系の領域化報告とマカオン防衛計画が承認された。
いずれも複数の星系や、国家自体の存亡に直結する内容だ。
そして6度目の開催にあたり、事前に送付されたデータには、諸侯の大半が想像したよりも、さらに重大な内容が記されていた。
『太陽系の火星を饗して新たな精霊王を生み出し、ヘルメス星系を領域化して、全てのマカオン星系民を移民させる可能性がある。その場合、マカオン星系には太陽系民を移民させる。実行にあたり、各位には最大限に協力されたい』
王国史上最大の移民計画を知らされた出席者の邸宅では、愕然とした様子の当主達の目撃例が相次いだ。
無論、彼らは愕然としていただけではない。それこそ四六時中、移民計画について思い巡らせた。
火星破壊は必須であり、太陽系民も移民させざるを得ない。マカオン星系と、ヘルメス星系のいずれに領域を作ろうとも、王国で唯一取り残されていたマカオン星系民の生命と財産は守れるだろう。
貴族家には、他に案が無かったわけでは無い。
いずれの星系にも新領域を作らずに、既に領域化済みの王国星系にマカオン星系民を移民させて、浮いた精霊王で敵星系に最短の転移門を作って戦う……など、様々な案も考えられていた。
それらが提案されなかったのは、前回の諸侯会議で新たな精霊王を誕生させる目処が立っていないと説明したハルトが、僅か2ヵ月で次の目処を立てたからだ。つまり貴族達は、自分達には判断材料が不足していると認識したのだ。
僅か数年前、元王太孫と元公爵が軍事機密を敵に流した事実があり、ハルト達が敗戦の危機に陥った事から、貴族に軍事機密を公開しろとは言えない。愚かな真似をしてくれたものだと苦々しく思いながらも、彼らは会議の日を迎えた。
諸侯会議において、ハルトは火星を精霊王誕生の贄にする事、火星に住む太陽系民を移住させる事への協力を求めた。
「事前にご覧頂いた議事録の通り、火星を用いて精霊王を増やして、2つの星系のいずれかに新たな領域を生み出します。諸侯には移民の支援、並びにマカオン星系民がヘルメス星系移民を選んだ際には、最大限の支援も頂きたく存じます」
マカオン星系民が移民せず、既に住んでいるマカオン星系への領域化を望んだ場合は簡単だ。単純にマカオン星系を領域化して、太陽系民はヘルメス星系に送り届ければ良い。
ヘルメス星系に太陽系民が生きていくための施設は用意するし、物資を積んだ移民船や王国軍も常駐させるが、王国の脅威にならないように魔素機関を用いた星間船は使わせず、戦闘艇を動かせる魔力者も本国へ連れて行く。
そして惑星内の統治には関わらず、天華が侵攻すれば王国は撤退する。
かつてリーネルト上級大将が、降伏した旧連合のマクリール星系を統治していた方式である。
「マカオン星系に領域を作る場合は、太陽系民をディーテ星系からヘルメス星系に運ぶ移民船団の魔素機関稼働者を出して頂きたく。なお戦死者の多いディーテ系と、フロージ共和国民を受け入れたアルテミス系貴族は、既に充分に負担しているので省きます」
ハルトは説明しながら、フロージ共和国民の反応が気になった。
国家の復活を願うフロージ共和国は、ヘルメス星系が欲しいはずだ。太陽系民に与えるのであれば、自分達にも惑星の半分くらい使わせて欲しいと望みかねない。
王国に敵対的な旧連合加盟国民と、星間船を動かす自由のあるフロージ星系民を混ぜる気は、王国側には毛頭無いが。
それにマカオン星系民は、ヘルメス星系への移民を選ぶだろうと、ハルト達は予想している。
元々移民予定だったマカオン星系の人々は、予定が中断されていただけなので、基本的には応じるだろう。
それ以外の王国民も、諸般の事情に鑑みるはずだ。
ヘルメス星系の方が星系資源は豊かであり、移民したマカオン星系民も相応に豊かな生活が送れて、戦争に際して王国の勝率も高まる。また太陽系民に与える惑星が小さくて豊かでは無いほど、将来反乱される可能性も低くなる。
旧連合との戦争で王国が行ってきた国家存続と民族繁栄の教育を受けた王国民であればこそ、ヘルメス星系を選ぶはずであった。
マカオン星系民がヘルメス星系に移民する場合、王国貴族の手間は倍以上に増える。太陽系民を移動させる手間は変わらないが、マカオン星系民を移民させる手間が増えるのだ。
しかも王国民であるマカオン星系民の場合、惑星に放り出すわけには行かない。
ヘルメス星系に、マカオン星系から5割増しの都市を事前に造らなければならない。
ヘルメス星系の準備が出来てからマカオン星系民を移民させて、マカオン星系民が居なくなったマカオン星系の都市から技術レベルを落として、移民船で待機させていた太陽系民に引き渡す。
動員する貴族は最低でも2倍で、期間も太陽系民を移民船で待たせる間は長引き、ヘルメス星系に投じる資源も大幅に増加し、マカオン星系に用いている技術のレベルを落とす作業も必要になる。
「マカオン星系民が移民する場合ですが、各家は当主と後継者の他に人材がいない場合を除き、1家に最低1名、魔力者と魔力相応の艦船、物資を出して頂きたく存じます。なお……」
ハルトは1度言葉を切り、諸侯を見渡してから硬い口調で告げた。
「8つ目の領域を作った後、敵星系に転移門を繋げる侵攻作戦を試みます。各星系におかれては、戦闘艇量産に最大の尽力を頂き、操縦者も増やして頂きたい」
それなりに覚悟して会議に臨んでいたはずの出席者達は、不意打ちの衝撃に、全ての思考を吹き飛ばされた。