十六の掟 黒猫図書館の館長は黒猫です。
20160818 全体的に手を入れています。また、クロードとフィリップの会話の口調を揃えました
「マリオン殿下の事情は聞いているな」
フィリップは紅茶を淹れながら口を開いた。
「ああ、妹君から伺った。十二歳の誕生日の祝いの席で魔女に対する暴言を吐いたと」
「ああ。翌日、彼は起きてこなかった。王子の部屋には強固な結界が張られてるのは知ってるよな」
「五年前と変わらないのであればそうだろうな」
紅茶のカップを取り上げ、クロードは答える。
「ああ、そのあたりは昔と同じだ。部屋の中にも姿を隠して護衛役が常に在室しているし、扉の外にも護衛はいた。が、全員が魔女のくちづけを受け、絶命していた」
「魔女のくちづけ……」
クロードは眉間にしわを寄せた。体の一部に魔女の魔力のこもったキスを落とされると、そこから生気を吸い取られる。根こそぎ奪えばキスを受けた者は絶命する。一般に出回っている護符程度では防げない、強力な術だ。
なにより、キスを受ける時には幻覚で惑わされることもあるため、それと気がつかないうちに痕跡を残されてしまう。
「それから、残っていた痕跡からは、少なくとも三人の魔女がそこにいた、とわかっている」
「彼の言葉に逆上したにしては少ないな」
「ああ。俺はむしろ遊びに来ただけじゃないかと思っている。――クロード。お前だから教えるが、他には内緒にしてくれ」
「ああ、わかった」
クロードがうなずくのを確認してから、フィリップは口を開いた。
「マリオン殿下の額には魔女のくちづけの痕が三つ残っていた」
クロードは動きを止めた。……まさか。
そのまま驚きを隠さず視線を送ると、フィリップは眉根を隠せてうなずいた。
「ああそうだ。……それでもマリオン殿下は生きている」
「まさか……」
ありえない。一人の魔女のくちづけでさえ普通の人間はあっという間に絶命するのに、三人分?
「生かされている、というのが正しいだろうな。いくら点滴をしようとも、魔力を補充しようとも、あっという間に吸い取られてしまう。でも、生存ぎりぎりの量は常に残されている。死なないように調整されてるんだ。何を企んでいるのか……」
「――マリオン殿下の様子を見せてもらえないか」
「ああ、もちろんだ」
「それと、その三人の魔女。誰なのかは判明したのか?」
「一応……痕跡からほぼ特定できている。ただ……おそらくもう一人、その場にいたのではないかと思っている」
「その場に?」
「直接見てもらった方がいい。俺たちが見落としてることもあるかもしれない」
フィリップはティーカップを置くと立ち上がった。
「ただ……悪いが、姿替えをしてくれるか? その姿だと目立ちすぎる」
クロードは己の手を見つめた。
あの時以来……いや、黒猫図書館の館長になった時に変化して以来、自分で姿を変えたことはない。今は一時的に任を離れているだけで、この事態が終われば元に戻らねばならないのだ。
それに――五年前、ここを離れる時に受けたペナルティも重ね掛けされている。今の自分にはどうすることもできない。それを打ち破るだけの魔力も今やなく、浪費できる余力もない。
「……何か被るものを貸せ。それで目眩ましの術でもかけておく」
フィリップはため息をつくとフード付きのローブを引っ張りだした。
「分かった。……今の姿をマリオン殿下が見たら悲しむだろうな」
クロードはそれに答えず、頭からすっぽりかぶるとしっぽを隠し、魔術師のような姿に見えるようにカモフラージュした。力のある者が見ても、クロードだとはわからないだろう。魔力紋も変化させておく。
「マリオン殿下は今もあの塔にいるのか?」
「ああ、そうだ」
フィリップの後をついてクロードも部屋を出た。戸口に衛兵が立っていたが、フィリップの後ろを歩く男が先ほど連行された重犯罪者であると気づく様子はない。
いくつもある塔の一つにたどり着くと、入り口は厳重に封印されていた。フィリップが封を解除してクロードを先に立たせる。フィリップがあとから入って再び内側から封印をかけた。
「ずいぶん厳重だな」
「ああ、妹が何度も突破を試みてな……現状を維持するために毎回封印を施すようにした。妹も力だけは強いからな、力技で突破されてはかなわん。……まあ、生半可な知識では何もできないと知ってから、妹が他の手立てを探しに旅立ったわけだが……まさかお前の書いた魔法定理を探しているとはな」
ランプを手に階段をあがる。塔の明かり取りの窓はすべて封じられ、光が全く入らないようになっている。何重にもかけられた封印を解いてはかけ直して最上階にたどり着くと、入り口の茶色い扉はもっと厳重な封印が施されているのがわかった。
「今は私の魔力紋でしか開かないようになっている」
最後の封印が説かれた扉を開くと、ぴりっと髭がたわんだのをクロードは感知した。思ったよりも濃い濃度の魔力が部屋に満ちている。
「どうかしたか?」
入り口で佇んでいるクロードにフィリップは声をかける。
「ここに立ち入れるのは誰だ?」
「今は俺だけだ。外に開いていた窓も全て封じたから、外から出入りすることもできない」
「ならば――なぜこれほどの魔力がここにある?」
体をずらしてフィリップに部屋の様子が見えるようにする。途端にフィリップは口を覆った。
「なんだ……これは」
フィリップの説明では、マリオン殿下の魔力も生気もギリギリまで吸い取られているという話だった。ならば、この魔力はマリオン殿下のものではないはずだ。実際、クロードの知る五年前のマリオンの魔力紋とはまったく違っている。――禍々しく、負の感情を帯びて、いうなれば黒い魔力だ。
「フィリップ、最後にこの部屋に入ったのは?」
「毎日チェックをしてるから、昨夜だな。その時はこんなことはなかった」
クロードは己の周りに結界を張り巡らせると一歩踏み出した。入ってすぐの部屋は応接セットと本棚、執務用の机が置いてある。机にはホコリがうず高く積もっており、事件以来使われていないことが見て取れる。
「立ち入るのも危険と判断して、メイドなどもここには入れていない」
ホコリを見て鼻をひくつかせるクロードに気がついたのだろう、フィリップは言い訳のように言った。
「それが正解だ」
本棚の間にある、奥の部屋へ続く扉は開け放たれている。髭がちりちりするのを我慢してクロードは足を進めた。足元にはフィリップが通ったとおもわれるホコリのない道が絨毯の上に出来上がっている。それをたどることにした。
奥の部屋は寝室になっていた。キングサイズのベッドの真ん中に、小さな少年の体は横たえられていた。
魔力の発生源は彼以外に考えられない。
そっと近づくと、マリオン殿下は血色の悪い顔色のまま、まつげをぴくりとも動かさず、眠っていた。胸の上下がなければ死んでいると思ってもおかしくないほど、静かに眠っている。その額には三つのリップ痕。
「フィリップ、彼の体を見せてもらってもいいか?」
「もちろん。俺も事件の際には確認したが」
そっと上掛けをめくりあげ、足元まで下げる。マリオンの着ているパジャマは前開きのものだった。前ボタンを外し、そっとマリオンの体を持ち上げて袖を抜く。
食事をしていないせいで、すっかり軽い体になってしまっていた。苦もなくパジャマを引き剥がすと、ズボンもついでに引きぬいた。
パンツだけの姿になったマリオンをベッドに横たえる。濃密な魔力の放出はその間もずっと続いている。弱い魔力の持ち主ならば、この魔力に当てられて卒倒しているところだ。
実際のところ、今のクロードにとってもかなりキツイ。元からの器が大きいお陰でなんとかなっているだけなのだろう。
マリオンの体を検分する。特におかしい場所は見当たらない。そっと魔力を帯びた手をかざしてみたが、濃い魔力に跳ね返された。
額以外にもリップ痕が残っているのではないか――そう思ってのことだったが、当ては外れた。
もう一度マリオンの顔に目をやった時、クロードは気がついて口を覆った。
「クロード?」
「フィリップ……マリオン殿下の唇にもリップ痕がある」
四つ目のリップ痕――四人目の魔女。唇が紫色に見えていたのは彼の血色がわるいせいではなかった。紫色の紅の痕。フィリップが驚いてそっと指で触ろうとすると、かなり強い反発力で押し戻された。
「これは……間違いない」
あわてて手持ちの紙をマリオンの唇に押し当てる。今度は反発なくリップ痕を紙に写し取れた。
「最近のものか? 見落としていたのか?」
「見落としじゃない。――これは最近のものだ。額のリップ痕と比べればずいぶん新しい。魔力の残滓もかなり濃い……」
クロードは眉間を押さえた。
濃い魔力。新しいリップ痕。封印されているはずのこの部屋にやすやすと入れるのは、おそらく魔女だけだ。痕跡が残っていれば侵入もしやすいという。
なぜ、額のリップ痕を残したのだ。この状態で放置していいことは何もないはずなのに。
「フィリップ。――彼の誕生日まであと何日だ?」
「あと八日だ」
「八日……その日は新月か?」
はっと気がついてフィリップは顔を上げた。クロードはまっすぐ視線を返し、うなずいた。
「魔女の狂宴の日だ。……一刻も猶予はない。お前は四人目の魔女を特定してくれ。それから、俺とキャリー嬢を解放してくれ。急ぎ行かねばならんところがある」
「何処へ行く?」
「――今は言えない。だが、彼女に会う以外、方法がない。このままではマリオンは魔女として目覚めてしまう」
フィリップはその言葉の意味を悟り、ぎりりと唇を噛んだ。
魔力も生気も空っぽにされたマリオンの中に魔女の濃い魔力が注がれているのだ。そして魔女の狂宴……何が起こってもおかしくない。
「……分かった。だが、かならずマリオン殿下を助けてくれ。頼む……」
「それから、もう一つ」
扉の方へ向かう途中でクロードは足を止めた。
「分かってると思うが、俺が連れてきた少女――あきちゃんに何もするな。彼女の魔法を解こうとか、記憶を戻そうとか、一切するな。させるな。今のままのあきちゃんでなければ、マリオンは救えない。下手なことをすれば彼女自身の命が危ない」
「――わかった。必ず守る」
「頼む」
それだけ言いおいて、クロードは部屋を出ていった。