三十五の掟 変容ではなく肉体改造
クロードの変容を聞いてヤドリギの魔女は顔をしかめた。
「そうかい。あれだけの縛りがかかっていてもまだ変容する余地があったのかい。仕方がないねえ」
それきり魔女は口を閉ざして奥に引っ込んだ。暖炉の側で二人を見守るアーシャは立ち尽くした。
濃い魔力が人や動物に変容を与えるのは知っていた。この森の側でも、魔女の力にあてられて『変容』した兎や鳥をよく見かける。
過去見たことのある変容した動物たちや植物は、多くが攻撃性として現れていた。では、人の変容はどうなのだろう。それに精神毒の問題もある。
変容を取り除くには、体内に蓄積された魔力を放出すればいい。森の兎たちもある程度弱らせて捕獲したら、おババ様が体内の力を放出させて解放している。
クロードの場合も同じ要領で解放できるのだろうか。おババ様がさほど慌てた様子を見せないところから、深刻な問題ではないのだろうとアーシャは自分を納得させた。
そういえば、マリオンもあの濃い力に一昼夜晒されていたのだ。もしかしたらすでにマリオンにも変容が怒っているのかもしれない。そうでなくとも今のマリオンは自分の魔力がほぼゼロなのだ。
「ちょっと出かけてくるよ。何かあったら知らせておくれ」
奥から出てきたおババ様は、アーシャの顔を見ずに出ようとする。アーシャは戸口まで見送りに出た。
「おババ様、マリオンのことなんですけど……クロード様と同じように変容が始まっているのではありませんか?」
「マリオンがかい?」
怪訝そうに声を上げる師匠にアーシャは言葉を継いだ。
「はい。クロード様にリップ痕を移すまで一昼夜はあの力に晒されています。それよりも短いクロード様が変容しているのですもの、マリオンにも出ているのではないかと……」
魔女は眉を寄せ、マリオンの横に移動した。額と心臓の上に手を当てると魔女はため息をついた。
「確かに変容はしておるの。だがこれは、普通の変容とは違う。闇の王の体とするべく、肉体改造の魔法が流し込まれたのじゃな。……アーシャ。魔石を取って来ておくれ」
「えっ……では、クロード様の味覚が変わったのも」
「間違いなかろう。……魔法が肉体に定着してしまわぬうちに手を打たねばならん」
「はいっ」
アーシャは焦りながらも魔石を取りに裾を翻した。
「……結局わしが出るしかないのかのう」
ぽつりとつぶやいた師匠の言葉は、アーシャの耳には入らなかった。
『というわけじゃ。すまんがそちらで施術を頼めるかの』
鏡を通じた通信で告げられた内容に、キャリーは愕然とした。
今朝聞いたクロードの味覚の変容後、昼に持ち込まれた様々な食材も、口に入れれば全てが血の味に変わると聞いて、暗澹たる気分だったのに。
クロードがまともに口に入れられるのは水だけだ。フィリップが気を利かせて砂糖を溶かした水やレモン水を持ってきていたが、それらはその味のまま飲めることは分かった。クロードの命綱は砂糖水だけになる。
「フィリップ兄様」
後ろに立って話を聞いていたはずの兄を振り返ると、兄は小さくうなずいた。
「分かりました。魔石の準備はこちらで行います。クロード自体にかけられているペナルティの魔術に頼りすぎました。こうなる前に彼に防御の魔術をかけておくべきでした」
『確かにのう。……わしも侮っておったわ。彼女の魔力をの』
「では、魔石を準備してまたご連絡します。今からクロードの体に魔法を受け流すように施術をしたいのですが」
鏡の向こうで魔女が目をつむり、思案顔をする。
『やめておいたほうが良かろうの。それよりはかけられた魔法を魔石に封じる方が怪しまれずにすむじゃろう。……この施術はフィリップ殿がされるのか?』
「はい。そのつもりです」
『では、魔法を封じた魔石は全て封印してまとめておいておくれ』
「承知しました」
『魔石の用意は急いでの』
その言葉にフィリップは頭を下げ、さっそく部屋を出ていく。キャリーはベッドの上のクロードに視線を向けた。
砂糖水だけの昼食を摂った後、クロードは体力を温存するためにもおとなしくまどろみに身を任せていた。
魔女ミストの説明によると、流し込まれている魔力に乗せて、精神毒と肉体改造の魔法がクロードの体に流されている。精神毒も肉体改造の魔法もどちらもクロードの『肉体』にのみ影響を与えているのだと魔女は語っていた。
あふれた魔力を浴びて変容することはあり得るが、クロードが受けている肉体改造の魔法とは違う。
クロードが変容したのがあふれた魔力のせいではないと知って、キャリーはクロードの枕元に椅子を移動させた。
浴びるように魔力を長い間受けない限り、そうそう人間が変容するはずがない。そう魔女ミストが言ったことでキャリーはその恐怖から少し解放されたようだ。
額の濡れタオルを取り替える。黒い直立猫のヒゲと鼻がピクピク動いているところから、夢を見ているのだろう。
眠っている間は精神毒の影響が薄れると言っていた。いっそのこと睡眠薬で寝てもらうというのはどうだろう。苦痛な記憶を繰り返し見ることもなく過ごせるならそっちのほうがいいに違いない。
キャリーはたらいの水を変えに立ちながら、いらだちを隠せなかった。




