十二話 ただただ闇の根は深く
「君ってば、引くほど平凡だね。」
「時雨に比べたらみんなそうなるだろ。」
語ることなどろくにない。けれど時雨は最後まで聞いた。聖が時雨にしたように、本気でそれを理解し受け入れた。
「ひどく、ひどく平凡だ。それでも私は、君が羨ましいよ。そんな平凡を私は望んだんだ。普通に勉強して、普通に遊んで。」
「でも大丈夫。残り数日、時雨と俺とで人生で一番平凡な日々を過ごそう。」
それが時雨にとって最も幸せだと言うのなら、俺は全力でその平凡のために時雨に尽くそう。なんたって、俺たちは友達なのだから。
固く手を繋いだんだ。互いの思いを確かめ合うよに。ギュッと時雨が握り返すことで確かに時雨の意思を感じた。
「そろそろいいですか?時雨様、お着替えの時間ですよ。汗をかいてそのままにしていると、風邪をひいてしまわれます。」
いつのまにか部屋の隅に若葉が立っていた。ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながらこちらを見ている。なんとなく、自然と手を離した。名残惜しいな、ふと思った。
若葉さんには言っておかなければならないことがある。若葉さんが背中を押してくれたから、今の俺があるのだから。
「若葉さん、俺決めましたから。もう迷いませんから。」
「ふふふ、良い目をしてるね。鳴き声はちゃーんと君に届いたみたいだね。」
「あれ?二人は面識があったのかい?それに鳴き声って?」
「さぁ?蝉かなんかじゃねーの?」
着替えを覗くわけにはいくまい。少しだけ早足で部屋を出た。とりあえず、時雨の着替えが終わるまで、部屋の外で待つとしよう。
♢
「時雨様、すごく嬉しそうですね。何か良いことでも?」
若葉は時雨の体をタオルで拭きながら尋ねた。理由なんて百も承知であるにもかかわらず、まるで何も知らないかのように。
「聖がね、私を受け入れてくれた。私は全て話したのに、それでも友達だと言ってくれた。」
「それは良うございましたね!」
その言葉は本心であって本心でない。長く側に居過ぎた弊害なのだろうか。いつのまにか互いの距離は決まり、それ以上縮むことも、また遠くなることもなかった。両親よりも濃い時間を共に過ごした自負はあった。
私はあなた様が望むのならば、友達にだってなってみせます。
そんな言葉が言えないまま、数年が経った。時雨様が友達を欲していることなど、とうの昔に気づいていた。喉まで出かかった言葉はいつのまにか飲み込まれた。私だって、あなた様のためならばなんだってできる、つもりだった。
言い訳に過ぎない。結果的に私はなれずに、彼はなれた。私にはきっと覚悟がなかったんだ。悔しくないわけない。それでも私は、今度こそ時雨様のためにも彼を支えよう。
いつのまにか手を止めてしまっていたようだ。
「若葉?どうかした?」
「いえいえ、申し訳ございません!」
「珍しいね、仕事の鬼な若葉がミスなんて。」
ああ、時雨様は彼にあって本当に変わられた。今までだったら体を拭くときも一切喋らず、まるで人形のように私に身を任せていたのに、今ではこんなに言葉を発するようになるなんて。
私の仕事もあと数日で終わる。どうか私にとっても幸せなこの日々が、永遠のものでありますように。
「あと数日、聖とたくさん遊んで、話して、思い出を作って、そしたらもう思い残すことなんて何もないよ。」
「そう...ですね。」
そんな事を言わないで欲しい。それすらも言えなくて。
手術が成功しさえすれば良いのだ。ただし、本人がそもそも希望を持っておらず、事実成功率は限りなく低い。
時雨は本音を語らない。嫌だと思っているのに。
時雨は本音を語らない。死にたくないと思っているのに。
時雨は本音を語らない。誰よりも生きたいと思っているのに。