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第一章

 人食いの森に遊びにおいで

 みんな、あなたを歓迎するよ

 きっと、ここを気に入るよ

 帰りたくなくなるくらい

 

 とっても、楽しいところだよ




~ようこそ、人食いの森へ~




 暗い森の中。

 大人が十人で手を広げて取り囲んでも、一回りできないような太い幹。栄養が枝の隅々まで行き届き、育ちすぎた葉に占領された森の空。

 まだ午後になったばかりだというのに、森の中からは空を仰いでも光は一筋も見えない。

 見えるのは、漆黒。それか育ちすぎた葉だけだ。動物の鳴き声さえも一つもなく、どこからともなく冷たい風が吹いてくる。それに揺られてたつ葉のざわめきだけが響き、気味の悪さが際立っていく。

 故に、視界は漆黒だ。

 完全な黒ではないものの、光は限りなくないに等しい。木々の間から風が吹かなければ沈黙が耳を刺すだろう。そんな、本来ならば人の気配など欠片もない世界。

 そんな森の中で、少年は一人必死に草を掻き分け道無き道を進んでいた。

 さくり、さくりと、枯れた草や見たこともない硬い花を踏んでいく。その度に、足の音が大きく響く。人間の足音などこの森では新鮮なのか、さっさと生物達は少年の回りから気配を消していた。

 少年がこの森の中に足を踏み入れてから、既に数時間は経過している。

 恐怖で白くなった頬には、土や泥だらけとなっていた。いつもならば綺麗に梳かれている黒髪は酷く乱れ、赤茶色の瞳は涙を流しすぎて充血している。折角の端麗な美貌が、台無しだ。

 長袖、長ズボンだったのであろう服は、もはやファッションと言い切れぬほどに破れ、薄汚れていた。着替えを持っていたとしても、数十歩進めば服はどれも同じ末路をたどるだろう。

 森は容赦なく、少年の体力と精神を削っていく。

 それでも、少年は足を止めなかった。持っている懐中電灯で足元や前方、後ろに何もいないか確認しながら、足を進めていく。

 擦り傷だらけの左手には地図がある。それを頼りに、少年は目的地を目指していた。

だが、森はどこもかしこも同じような針葉樹林だ。剥き出しの黒い土は道を右に作ったり、左に道を伸ばしたり。どちらが正面でどちらが後ろか。左右さえも惑わせるほど入り組んだ道となっている。まるで迷路だ。

 それに加え、足場も悪い。土の下から這い出た根っこが少年の足を取り、バランスを崩させる。引っかかれば華奢な足は身体を支えきれず、少年を無様に転倒させた。

 冷たい土に打ち付けられる度に、少年は決意を揺らす、帰りたいと思ってしまう。

 しかし、引き返すことは当に出来ない。

 帰り道すら、もう分からないのだから。

「くそ……っ」

 少年は少しでも気を紛らわそうと、悪態を吐き出す。舌打ちは、悲しく響くだけだった。


 少年が迷い込んでいる森の名は【人食いの森】。

 名前の通り、森の中に入ったらどんな大勢の人間でも食べてしまったかのように消してしまう、迷いの森だった。

 森へ入り、帰ってきた者は一人もいない。警察も救助隊も、その他どんな人間であれ、一人たりとて戻ってきていないと言う意味だ。

 例え二十人で森に入っても、二十人全員が帰ってこない。車もバイクも、きっとヘリコプターでさえ森に入ったら最後、出てくることはない。

 そんな古代の書物から危険だと言い伝えられている森の胃へ、少年は自ら飛び込んだ。危険を侵してでも、少年にはこの森に入る理由が存在したのだ。

 今から数ヶ月前。少年の前からたった一人の肉親、兄の()(いち)が姿を消した。

 楡一は人食いの森を研究している大学のサークルに所属しており、数年前からこの森を深く調査していた。

 どうして人が消えてしまうのか。どうして誰も帰って来られないのか。それを科学的に解明しようと楡一は日々研究に没頭していた。

 何故、兄がそんなことに興味を持ったのか、熱中しているのかを少年は知らない。だが、生き生きと話す兄の姿は本当に楽しそうで、解明できるようにと応援していた。

 だが、どんな論議をしても文献を読んでも、これという結論は出て来なかった。

 それも当然だろう。古い書物も、レポートも、所詮は森に入っていない人間が書いた空想だ。ただ自己流の意見を述べただけのもの参考にして論じているだけでは、知れる範囲に限度がある。得られた知識は零と言っても間違いではないだろう。

 調べられるものは調べつくし、限界を感じた楡一は、研究者ならば誰もが行き着いてしまう結論に至った。

 森へ、入ると。

 今までに何十人、何百人もの命を頬張った森だ。当然のように森へ入ることは禁忌とされ、法律的にも禁止されている。

 それでも楡一たちは覚悟を曲げなかった。念密に計画を立て、親や恋人にさえ秘密にし、楡一を入れて六人の若者が森の中へと消えていった。

 唯一、他言無用とされた計画が伝えられたのは、リーダーである楡一の弟、祐樹(ゆうき)だけだった。

 泣いて森へ行くことを止める祐樹に、楡一は、

『絶対、帰ってきてやるから』

 笑顔でそう言って、家を出て行った。

 それから、もう三ヶ月。森へ入った研究員は誰一人として帰って来ていない。

 唐突に姿を消し、連絡は途絶えた学生達。人数が人数だけに、消えてしまった人に関係する家族や恋人、大学関係者達は騒ぎたて、事件にまで発展した。

 勿論、祐樹も警察や救助隊に助けを求めた。楡一が森へ入ったこと、秘密にしておけといわれたことも全て暴露し、救援を願った。

 だが、警察や捜査機関は一切動いてはくれなかった。

 親身に話を聞いてくれていた府警も、捜査官も、姿を消した者の恋人さえも、諦めに顔を染めた。人食いの森という単語を聞いた瞬間、大人達の顔色は変わってしまった。サークルの存在を知っていた一部の人間たちと同じ反応をし、呆れた溜息を漏らすだけとなった。

 祐樹の話を切欠に、行方不明者の捜索は打ち切られてしまった。一般人では逆らえない上の人間に揉み消されたのだ。

 楡一達が森へ入っていったという証拠は一つもなかった。森へなど入っていない。大人達はそれの一点張りで、冷や汗を流しながら笑うだけだった。

 程なくして、ニュースでは集団で自殺を図ったのではないかと嘘の報道をされ、事件はあっけなく幕を閉じた。

 兄は自殺などしていない。生きている。そんな必死の祐樹の言葉に、誰も耳を傾けてくれなくなった。

 それもそのはず。

 遊び感覚で人食いの森に入った人間は数知れず。行方を眩ませた者達を探しに行く為に森へ捜索に入り、消えていった人間も百では済まない。

 楡一も例外にならず、森に食われた。数週間も経てば皆、戻ってくることはないと諦めていた。

 そんな中、祐樹だけは違った。楡一が帰ってくると信じ、数ヶ月、家に引きこもって兄の帰りを待った。待ち続けた。

 だが、やはり楡一が家に帰ってくることはなかった。

 両親は早くに病気で亡くなり、祐樹には兄しかいなかった。楡一がいなければ、祐樹は一人だった。

 ずっと一緒だった兄がいなければ、祐樹は死んだも同然だった。

 金や、生活面の話ではない。心の問題だ。早くに死んだ両親の変わりに、祐樹に一杯の愛情を与えて育ててくれたのは、楡一だ。楡一は祐樹にとって親同然の存在。自分自身よりも大切な、かけがえのない存在だった。

 その楡一が突然いなくなってしまったのだ。まだ幼い祐樹が、それを認められるはずもない。

 祐樹の精神はボロボロとなり、食事も喉を通らないほど衰弱した。身近な親戚に病院へと入院させられ、何とか体調は戻った。だが、心の痛みは病院の治療では癒されなかった。祐樹は、弱っていく一方だった。

 そして昨日。ついに、寂しさが頂点に達した。

 楡一の代わりに祐樹の面倒を見ることになった親戚の目を盗んで、祐樹は家を飛び出した。

 そう、向かった場所は勿論【人食いの森】。兄の生存を、確かなものにするために。




 時はゆっくりと、確実に時間を進めていく。

 祐樹が森へ入ったのは、昼過ぎだ。だが、既に刻限は夜へと移り変わり始めていた。暗かった森は更に黒さを増し、見えていた木々や足元さえも暗澹の中に埋もれだしていた。

 見上げても、空を隠してしまう木しかない。黒が、少年の気分すらも覆っていく。

 少し前から、祐樹の視界は懐中電灯だけが頼りとなっていた。夕刻から完全な深夜へと変化し、祐樹が気づいた頃には、森は懐中電灯の光だけでは進めないほど暗黒となっていた。

 黒の恐怖と、歩き疲れ。精神まで完全に削ぎ落とされ、祐樹は電池が切れたように、足の動きを止めた。

 前や上を見ていた瞳を、手に映す。握り締めているだけの紙は、地図。入った直後から見方がわからなくなり、次第に汚れで見づらくなり、今ではもう役に立たないものとなっている。

「こんなもの!」

 ふつふつと湧いてきた怒りのままに、祐樹は地図を投げ捨てた。

 紙はカサリと地面に当たり、そこからはあっという間に視界から消えていった。どちらに転がっていったかもわからないほど静かに、地図はないものとなった。

 はっはっと荒く息を吐く祐樹の熱を、刺す様な冷たい風と空気が奪っていく。指先、鼻や頬は、赤から白になっていく。

 防寒などコートくらいしかしていなかった祐樹の身体は、凍り付いていた。じりじりと体温は下がり、涙を落とす瞳さえ熱くはならない。

 容赦のない風が祐樹を襲い、吸い込んだ酸素の冷たさに、身体が悲鳴を上げた。森に秋の面影などはなく、今にも雪が降り出しそうな氷点下が祐樹を追い詰める。

 漆黒の中で、祐樹の肌と懐中電灯だけが、白く光る。

「にい、さん……」

 祐樹は泣いているような声で、森に入ってから初めて兄を呼んだ。

 声は闇に溶かされていく。辺りは祐樹の存在を忘れたかのように、沈黙となる。その静けさに、祐樹はその場に座り込んでしまった。

 自分は迷わない、大丈夫だと意気込んでいた勢いは、さっさとどこかへ置いてきてしまった。今、祐樹の中にあるのは、恐怖と寂しさだけだ。

 兄のことばかりを思いすぎ、祐樹は森の恐ろしさなど考えてはいなかった。皆、自分は大丈夫だと勝手に決めつけ、そして、森に自ら身体を捧げる。

 祐樹も、そんな末路を歩み始めていた。例外などないのだ。

「兄さんっ……」

 小さく、弱々しい声は、誰にも届くことなく消えていく。

「も、だめ……むり……助けて、兄さんっ……」

 しばらく、祐樹は暖かな兄の笑顔を思い、泣いた。助けてと繰り返し、ないと分かっている救済を請う。

 しかし、泣いていてもどうにもならない。止まる訳には行かない。祐樹は 震える身体を擦りながら、少しでも落ち着けようと深呼吸を繰り返した。

 冷たい空気が肺を苛める。それでも、視界にあるもの入ったことで、祐樹は細めていた瞳を開けていく。

「あ」

 そこにあったのは、忘れかけていた明るい色だった。

 明かりは祐樹が座り込んだ少し先の小さな花から放たれていた。ピンク色の綺麗な花だ。一輪だけ、取り残されたように咲いている。

 実際に光っているかは分らないが、祐樹には確かに、花そのものが光を出しているように見えていた。

 だが、その花の上には石が乗っていた。たいして大きな石ではないが、鼻の茎を折り曲げ、伸びることを妨げている。


――助けて


 どこからか、そう聞こえた。幻聴だと分かっていながらも、祐樹は悴む掌に息を吹きかけ、地面を這い始めた。ゆっくりとだが、花の元へと向かっていく。

 近くで見れば、どこまでも綺麗な花だった。見事な円の花弁が六枚に折り重なっている。ピンクの色も、光っていてもおかしくないほど、見たこともない純粋な色をしていた。それ故に、石の存在が痛ましかった。

 土に擦れて痛む膝を保護するように座り込んでから、祐樹は花の上から石を退かした。

 花を虐めていたその石を、折れかけている茎を支えるように横に置いてやる。そうすれば、花は何とか気力を得たように首を上げた。風を受けても、必死に身体を石にしがみ付かせている。

「よかった……」

 祐樹はほっと、白い息を吐いた。息は直ぐに色を失くし、闇に溶けた。

 こんな小さな花でも頑張っている。

 そう思えたことで、祐樹の眉が上がる。腕で、浮かんでいた涙を拭う。

 暗闇は明けない。だが、前に進もうという気力は漲ってきた。祐樹は再び前に進もうと決意する。

「くっ……」

 弱っている腰に力を入れる。立とうと試みるが、足は祐樹の叱咤を完全に無視していた。

 だが、立たなければ始まらない。

近くの木まで這い、しがみ付く。指先は寒さで痺れて役には立たない。何とか残っている腕の力だけを振り絞る。

 数分間の格闘の末、祐樹は膝をガクガクと揺らしながらも何とか立ち上がることに成功した。祐樹に、小さな笑顔が戻る。

「グルル……」

 だが、その矢先。静かだった森に、突如生き物の音が響いた。

 風ではない動きで、近くの長い雑草が蠢く。音の元凶が、もの凄い勢いで祐樹に迫っている。

 図太い足音が膣を踏んで、地響きを立てる。姿は見えなくとも、足音で物体の大きさなど予想は出来た。それほどに、音は大きい。

 突然のことに、祐樹は焦る。立ったのはよいものの、足は震え、恐怖で腰は抜けている。とても歩けるような状態ではない。

 そんな祐樹などお構いなしに、何かは、確実に祐樹の元に近づいていた。祐樹の、真後ろから。

 耳を占める音に、祐樹は立って走ることを諦めた。どれだけ間抜けな格好であろうが、這ってでも逃げることが先決だった。

 だが、思い立つのが、遅すぎた。

 生物は、祐樹が地面に落ちたと同時に、長い草の間から飛び出していた。

「ガ……」

 祐樹の目の前に姿を現したのは、見たこともない生き物だった。

 闇の中にもかかわらず、目が痛いほどさえて映る傾向の真っ白な毛並み。 顔には、今にも飛び出してきそうな充血した目玉が祐樹を睨んでいる。

 四本ある牙は腕よりも太いナイフのような形をしていた。息が荒く、しゃくれた大きな口。石のように硬そうな前足と後足に、大きく黒い蹄。

 猪のような形をしているが、猪ではない。本の中でも見たことのないような生物だった。

 獣は裂けたように大きな口からねっとりとした液体を垂れ流しながら、禍々しい瞳で祐樹を見つめていた。

「う、うわぁあああっ!」

 大声を出さずに入られなかった。大声は森中に響いたが、誰かが聞きつけて助けに来てくれることは、ない。

「グギギ……」

 機械のような声を上げて獣が鳴く。双眸は祐樹だけを映し、ぬらりと光る。名も知らぬ獣は祐樹に狙いを付けていた。

 獲物を見つけたせいか鼻息は荒く、溢れる涎も量を増していく。強烈な硫黄の臭いが、祐樹の鼻を突いた。

 恐怖が、寒さを忘れさせる。

「グギ、ギィ」


――ゴツン。


 ありえない音を出して蹄が前へと進む。

 祐樹は指の先すら動かすことも、化け物から目を逸らすこともできず、息を殺す。


――ゴツン。


 獣は前へと、祐樹の近くへと進んでいく。唾液がぼたりと地面に落ち、草を溶かした。


 ――ゴツン。


 巨大すぎる獣の一歩は、大きい。

 あっという間に祐樹との距離は縮まり、生々しい野生の臭いは強くなった。


――ゴツン。

 

 そして、遂に白の獣が、祐樹の目の前にまで迫った。

 猛獣の影で祐樹は包まれる。涎が祐樹のすぐ隣に落ち、熱すぎる熱気を頬に感じた。吐気を催す臭いに、呼吸が出来ない。

「あ、や、や……」

 漸く出された声は、頼りなく擦れたものだった。身体は動かず、視線さえ 逸らせない。酸素の吸い方を忘れ、身体機能が麻痺を起こす。

 脳が、もう終わりだと、祐樹の身体全体に伝えていく。

「グギャギャア!」

 身体の半分以上に開いた口が祐樹に襲い掛かった。唾液が髪を掠り、シュワと耳の傍で髪を溶かした。

「いやだ、いやだ! 兄さん……っ!」

 祐樹は反射的に頭を抱きかかえ、その場に蹲った。

 頭に浮かんだのは兄の笑顔だった。最後に、一目だけでも会いたかった。話をしたかった。そんな思いで胸が埋まっていく。

 思い出が駆け巡る。家族で旅行に行ったこと。プールで溺れかけこと。始めての兄弟喧嘩に、中学の入学式、友達との些細な会話……

 長い間、祐樹は走馬灯を見た。幼い頃の記憶からごく最近の出来事まで、忘れていたようなことまでもが脳を駆け巡った。

 その時間は余りにも長すぎた。冷静ではない祐樹でも、気づけるほどに。

 痛みは、何時まで経っても襲ってこなかったのだ。

 祐樹は恐る恐る瞼を上げる。真っ暗だった世界と余り代わりのない色をした森の中だが、先程まではなかったものが祐樹の目に飛び込んできた。

 赤茶色の瞳に映ったのは、獣ではなかった。

「だめだよ」

 まず目に入ったのは長い、透けるような緑の髪だった。光がないにも関わらず明るさを集め、きらりと輝く。

「この子は、だーめ」

 子どものように高い声が、祐樹ではなく獣に向く。化け物が、見る見るうちに口を閉ざしていく。白色の毛が青ざめていくようだった。

「かえって」

 少女の一言で獣は大きく身震いをした。そして、大慌てしたように尻尾を巻き、逃げていった。

 どすん、ばたんと、転ぶような足音が遠ざかっていく。祐樹に向けられていた殺気が嘘だったかのように、その背中には哀れさしかない。

 祐樹は開いた口を塞ぐこともせず、小さくなっていく白を消えるまで見つめていた。

「だいじょーぶ?」

 獣がいなくなると、少女はくるりと後を向いた。祐樹と少女の顔が八合う。

 可愛らしい少女だった。

 腰よりも長い髪と同様に、くりくりとした大きな瞳も緑色。小さな顔に嵌る眉や鼻の形も良く、肌は純白という表現が合っているように白い。

 白すぎる肌が頬のピンクを強調している。大きく開いて笑っている赤い口も、目立って見える。動いていなければ人形のようだ。

 だが、ぷにぷにとしている従姉妹の頬を知っている祐樹から見れば、少女は痩せすぎていた。輪郭は丸いものの頬に膨らみはない。腕や足も細く、木の枝のようだ。全体的に肉が付いていない。

 それでも、少女に貧相さはない。

「もう、たいじょーぶだよ」

 祐樹よりも少し小さい背丈の少女は、きらきらとしている双眸を細めた。幼い笑顔は純粋そのもので、祐樹の恐怖を削いでいく。

「あ、りがとう……」

 自然と出た祐樹の言葉に少女の瞳は煌きを増した。闇の中で、少女だけが光を帯びていた。

「とわね、トワっていうの! あなたのお名前は?」

トワと名乗った少女はぴょんと飛び、祐樹との距離を詰めた。祐樹は反射的に身体を後に反らせたが、声は勝手にトワへと向かった。

「え、あ、祐樹……」

「祐樹、祐樹ね! とわ、覚えた!」

 トワは何度も頷いて、可愛らしい声で祐樹の名前を呼んだ。祐樹もつられるように固くなっていた首を縦に振る。祐樹がトワと小さく名前を零せば、トワは太陽のように微笑んだ。

「あのね、こっち!」

 笑顔のままトワは小さな手で祐樹の手を掴み、唐突に走り出した。

「わっ!」

 手の温もりに感動する暇も与えられず、祐樹の身体はくんとトワに引かれた。その途端、抜けていた祐樹の腰がふわりと浮く。

 足裏は地面に付き、トワの小幅に合わせて動き出す。先ほどまで木のように固まっていた筋肉は悲鳴を上げながらも、軽々と進んでいった。

 二人はそのまま言葉もなく走った。

 聞きたいことはたくさんあったのだが、祐樹は上手くできない息のせいで声を出すことができない。

 何故、獣を追い払うことが出来たのか。

 何故、こんなところに女の子が一人でいるのか。

 疑問はいくらでもあった。トワは、猛獣の仲間ではないかという疑いも拭えなかった。だが、トワの足音、息遣いが耳に入り込めば恐怖が消えていく。

 柔らかい草が痛めつけられていた祐樹の足を労わる。先ほどまで祐樹を傷付けていた葉は優しく祐樹の髪や身体を撫でるように、穏やかな動きで祐樹に触れる。

 トワの進む道に邪魔な障害物はなかった。まるで木や葉や根が、トワと祐樹を避けているかのようにして、細い道が続いていく。

 細い道はやがて大きな道へ変わった。

 二人が手を広げて走っても木に触れられないほど広い道だった。しばらくそこを走れば、ぽつ、ぽつと明かりが見え始めた。

 先ほど祐樹が助けたピンク色の花が、道の両端にたくさんの列を成して並んでいた。花は一定の間隔にありピンク色に光っている。

まるで、二人に行き先を教えているようだった。

「あとちょっとだよ!」

 祐樹が通り過ぎて行くピンクを目で追っていると、トワが走りながら後ろを振り返った。

 心に巻かれていた蔦を解いていくような、ほわりとした微笑。祐樹は寒さがなくなっていることも気づかずに、トワに見惚れながら足を走らせた。


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