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偉人たちの最期

源頼朝の最期

作者: 香蓮

時は鎌倉

鎌倉幕府初代将軍 源頼朝

彼こそ源氏の頭領 源義朝の三男として平安の世に生まれた。

13歳の頃平治の乱で父を亡くし、伊豆へ島流され20年間過ごした日々は頼朝にとって生涯忘れられないものだろう

しかし、そこで生涯の妻 政子に出会って今では平家追放のときのような戦もなく、幸せに過ごしたが――――――

建久10年(1199年)

去年の終わり頃、相模川にかけられた橋の落成供養の帰り、落馬をしてから布団から出ることが無くなって、家臣たちが見ても分かるほど日に日に痩せていっている。

毎日食したものを吐き出し、血性の下痢も毎日……手足の痺れも酷く、どう考えても誰かに毒を盛られていたとしか思えない症状だった

家臣たちはちらりと妻、政子の様子をうかがうが政子は悲しむこともせずただ無表情に頼朝を見つめていた。

その目ですら冷酷に見えた

「……政子殿、もうお休みなられた方がよいかと思いまする」

家臣の一人が政子の体を気遣うが政子は静かに首を横に振った

「大丈夫です。頼朝様が苦しんでおられるなか私だけやすやすと眠るなんて失礼だと思います。最期のときまで見届けようと思いまする」

政子の言い方に疑問を持った家臣たちが数人いたがほとんどの家臣は政子の夫への愛に感動していた。疑問に思った家臣たちは政子を驚きの目で見つめた

昨日まで普通に睡眠をとっていた政子が今日にかぎって最期を見届けようと言うのだから変である。

多分、毒を盛った犯人は政子本人、そしてその指示を出したのは政子の弟義時だと、推測できる

「………ぅ……ぇ……ょ…っ…ぇ

急に眠っていたはずの頼朝が何かを言っていた

「…父上……九郎…やりまし……たよ……私…の幕府……源氏の時代が…」

頼朝が言っている父上とは源氏の頭領源義朝のことだろう。

しかし、死の淵で絶対に言わないと思っていた弟、源九郎義経の名も言っていた

「頼朝様!!」「頼朝様!?」「頼…朝様」「頼朝様~!!!!」

家臣は一斉に頼朝に声をかけるが返事は返ってこない。

目はどこか遠くを見ているとしか思えなかった

「頼朝様、お迎えがこられたのですね?良き弟をお持ちになられました」

政子は静かに涙を流しながら頼朝の細くなった手を握りしめた

家のためとはいえ、政子は心の底から頼朝を愛していた。頼朝も同じこと。

二人の運命的の出会いがなかったら幕府もなく、源氏は賊軍。平家の天下のままだった。

「頼朝様、今までお疲れ様でした。長い休息をとった方がよろしいかと思いますよ」

頼朝の手を暖めるように握り涙を流しながらも笑って話したが――――

数刻後、頼朝は息を引きとった

建久10年1月13日  享年53歳


鎌倉幕府での源家の実権は三代しか続かなく、史実上実権を握ってたのは政子、そう北条氏だった

これは北条氏の陰謀か、それとも偶然か、それは歴史闇の中にひっそり隠れている

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