四十の掟 闇の王は贄を欲する
「さて、じゃあ話を始めようかね」
ヤドリギの魔女の小屋に全員入ったところで、魔女ミストが口を開いた。
窓や入り口はアーシャによって塗り込められていたが、魔女ミストはこともあろうに屋根を『持ち上げ』て外側に結界を張ったあと、アーシャの作った結界を解除して全員を小屋の中に降ろした。
クロードとキャリーは疲れていたため飛行中に眠っていたので気が付かなかったが、唯一起きていたフィリップは思わず「でたらめすぎる……」とつぶやいてしまった。
その後、入り口も窓も元のように戻し、暖炉の周りに人数分のソファを配置して、魔女ミストは全員を座らせた。
ベッドにはまだ眠り続けるあきちゃんとマリオン。クロードは今は目を覚まして長椅子に体を預けている。キャリーも起きて居住まいを正した。魔女の横にはアーシャが、その反対側にフィリップが座った。
フィリップがひとまず今回のお礼を口にしかけた途端、ミストが手を振った。
「そーいうのは時間の無駄だからいいよ。皆がそれぞれの持ち場を守っただけさね」
「……分かりました。俺の方は王族の方々や王城に残っていた者を全員、マリオン殿下の塔から一番遠い広間に集め、守りに徹しておりました。魔女たちの攻撃で王城にも被害がありましたが、現在、宮廷付き魔術師にて修復を行っております」
フィリップが事務的に報告すると、では、とアーシャが手を上げた。
「わたしは、マリオン殿下のリップ痕を消したあと、おババ様が出ていってすぐこの小屋の守りを固めてました。魔女の方々が来ていたようですが、全てお帰りいただきました。マリオンは少しずつ元の体に戻りつつあります。しばらくはあきちゃんの魔力をお借りしなければなりませんが、もう心配はありません」
彼女もまた、事務的に報告を終える。
キャリーは二人を見たあと、魔女を見た。
「あの……何がどうなったんでしょう。あのあと……」
「覚えているところまでを話しておくれ」
「あの時、日が変わってすぐです。クロード様が暴れだして……両手両足をベッドに縛り付けるように言われてたんですけど、それを外そうと暴れてて。爪を伸ばして自分を傷つけようとしてたんです。暴れるクロード様を押さえつけてる時に頬に痛みが走って……そうしたら『贄は捧げられた』って声が聞こえて……」
キャリーは俯いたまま話を始めた。
「俺は眠ったままだったのか、その辺りの記憶がないんだ。気がついた時にはお師匠様が居た」
うつ伏せに寝転んだまま、申し訳なさそうにクロードは言葉を継いだ。
「そのあと、黒い霧に襲われて……寒くて眠ってしまったんです。そのあと、気がついたらミスト様がいらっしゃってて……次に気がついたら日が変わっていました」
「俺は外の様子を『目』で見ていた。お前たち二人がいたマリオン殿下の塔を中心に魔法陣が描かれ、周囲を無数の魔女たちが飛んでいたのを。それが、いきなり魔法陣が弾けて消え、周りにいた魔女たちもろとも吹き飛んだように見えた。衝撃波もすごくてな。塔が爆発したと思ったくらいだ。……物理的に爆発が起きたわけじゃないのは、塔もお前たちも城も無傷だったから分かっているんだが、広間に避難していた者たちは城が崩れると思ったようだ」
「ああ、あれは本当に見ものだったのう。……おそらく、闇の王は召喚間際まで来ていただろう。クロードの心臓を捧げていれば、本来の力の何十分の一かの闇の王は出現したやもしれぬ。じゃが、贄がキャリー殿の血になったことで、全てが霧散した」
魔女ミストは深く被ったフードの奥でくっくっと笑った。
「わたくしの血が……?」
「そう。闇の王の召喚に女の血が混じっちゃだめなのさ。人間は女から皆生まれる。でも魔女は木の又から生まれる。もちろん、闇の王もね。女から闇の王が生まれてはいけないという不文律があるんだよ。だから、贄として捧げられたキャリー殿の血が、一瞬であの魔法陣を崩壊させたのさ」
「そんなことが……」
「お師匠様……それを先に教えてくださっていればよかったのに……」
クロードの言葉にミストは肩をすくめた。
「銀の血だけは例外なんだよ。銀の血の器は性別にかかわらず闇の王の器になりうる。あの場にいたのがあきちゃんで、流れた血があきちゃんのものだったら、反応は逆になっていた。それにの、クロード」
魔女は弟子を睨みつけて続ける。
「お前に先にこの話をしていたら、お前はキャリー殿を囮に使おうとしたんじゃないかね?」
「そんなことは……」
「そもそもあたしゃ手伝うつもりはなかったからねえ。あたしも魔女の端くれだ。あんたたちに手を貸したことでまた肩身が狭くなる」
「それは……」
クロードは言葉を濁らせる。
「精神毒が入ってなきゃ、あたしが出ていくことはなかったんだけどねえ。……あんたが食らった精神毒はずいぶん根深く侵食してたからちょいと手こずった」
「……すみません」
「あの、それで……ミスト様。あの、わたくしがまとわりつかれた闇の霧は……」
「あれが召喚された闇の王の核、なんだろうねえ。お前さんの体に入ろうとしただろう? 背中には蝙蝠の羽も作ろうとしてた」
「……はい」
「あれは、贄として捧げられた血の持ち主であるキャリー殿に取り付こうとしてたんだよ。体の中に入ってきた感覚はなかったかい?」
「あり……ました」
キャリーはあの時の感覚を思い出して身震いし、両腕で体を掻き抱いた。
「闇の王としては顕現できなくなった。その原因となった血の持ち主に復讐しようとしたんだろう。普通なら、あんな濃い力の塊を体に取り込んで変容しない者はいない。だが、お前さんはすでに今の姿に『変容』している。おかげであれは何も出来なかった。わしはお前さんが気を失ったあと、体から闇の核を吸い出して封印しただけじゃ」
そういえば、気を失う前にそんな声を聞いたような気がする、と言うと、ミストはうなずいた。
「ああ、そういえば言っていたね。お前さんがあそこにいてくれたおかげで、全て事もなく終われたんだ。一番の功労者だよ。ありがとうよ、小さな魔術師殿」
「え……あの……」
適切な言葉が思いつけず、キャリーはつい俯いた。
「キャリー嬢、あの時守ってくれてありがとう」
クロードの言葉に真っ赤になりながら首を横に振る。
「そうだな、キャリーが今の姿でいなければ、もっと大事になっていただろう。大変だったな、キャリー」
普段褒めない兄の素直な褒め言葉がとても嬉しかった。
「あ、でも、クロード様の口から出た声も、気絶する前に聞いた声も女の人の声に聞こえました。闇の王は女、なのですか?」
「どうだろうね。もはや伝説レベルだからねえ。もしかしたら魔女の誰かの悪戯だったのかも知れん」
魔女はそう言って立ち上がった。
「話はこれで全てじゃ。まだ聞きたいなら、クロードの精神毒を取り除くために潜った夢の話でもするかねえ?」
「お、お師匠様っ! それだけは勘弁してくださいっ!」
あわててクロードが飛び起きた。それほどの内容だったのだろうか、と逆に興味が湧いてくる。
「あら、いいですわね。わたしも聞きたいですわ。お茶でも入れましょうか」
アーシャはころころと笑いながら立ち上がった。が、ミストは彼女を制した。
「茶ならわしが入れてこよう。お前はその鎖をそろそろ解いておやり」
言われてアーシャは自分の手首を見やった。赤い鎖は未だにあきちゃんの体にまとわりついている。
「ああ、そうだな。……もう解除してしまっていいだろう。方法は分かるか?」
「……ええ。あの、マリオンにもう少し力を与えてもよいかしら?」
「そうだな。……マリオン殿下が元に戻るにはもう少しかかるだろうが、目覚めを阻害するものはもうない。明日にでも目覚めると思う」
クロードの言葉に、アーシャはニッコリしてマリオンの頬に手を当てた。
「マリオン殿下の看病は宮廷付き魔術師で請け負おう。キャリー、お前も手伝ってくれるな?」
フィリップの言葉にうなずきかけて、キャリーは自分のペナルティを思い出して首を横に振った。
「ダメですわ、兄様。……黒猫図書館での行動の償いをしなければならないので、マリオン殿下のおそばについていることは出来ません」
「そうか。……ではその償いが終わったら知らせてくれ。迎えに行く。黒猫図書館の面々にも色々迷惑をかけたのだろうし、詫びもきちんとせねばな。クロード、構わないだろうか」
「別に構わない。まあ、黒猫図書館の再開の目処が立てば、だけどな」
クロードは膝に肘をつき、手のひらに顎を載せた。
「あきちゃんの魔力はアーシャが使ってたから流れ込まないし、俺の魔力とともに魔女の力まで流れ込んだから、戻ってからが大変だろう、とお師匠様が言っていた。再開するまでにキャリー嬢のペナルティ期間は終わりそうな気もするが……どちらにせよ一度図書館に来てもらうことにはなるけど」
「はい。わかりました」
「それから……アーシャ殿。いや……アッシュネイト姫」
フィリップはマリオンのそばに跪くアーシャに対して、床に片膝をつき、頭を下げる。
「おい、フィリップ……」
かつての同僚の不機嫌そうな言葉を無視して、フィリップは言葉を続けた。
「宮廷付き筆頭魔術師として、聞かねばならないことをお伺いします。……お戻りになる気は、ございませんか」
「やめろ、フィリップ」
クロードは立ち上がり、フィリップを立たせようと手をかけた。だが、アーシャは手で制すと立ち上がった。
「良いのです、クロード様。……フィリップ様。わたしにはやらなければならないことがあります。それをやり遂げるまで、城に戻ることはできません。アッシュネイトは五年前、北の森で死んだのです。わたしはただのアーシャ、ヤドリギの魔女の弟子のアーシャです」
フィリップを見る瞳には怯えや恐れはなく、強い意志を示す光が浮かんでいる。
フィリップは顔を上げ、しばらくその光を見ていたが、口元を緩めると目を伏せて立ち上がった。
「分かりました。……アーシャ殿。今回の一件、ご協力ありがとうございました。マリオン殿下を無事保護出来たことに感謝致します。問題がなければマリオン殿下を城にお連れしたいのですが、構いませんでしょうか?」
「ええ、もう大丈夫です。どうぞお連れください」
アーシャはベッドの脇から退き、フィリップはマリオンに近づいた。着ているパジャマはもうすぐ入らなくなる勢いで元のサイズに戻っている。
毛布でマリオンを厳重に包むと、ポケットから魔石の塊を取り出した。
「これが、クロードに送り込まれていた肉体改造の魔法を吸い上げ封印した魔石です。魔女ミストにお渡しください」
「確かにお預かりします」
「では」
反対側のポケットから取り出した魔石を握り込むとフィリップは短く何かを詠唱した。足元に出現した紋様が赤く光を放ち、光が消えた時にはマリオンもフィリップも姿を消していた。
「おや、もう帰っちまったのかい。……せっかちだねえ」
奥からお盆を手に戻ってきたミストは、内側からあっさりと結界を破られたことに眉をひそめた。
「あらあら、お忙しいこと」
アーシャは笑いながら、破られた結界を上書きしていく。
「すみません、お師匠様。……俺、もう限界……」
それだけ言うと、クロードは長椅子にぽすんと座り込み、体を横たえた。あわててキャリーが駆け寄ると、すでに寝息が聞こえている。
「あの、ミスト様……」
「まともに寝てない上に魔力も体力も食い荒らされて、限界だったんだろうさ。済まないがそのまま寝かせておやり」
黒い毛並みに覆われたクロードの顔色は伺えないが、耳を完全に寝かせているところを見ると、相当なダメージを食らっているのだろうということは分かる。
マリオンがかぶっていた毛布をクロードにかぶせると、キャリーはほっと息を吐いた。
「お前さんもいろいろあって辛かろう? あきちゃんと同じベッドでよければ、体を休めておいき」
ミストの言葉にキャリーは素直にうなずいた。怒涛のような日々でろくに眠れていないのだ。
アーシャが持ってきてくれた毛布は良い匂いがして、体を横たえた途端、あっという間に気を失った。