第二話 京都へ春の遠足 京大キャンパス内に思わぬ来客
翌朝金曜日。普段学校へ行く時より一時間ほど早い七時頃に家を出た伸英と謙一は、学校ではなくJR芦屋駅へと向かって歩いていく。二年生は現地集合なのだ。
ちなみに秀樹爺ちゃんはまだ寝ていたため謙一は、今朝は特製メニューを振舞われずに済んだわけである。
二人がJR芦屋駅構内に辿り着くと、
「おっはよう、ノブエちゃん、ケンちゃん」
「おはようございます。今日も清清しい五月晴れ、絶好の遠足日和ですね」
先に着いて待っていた歩未と真優子が爽やかな表情で挨拶してくる。
「おはよう」
謙一は少し緊張気味に、
「おはよー」
伸英は穏やかな声で挨拶を返した。
「貢と久晃は、やっぱまだ来てないのか。一応誘ってはみたんだけど」
謙一は周囲を確認してみた。
「先に行ってるかもしれないよ」
伸英の予測を、
「普段の登校時刻から考えて、それは無いと思う」
謙一は即否定。
四人は彼らを待つことなく改札を抜け、ほどなくしてやって来た野洲行き新快速電車に乗り込んだ。
揺られること約四五分。JR京都駅へ降り立った四人は構内を出て市バスに乗り換え、集合場所となっている清水寺仁王門前へ。淳和台高校二年生の多くの生徒達がすでにクラス毎に整列し、待機していた。
謙一の推測通り、貢と久晃はまだ来ていなかった。その二人がやって来たのは、
「やぁ、謙一殿ぉ」
「おはようございます柏岡君」
「おはよう。学校行く時と同じく遅刻ギリギリだな」
謙一達が着いてから二〇分ほど後。
このあと、清水の舞台でクラス毎の集合写真撮影。取り終わったクラスから自由行動がスタートする。
伸英、歩未、真優子の三人班は清水寺を参拝した後、ついでに八坂神社も参拝し、続いて京都大学吉田キャンパスへ。
百周年時計台記念館前にて、
「やっぱ講堂格好いいね。普通のチョコとホワイトチョコを混ぜたみたい」
「伸英さん、京大の講堂をお菓子に例えるのは失礼かも。あれが京大のシンボル、クスノキね。存在感があるわ」
真優子は記念館の入口前に堂々と聳え立つ、一本の大きなクスノキに目を向けた。
「このクスノキは多くの京大生達を見下ろして来たんだろうなぁ。手をかざせば、京大頭脳パワーが授かりそうだねえ」
歩未はにやけ顔でそう呟くと、この木に向かって両手をかざし、息をスゥーッと深く吸い込んだ。
「確かに頭がすごく良くなりそう。私もやろうっと」
伸英も真似してみた。
「なんか、本当に急に頭が良くなったような気がする。今ならワタシ、どんな難しい問題が出されても解けそうだ」
「私もそんな気がするぅ。ここは北野天満宮のなで牛や、地主神社の恋占いの石以上のパワースポットに違いないよ」
「二人とも、周りの京大生達に見られてるわよ」
真優子がにこにこ微笑みながら伝えると、
「べつにいいじゃん」
「私そんなの気にならないよ」
歩未と伸英は満足するまで手をかざすのを止めなかったのであった。
「そういえば、ドラ○ン桜とか、ラブ○なとか、東大一○線とか、主人公の東大受験をテーマにしたり、東大をネタにしたりしてるマンガはたくさんあるけど、京大が扱われてるマンガは全然無いよね」
歩未の呟きに、
「マンガ以外に実用書とかでも、東大や東大生のなんとかっていうのを本屋さんでよく見かけるけど、京大関連の本は受験参考書以外ではあまり見ないね。それにしても歩未ちゃん、マンガにすごく詳しいね。私一つも知らないよ」
「クイズ番組で超難問が出題される時も、東大生正答率何%とかって出るけど、京大生は話題にされないものね。宇○原さんは普通の東大卒業生よりもずっと賢いと思うんだけどな。やはり京大となると、東大と比較してどうしてもインパクトが薄くなっちゃうからなのかなぁ? 京都を舞台にした娯楽作品は数え切れないほどたくさんあるけど。今度のラノベの新人賞、主人公が京大を目指すテーマのストーリーを書いて応募しようかしら」
伸英と真優子はこう反応した。
「じゃあ主人公はワタシをモデルにしてよ。ワタシが某軽音楽部のようにお茶とお菓子を味わいながらゆるゆると受験勉強して京大に現役合格して、ハッピーエンド」
「キャラとストーリーに魅力が無くて一次で落とされそう」
歩未の希望を聞き、真優子がすかさず呆れ顔で言った。
その直後、不思議な出来事が――。
「ソコノオカッパアタマノキミハ、コノバニハフサワシクナイデゲスネ」
クスノキの上からこんな声が響いたのだ。
「ん? 今誰かおかっぱ頭って言ったような……」
歩未は顔を上に向けてみる。
そこにいたのは、体長三〇センチ少々の鳥。枝の上に足を引っ掛け留まっていた。
黄色いお顔、頬っぺたには日の丸のようなマーク、グレーの羽模様。
正体は――オカメインコだった。
「ドウモ、コンニチハ。エイゴナラハロー、イタリアゴナラボンジョルノ。キョウノキョウトハ、スガスガシイサツキバレデゲスネ。ゼッコウノカンコウビヨリデゲス」
こう発しながら、嘴をパクパク動かす。
「インコが、人の言葉喋ってる」
歩未はびくっと反応した。
「待てよ、それは、普通のことだよね」
しかしすぐに冷静に思い直してみる。
「でも、ここまで語彙が豊富なインコちゃんは滅多にいないよ。京大ではインコちゃんまで賢いんだね」
伸英は感心する。
「京大って、確か霊長類研究所ですごく賢いチンパンジーも飼育してたわね」
真優子が呟くと、
「ソノトオリデゲス。ミツアミトメガネノカワイイキミハ、トテモカシコソウ。コノチョウシデベンキョウヲガンバレバ、キョウダイゴウカクハ、カクジツデゲスヨ」
オカメインコはこう反応した。
「ありがとうオカメインコさん。なにげに江戸弁なのね」
真優子はにっこり笑みを浮かべ、嬉しがる。
「オレッチ、トウキョウウマレノトウキョウソダチデゲスカラ。ソレニヒキカエテ、オカッパノホウハ、イマノガクリョクデハ、トウテイココノガクセイニハナレナイデゲスヨ」
オカメインコに蔑むような声で言われ、
「なにこいつ、腹が立つなぁ」
歩未はくいっと眉を曲げ、オカメインコをキッと睨み付けた。
「御もっともね」
真優子はくすりと笑う。
「コワイデゲス」
オカメインコは歩未に恐怖心を感じてか、バッと羽を広げ枝の上から飛び立ってしまった。
「つかまえてやるぅっ! 待てぇぇぇーっ!」
歩未はオカメインコを追いかける。しかし鳥の持つ身体能力には当然のように敵わなかった。
しかも、
「うわっ!」
オカメインコに糞を頭上にぽとりと落とされたのだ。
「ショソクド0、カソクドgの、ジユウラッカ、デゲス」
オカメインコは空中を旋回しながらこう呟いた。
「オカメインコさん、そんな物理学用語も知ってたのね。凄いわ」
「さすが、京大に巣食うオカメインコちゃんだね」
真優子と伸英は称賛する。
「汚ぁっ。諸に狙われたよ」
歩未は怒り心頭。鞄からポケットティッシュを取り出し、不機嫌そうに頭を拭いた。
その時、
「こら、喜三郎、何やってるの?」
突如、どこかからこんな声。
三人は反射的にその声のした方を振り向いた。
そこに現れたのは、十歳か十一歳くらいに見える可愛らしい少女。ほんのり茶色みがかった黒髪をショートボブにしており、背丈は一四〇センチあるかないかくらい。丸っこい瞳に丸っこいお顔でおでこが広く、幼さがより一層引き立たされていた。
「小学生?」
真優子はきょとんとした表情でぽつりと呟く。
「お騒がせして申し訳ございません。あたし、この子の飼い主の仙頭智穂と申します。私立女子橙蔭学園高等部の一年生、飛び級ではなくて、正真正銘の十五歳です。この度、学校行事の新入生オリエンテーション合宿の一環で、あたし達高等部一年生は京都を訪れているんです。ちなみにこのオカメインコの喜三郎は、高校入学祝でママに買ってもらったの。年齢は二歳くらいみたいです。おウチでお留守番させてたんだけど、勝手について来ちゃった」
智穂という子だった。名乗ると続けてやや早口調で自己紹介とペットの紹介をする。
「飼い主さんがいらっしゃったとは……喜三郎って、第五代横綱の小野川喜三郎と同じ名前じゃん」
歩未は苦笑顔。
「はい。よくご存知ですね。かの第四代横綱谷風梶之助さんと一時代を築き上げたそのお方から付けたの」
智穂は嬉しそうに説明した。
「チホちゃん、だったね。相撲好きなの?」
「はい。けっこう好きですよ。両国国技館で行われる初場所、夏場所、秋場所は生で見に行くこともあります」
歩未の質問に、智穂は嬉しそうに生き生きとした表情で答える。
「そうなんだ。ワタシも相撲見るの大好きだよ」
「そうなんですか。あたしと同じ趣味をお持ちで嬉しいです。ところで、あなたと、そちらのお二方のお名前は何とおっしゃるのでしょうか?」
「ワタシ、坂東歩未だよ」
「新免真優子です」
「私は笹内伸英だよ」
「ちなみに三人ともチホちゃんより一つ上の高二」
「そうなんですか。覚えました。三人ともいいお名前ですね」
「それほどでもないかな。智穂さんの通う橙蔭って、東大進学者数、女子高では毎年トップクラスの実績を誇る相当な名門校じゃない。とても賢いのね」
真優子はにっこり微笑みながら褒める。
「いえ、あたしはそれほどでもないです。あたし、一応東大第一志望ですが、自信が無いので京大も考えていますよ。それで今回、班行動で京大を視察しに訪れてみたんです」
智穂が三人に伝えている最中、
「ちほー、きさぶろう見つかったの?」
別の女の子の叫び声。
「うん。クスノキの近くにいたよ」
「よかったね。じゃ、そろそろ慈照寺見に行こう」
「うん。今行くぅーっ。では皆さん、友達が呼んでるので、さようなら」
智穂はそう告げてぺこんと一礼し、お友達のいる方へ向かってとことこ走っていく。
「ソレデハマタアオウ。タッシャデナ」
オカメインコはそう発すると、走っている智穂の手の甲に乗っかったのであった。
「あの智穂ちゃんって子、京大も志望してるんだね。お友達もそうなのかな?」
「智穂さんの通う学校、東大進学に熱を入れてるから、京大を志望すると医学部医学科じゃない限り先生にあまり良い顔されないって話聞いたことあるけどね。智穂さんのお友達も、わたし達とは比較にならないほど才媛っぽさが漂ってるわね」
「チホちゃん、やっぱ同級生と比べて一回り小さいね。高一には見えない。小学生にしか見えないよ」
智穂という子とその友人達計六名の後姿を眺めての、三人の反応。
「歩未さんもあの子のこといえないでしょ?」
真優子は微笑みながら問う。
「確かにそうだけどね。ワタシも休日に私服で街出歩いてると、小学生によく間違えられるし」
歩未は苦笑いを浮かべて打ち明けた。
「智穂ちゃん、ちっちゃくてすごく可愛かったね。謙遜してたけど、橙蔭の子の時点で私よりもずーっと賢いと思うよ」
伸英はほんわかとした表情で打ち明ける。智穂のことを尊敬しているようだった。
「智穂さんのペットの、喜三郎っていうオカメインコさんも知能凄かったわね」
「確かに。ワタシはあいつ、気に食わなかったけど」
歩未はちょっぴり不愉快な気分に陥る。
「喜三郎ちゃんも私より絶対賢いよ。そろそろお昼時だね。お昼ご飯はあそこのレストランで食べようよ」
伸英は時計台で今の時刻を確認すると、正門のすぐ側にある建物を手で指し示した。
「いいわね。京大の学食は一般の方もけっこう利用してるみたいだし」
「ワタシも賛成。一足先に京大生気分が味わえるもんね。お昼済んだら記念館の中入って、そのあとついでに吉田寮も見に行こう!」
「わたし、ips細胞研究所の建物も見に行きたいな。運が良ければ山中教授のお姿を拝見出来るかもしれないし」
こうして三人は、京大正門前のカフェレストランへ入店した。三人とも同じ特別ランチを注文し、舌鼓を打つ。
時を同じくして謙一、貢、久晃の男子三人組は、
「あなた達、娯楽施設への立ち入りは禁止って言われたでしょう!」
「はっ、はい」
「それは、おいら、知っとってんけど」
「もっ、申し訳ございませぇん。ボク、深々と反省しておりますぅ」
新京極商店街で担任の西脇先生から厳しく咎められていた。彼女他先生方は生徒達が規律正しく行動出来ているか京都市内随所で見回りを行っていたのだ。
「おまえらさっき買うたもん、全部出せぇ! 没収じゃっ!」
西脇先生の側にもう一人、金剛寺という名の男の先生が仁王立ちしていた。保健体育科で男子バレーボール部顧問、生徒指導部長でもある。年齢は四〇代半ばくらい。上背一九〇センチを超え筋骨隆々で、苗字の通り東大寺南大門に聳え立つ金剛力士像のような風貌を持つ強面なお方だ。
「それは、ご勘弁……」
貢は彼を見上げながら震えた声で求めるが、
「従わんかったら、連帯責任で三人とも停学処分やっ!」
「わっ、分かりましたぁー」
「ボッ、ボクも正直に、出しますのでぇーお許しをぉぉぉ」
金剛寺先生からギロッと睨まれ迫力のある声で脅され、貢と久晃はびくびく震えながらしぶしぶ鞄の中から先ほど買った商品を全て取り出し手渡した。
「何やこいつらはっ! こんなのがうちの高校に登校して来たら、即刻スプレーで真っ黒に染めて一ヶ月の停学処分にするぞ。おまえらこんな不健全なもん、ようけ買うて」
受け取って目にした瞬間、金剛寺先生は眉をくいっと曲げ、元々険しかった表情をさらに険しくする。髪の色が緑やピンクやオレンジや紫や青、瞳の大きな可愛らしい美少女キャラが数多く登場するアニメのぬいぐるみや下敷き、携帯ストラップ、クリアファイルなどのキャラクターグッズの数々だったのだ。
「せめてA○Bのグッズならね」
西脇先生も困惑顔。
「俺は、何にも、買ってません。その、この二人に、やめた方が良いよと、俺は言ったのですけど……」
謙一はやや怯えながら金剛寺先生に主張する。
「おまえはまあ、普段の生活態度見る限りそうやろうな。大井川に虫明ぇ、自由行動中、今度娯楽施設に立ち寄ったら、問答無用で一週間の停学処分やから覚悟しておけよ」
金剛寺先生はそう念を押して、西脇先生と共に別の場所へと移動していった。
ようやく解放された男子三人は、
「あー、酷い目に遭ったよん」
「まさかあんな場所で監視しているとは、ゆめゆめ思わなかったぜ。おいらの小遣い、三千円近い損失が……」
「だから言っただろ。自業自得だ」
他にもう一軒立ち寄ろうと計画してしていたアニメ系ショップと、某大人気日常系軽音楽アニメにも登場したレコード店への出入りは断念することにしたのであった。
※ ※ ※
夕方、JR京都駅で現地解散後、JR芦屋駅まで戻って来た謙一と伸英は、歩未と真優子と別れた後、自宅への帰り道を一緒に歩き進んでいく。
「――講堂もとってもきれいで、学食もすごく美味しかったし、私、京大の受験意欲がますます高まったよ」
「それは良かったね。伸英ちゃん、お土産も、いっぱい買ったんだね」
「うん、京菓子の詰め合わせとか、生八ツ橋とか抹茶味のお饅頭とか落雁とか最中とか、あと民芸品や雑貨、時計台記念館で売ってた京大のグッズもついつい買い過ぎちゃって」
「あの、どれか、俺が、持って、あげようか?」
謙一は、両手に荷物を抱え重たそうにしていた伸英に、少し緊張気味に話しかけた。
「ありがとう謙一くん。助かるよ」
「いや、どういたしまて」
謙一は照れくさそうに、伸英から紙袋を受け取り空いている左手に持つ。
しばらく歩いていると、
「二人とも、すごく仲良いわね」
背後からこんな声がした。
「あっ、姉ちゃん」
謙一は反射的に振り返る。
そこに現れたのは謙一の姉、聡美だった。背丈は伸英よりちょっぴり低め。丸っこいお顔でぱっちりとした瞳、痩せても太ってもなく標準的な体つき。ほんのり茶色みがかった髪の毛をポニーテールに束ねているのがチャームポイント。女子大生だが、まだ女子高生としてもじゅうぶん通用するちょっぴりあどけない顔つきをしている。
「こんばんは聡美ちゃん、お久し振りですね」
伸英は嬉しそうに挨拶する。
「やっほー伸ちゃん。帰る時間たまたま一緒になったね。同じ電車だったのかな?」
聡美も嬉しそうだった。
こうして残りの道は、三人一緒に帰っていく。
「ねえ二人とも、明日、映画見に行かない? うちの友達、彼氏と行くつもりだったみたいだけど、都合が付かなくなっちゃったみたいだからチケット貰ったの。どの映画見てもOKな共通券よ」
聡美は鞄からチケット二枚を取り出してかざし、誘いかけた。
「映画かぁ。そうですね、私、ちょうど見たい映画があるので見に行くよ。三宮のあそこで使えるんですね」
伸英はすぐに乗ったが、
「俺は、いいよ。姉ちゃんと伸英ちゃんで見に行って来たら」
謙一は拒否。
「それは無理。ペアチケットだから男女一組でしか使えないの。謙一、伸ちゃんと一緒に見に行ってあげなさい」
「えー」
「謙一くん、一緒に見に行こうよぅ」
伸英に手首をガシッとつかまれる。
「でも……」
「もう、謙一ったら。デートだからって照れちゃって」
さらに聡美が頬っぺたをぷにっと押してくる。
「姉ちゃん、べつにデートじゃないだろ」
謙一は伸英と聡美から目を逸らしながらかなり照れくさそうに主張した。
「明日がとっても楽しみだなぁ。日曜はお母さんと宝塚歌劇見に行く予定だから、今日中に宿題全部片付けとかなくちゃ」
伸英は満面の笑みを浮かべ、わくわくした様子で聡美からチケットを受け取ったのであった。




