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三十四の掟 変容

 朝になって目を覚ますと、クロードはまだ眠ったままだった。

 じきにフィリップが食事を持って上がってくる。キャリーはクロードを揺り起こした。身じろぎもせず眠るクロードが、マリオン殿下のように眠ったまま目を覚まさないのではないかという恐怖にも襲われたのである。


「クロード様、朝です。起きてくださいませ」


 何度か声をかけたところでようやくクロードの髭と耳が反応した。


「キャリー嬢……?」

「よかった……動けますか? 動けないようでしたらたらいとタオルをこちらにお持ちしますわ」


 のろのろとクロードは身を起こし、頭を振った。


「ああ……いや、シャワーを浴びてくる」


 ベッドから降り、クロードは隣の扉に消えた。その隙に、バスタオルを準備する。クロードは普段、黒い直立猫で過ごすため、服は不要だ。今回も特に着替えなどは持ってきていないようだ。

 クロードが風呂から出る前にフィリップが上がってきたのに気がついた。入り口から食事の乗った盆を手に、結界を解いてはかけて上がってくるのが分かる。

 居間の扉が開いたところでキャリーは居間に続く扉を開いた。


「おはよう、キャリー。クロードは?」


 ちろっとベッドに視線をやりながら、食事の乗った盆を妹に押し付ける。


「クロード様はシャワーを浴びてらっしゃるわ。あら、お茶は温かいままなのね。嬉しいわ。お兄様の分もお淹れしますわね」

「ああ、ありがとう」


 ベッドメイクが終わったキャリーのベッドに腰を降ろしてフィリップは答える。


「アーシャ殿からの連絡は?」

「まだですわ。あちらまでは片道八時間はかかりましたから、夜通し飛んだとしても今頃到着したころではないでしょうか。……二人も抱えてですから、もっと遅いかもしれません」

「そうか……」


 フィリップは苛々を隠せずに膝の上で拳を握る。


「そういえば、昨夜のことですけれど、夜半に魔女が来ました」


 その言葉に兄は背筋を伸ばし、眉根を寄せた。


「……詳しく話せ」


 キャリーはうなずいて、夜半に見聞きしたことを覚えている限り正確に兄に伝えた。


「カッコウの魔女、と言ったのか……?」

「はい。そういった名を持つ魔女のことをご存知ありませんか? お兄様」

「ピックアップした魔女たちのリストにはないな。……ヤドリギの魔女は、四つ目のリップ痕は彼女と同じぐらいに古い魔女だと言っていたのだな?」

「ええ。魔女討伐の時期に大半は亡くなったそうで、残っているのは数えるばかりだとはおっしゃっていましたけれど」

「……その魔女たちのリスト、手に入らないだろうか」

「無駄だろうな。……フィリップ、朝から悪いな」


 バスタオルを頭に被ってクロードがバスルームから出てきた。


「無駄だと? 何故だ」

「お師匠様は仲間を売りたくないと言っていた。……多分誰の魔力かはお師匠様のことだから把握済みだと思う。それでも俺たちに明かしてくれなかったのは、余程の親しい関係か、自分で何とかしようと思っているか、のどちらかだろうと俺は思っている」

「そうか……ともあれ、三人の魔女はおかげで個人が特定できた。魔女の狂宴までに取り押さえることができそうだ」

「そちらは頼む。それとキャリー嬢、アーシャとお師匠様に連絡を頼む。フィリップの強力な結界で封じてもらったから、おそらくお師匠様でもこの部屋は覗けなかっただろう。鏡は開いたらそのままつなぎっぱなしにしておいてくれ。……夕べのうちに指示しておくべきだったな、すまない」

「いいえ、わたくしも失念しておりました。申し訳ありません。すぐつなげますわ」


 キャリーはクロードの枕元に通信用の鏡を開き、クロードにも見えるように配置した。


『遅かったのう。待ちくたびれたわい』

「申し訳ありません、お師匠様。夕べは色々バタバタしておりまして」

『まあよいわ。こちらもマリオン殿下の精神毒の解毒でてんてこまいじゃったからの』

「ということは、もうアーシャはそちらに?」

『日が変わる頃にはもうこちらに着いておったぞ』


 鏡から聞こえてくる会話に、キャリーは目を丸くした。自分たちが王都から魔女の居場所まで行った時、ほぼ半日かかったのだ。それが、あの時間に出発して夜半に着いたと?


「すごいわね……」

『ああ、あの子の力を借りておったようだからの。このくらいは朝飯前じゃろう。して、夕べは?』


 クロードは先ほどキャリーから聞いた内容をほぼそのまま伝えた。カッコウの魔女、と名前が出た瞬間、魔女が視線を彷徨わせたのにキャリーは気がついた。


『そうか。……やはりあやつがのう』

「……お師匠様、お尋ねしたいことがあります」


 クロードはベッドに起き上がって鏡に向かいあっていた。


『居場所を教えろと言われても知らぬぞ。あれ以来交流はない』

「いいえ、精神毒についてです。マリオン殿下はもう?」

『ああ、解除が済んでおる。新たに魔力を注ぎ込まれないようにしておるゆえ、もう大丈夫じゃ。魔力と生命力についても、アーシャ経由であの子の力を借りておる』

「そうですか。……時にお師匠様。黒猫図書館の方は何も問題ありませんでしょうか?」

『あ? ああ……』


 不意に話題が切り替わって眉を寄せたものの、魔女はしばらく視線を外した後、顔を上げた。


『お前に流し込まれた魔力のうち、上限を超えたものが全て黒猫図書館に流れ込んでおるな。……お前にリップ痕を移したのは、これを見越してのことか?』


 魔女の顔はいつもになく引き締められていた。


「ええ、やはりそうでしたか。……ただ、魔力に混入されている精神毒が影響を及ぼしていないかと思いまして」

『馬鹿者めが。……そのつもりなら何故先に言わぬ。おかげで黒猫図書館の機能に障害が出ておるわ』


 キャリーは図書館のメンバーを思い起こした。残っているのは三毛猫の館長代理、司書のドワーフと美女。


「すみません。他人から流し込まれた魔力も同じように処理されるのかはわからなかったもので……」

「そうか……それで今日はこの部屋の黒い魔力が薄らいでいるのか」


 フィリップが会話を聞いて納得したようにつぶやいた。

 鏡の向こうから深い溜息が聞こえてきた。魔女が頭を抑えて呻いている。


『……仕方あるまい、今日は雨を降らすとしよう。休館の間になんとかしておくわい。まったく……。今後お前経由で流し込まれる黒い魔力は、図書館に流さずに別に保管しておく。いずれ無害化して図書館の維持にでも使うとしよう。クロード。こんなことはこれっきりにせよ。今回の件、わしは協力せぬと言ったんじゃぞ?』


 師匠の言葉に、クロードは居住まいを正して頭を下げた。


「すみません、約束を違える結果になってしまいました。ですが、マリオン殿下を救うには、夢渡りしか思いつかなくて……マリオン殿下はいかがでしたか?」


 すると魔女はふふん、と鼻をならしてそっぽを向いた。


『なかなか見どころのある子じゃの。ま、お前に執着するなどまだまだ子供じゃが。事が全部済んでマリオン殿下が目を覚ましたら、ちゃんと謝りに行くのじゃぞ』

「はい。……心得ております」

『では、わしは図書館に出掛けてくる。何かあれば知らせよ。こっちはアーシャに頼んでおく』

「心得ました」


 魔女の顔が鏡から消えると、背後に二人が横になっているベッドと、黒いローブに身を包んだアーシャが見えた。

 魔女が何か言ったのだろう、うなずいたアーシャが鏡をもっと近くに引き寄せた。


『おはようございます。そちらは無事でして?』

「ああ、先ほどお師匠様に報告したとおりだ。聞こえていただろう?」

『ええ。こちらもマリオン殿下の精神毒の解除が終わりました。時折麻痺毒の解除をかけております。それで……クロード様』


 アーシャは鏡の向こうで悲しそうに眉を寄せた。


『わたし、そちらに戻ることが叶わなくなりましたの。……もしそちらに戻るとしたら、お二人を連れたままそちらに行かねばなりません。わたしも迂闊でしたわ。……こちらに姉様の体を置いたままそちらに戻ると、引き出す魔力が受け側のわたしを見失って暴発する可能性があるんです。それに、マリオン殿下に魔力を流し込むのには姉様の力が必要ですし、彼だけを置いていくことも出来ないんです。申し訳ありませんが、精神毒については耐えていただくしか……ございません』

「そうか……。わかった。寝ている間はそれほど苦しまないらしい。できるだけ眠るようにしておこう。アーシャは気にしなくていい。俺は大丈夫だ。最後まで意識を保ってみせる」


 薄っすらと微笑むと、アーシャは口を覆って首を振った。


『最後なんて言葉、使わないでくださいませ。……お願いです。もしあなたに何かあったら、姉様はどうなさいますの』

「……そうだな。撤回する。俺は負けない。じゃあ、引き続き頼む」

『承知いたしました』


 アーシャが優雅に腰を折るのが見える。そのまま彼女の姿が少し遠ざかり、ベッド全体が見えるような位置に戻った。


「じゃあ、朝ごはんにしよう。俺はもう食べてきたから二人でどうぞ」


 フィリップはクロードの前にお盆を置いた。キャリーの分はキャリーのベッドの上に置き、椅子を引き寄せて腰を下ろす。


「すまん。いただこう」


 クロードは盆の上のサンドイッチに手を伸ばした。フィリップが治療の片手間につまめるものを指定して作らせたものだ。

 ハムサンドを口に頬張った途端、クロードは口に入れたものを吐き出した。


「クロード様!?」

「クロード? まさか毒か?」


 二人が慌ててベッドに駆け寄った。が、クロードは苦しそうな顔をしながらも二人を手を上げて制した。口の中からサンドイッチのかけらをすっかりかき出してしまうと、渡された水で念入りにうがいして吐き出した。


「どうしたんだ。……本当に毒じゃないのか?」

「キャリー殿と俺のは同じものなんだよな? キャリー殿、そのサンドイッチはおかしくありませんでしたか?」

「え? ええ、特には。クロード様のは違ったんですの?」

「いや。……それならいい」

「隠すな。……お前の悪いところだ。隠していい結果になるとは限らないんだぞ? ちゃんと話せ」


 フィリップの言葉にクロードは視線を逸らした。


「俺まで締め出すなよ。……お前にとってそのサンドイッチは何だったんだ?」

「……これは予測できたことだ。俺の体に直接魔女の魔力を流しているんだ。大丈夫だと思ったのが間違いだったんだ。となると、キャリー嬢もお前も危険だ。この塔から離れたほうがいい」

「何を言っている……」


 クロードはすがるように元同僚を見上げた。


「頼む。キャリー嬢をここから遠ざけてくれ。変容が始まる前に」

「変容だと……お前。まさか味覚が……?」


 がっくりと頭を垂れて、クロードはうなずいた。


「血の味がした。……ペナルティを喰らい、図書館の掟でこの姿を固定されている状態なのに、変容が起こったんだ。キャリー嬢にかかっている図書館のペナルティもどこまで効くかは分からない。そうでなくともこの部屋自体に黒い魔力が溢れているんだ。影響を受けないはずがないだろう?」

「でも! 誰かがついていなければならないんでしょう? それならフィリップ兄様よりはわたくしのほうがペナルティがある分、変容はしにくいのではないですか!」


 呆然とするフィリップを横目にキャリーは強い語気でまくし立てた。


「兄様もなにかおっしゃってくださいませ! わたくしはこの部屋できちんと役目を全うします。わたくしにしかできないことです。たとえクロード様がおっしゃられても、兄様がダメと言っても、わたくしはここにおります。マリオン殿下を守るためにわたくしにできる唯一のことなんです。お願いですからっ……」


 言葉が詰まってキャリーは流れてきた涙を手のひらで拭った。


「……クロード。予定通りキャリーはここに置く。今更どうやって塔の外に連れ出せと言うんだ。キャリーをアッシュネイト姫誘拐犯として突き出せとでも言うのか?」


 兄の思いがけない言葉にキャリーは振り向いた。あまり感情を表に出さない兄の表情が苦々しかった。


「フィリップ」

「俺もキャリーもやるべきことをやる。……それだけだ。異論は受け付けない」

「……わかった。済まない」


 クロードは二人と視線をあわせることなくうなずいた。


「ただ……できるだけ俺から離れたところにいるようにしてくれ。寝る時も、できるだけ離れて。フィリップ。ベッドの位置を変えてくれないか」


 クロードの言葉にうなずいて、フィリップは簡易ベッドを扉の近くまで移動させた。ソファも、出来る限りは遠ざけて置く。


「昼食は色々なものを持ってくる。……待っていてくれ」


 フィリップも視線を足元にさまよわせたまま、二つの盆を手に出ていった。


「クロード様、味覚のこと、ミスト様に連絡してよろしいですね?」

「ああ。……変容についてはお師匠様から話を聞いたほうが良さそうだ。済まないが頼む」


 そう言うとクロードはベッドに沈み込んだ。

 クロードの枕元から鏡を移動させて、キャリーは自分のベッドに腰掛ける。

 変容。

 どう変わるのか、何が変わるのか。そしてどうやったら治るのか。自分はまだ何も知らないのだ、ということを再確認させられる。

 暗くなる気分を振り払い、彼女は鏡の向こうのアーシャに言伝を頼むと、ベッドに体を横たえた。

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