十八の掟 北の森にはヤドリギの魔女が住んでいる
20160818 全体的に手を入れています。
クロードの魔法陣が地に降りたのは、北の果てにある森の一角だった。白い雪が道の端に積もっている。
寒さが足元から忍び寄ってきて、キャリーは思わず足をすくませた。
「コートとマフラーをつけてください。この辺りはかなり冷えますから」
クロードは直立猫の姿のまま、マフラーだけを首に巻いていた。
「は、はい」
荷物からそれらを取り出し、ついでに手袋もつけておく。
「足元は滑りやすいから気をつけて」
言われた途端に足を滑らせてキャリーは盛大に尻餅をついた。
「大丈夫かい?」
手を差し伸べられて、キャリーは恥ずかしそうに立ち上がった。
「それから、この森の中では一切力を使えないから。使おうともしないようにね」
「は、はい」
使おうとしたらどうなるのだろう。周りにそびえる巨木たちを見上げると、威嚇するように梢がざわざわと鳴り、しなる。
「じゃあ、行こう。日が暮れる前には着けるだろうから」
クロードはそう言うと雪道を歩き始めた。
◇◇◇◇
雪道でキャリーは何度も尻もちをつく羽目になった。ようやく歩き方に慣れた頃には日も陰って、気温がぐっと下がったのがわかる。
木々の梢のしなり方が少し変わってきた。頭上から襲うようにうなりをあげていた木々は、そよ風にさやさやと撫でられるような鳴り方をしている。これは植生が変わったせいだろうかとも思ったが、それだけではないだろう、と予測する。
「もう少しだ。頑張れるか?」
クロードはキャリーを振り返る。キャリーは上がる息を抑えながら、うなずいた。
「大丈夫です」
それからしばらく歩いたところでクロードは立ち止まった。何かを探すような仕草で積もった雪を払い除けている。
「あった。――お師匠様、開けてください。ご覧になってたでしょう?」
だが反応はない。
キャリーはクロードの背中からその手元を覗き込んだ。そこには木製の看板がかけられていた。表面に刻まれた文字は、古い神聖文字のようだ。
「えと……『ヤドリギの魔女に御用の方はこちら』?」
「君、古代神聖文字が読めるのか?!」
クロードはびっくりしてキャリーを振り返った。
「はい、フィッシャーズ家では最初に古代神聖文字を学ぶのです。最も古い魔法言語だと……」
『ほう、フィッシャーズ家の娘かえ?』
不意に耳の中で声が聞こえた。キョロキョロとあたりを見回すと、クロードは少しだけ口元をほころばせた。
「あの、声が頭に……」
「うん、大丈夫。――お師匠様、道を開けてください。このままだと彼女が凍えてしまいます」
『しょうがないのぉ……』
ぼこっと音がして、深く積もった雪の上に道ができていく。
『早う入れ。日が落ちたら猛獣どもが動き出すでの』
それきり耳の中の声は消えた。
「さあ、急ごう」
クロードに手を引かれて、キャリーは歩きだした。
◇◇◇◇
見えてきたのは丸太で組んだログハウスのような小屋だった。入り口にはオレンジ色の明かりが揺れている。
扉をノックすると、誰何もなくすっと扉が外側に開いた。部屋の中もオレンジ色の光で暖かく包まれている。だが、小屋の主はいない。クロードはさっさと小屋に入っていく。
「お、お邪魔します……」
キャリーは恐る恐る足を踏み入れた。中は暖房が心地よく効いている。コートを脱いで、肩に積もった雪を振り払うと小屋の扉を閉めた。
それから、ゆっくり小屋の中を見回す。
外から見た通りの部屋の大きさだった。暖炉があり、その前にソファーが置いてある。ここは応接室なのだろう。入って真正面の壁には扉があり、そちらから先が居住空間になっているようだ。
窓は残る三面の壁に大きく面積をとっていたが、寒そうな風切り音とは反対に寒さは微塵も忍び込んでこない。
クロードは火に一番近い床に腰を降ろしていた。
「クロード様、あの……」
「火の前までおいで」
言われるままに足を進めると、クロードは立ち上がってコートをソファの背に広げた。気が付かなかったが、裾や肩など随分濡れている。ついでにマフラーや手袋も吊り下げた。
「手足は冷たくない? 冷えてるようならお湯を使わせてもらうといい」
「あ、はい、大丈夫です」
部屋の中はどこにいても暖かく、暖炉のそばだとなお暖かい。ここが北の森だということを忘れてしまいそうになる。
そのままクロードが座っていた横に腰を下ろそうとすると、声が飛んできた。
「フィッシャーズ家のお嬢さんをそんなところに座らせるわけにはいかないよ。ちゃんとソファにお座り」
森の中で頭に響いたあのしわがれた老婆の声だった。振り向くと、フード付きのローブをかぶり、杖をついた老婆が立っていた。
「お師匠様」
クロードはつやつやの毛並みで正式な礼を取った。キャリーもそれに習って礼を取る。
「あー、そういうのいいから。座んなさい。――あんたがフィッシャーズの跡取り娘だね?」
キャリーは目を丸くして目の前の老婆を見つめた。怪訝そうな老婆の視線にあわてて頭を下げる。
「は、はじめまして。キャロライン=フィッシャーズと申します。あの……」
「――お師匠様、それは」
クロードが言葉を遮る。老婆は顔をしかめて座るように促した。
「そうか、そなたがのう」
「今はとある理由にてこの姿になっておられますが、実際は――」
「知っておるよ」
老婆は微笑みをうかべて言葉を遮った。
「この子がいろいろやらかしたあたりは、この婆にも報告が入っとるでのう」
くっくっと笑う老婆に、キャリーは顔を赤らめた。