100話 9つ目の星系
「それで、ユーナの機嫌が悪かったのね」
バルコニーで不機嫌に佇むユーナに対して、身も蓋もない言い様をしたのは、ユーナにとって一番の親友であるリスナール伯爵コレットだった。
元々は護衛や誘導係のような立場だったコレットは、ユーナに対して安易な同調や共感はしない。ユーナの性格を熟知した上で、違っている時にはユーナが受け入れられる方法で、ハッキリと違うと伝えて再考を促す。
女王と伯爵である以前に、2人はユーナとコレットなのだ。
ユーナもコレットの指摘に対しては非論理的で取り合って貰えない反論はせず、それでも不満はアピールするために、渋々と口元をへの字に曲げて見せた。
そんなユーナに向かって、ルルが堂々と主張を繰り返す。
『ルルは、パパとママの魔力特性を継承して生まれました。だからルルは、パパの娘なのですよ』
「ハルト君!」
「はぁ、分かった、分かった。そもそも人間と精霊は、違う存在だって、ユーナも分かるだろう。ルル、ちょっと子猫に戻ってくれ」
ユーナが荒ぶって話にならないと頭を抱えたハルトは、ルルを白い子猫に戻して腹を抱えると、膝の上に乗せて背中を撫でながら大人しくさせた。
ルルはハルトの手に額を擦り付け、非常に猫っぽく甘えてみせる。するとマヤも黒い子猫になって、ハルトの膝に飛び乗り、ルルと並んで甘え始めた。
その様子を見ていたユーナが、口をへの字にしたまま上目遣いでハルトを睨んだ。
「兎に角、この2体を昇格させて、アルフリーダにはマカオン星系で領域を作って貰う。コレットとクラウディアが質問をして、ユーナは横で聞いてくれ」
「わたしも、ちゃんと聞けるんだけど!」
「いや、冷静に聞けていないから。まさか女王陛下が、ヘッポコになるとは思わなかった。まあ、元に戻ってきたのは良かったと思っているが」
残念そうに宣言したハルトは、俯瞰モードだったユーナの気が緩んだ原因について、王国7星系に領域を作り、8星系目が見えた事だろうと想像した。
王国8星系を領域化できれば、防衛に関しては完璧だ。戦力差が5倍になる領域内で、数億艇もの戦闘艇を有する王国の守りは、突破されようが無い。
ヘラクレス星系に存在するであろう邪霊帝が強力で、星系攻略が不可能だと判断する事態になったとしても、相手側も攻められないので王国が負ける事は無い。
先頃はアポロン星域会戦で邪霊王の領域を塗り替えた王国に、攻略作戦に失敗した天華とヘラクレスが脅威を抱いていないはずは無く、終戦協定を結ぶ事は可能だとハルトは考えている。
8星系目に領域を作れたならば、女王ユーナは前王ヴァルフレートから託された役目を果たして、王国を守り切ったと言える。
即位から僅か1年半。
予想よりも早かったと、ハルトは密度の濃い期間を振り返った。
「まずは火星を2体に饗させる。精霊王の誕生に必要な物は、今更だが知的生命体の暮らす惑星だ。それを破壊して、溜まった瘴気を浄化・吸収する必要がある。無人だと上手くいかないだろうが、火星が無人になる事は有り得ない」
ルルとマヤは、既に精霊王に遜色ないエネルギーを有している。
そして火星にも火星人は住んでおり、先頃は地球人も避難したので、饗すれば昇格に必要な要件を満たせる。
なにしろ太陽系民の一定数は、ディーテ王国の言う事を聞かない。敵国であった王国の移民命令など無視して、勝手に惑星攻撃に殉じてくれる。
なお昇格させるにあたり、ミラが特別な提案を行った。
曰く、精霊神の精霊結晶を使ってエネルギーを加算させて、2体をミラのような精霊帝にまで押し上げてはどうかと。
『精霊神様の結晶体は、力が8割残っています。追加で2割ずつ与えて、3倍以上の力に引き上げたら、精霊帝に成れますよ』
黒の精霊であるマヤを精霊帝に引き上げたいのだろう、と、ハルトはミラの考えを予想している。
ルルを巻き込んだのは、マヤだけを優遇する理由を付けられないからだ。
「念のために確認しておくが、通常の精霊王であるアルフリーダに1割のエネルギーを使って精霊帝にするよりも、特異とされるルルとマヤに2割のエネルギーを使った方が強いのか」
『そうですね。精霊帝のルルやマヤと、精霊神様の結晶体のエネルギー1割を持ったアルフリーダとでは、ルル達が勝ちますね』
「成程、分かった」
納得したハルトは、ルルとマヤに使ってなお余る4割のエネルギーについて、アルフリーダを精霊帝にするのに使うのでは無く、ヘラクレス星系と天都星系の攻略に使う事を考えた。
アポロン星域会戦では、精霊帝のミラが1割のエネルギーを使って、アポロン星系を領域化していた邪霊王の領域を塗り替えている。
ヘラクレス星系には邪霊帝が居るだろうが、味方の精霊帝は2倍の2体だ。
精霊神の結晶体を使って挑めば、邪霊帝の領域を塗り替える事は出来ずとも、王国側にも転移門を繋げて、ヘラクレス星系の領域を掻き乱すくらいは期待出来る。
惑星アルカイオスを破壊してヘラクレス星人を殲滅してしまえば、邪霊帝は星系から瘴気を得られなくなって、邪霊結晶の量産が困難になる。そうすれば膠着状態で時間が経過しても、王国の脅威は増えない。
加えて天都星系も攻撃すれば、終戦に至るだろう。
最終目的地までの道筋を見出したハルトは、ユーナに火星を擂り潰す許可を求めたのだった。
「火星で2体の精霊王を生み出して、マカオン星系に領域を作り、ヘラクレスと天都の攻略にも利用する。情報漏洩を防ぐために、諸侯には精霊王1体しか増やせないと偽りの情報を伝えるが」
火星を精霊に用いるのは、邪霊に使われるのを防ぐためにも必要な行為だ。どちらが先に使うかの違いでしかない以上、王国軍が使うべきである。
そのようにハルトが説明すると、コレットとクラウディアは共に納得した。
「ふと思ったのだけれど、ヘラクレス星系には、カーマン博士のような存在が居ないのかしら。あちらも邪霊神の邪霊結晶のようなものを持っている可能性は無いの?」
「それは分からないが、カーマン博士も用意できた精霊王は2体だけで、精霊帝は皆無だった。邪霊神が居たとしても、易々と邪霊王を増やせないだろうし、そんな存在が居れば、ここで終戦協定を結ぶ事も検討しなければならないな」
戦争を続けても採算が合わないだろうし、と、ハルトは付け加えた。
精霊帝や邪霊帝を不確かな攻略に使うくらいであれば、他の有望な新星系に転移門を繋げた方が遙かにマシだ。何しろ転移門を使えば、何千光年離れた星系だろうと1日で移動出来て、その周辺にも進出していける。
天華のユーエンがどのような性格であるのかは、九山から転向したリン伯爵リュウホから情報を得ている。その情報を元に、合意可能な終戦条件を提示すれば、ユーエンは乗ると王国は判断している。
ヘラクレス星系のイシードルは、フロージ共和国での宣戦布告時、自分の種族が生存し、繁栄するために、脅威を排除すると主張した。
現状において生存と繁栄を目指すのであれば、王国と絶滅戦争をするよりも、終戦協定を結んで他星系に進出した方が遥かに目的に適う。
ヘラクレス星系の邪霊帝を攻略できない場合は、終戦するのも選択肢だとハルトは考える。
「引き分けで終戦すると、国家魔力者の脅威が残るわよ。王国でも、新京民と九山民は王国籍が無いから、残せるでしょうけれど」
コレットが想像した危惧は、当然ながらハルトも持っていた。
終戦した場合、ハルトの存命中に天華が再侵攻して来る事は無いだろう。
その代わりに国家魔力者を量産して、銀河全域に進出して、国力を増大させていくと思われる。
王国も進出するが、進出競争では国家魔力者が多い天華側が有利だ。
人口では王国側が多いはずだが、ヘラクレス星人が何人居るのかは王国も把握していない。
ヘラクレス星人の総人口が、王国民の10倍だった場合、銀河への進出競争で確保する星系が10倍差となって、遙か遠い未来に王国の危険となりかねない。
「なるべく決着は付けて置きたいが、実際には攻めてみないと分からない。先ずは火星攻撃だ。深城と九山には天華3国のスパイも居るだろうから、諸侯に協力を求めるのも、俺が火星に着いた後だな」
精霊が居ても、スパイの洗い出しは出来ない。
九山民は精霊結晶を身に付けておらず、スパイが潜り込んでいても判別できない。精霊結晶を付けている深城民にも、精霊結晶を付ける以前からのスパイが大量に居る。
そもそも精霊は契約者の味方なので、契約者の情報を何でも教えろと精霊に要求するのも無理だ。精霊王の契約者であるハルトに敵対しないように促したり、直接的な危害を加える場合には精霊王に報告させたり、その程度を期待するのが関の山である。
火星攻撃を妨害されないために、情報の公開は準備を終えた後だろうとハルトは述べて、ユーナ達も同意した。
「そうね。それで火星を使って、マカオン星系に8つ目の領域を作る。それで実績を追加したユーナは、ますます退位が遠のきそうな気もするけれどね」
冗談交じりに指摘したコレットに対し、ユーナは机を強く叩いて不満を表明した。
戦争が終結すれば知格、戦時中は実績を積み重ねてきたユーナに、国主を継続して欲しいと望む声が上がるのも無理はない。
「前王陛下の遺言もあるし、ユーナも最初から王位を継承させると宣言している。結婚して次世代の魔力者を作るためだと言えば、王国民も納得するだろう。ディーテ王国は、この後も続いていくのだからな」
「そうそう、そうだよ。ハルト君、早く領域を作ってね」
すかさずフォローしたハルトに、ユーナが首を縦に大きく振って同意した。
ユーナとコレットから合意を得たハルトは、最後に何か言いたげにしているクラウディアに視線を向けて、話を促した。
「クラウディアは、何か気付いた点はあったか。俺とユーナとコレットは、中等部時代から同級生で視点が偏っている。言ってみてくれ」
ハルト達の視線が集中すると、クラウディアは少し考える素振りを見せてから、上目遣いで怖ず怖ずと口を開いた。
「ちょっと、突拍子も無い事を言うかも知れません」
「構わない」
「それでは…………新しい領域を1つ作れるのであれば、元々は前王陛下が移民される予定であられたヘルメス星系に領域を作って、マカオン星系民を移民させた後、空いたマカオン星系に太陽系民を移民させるのは如何でしょう」
説明したクラウディアは、端末を使ってスクリーンにヘルメス星系を投影した。
ヘルメス星系とは、前王ヴァルフレートが第三王子であった時代、公爵位を賜って移民船団を率いて向かう予定だった星である。
10万光年に及ぶ天の川銀河には、人類の居住に適した惑星は多数存在する。
だが遠すぎれば本国と行き来が出来ないために、星間移民は近場から妥協して選ばざるを得なかった。各勢力の星系が、それぞれ近い所以である
連合との戦争再開前、6星系に進出して活動範囲を広げた王国は、星間航行技術の進歩も相俟って、少し遠くの移住先を選べるようになっていた。
王国が移民可能な星系として、辛うじて手が届いたヘルメス星系は、太陽系から1000光年、王国辺境のマカオン星系からも400光年は離れた宙域にある。
それほど遠い星系が選ばれた理由は、惑星が移民に適していたためだ。
恒星ヘルメスは、太陽と殆ど同じ大きさと光度で、表面温度は約300度低いだけの似通った恒星である。
そのハビタブルゾーン内には、地球の約1.9倍、表面積は約3倍の惑星ケリュケイオンがあって、378日の公転周期で恒星を廻っていた。さらに自転周期は約25時間で、地球よりも人間の体内時計の周期に合っていた。
恒星から受けるエネルギーは地球の93%ほどで、表面温度は地球よりも約10度低い平均5度だったが、人類の技術で調整可能な範囲だ。
惑星の質量は地球の約4.1倍で、重力は地球の約1.1倍になるが、人間の活動には全く支障を来さない。
すなわちヘルメス星系には、地球の3倍もの表面積を持つ、豊かな惑星が存在したのである。
ディーテ独立戦争時の太陽系人口は400億人だったが、技術発展も含めれば、ヘルメス星系には3倍の1200億人よりも多くの人が住める。
表面積が3倍の惑星であるならば、大気の層も相応に厚くて、居住空間には面積だけでは無くて高さも相応に得られる。
面積は約3倍の土地は縦と横の長さが1.75倍になるが、高さも1.75倍であるならば、体積は5.3倍だ。
地球で400億人ならば、地上だけでも5倍の2000億人は居住可能だ。そしてディーテ王国は、地下空間も活用している。
故に移民先として選ばれ、テラフォーミングが行われてきた。
星系内では、建材となる星系内資源が集められ、都市建造施設群と太陽光発電装置が建設されて、惑星にある大陸の地下には貯水槽と浄水槽が造られている。
対するマカオン星系は、人類にとっては標準型であるK型主系列星だ。
天の川銀河には、太陽と同じG型主系列星に比べて、K型主系列星は3倍から4倍も多く存在する。そのため移民され易いが、G型よりもハビタブルゾーンが恒星に近いK型星系は、惑星の自転が遅くなりがちだ。
マカオン星系の居住惑星ロドスは、地球と同等の大きさと、98%の重力を持っているが、一昼夜は78時間もある。
1日が78時間の場合、26時間が3回のサイクルに区切るにしても、活動時間帯に外が真っ暗の時間帯が発生するので暮らし難い。
だが人類の技術は、未だ惑星自転を自在に変えるには及ばない。
マカオン星系の人口が46億人で増え難い理由の1つが、好ましからざる惑星環境に伴う、王国民の自発的な人口抑制である。
「つまりマカオン星系に領域を作るのでは無く、ヘルメス星系に領域を作って、マカオン星系民を全員移住させてしまおうという事か」
「はい、その方が国益に資すると思います」
クラウディアの提案は、突拍子の無いものではなく、移民の予定を立てていて、既にテラフォーミングも終えている惑星に移民するという現実的な内容だ。
1200億人が暮らせる星系と、46億人が暮らしている星系とでは、どちらを選択するのが国益に資するのかは自明の理だ。
国益だけでは無く、王国民の利益にも資する。
自転速度や寒暖差などの自然環境が人間の居住に適しており、人工的に調整するためのエネルギーも極小で済む。
人間が増えて瘴気が溜まれば、領域化するアルフリーダにとっても供給されるエネルギーが増える。そうなれば、いつか精霊帝に届く日が来るかも知れない。遥か未来の王国は、精霊結晶の供給元が増える可能性がある。
「新星系には、マカオン星系よりも大量の資源があって、戦時に必要な物資を確保する観点からも有意ね」
提案を聞いたコレットが、客観的な数字を評価した。
それに数字だけでは無く、ヘルメス星系の開発主体も、移民者の最大多数も、最短距離にあるマカオン星系だった。マカオン星系民には、ヘルメス星系を開発した分だけ愛着もあり、一定数の移民予定すらあった。
ヴァルフレートがマカオン星系のオルネラス侯爵家から妻を選んだ理由には、マカオン星系から支援を受ける目的が確実にあったはずだ。
大胆な提案を行ったクラウディアは、実現可能性についても語った。
「繋いだ転移門から都市建造施設群を送り込んで、マカオン星系の全都市を5割増しで再現しては如何でしょうか。コミュニティが変わらず、新居と最新のインフラを無償で得られて、戦争と国防の大義名分もあるのであれば……」
強大な指導者が大義名分を以て推し進めれば、実現出来るだろう。
ユーナと視線が合ったハルトは、瞳と表情の変化から、実行の意志を以心伝心で受け取った。