99話 顔合わせ会
ディーテ王国には、2つの最高意志決定機関がある。
それは「御前会議」と「諸侯会議」で、前者が国家方針を決定するのに対して、後者は星系方針を決定させるものとなる。
王国が多数の星系に進出した当初の目的は、連合にディーテ星系を壊滅させられた際、他星系で王国民が生き存えるためのリスク分散だった。
従って、各星系が王国の方針を踏まえた上で、自星系の安全確保を図るべく独自行動する事は、容認されて然るべきである。
他の星系を破壊されれば、自星系も危機に陥ると想像できるために、結果として共働していた次第である。
それらを過去のものとしたのは、精霊王の領域化と転移門の発生後だ。
『恒星系から1光日以内は、敵艦がワープ不可能。時速3億キロメートルの高速で侵攻されても、居住惑星までの到達時間は最短で86時間』
『居住惑星上から転移門までの移動時間、サラマンダーで僅か3時間未満』
精霊王に領域化された王国星系は、敵が居住惑星に辿り着くよりも早く、転移門を用いて他星系に住民を逃がせるようになった。
星系を転移門で繋げてしまえば、リスク分散など考えなくても良い。
結果として諸侯会議は、各星系の方針を決定する従来の形から、国家方針を決定する御前会議と同一の形に変化した。だからこそ、性質の似通った御前会議と諸侯会議は、同時開催する事も可能となった。
但し、両会議の参加資格者には、錚々たる顔触れが揃う。
御前会議は、女王、王子2名、首相、尚書15名、首星配属となっている大将以上の上級将官、爵貴院議長と国民院議長。
諸侯会議は、領地を持つ伯爵以上の上級貴族と指名済みの後継者。
1人1人が、僅か1秒で王国民1人の人生を左右するメンバーばかりであり、それらを一堂に会させて行う会議は、余程の重大事でなければならない。
半年前にハルトが開催させた時は、太陽系を占拠したハルトが方針を転換して、大泉と本陽に急速侵攻する決定を伝えて、王国軍と諸侯軍を大規模に動員した。政府首脳部と諸侯を勢揃いさせて、緊急開催する必然性があった。
アマカワ侯爵の別邸である天空の城にて、ハルトから第2回目となる両会議の同時開催が要請された際、ユーナは余程の重大事なのだと身構えた。
「今って、それほど切羽詰まった情勢では無かったよね」
ユーナに問われたハルトは、現状を振り返った。
王国は、マカオン星系と太陽系を除く7星系を領域化しており、ハルトの知り得る限り安全は確立されている。
アポロン星域会戦で多数の軍艦を失った天華は、残存艦艇が巡洋艦換算で十数万隻程度であり、戦力的にはイスラフェル300万艇程度となる。
天華がマカオン星系を陥落させるためには、マカオン星系を邪霊王の領域と化した上で、軍艦ではなく戦闘艇を大規模に投入しなければならない。
天華とヘラクレス星系が繋がってから、約4ヵ月から5ヵ月が経った。
億単位の天華人民が、戦闘艇を飛ばして砲撃するくらいは出来るようになっただろう。もっとも、その程度の技量では、大型艦から一方的に撃ち落されるだけの的にしかならない。未だ天華は、戦闘艇操縦者を実戦投入出来ないはずである。
現状で切羽詰まっているとは言い難い、と、ハルトは判断した。ユーナの戴冠以降では、最大級に良い情勢だろう。
何しろ同じ王都内とはいえ、女王のユーナが王城ではなく、天空の城のバルコニーで寛げている。
程よく遮光された日差しと共に、地中海の潮風が流れ込んでくる。
政府職員は、天空の城への立ち入りを禁じられているため、ユーナとハルトが過ごす時間を邪魔する無粋な人間は存在しない。
穏やかに過ぎていく時間は、ユーナから忙しい日常を一時だけ忘却させていた。
「そうだな。切羽詰まった情勢では無いな」
ハルトの断言は、ユーナを深く安堵させた。
精霊と邪霊が飛び交う現代の戦場において、それら事象に理解が及ぶ人物は、王国側にはハルトしかいない。従ってハルトが安全だと言えば安全で、危ういと言えば危ういと判断せざるを得ないのである。
国家の最高権力者ではない人物が精霊結晶を一手に握る状況に関して、女王としてのユーナは、国家の管理体制としては好ましくないと考える。
だがハルトが有する力は、女王の権力を支える最大の後ろ盾でもある。諸侯を従えて国家を導かなければならない現状では、決して手放せないものだとも理解していた。
「それなら切羽詰まっていない情勢で、わたしの元帥さんは、会議を開いて何をしたいのかな」
多少の冗談を混ぜて尋ねたユーナに、ハルトは同等以上の成分を混ぜて応じた。
「とりあえず、そこで寝転んでいる猫2匹を昇格させたいから、協力しろと諸侯に命じたいかな」
ハルトが指差したバルコニーの片隅に、ユーナが視線を伸ばす。
そこには白猫と黒猫が、2匹で仲良く寝そべっていた。
紫の瞳をした白猫は、左の前脚で黒猫の胴体を抱えるように寝転んでいる。
黒猫は特に反応を示さず、白猫に好きにさせながら、目を瞑っていた。
2匹に全く気付かなかったユーナは驚いたが、瞬時に精霊を想像して落ち着きを取り戻すと、気を取り直して尋ねた。
「可愛い猫さん達だね。どこから貰って来たのかな」
ユーナやフィリーネに猫耳を付けさせたハルトは、ユーナ達から重度の猫好きだと認識されている。
慈愛に満ちた表情を向けられたハルトは、自己弁護の必要性を痛感した。
「その2匹は、アポロン星系で精霊帝ミラから貰ってきた精霊達だ。猫の姿は、俺が指示した訳では無い」
指示は出して居ないが、影響が無かったとも言えない。
子育てを行う人間や動物は、育てられる側の子供が、親の愛着が湧き易い姿や声をしている。そして親は、子供の姿や声に養育する本能を刺激される。
ハルトを父親扱いする精霊2体が、ハルトの愛着が湧きやすい猫の姿を模した事について、無実ではあっても無関係とは強弁できなかった。
「それと比較に出して申し訳ないが、そいつらはユーナと契約している上級精霊シャロンよりも強いから、侮らない方が良いぞ」
露骨に話題を逸らしたハルトだったが、話の内容は到底無視できるものでは無かった。
説明を受けたユーナは、驚きながら白猫と黒猫の2匹を見つめた後、自身の精霊シャロンを喚び出して、真偽の程を確認した。
「この猫さん達、本当にシャロンよりも強いの?」
『力の差は、太陽と木星くらいです。勿論、この身が木星です』
太陽と木星で喩えたシャロンに、ユーナのみならずハルトも首を傾げた。
2つの星は、大きさでは10倍、質量では1000倍の差がある。どちらを基準にしたのかは不明瞭だったが、勝負にならない差がある事だけは伝わった。
「ルル、マヤ、猫ではない姿に戻ってくれ」
ハルトが指示すると、白猫と黒猫は光り輝き、青服を着た白髪の少女と、黒髪のゴスロリ少女へと変じた。
『はじめましてですね。パパの契約精霊のルルです。前の契約精霊であったママから知識を継承しているので、引き継ぎをした新精霊とお見知りおき下さいね。御用があれば、シャロンを経由で取り次ぎますよ』
「……あ、うん」
自己紹介を受けたユーナは、戴冠以来、久方ぶりに呆気に取られていた。
ルルは会釈しながら自己紹介したが、紫の瞳は小動物を観察する猫のような眼差しで、あまり親密になりたがる意志は見受けられなかった。
高次元生命体で、契約者も定まっているルルにとって、契約者ではないユーナは親密になる対象では無いのだろう。
正式な精霊王への昇格の過程において、契約者であるハルトにとって都合の良いように協力を得る相手であるので、挨拶を交わしたに過ぎないのかもしれない。
ハルトがそのように認識したところ、ルルが言葉を継ぎ足した。
『パパの最初の娘はルルなので、その点をぜひぜひ、よろしくお願いしますね』
「はあっ!?」
右手の人差し指をピンと立てて、自分こそが1番だと主張したルルの挑戦的な言葉に、ユーナが即座に不満の声を上げた。
甲高い声がバルコニーを走り抜けて、静電気のようにハルトの全身を震わせる。
ルルがユーナに向けていた眼差しは、高次元生命体から低次元生命体への観察などではなく、相手を見定める女同士の争いの一端であったらしい。
女同士の争いに男が割って入ると、ろくなことにならない。それを本能的に察知したハルトは、口を出すべきか判断に迷った。
「ハルト君、どういう事っ!」
怒りの炎は一瞬で飛び火して、ハルトの思慮は灰燼に帰した。
「新たな精霊を生み出す時に、基になる魔力特性として俺を利用しただけだ。ミラと俺は契約しているから、魔力的な繋がりがあるんだ」
やましい事はしていませんと弁明するハルトに、そのような疑いは持っていなかったユーナの怒りは、全く収まらなかった。
「そうじゃなくて、なんでパパ呼ばわりなの。ハルト君は、娘って認めているの!?」
「いや、だから、遺伝子的な娘ではなくてだな……」
ユーナを落ち着かせる場当たり的な言い訳であれば、焦るハルトの脳裏にも思い浮かぶ。
近所に仲の良い年下の女の子が居たとして、その子から「お兄ちゃん」と呼ばれても、実の兄にはならない。そのような説明をしても、ユーナの怒りの火に油を注ぐだけだろうが。
結局のところユーナの怒りの大元は、天華が王国に宣戦布告していなければ、3年前にはハルトと結婚して、今頃は自分の子供がハルトにパパと言っていたはずなのに……という現状に向けられたものだ。
王国民であれば、大抵はユーナの心情に慮る。
僅か20歳にして、数百億人を擁する国家の存亡を背負わされた女王の宸襟を騒がすのは、自らの首を絞めるが如き愚行だからだ。元侯爵2名が自裁に追い込まれて以降、その様な愚か者の姿は殆ど見なくなった。
王国民どころか、人間ですらないルルにとっては、全く関係の無い話であるが。
生成エネルギーと、魔力特性の継承で生まれたルルは、ハルトが父親で、ミラが母親という解釈が成り立つ。
ルルが誕生する過程を目にしたハルトは、肉体を持たない精霊にとっては、魔力特性こそが遺伝子代わりなのだろうと認識した。
自分のルーツを主張するルルに対して、それが間違いだとは思えないハルトは、「俺はお前のパパじゃない」という否定の言葉は出せなかった。
「これって浮気になるのかな。法務尚書を呼んで確認すべきかな」
「止めろ。女王が呼び付けたら、絶対に忖度される」
笑顔で尋ねたユーナに、ハルトは断固反対した。
ディーテ王国民は、不当な圧力に対しては戦う民族性を持つ。
だが婚約している男女のうち女の側が、「男に娘を名乗る者が現われて、男が否定しないから浮気だ」と主張して、同意を求めて来たならば、第三者が刺し違えてまで抗いはしない。
ハルトが無関係な法務尚書の立場であれば、次のように述べるだろう。
『新しい形の浮気だと解せます。前例は御座いませんので、どのような罰を以てするかは、女王陛下にご裁下頂きたく存じます』
要するに「浮気の解釈で良いから、当事者同士で解決しろ」と、慇懃無礼に返す訳だ。
結局のところ二人の話し合いに戻される訳だが、法務尚書が浮気と認めたという根拠を増やしたユーナは、さらにハルトを責めるだろう。
思わず溜息を吐いたハルトは、ユーナを嗜めた。
「安易に伝家の宝刀を抜くな。ルルは上級精霊で、新たな精霊王の候補だ。火星を使って昇格させて、アルフリーダの方でマカオン星系に領域を増やす。もう1体、妹のマヤも居る。マヤ、自己紹介してくれるか」
話を強引に打ち切ったハルトは、置いてけぼりになっていたマヤをユーナに紹介した。
マカオン星系を領域化させると聞いたユーナが女王の立場で自重し、妹の紹介だと聞いたルルも素直に引き下がって、騒動は一旦収まった。
静かに様子を窺っていたマヤは、こくりと小さく頷いて、右手を軽く胸元に向けながら名乗りを上げた。
『ハルトお父様の次女、マヤです』
こめかみに青筋を浮かべたユーナが、ハルトに向かって微笑んだ。