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cafe-stella snuggle-  作者: せき
3/3

夏みかんとコルヴス

俺、犬塚冬彦が住んでいる星空商店街は、他の商店街と比べると朝が早い。

朝が早い、というのは開店時間が早いという意味なのだが、これにはちょっとした理由がある。オーナーが大の星好きだからと付けられたこの商店街の近くに、天体観測をするには最適な星海ほしうみ公園という場所がある。坂を登った高地にあるため空が近く、加えて高い建物で視界を遮られることがない。星の海が見られる、という意味でその名が付けられたほどに、満天の星星を観賞出来るのだ。星海公園では根っからの天体好きやカップル、寝付けずフラッと立ち寄った人が朝方近くまで星たちを眺めている。夜が明け自宅へ帰る人々がもし、星に囲まれた場所で星たちを思い出すことが出来る場所があれば最高なのではないか。そう考えたオーナーが星空商店街に店を構える全店舗へ『星を愛した人々が余韻を残せる場所を提供すること』という指示を出したことが、星空商店街の朝が早い理由である。

そしてそれは俺の店『カフェ-ステラスナグル-』も例外ではない。


早朝8時。いつものように開店準備を済ませた俺は、ドアプレートを『open』にするため表へ出ようとドアノブに手をかけた。と同時にスっと黒い影がドアの前に立ちはだかった。あまりにも突然の影にビクッと肩が跳ねる。しかし俺の頭はすぐに冷静さを取り戻した。影の正体は恐らく客だろう。開店直後に訪れる客は珍しくない。俺は気を取り直してドアノブを回し表へ出る。

影の正体は随分小柄な若い女性だった。レンズの厚い大きな丸い眼鏡の奥の大きな瞳が見開いて、俺を見上げていた。太陽の光を反射した髪と同じ瞳と視線が合わさる。この客は。反射的に小さくお辞儀した女性に俺はにこりと微笑み「いらっしゃいませ」と声をかけ店内のカウンター席へ案内した。


この店の唯一の従業員であるリゲルはまだ来ていなかった。カウンター席に座る客の話し相手として雇っている彼が今この場に居ないのは少々、いやかなり問題だ。彼の出勤時間は決めていないのだが、開店直前から1時間の間には大体出勤してくる。彼が来るまで場を持たせなければいけないな、と俺は短く息を吐いた。


「あの…開店前に来てしまってすみません」


何を話そうかと思案していた俺に、女性がおずおずと声をかけた。


「いえ、8時開店ですので大丈夫ですよ」

「8時…他のお店も随分早い時間に開いてましたね。お陰で私は助かったんですが」


女性は恥ずかしそうに指先を弄りながら笑った。そしてふと思い出したように自分の周りをキョロキョロと見渡した。


「あの、何か注文したいのですがメニューはどちらに?」

「メニューはありません。注文したいものをお作りしますよ」


相も変わらず笑顔で話す俺の言葉に、女性は来た時と同様大きく目を見開いた。しかしすぐに右手を自分の顎に乗せ、何を頼もうかと考えるように眉間に皺を寄せる。コロコロと表情が変わる忙しない女性だな、と俺は思った。派手な見た目ではないが、それが愛嬌という形で魅力を引き出しているようにも思えた。


「そういえば先ほど助かったと仰りましたが、もしかして星海公園の方に?」


俺は何気なくそう声をかける。うーんと唸っていた女性は俺の言葉にバッと顔を上げ、嬉しそうに瞳を輝かせた。


「はい!夜の12時からいたんですけど、ずっと星を眺めていたらいつの間にか朝になってて」

「えぇ、あの公園は星が綺麗に見えますからね」

「そうなんです!全然飽きなくて、気付いたら夜が明けてるなんて自分でもビックリするくらい夢中になってました」


女性は星を思い出しているのか、うっとりとした表情をしながら楽しそうにそう語った。と、その時、裏口のドアが鈍い音を立てながら開く音が聞こえた。俺はチラと時計を確認する。8時16分。見慣れた白い髪の男性が顔を見せた。


「やぁマスター、おはよう」

「あぁ、おはよう。リゲル」


柔らかい表情と声音で店に入ってきたリゲルに俺は短く返事をする。リゲルは勝手口横にかけてある腰エプロンを付けながら俺と女性に視線を動かした。女性はリゲルの声で反射的に言葉を切り、リゲルを不思議そうな表情で見つめている。2人の視線が交わったのだろう。リゲルは勝手口前に置いてある椅子を女性の前に持ってくると、ゆっくりと腰を下ろした。リゲルは仕事をする時以外、基本的に元の場所から動くことはない。カウンターを挟んで女性とリゲルはお互いが正面にいる形となった。


「いらっしゃい。随分と嬉しそうな顔をしているね」

「やだ、分かりますか?」


不思議そうな表情をしていた女性は、リゲルの言葉に少しだけ頬を赤くしながら恥ずかしそうにその表情を変えた。


「うん、分かるよ。いい事が見つかったって、そういう顔をしている」

「はい。実は…」


女性はつい先ほどと同じように、うっとりと目を細めながらゆっくりと語り出した。


***


私、とってもとっても飽き性な人間なんです。好きだと思ったものも、数時間後には何で好きだったんだろう?と疑問を浮かべるほど、何か1つのものに固執出来ませんでした。昔、好きだった男の子と付き合ったんですが、結局は別れてしまいました。当時はすごく辛いと思ってそれから学校にも行けなくなってしまったんですが、結果的に自分を信じてくれなかった人を私がずっと好きでいる必要は無いと、今はそう思っています。だからもう辛くはありません。でも、恐らくその出来事が、私を飽き性にさせた原因なのかなと少しだけ虚しく感じる時もあります。多分、好きになったそれが真実だと認めるのが怖いんです。もし裏切られたら。そう思うと、物でも、人でも、私は何かに執着するほどずっと好きでいることができませんでした。


星海公園に行こうと思ったのは、ただの気まぐれでした。何気なく付けたテレビ番組で星占いをやっていて、昨日の運勢が「天体観測をすると良い」だったんです。いつもの私なら特に興味を示すことも無く、外出する事は無かったと思います。自分に何が起きたのかよく分からないのですが、とにかく昨日の私は、天体観測をしてみようと星海公園に行きました。まさか、飽き性である私が何時間も同じものを見続けることが出来るなんて思いませんでしたが、きっと、これは神様がくれたチャンスなんですね。


先ほど、辛い経験から私が飽き性になったのかもしれない、とお話しましたが、実はそうではないと分かっているんです。私はあの時、嘘をつきました。あの時、というのは、辛い別れをした中学時代の彼氏との思い出で。その当時、私には憧れている女の子がいました。私の彼氏とも仲が良く…いえ、クラスの、学年の誰とでも仲がいい、そんな女の子でした。栗色の真っ直ぐな髪の毛が艶やかで、とても綺麗に笑うその子は多分、彼氏のことが好きだったんだと思います。何か言いたげに口を開いては、何を言っていいのか分からず口をパクパクさせてそのまま閉じてしまうという光景を何度も見かけました。私が彼氏と付き合う前、彼氏も彼女のことが好きでした。部活中、彼が下校する彼女を目で追っている姿を何度も見かけました。そんな中、私は彼女への憧れから自分の心を拗らせてしまったんです。彼女の好きな男の子と付き合えば、彼女は私ともっと話してくれるようになるんじゃないか。そう考えたんです。馬鹿、ですよね。分かってます。痛いくらいに。そう、だから私は彼氏にこう言ったんです。


「私と付き合ってくれたら、志穂はもっと君の事を気にかけてくれるよ」


嘘をつきました。自分にも、彼氏にも、そして志穂にも。あ、志穂というのは彼女の仮の名前とでも思ってください。とにかく、私の言葉に頷いた彼氏はその瞬間から、私の彼氏になりました。付き合った当初は志穂の事と彼氏の事、二人の共通する好きなものや趣味を探すように様々な話をしました。私は志穂のことがたくさん知ることが出来て嬉しかったし、彼も自分の事を楽しそうに話していたので私はそれを聞くのもとても楽しめました。ですがいつの日からか、根も葉もない噂が校内を駆け巡るようになっていました。私が浮気をしている。そんな事を囁かれるようになったんです。私はもちろん浮気なんてしませんし、そもそも彼氏を彼女と仲良くなるための材料か何かだと思っていた私には、他の男性と付き合うメリットがありません。しかし噂はエスカレートしていきます。遂にはその噂が彼氏の耳に届き、怒った彼氏は私の話に聞く耳を持たずそのまま別れることになりました。この一連の出来事は、学校という狭い社会で生きていくにはあまりにも辛い出来事でした。でも、私が辛いと感じたのは、有りもしない噂を鵜呑みした彼氏や女子生徒に苛められたことではありません。

彼氏はいつの間にか、彼女ではなく私を好きになっていたこと。彼氏と付き合えば彼女と仲良くなれると思っていた自分に対する、彼女からの報復。その事実が、何よりも辛かったんです。好きだと信じていた気持ちが裏切られたように感じたんです。

そして怖くなり、私は好きになっても長続きしない、そんな人間になってしまいました。


だからこそ、こんな私がずっと星を見ていられた、そのことが何よりも嬉しくて嬉しくて、嘘をついた私に神様が赦してくださったチャンスなんじゃないか、そう思うんです。


***


女性はまるで演劇の台本を読んでいるかのようにコロコロと表情を変えながら、しかし客というよりも自分に言い聞かせているような、演技になりきれない演技で終始語っていた。語り終えた最後の語尾は一番小さく、そうあって欲しいという僅かな願いが込められているようにも感じられた。対照的に、リゲルはずっと柔らかく目を細めながら聞いていた。崩れることがないその微笑みは、どんなモノでも優しく包み込むような、絶対的な安心感があることを俺は知っている。そんなリゲルが、ゆっくりと口を開いた。


「うん。君の言う通り、これはチャンスだね。でも一つだけ、勘違いしていることがある」

「え?」

「それは神様が作ったものではないということ。君のチャンスは、今がその瞬間だと、君自身が作り出したものさ」


ゆったりと流れるリゲルの言葉に女性は小首を傾げた。その反応は訝しむものではなく、素直な疑問を顕にしている。


「踏み切れない気持ちを、無理に刈り取る必要はどこにもない。焦る必要もない。それを君は、無意識の中でもちゃんと理解していたんだね」


まるで絵本を読み聞かせるように優しく紡がれるリゲルの言葉に、女性は小刻みに震える体を隠すようにグッと背筋を伸ばした。


「そして昨日の君が、収穫時だと自分で判断し、チャンスを作ったんだ。君の気持ちは君だけにしか分からないのだからね。あぁ、収穫時といえば」


マスター?とリゲルは言葉を繋ぎ俺の方へ振り返った。俺は「ん?」と聞き返しながらも女性を見つめる。顔を伏せ、ピンと張った体はやはり小さく震えていた。


「今は夏みかんが食べ頃だったかな」


リゲルの言葉は問いかけているというよりも、確認に近いニュアンスだった。俺は小さく頷く。と、女性は大きな丸い眼鏡を外し、目元を指先で拭いながら俺とリゲルに視線を合わせた。


「まだ夏じゃないですけど、食べ頃なんですか?」


純粋な疑問だった。この女性の愛嬌は、表情と一緒に感情豊かなところも魅力の一つなのだろうと俺は静かに思う。


「ふふ、夏みかんは初夏が食べ頃だからそう名付けられたんだよ」


そう、初夏とは6月よりも前。一般的に夏と言われる時期よりも少し早いのだ。今日は5月24日。ちょうどいい時期だろう。女性は「そうなんですか」と驚いたように眼鏡と同じくらい大きな瞳を瞬かせた。俺は女性に微笑みかけ、冷凍庫へと足を運ぶ。昨日入荷したばかりの夏みかんを果汁にして冷凍させていた事を思い出し、同じくそのまま冷やしていた夏みかんと一緒に冷凍庫から取り出した。それを持ちながら厨房へ移動し、まな板と包丁も取り出す。と、背後から女性が眼鏡をかける音と話し出す音が重なった。


「それにしても、ずっと後悔していた事が収穫時だなんて、なんだか変な感じですね」

「偶然が幾重にも重なると人はそれを必然だと思い込んでしまうけど、必然というのは全て自分が作り出したことの結果なのさ」


女性とリゲルの話し声を聞きながら、俺は冷やした夏みかんのヘタを右にして半分に切る。ザクリ、と氷が砕ける音と共に、向日葵のような形をした中身が顔を出した。


「私が今日、この店に立ち寄ったのも必然っていう事ですね!なんだか運命を感じちゃいます」


ヘタが付いていないほうの中身を切り出していると、俺は背に視線を感じた。半分ほど後ろへ顔を向けると、その視線の正体だったのか女性と目が合った。照れたように笑っている。俺は目だけ細めると、再度正面へ顔を戻した。殆ど凍っている果汁をタッパからスプーンで掬い、くり抜いた部分へ詰め込む。ザクザクと音を立てながら、しかし凍った果汁を潰してしまわないよう、慎重に。


「この街に住んでて、この商店街にもよく来ているはずなのにどうして今まで、こんな素敵なお店に気づかなかったのか不思議なくらい」

「見ている目線が違っただけさ。一度目に付いてしまえばあとは簡単だよ。そうだ、君に一ついいことを教えてあげる」


俺はチラと時間を確認しながら、球体を形作ったそれを少しだけ凹んでいる丸皿にそっと乗せた。8時50分。仕上げに小さなミントの葉を球体の頂点に刺す。カチリ。何処かで音が鳴った。


他のミカン類と同様に晩秋に黄色く色づく夏みかんだが、その時点では酸味が強すぎて食べることは出来ない。冬に収穫し貯蔵して酸を抜く方法があるが、俺が入荷した夏みかんは、春先から初夏まで木成りで完熟させて酸を抜いたものだ。前者よりも女性に合っているだろう。


そういえば先ほど中学時代に憧れていた女の子がいたと女性は言っていたが、どこかで聞いたような気がする。さて、いつの出来事だったか。そう思った俺は、一際目を引く星座を見つける。天体で一番大きいとされるヒドラだ。しかしその傍にアンテナの形をした珍しい銀河が目に入る。その中には1羽の烏がいた。そうか、ヒドラに憧れた女性は、その背に乗っているコルヴスだったのか。主であるアポロンに嘘をついた使い烏の神話を思い出した。しかし悪いことばかりではない。2つの銀河が衝突して、星星が触覚のように伸びた形のアンテナ銀河と呼ばれる珍しい天体の中にいるコルヴス。彼女もまた、珍しいものの1つ。ヒドラの背に乗っていても、彼女はたった1羽のコルヴスなのだ。


カチリ。遠くで音が鳴った。氷を纏う夏みかんの果実が、キラキラと輝いている。


「頭をあまり上げなくても見える、四辺形の星座があるんだけど、一度覚えてしまえば必ず目に付く星の並びをしているから探してみるといいよ。この店のように、知らない時には気づかれないものだけどね」


リゲルは小さく笑いながらそう言い終える。俺は冷えた夏みかんが乗った皿を女性の前にコトっと置いた。


「どうぞ、夏みかんのシャーベットです」


そう、付け加えて。女性はやはり嬉しそうな顔で「ありがとうございます」と言うと、スプーンで1口シャーベットを頬張った。俺とリゲルはその様子を笑顔で見つめる。すると女性はふと思い出したように、シャーベットから顔を上げリゲルを見上げた。


「そういえば、その星座ってなんていう名前なんですか?」


リゲルは歌うように、言葉を繋ぐ。


「コルヴス、からす座という星座だよ」


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