十三話 蝉の声は聞こえるのに
「もう入ってもいいよ。」
若葉さんに声をかけられたので病室に入る。時雨は新しい病院服に身を包み、腰ほどまであった黒髪を結っている。
「さぁ聖。今日はどんな思い出を残そうか。」
「そーだなぁ、先に言っとかなきゃならんことがあるんだが。」
「ふふ、何かな何かな?もしかして、ゲームで勝ち目がないからって先に言い訳しとくわけじゃないよね?」
「俺、今日で退院なんだわ。検査入院は三日間で初日合わせて今日で三日目。検査が終わったら即退院するんだ。だから明日からは...。」
その先を言おうとすると、時雨が突然口を挟んだせいで遮られる。
「そーかいそーかい、明日からは君に会えないんだね。そっかぁ...、今日が最後かぁ...。」
そんな顔でそんなことを言うなよ。今まで見たいに強がってくれよ。なんで死ぬのは受け入れられるのに、俺がいなくなるのは我慢できないんだよ。
そもそも、明日からは会えないだなんて誰も言っていない。
「バカ言え。友達に会いに来るのに理由はいらねーんだろ?だったら別に俺が時雨に会いにきたって構わないだろ。それとも、会いたくなんてなかったか?」
時雨は魂が抜けたように呆けた顔をしていた。それからだんだんとにやける様は少し気味が悪かったが。
「君こそ、こんな美少女と別れるのが少し寂しいんじゃないのかな?」
「寝言は寝て言え。若葉さんも構いませんよね?」
「私は時雨様が望んでいるのならば異論はありません。」
それからは、明日からのことを話した。会いに来るなら朝十時から。終わりは午後五時。余生を過ごすには短いのかもしれない。けれど俺は、これを時雨が死ぬまでの準備だなんて決して思うつもりはない。
明日も、明後日も、そのまた先もずっと、ずっと。
♢
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。家が近く荷物も少ないので迎えはなく帰りは徒歩だ。
たった三日間過ごしただけのはずの病院が少し名残惜しく思ったことは自分でも驚いた。
振り返ると病院の窓から時雨が嬉しそうにこちらへ手を振っていた。
「くそったれ。まさか俺がこんな気持ちになるだなんて思ってもみなかったよ。」
笑って手を振り返した。独り言なんて絶対聞こえない距離で、想いを吐露する。
「あぁ、寂しいな。」
明日も会えるのにこんなに辛い気持ちになるのはきっと、別れるのが悲しいってだけじゃない。何がって、生きたいはずの時雨からまだ生きたいってちゃんと聞いていないじゃないか。
「君が死ぬまでには必ず...。」
言った後に気付いた。まるで時雨が死ぬのは決まってるみたいだなって。だめだ、たとえ生きる可能性が万分の一だろうとも。
時雨が手術を受けるためこの地を去るまで、残り四日。その四日は時雨が最後に過ごせてよかったではなく、明日もこんな日を過ごしたいと思えるように。
帰り道、異様なまでに静かな夕暮れに、ただ蝉の声だけが響いていた。