八話 もう後戻りはできない
少しだけ長くなってしまいました。ご了承下さい。
俺は、時雨の友達になれたのだろうか?友達とは、もっと簡単でわかりやすいものだと思っていた。
時雨の持つ友達の概念は、おおよそ一般的なそれとは根本から違う。
重い。重い。重い。重い。重い。重い。
あぁ、俺がこれ程までに苦しんでいるのだから、時雨は比べ物にならないくらいの苦労と苦悩と苦難、ひいては努力を惜しみなく重ねてきたのだろう。
時雨と俺がどれだけ隔絶された世界に生きてきたのか、それを今から知る。知ってしまう。まざまざと。
「あんまり身構えなくていいよ。そんなに長くはならないからさ。」
そういって時雨は目を閉じた。辛い記憶をなぞり呼び起こす。それはかなり残酷だ。ならば俺は、その全てを受け止めてみせる。なんでもしてやりたいと思ったんだ。これは義務だと、役目だと、天命だと。
「知っての通り、小さな頃から病室っていう小さな世界しか知らなくてね。もちろん、病気のせいで。物心ついた時にはもう目の前には白と、そして死が付きまとっていた。」
まだ彼女の番だが、自らが過去に浸っているのか、手は止まっている。
「時間は山のようにあったからさ、たくさん本を読んで、たくさん勉強をしたんだ。人と話すことはほとんど無いからか、私の全ては本の中にしか無いんだ。」
勉強なんて嫌いだ。俺は、自由でありながら余りある時間を簡単に棒にふる。
「言い方は悪いけれど親の稼ぎは良くてね、十分な治療は受けさせてもらえた。まぁ、仕事仕事で話なんてほとんどできなかったから、何の仕事をしてるかはわからないんだ。けれど、感謝はもちろんしている。」
金、金、金。遊ぶこと以外に使った記憶はほとんど無い。ありがたみを知らない。
「確かに、触れ合う機会もろくになければ、交わした言葉も大して無い。だけど、両親が惜しみなく愛を注いでくれていることを理解しているよ。忙しいのも、私のためだものね。」
愛。親からの愛。意識したことなく、そこにある幸せも待遇も全てが当然であると。
「けれどもね、死の恐怖がすぐそばで笑ってるんだ。もちろん、生きとし生けるものすべての行き着く先は死だ。私のそれは人よりも早い、かなりね。それだけの話だと飲み込んだのは六歳くらいの時だったかな。」
もう何も言うまい。言えない。言うことができない。
「どんな手を尽くしても病状が良くなる兆しなんてなかったんだ。だからもう受け入れた。そして考えたんだ。愛も、金も、知識も、死も、何もかもで満たされた私が最後に欲しいものを。」
時雨はすっと目を開くと、右腕を持ち上げ聖に向かって人差し指を向けた。黙ったまま、少し微笑んで。
全てが満たされたかのように見える時雨にも、欠けた何かがあるのなら、それが俺でもいいのだろうか?
できないなんて言わない。絶対に言ってはならない。こんな何も無い少年を求める少女を、どうして無下にできるんだ。
でも、それを表現できない。頭の悪い自分には、正解がわからない。喉が渇き、ごくっと唾を飲む。キュッと胸の締まる音がして、ようやく言葉を絞り出す。
「ま、まだ君の番だ。早くめくってくれ。」
「...いや、もう終わりだよ。」
時雨が迷いなくトランプに手を伸ばす。息つく暇もなく疾風の如くカードを裏返していく時雨に、俺はただ、ポカンと眺めているだけだった。
「今日は少し早いが、もう終わろう。話しすぎて疲れちゃったよ。もう部屋に帰るとしよう。明日は君の話を聞かせてくれ。」
車椅子を巧みに操り、逃げるかのように聖の病室を後にした。
「トランプ...時雨のじゃねーか。」
全て綺麗に組み合わせられたトランプを見て、たった一人つぶやいた。
二日目はもう少し続きます。