二十一の掟 魔女は弟子を取りません
20160818 全体的に手を入れています。
だから、彼女には記憶がない。彼女の姿は十三歳のままで伸びることがない。十三歳と言うには幼すぎて十歳ほどに見えてしまうのだけれど。
「では、彼女が行方不明になったアッシュネイト姫だと……」
しかしクロードは首を横に振った。
「違う。城の者には真実を話していないんだ。いや……おそらく一部の者以外は知らないのだろう。あの時、行方不明になったのは一人じゃない」
「えっ?」
その時、扉をノックする音が聞こえた。
「開いてるよ、お入り」
魔女がそう言うと、入り口の扉が元気よく開けられた。
「こんにちはー、遅くなっちゃってごめんなさい、おババ様」
「いつも言っておるが、扉は静かに開けんか。雪が落ちる」
しかめっ面をして魔女はつぶやく。雪を払って黒い頭巾を脱いだ来訪者は、客がいると知ってにっこりと笑った。
「いらっしゃいませ、伯爵。それからフィッシャーズのお嬢様」
「えっ?」
キャリーが驚いて声を上げる。が、クロードはさして驚きもせず、立ち上がった。
「お久しぶりです。アーシャ」
彼女をそう呼んで、クロードはその手をすくい取ると唇を寄せた。貴婦人を扱う時の仕草だ。
「これ、そんなところで睦み合っておらんできちんと挨拶をせんか」
しかめっ面で魔女が言う。アーシャと呼ばれた女性は魔女の横に立った。その頬の赤さは外の寒さのせいか、それともクロードのせいかは分からなかった。
「ごめんなさい、おババ様に呼ばれてたのにすっかり遅くなっちゃって、慌ててて……。はじめまして、ヤドリギの魔女ミストの弟子のアーシャと申します」
きちんと宮廷風の礼儀に則って、アーシャは二人に礼をする。キャリーも同じように返礼し、「キャロライン・フィッシャーズです」と名乗った。
「フィッシャーズの跡取り娘さんがいらっしゃるって聞いて楽しみにしていたの。とても優秀なんですって?」
アーシャはそう言いながらソファに腰を下ろす。その仕草やたち振る舞い、言動に至るまでが実に優雅だ。一応貴族であるキャリーでも到底及ばない。こんな完璧なレディには今まで会ったことがない。それに。
「あの、その、跡取り娘というのは……何でしょう?」
最初にこの老婆に会った時も同じことを言われた。クロードに制されて聞けなかったのだが、今回はどうしても聞きたかった。
「あら、ごめんなさい。ご本人がご存知ないのにわたしの口から言うのはいけませんわね?」
アーシャはちらりと横に立つクロードを見る。キャリーも釣られてクロードを見ると、クロードは困ったように耳を垂れていた。
「でも、おかしいですわ。当家には兄上という立派な宮廷魔術師がいます。わたくしよりもずっと優秀で、わたくしなどまだまだ足元にも及びません。今回だって……」
エプロンドレスの裾を握りしめる。自分の無知でどれだけ迷惑をかけたことだろう。王立魔法学院を主席で出て王宮付きの魔術師になれたのも兄のおかげなのだと知っている。
「……とりあえずその話は置いておきな。時間がないんだろう?」
「あ、はい。そうです」
魔女の言葉にキャリーは背筋を伸ばす。そうだった、今聞くべきはそこではない。
「あの、アーシャさんは、魔女なんですか?」
「いいえ?」
くすくすと彼女は笑い、横に立つクロードを見上げた。クロードは頭をかくとキャリーに視線を向けた。
「キャリー嬢。彼女がアッシュネイト姫なんだ」
◇◇◇◇
しばらくの沈黙のあと、キャリーは間の抜けた声を出した。
「ええ……はぁ?」
「これ、説明を省略するんじゃない。お嬢ちゃんが困っとるじゃろうが」
魔女ミストの言葉にクロードはふたたび頭を掻いた。
頭巾を外したアーシャは、赤みがかった金髪を首のあたりでカットして内巻きにしてある。その微笑みに見覚えがあるような気がした。
「失踪したのは一人じゃないと言っただろう? いなくなった姫は本当は二人いる。表向き、俺が懲罰を受けたのは、アッシュネイト姫、つまりアーシャを攫ったからということになっている。理由は……俺の横恋慕だ」
「表向きは、ね」
アーシャはくすくす笑いながら口を開いた。
「わたしが十二歳の時、嫁ぎ先が決まったと聞いて横恋慕していたクロッシュフォード伯爵がわたしを王城から誘拐し、その後わたしは伯爵の居城から逃げ、北の森で行方不明になったことになっていますの」
「その実、ここで師匠に預かってもらっているんだ。魔法の修行をしながらね」
「……そう、でしたの」
キャリーはなんとかそれだけしぼりだした。クロードは確か三十近いはずだ。五年前といえば二十代前半。その年の男が十二の幼女を嫉妬からかどわかしたことになる。
「あの、クロード様。えっと……わかりました。そういうご趣味だということは内緒にしておきますわね」
これがキャリーの返せる精一杯の言葉だった。が、クロードはため息をついて頭を振って口を開いた。
「キャリー嬢……あのね」
「ああ、キャリーさん、勘違いですわよ? だってこの人は姉にぞっこんなんですもの」
クロードの言葉を遮ったアーシャの言葉に、キャリーは目を見開いた。
「……えっ? アッシュネイト様のお姉さまっていうと……一番目のマリアンヌ様は既婚ですし、二番目のエリーゼ様は婚約者の隣国の王子様が成人するのをまってご成婚の予定、三番目のハリエット様はもうじき婚儀がございますし……」
思い出せるだけの王女たちの現在を口にすると、アーシャは手を振って笑った。
「違いますわよ。わたしのすぐ上のメイザリーお姉様。クロード様からもうお話はお聞きでしょう? 始祖ミストルティの再来だと言われた、魔女に呪われた王女」
「アーシャ!」
「ええっ?」
悲鳴のようにクロードの声が飛ぶ。が、それをキャリーの驚きの声がかき消した。
さっきから『彼女』としか呼ばれていないその王女――それは。
「あの……クロード様。本当に、彼女、ですの……?」
キャリーはクロードを見上げた。クロードは顔を手で隠し、そっぽを向いていた。
「……本当だ。あきちゃんがメイザリー姫だ」
「でも……メイザリー姫は城にいらっしゃいますよね? わたくしが学院を主席で卒業した際の式典で、お声をかけていただいたんです。間違いありませんわ」
クロードは顔を上げた。若干まだ耳はタレ気味だが、髭はピンとしている。
「それは偽物だ。……おそらくどこかから魔力量のそれなりに似た娘を連れてきて、目くらましをかけているんだろう。そう、城の者たちは、『メイザリー姫は魔女の呪いも跳ね返して現在も元気で城にて公務をこなしている』と印象付けたいんだよ。だから、彼女は『いなくなってない』ことになってるんだ」
「そんな……」
式典の時の姫を思い出し、キャリーは視線を彷徨わせた。その場にいた誰よりも魔力量の高い姫の力を卒業生たちは全員脅威と尊敬の眼で見守っていた。あれがすべて偽物だというのだろうか。
「だから、あきちゃんは城に戻さない。彼女にかかっている魔女の呪いを正しく解除しない限りは……戻せない」
「そう、そのためにわたしはヤドリギの魔女に弟子入りしたんですの。クロード様は図書館から動けませんでしょう?」
「動けないわけじゃない。……情報収集はしている」
「ええ、存じております。古い魔術書や魔女にまつわる本をお探しなのですよね」
「そのための黒猫図書館じゃからのう」
魔女が口を開く。
「さて、キャリー嬢が納得したところで話を元に戻すぞい? クロード坊や。マリオン坊やのためにわしに何が聞きたいんじゃ?」




