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三十八の掟 始まりの鐘の音

 魔女ミストが戻ってきてからすぐ、マリオンにつけられていた三つのリップ痕は無事解除された。他の魔女たちの痕跡もなく、魔力と生命力を流し込まれたマリオンは今までとは違い、バラ色の頬で眠りについている。体も、おそらくはあの三人の魔女の呪いだったのだろう、生命力が吸い上げられなくなってから徐々に元のサイズに戻り始めているように見える。

 迎えに来てもらう時には元のサイズの服を準備してもらわなければ。


「おババ様」


 時計はすでに今日の終わりまでがあとわずかであることを告げている。アーシャは時計を見上げ、師匠である魔女ミストを振り返った。


「小屋全体と、この部屋の内側を二重結界で固めたんだろう? お前が気を失っても大丈夫なように魔石を媒介にしてある。余程の予定外なことが起こらない限り、マリオンとそこの子は大丈夫だ。……いいね。誰が来ようと決して扉を開けてはならない。たとえクロードが来ようと、あたしが戻ってこようと、日が変わるまでは死守すること」

「はい、おババ様」

「鏡はまだつながっているね。つながらなくても焦らないこと。ああ、それから。自分を信用しないこと。……日が変わったと思い込まされることもあるからねえ。マリオンやその子に異変が起こったように思い込まされることだってありえる。いいね。自分を信用するな。他人も信用するな。二人と、自分を守ることだけを考えな」

「はい」


 アーシャは頷きながら、言われたことを反芻していた。自分も含めてすでに魔女の罠にかかっていることだってありえるのだ。魔女の狂宴が始まれば、何が起こるかわからない。

 何一つ信じない。この部屋を死守することだけを考える。扉を開けてはいけない。


「では、行ってくる」


 師匠を見送ったあと、時計を見上げてアーシャは心を決めた。


 ――扉を開けてはいけないのなら。窓を開けてはいけないのなら、なくしてしまえばいいのです。


 あきちゃんの力を借り、全ての出入り口という出入り口を塞ぐ。暖炉の火を落とし、煙突の穴さえも塞いだ。

 空中にいくつも浮かせた灯火のゆらめきに影が伸びるのを嫌い、無数の明かりをつける。

 時計がかちりと針を進め、柱時計が時を知らせる。と同時に地響きと魔女たちの歌う喜びの歌が聞こえてきた。


 ――魔女の狂宴が始まる。


 魔女の弟子とは名乗っているものの、アーシャは魔女ではない。二人の眠るベッドにそっと乗り上げると、アーシャは二人の手を握らせた。そして開いている反対側の手を握り、目を閉じる。


 ――マリオンは吸い上げられた生命力が戻れば目を覚ますだろう。メイザリー姉様も、クロード様が戻れば目覚める。目覚めてしまえば三人とも別々の道が待っている。こうやって三人で同じベッドにいるなんて、本当に何年ぶりだろう。


「メイザリー姉様……マリオン」


 縮んだ二人は昔の姿をそのままとどめたようで、懐かしさがこみ上げてくる。自分だけ五年分、年を取った。


「わたしが守りますからね……」


 そっと二人の額にキスを落とすと、アーシャは二人の手を握ったまま、深い瞑想に入った。





 フィリップはその瞬間を塔ではなく国王一家の側で迎えた。宮廷内に残っている者はすべて、この大広間に集められている。

 地響きとともに魔女の笑い声が響き渡る。その声に女達は怯えた声を漏らし、年端もゆかぬ子供は悲鳴を押し殺して目と耳を閉じている。

 護衛の者たちも、恐怖で心を塗りつぶされそうになりながら立ち尽くしている。

 この場所を守っている護衛たちにはいくつもの加護をかけ、護符を身に着けさせてはいるが、精神面を支えるものはない。あるのは、この場所を死守すべく幾重にもかけた結界のみだ。

 戯れに放ったものと見られる火球が引き起こす破壊音が耳朶を打つ。ガラスが割れる音で叫び声があがる。

 静まれ、と声をかけたところで収まるものではない。

 ちらりと後ろを振り向けば、国王と王妃は身じろぎもせずに青い顔のまま座っている。国内に戻ってきていた王子・王女もわきまえたもので、表情は固いが怯えを感じさせないように身を律しているのが分かる。

 帰りそこねた官吏たちが時折怯えたように声を上げる。


「魔女の狂宴は明日、日が変わるまで続きます。このまま起きて待っていても構いませんが、眠れるようでしたらお休みください。いつもの寝台とは参りませんが、横になれるスペースは確保してあります」


 振り向いてそう言うと、王はうなずいた。


「余と息子たちで夜明けまで寝ずの番をする。后と姫たちは先に休め。……フィリップ、侍女と侍従も休ませよ。明朝の世話を頼まねばならん」

「かしこまりました」


 王の言葉に、フィリップは広間を横切りながら王の命令を伝えていく。王と王子が起きているのに寝ていられない、と抵抗する者たちには王の命であるといい含め、準備しておいた仮眠室へ引っ込ませる。

 王女たちが全員広間の側に用意された部屋へ下がっていくと、残るのは王、王子と警備に当たる兵と宮廷付き魔術師たち、あちこちからかき集められた魔術師たちだけになった。

 フィリップは他の魔術師たちと協力して結界をさらに重ねて強固なものにしながらも、外で起こっていることに神経を集中させる。

 外に配置していた『目』のほとんどは魔女たちに壊されてしまったが、一つだけ残っている『目』に映るのは、マリオン殿下の塔を中心に球形に展開された闇の魔法陣と、塔の周りを飛び回っている無数の魔女たちの作る黒い渦だった。

 まるで嵐の時の雲が垂れ込めているような光景だ。

 その中心には、クロードと妹がいる。


 ――無事でいてくれ。


 今の自分にはそう祈る以外、何も出来ない。自分に課せられたのは城の人々を守ること。最悪の事態になった場合に全員を無事ににがすこと。

 周りの魔術師たちと力をあわせてここにいる人を全て逃がすための魔法陣はすでに布陣済みだ。

 始まってまだ半刻も経っていないのに、夜明けはまだか、とイライラと時計を見る。

 このまま何事もなく終わってくれ、と祈らずにはいられなかった。





 地響きと魔女たちの笑い声に、キャリーは始まった、とクロードを振り返った。

 紫のリップ痕から流れ出す魔力は途切れており、効力を失ったリップ痕はきらりと光って消えていく。


「クロード様っ」


 両手両足をベッドの足に布で縛り付けられたクロードは、目を血走らせながら爪を尖らせた自分の右手を自由にさせようと必死に動かしている。

 念のため、と縛ったのが本当に役に立つなんて。キャリーは動けずにその場に立ち尽くした。

 クロードの爪は明確に自分の胸を目指している。尖った爪で自分の心臓を抉ろうとしているのだ、と気がついてキャリーは右手に飛びついた。


「だめですっ! クロード様、目を覚ましてください!」


 血走り口から泡を吹くクロードの意識はすでにない。食事ができたおかげで体力が温存できている分、キャリーの動きに抵抗しようとするクロードの力は強い。気を緩めれば部屋の反対側まで弾き飛ばされそうだ。


「闇の王に闇の心臓を捧げよ」


 クロードの口からクロードの声ではないセリフが流れる。女の声だ。魔女の誰かの声なのだろう。捕まったという三人の魔女はあのまま投獄されたと聞くが、他の女だろうか。


「だめですっ、クロード様は生贄ではありません!」


 こんなことなら麻痺毒の解除はしないほうがよかったのかもしれない、と一瞬思ったが、もし麻痺毒に侵されていたとしても、始まった瞬間に解除されて、同じ行動を取るに違いない。


「それにクロード様の心臓は闇に染まっていません!」


 振り回すクロードの爪が頬をかすめる。

 血の匂いがあっという間に部屋に広がった。


『贄は捧げられた!』


 クロードの口から叫ぶような宣言がなされ、続いて甲高い笑い声が響いた。


「クロード様っ」


 必死で押さえていた右手はすでに抵抗する力を失い、押さえるに任せたままだ。かっと見開いていた目は閉じられ、伸びていた爪も消えている。


「クロード様! クロード様っ!」


 強めに揺さぶってみたが、反応はない。

 その背後に、部屋に淀んでいた黒い魔力が寄り集まり、空間から滲み出るように闇が出現していることに、キャリーは気が付かなかった。

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