十七話 初めてほど楽しめることが他にあるだろうか
川へやってきました。
「着いたぞ時雨。」
「これが川なるものか。」
病院を出発してものの数分、施設の裏手にある地元でも綺麗と評判の小川へやってきた。
早く時雨に川を見せてやりたくて、けれどもゆっくり丁寧に、車椅子を押してきた。時雨の隣には何があってもすぐ対応できるように若葉さんが付き添ってくれている。
「とりあえずもう少し近づいてみようか。」
「そうだね、それがいい。ゆっくりで構わないからね。」
そっと、そーっと、川岸へと歩を進める。小さな石ころにさえ細心の注意を払った。時雨が落ちないように。時雨が怪我しないように。時雨が不快に思わないように。時雨が、時雨が、時雨が。
距離の割にはかなりの時間をかけた。危なっかしい俺の手つきに何度か若葉さんが代わろうかと言ってきてくれたが、お願いしてなんとかサポートに留まってくれた。どうしても俺の手でやり遂げたかった。
「綺麗だなぁ...。」
「入ってみるか?」
「できるのかい!?」
「どうですか若葉さん?」
「まぁ、足をつけるくらいなら。」
せっかくの初体験が台無しになってはいけない。二人を待たせて一足先に川へ入った。足をつけても切ったりしないように、尖った石や危険そうなものがないかを入念に確かめる。
「それじゃあ時雨、入ってみようか。」
「行ってらっしゃいませ、時雨様。」
「若葉は来ないのかい?」
「若葉はここで見ていますから、どうぞ心ゆくまでお二人だけで...。」
そう言って笑う若葉さんはまるで母親とも、愛する人奪われた恋人ともとれるそんな複雑な顔をしていた。
ありがとうございます、と心の中で呟いた。
「痛かったら言ってくれ。」
「う、うん。」
なるべく車椅子を川へ寄せてから体を支え一気に川岸へ腰掛けさせた。
チャポン。
時雨の足が水面を揺らす音がした。
「冷たい!」
それでも気持ちよさそうに手で水をすくってまいた。
わずかにいた小魚たちがそれに驚き急いで逃げていくのが見えた。時雨もそれがおかしかったようで、二人して笑った。
筆者は蝉彼女において書きたかった話が三つありました。川の話と海の話とネタバレになるので言えませんがもう一つあります。正直この三つのために書き始めたと言っても過言でないほどです。とりあえずようやく一つ目を迎えられてとても嬉しいです。書いてて楽しめる回です。というわけで、川編次回へ続きます。