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「神童」と呼ばれた私は、王太子の隣で“置物”を演じた結果、すべてを失わせることにした

作者: 月森 なお
掲載日:2026/04/20

王立学院・大講堂は、その日、ひどくよく整えられていた。

学年最後の成績優秀者を讃える、慰労パーティー。

華やかなシャンデリアの光を浴びて壇上に立つのは、最優秀成績者とその次席として紹介されたばかりの第一王子、レオンハルト・グランディス。そしてその隣には、彼がエスコートする公爵令嬢クラリス・ディアヴェルが、誇らしげな笑みを浮かべて寄り添っている。


「……アリシア・ノクティス伯爵令嬢はいるか」


名を呼ばれた令嬢は、静かに、そしてゆっくりと一歩前へ出た。

ピンクのふわふわと揺れる髪を持つ、あどけない少女。その愛らしい外見とは対照的に、所作のすべてが精巧に造られた人形のように、隙なく美しい。


「君との婚約を、白紙に戻そうと思う」


レオンハルトの傲慢な声が、講堂の隅々まで響き渡る。

「かつて君が『天才』と呼ばれたその才能を買い、父上が決めた婚約だったが……今の君はどうだ。婚約を結んでからというもの、成績は落ちる一方。今回の試験では上位に掠りもしていない。父上ともあろうお方が、これほどまでに評価を見誤るとは。将来の王妃には、クラリスのような聡明な女性こそが相応しい」


突き刺さるような嘲笑の視線。

けれどアリシアは、精巧なアンドロイドのごとく無感情な表情を崩さなかった。教本通りに完璧なカーテシーを披露し、硬質な声でゆっくりと問い返す。


「……殿下のご判断を、支持いたします。それは、殿下の自由意志によって婚約破棄を下された、ということでよろしいでしょうか」


「しつこいぞ。そうだと言っている」


「……左様でございますか。承知いたしました。


それでは――”婚約破棄”、確かに賜りましたわ」


ゆっくりと目を閉じ、一呼吸する。

アリシアの肩が微かに震えた。

そして、次に目を開けると、それまでのあどけなさが嘘のような不敵な笑みを浮かべ、レオンハルトを真っ向から見据えた。



アリシア・ノクティス伯爵令嬢が「神童」と呼ばれたのは、もはや遠い昔の話だ。


三歳で公用語を解し、五歳で哲学者と論を交わし、七歳で貴族令嬢に必要なすべての教養を「履修済み」とした。


だが、彼女が真に周囲を震撼させたのは十歳の時である。

彼女は既存の魔法理論を効率の悪さゆえに一度解体し、独自の術式へと書き換えた。結果、伯爵領の収穫量は爆発的に増大し、特産品の価値は跳ね上がった。


その莫大な利益という名の「果実」を、王家が見逃すはずもなかった。

第一王子レオンハルトの婚約者という名の、半ば強制的な「囲い込み」。

ただ、その際にノクティス伯爵家が提示した、唯一にして絶対の条件。


『決してアリシアを軽んじることなく、常に対等の立場で接すること』


完璧な自分を信じて疑わないレオンハルトにとって、その条件は滑稽な縛りに過ぎなかった。

初対面は互いに十二歳。すでに公務をこなし、己の優秀さを確信していたレオンハルトには、目の前の少女がひどく凡庸に映った。


洗練された王族や高位貴族に囲まれて育った彼から見れば、伯爵令嬢アリシアの外見はひどく幼く、所作も王族の伴侶としては見劣りする。形式をなぞるだけの受け答えに、自分と並び立つほどの「天才性」など微塵も感じられなかった。


(たかが伯爵令嬢が、この私と対等だと?)


いかに周囲が天才と持て囃そうと、所詮は田舎の小娘が幸運を掴んだだけ。そう高を括った彼は、アリシアとの交流を「儀礼的な挨拶と贈答」という最低限の事務処理に封じ込めた。


義務として設けられた茶会の席も、沈黙が支配した。

当初こそ二、三の言葉をかけ、試すように政務の話題を振ってみたこともあったが、返ってくるのは教科書を丸暗記したような、血の通わない回答ばかり。


「暗記が得意なだけか。まともな議論もできぬとは、話にならん」

やがて彼は公務の多忙を理由に、彼女と向き合うわずかな時間さえも切り捨てていった。



やがて、十五歳となり、

王立学院へ入学したアリシアの成績を見て、レオンハルトは確信を深めた。


「ふん……かつて神童と持て囃されたようだが、やはりこの程度か。凡人、いや、それ以下に落ちぶれたな」


そこにいたのは、かつての輝きを失い、可もなく不可もない「優秀な枠」に収まるだけのおっとりとした少女。かつての期待は、今や冷ややかな蔑視へと変わっていた。


レオンハルトは、もはや彼女を避けることすら隠さなかった。

「婚約者を名乗るなら、私に見合う成績を収めてからにしろ」

そう吐き捨て、言葉を交わすことさえ放棄したのである。


代わりに彼がのめり込んだのは、公爵令嬢クラリス・ディアヴェルだった。

常に成績上位に名を連ね、才気煥発を絵に描いたような彼女こそ、自分に相応しい理想の王妃だと確信する。


学院では、将来の統治を見据えた政策発案や、議会を模した実習授業が盛んに行われていた。

レオンハルトはクラリスら高位貴族の面々とサロンに集い、日々議論に明け暮れた。特にクラリスの柔軟な発想と鋭い視点は、彼を強く刺激した。自分と高度な対話が成立する彼女を、彼は何よりも好ましく感じていた。


一方で、アリシアはどうだ。

落第こそ免れているものの成績は平凡。国益に資する発言ひとつできず、婚約当初に期待された「類まれなる頭脳」の片鱗すら見えない。


(才能を枯らした抜け殻など、王家には不要だ)


レオンハルトは決意した。

無価値なアリシアを切り捨て、才女クラリスを隣に据えることを。


そして――運命の夜が、訪れる。




「それでは――”婚約破棄”、確かに賜りましたわ」


アリシアはゆっくりと目を閉じ、一呼吸する。

その瞬間、アリシアの肩が微かに震えた。


彼女の足元から、見たこともないほど複雑で緻密な魔法陣が幾重にも重なり、溢れ出した濃密な魔力が講堂の空気を震わせる。


【停止コード『婚約破棄』を確認。AI魔法・自動応答モードを終了します】


魔法陣の光が収束すると同時に、アリシアの瞳が開いた。

人形のようだった無機質な表情が、熱を帯びたように溶けていく。

そのおっとりと濁っていた瞳には、鮮烈な知性の光が宿っていた。


アリシアは、それまでのあどけなさが嘘のような不敵な笑みを浮かべ、レオンハルトを真っ向から見据えた。


「ーーあら。ついに魔法が解けてしまいましたわね。ふふ、婚約破棄をしてくださって感謝申し上げますわ、殿下。おかげさまで、五、六年ぶりに頭がすっきりいたしました」


「……何をしている、アリシア」

「ふざけるな。そのような戯言で、この場を誤魔化せると思うな」


狼狽するレオンハルトを見据え、アリシアは優雅に指先で自身のこめかみをなぞった。


「十二の折、私は新魔法を発見いたしましたの。術式そのものに擬似的な知能を与え、自律演算させる『AI魔法』。私はその人格モデルを自分自身で構築し、今日まである実験を行っておりました。……つまり、婚約してから今までの私の発言や動きは、すべて私の開発した『AI』が状況判断し、出力していた定型応答に過ぎません」


アリシアは鈴を転がすような声で笑い、続ける。


「今の今まで、私本人ではないことにお気づきにならなかったのでしたら……実験は大成功ですわね?」


「本人ではない・・?自動応答・・? そんな魔法をお前が作ったというのか・・?」

呆然とする。


「……お前は、その力を持ちながら隠していたというのか? 王家に望まれた以上、才を示し価値を証明する義務があったはずだ。それを怠った責、決して軽くはないぞ」


「いいえ。隠すなどとんでもない。これは非力な私の、ささやかな自衛に過ぎませんわ」


アリシアは冷ややかに、突き放すように言い放った。


「不安でしたの。王家が求めているのは私の『脳』だけなのか、それとも私自身を正当な伴侶として見てくださるのか。ただ消費されるだけの駒にならぬよう、婚約の折に唯一つの条件を提示いたしました。『決して私を軽んじず、常に対等に接すること』と」


「そして、その履行を確かめるために――この魔法を用いたのです。

魔法に学習アルゴリズムを組み込んでおいたのですわ」


「学習……だと?」


「ええ。殿下が私を尊重してくださるなら、知能は深化し、殿下を支える最高の盾となったでしょう。けれど反対に、私を不当に扱い、軽んじるのであれば――そのたびにスペックは段階的に低下し、やがてあらかじめ決められた文言を繰り返すだけの、低能な自動応答プログラムへと成り下がる」


アリシアは、呆然と立ち尽くす元婚約者へ憐れみの視線を向けた。


「術式を完成させた当初、領地で過ごした三ヶ月間は、何の問題もございませんでした。家族と信頼に足る者たちに囲まれ、私は以前と遜色なく、領地経営への助言や新たな構想を語ることができておりました。……ですが」


一拍置き、彼女は残酷な真実を告げる。


「残念ながら、ここ数年の私は最低ランクの『置物モード』で固定されていたようです。私が無能であったということは、あの条件が満たされていなかったことを、殿下自らが証明し続けたという証左ですわ」


「……そんなこと、認められるはずがない。でたらめだ」


「殿下、私の言動は術式に制御されていましたが、自我まで消えていたわけではありませんの。あなたが私をどう扱ってきたか、私はずっと内側から見ておりました」



ゆっくりと、手を掲げる。


空間に、光の文字列が浮かび上がる。

無数の記録。

膨大なログ。

一行、また一行と、文字が流れる。


「どの言葉が、どの行為が、どの段階で私を“低下”させたのか、すべて記録されております」

「――ご覧になりますか?」


アリシアは、逃げ場を奪うような不敵な笑みを浮かべた。


「もういいでしょう、リュシアン」


アリシアが静かに視線を巡らせ、王子の背後に控えていた一人の青年へと向けた。

無駄のない動きで進み出たのは、レオンハルトの騎士であり側近、近年はその「知恵袋」として重用されていたリュシアンである。


彼は迷いなくアリシアの前で膝をつき、その手を取った。あまりに自然なその所作は、積み重ねられた長い歳月と信頼を物語っていた。


「……お戻りをお待ちしておりました、アリシア様」

低く落ち着いた声が、静寂を震わせる。


「リュシアン……一体何をしている。貴様は私の側近だろう!」


「側近、ですか。随分と都合の良い記憶をお持ちだ」

リュシアンは静かに立ち上がり、振り返った。その眼差しに、もはや従属の色など微塵もない。

「私は、あなたが強引に割り込んでくる前――アリシア様の共同研究者であり、婚約者候補だったのですよ」


「何を――」


「王家は彼女を強引に引き剥がしただけでは飽き足らず、私をも監視下に置こうと取り込んだに過ぎない」


アリシアはリュシアンに手を取られたまま、薄く微笑んだ。

「王家は私と彼を完全に引き離したつもりだったのでしょうけれど。この術式を施したのは、他ならぬリュシアンなのです。私たちは魔法を通して、常に思考を共有しておりました」


アリシアはさらに言葉を重ねる。その声は、真実を淡々と告げる死刑宣告のようだった。


「私たちが続けていた研究の断片を、リュシアンがそれと分からぬようサロンで口にしていたのですが……まさか、ご自分で考えたかのようにクラリス様と政策案に利用されるとは。あまりに見事で、微笑ましく思っておりましたわ」


二人の顔が、屈辱で一気に赤く染まる。

「何を! 貴様――」


「もう、何でもよろしいのです」

二人の反論を、アリシアは冷ややかに遮った。

「クラリス様との不貞を責める気もございません。ただ、レオンハルト様が婚約破棄を望み、私がそれを了承した。そして婚約の条件は守られなかった。……それがすべてです」


怒りも、恨みもない。

ただ価値のないガラクタを掃き出すような、無慈悲なまでの静謐さ。


「ですから、これでおしまいです」


アリシアが、静かに息を吐く。

「……いきましょう、リュシアン」

「ええ、御心のままに」


次の瞬間、二人の足元に巨大な魔法陣が展開された。

眩い光が講堂を埋め尽くし、人々が反射的に目を細めた刹那。

光が収まったそこには、もう、誰もいなかった。



アリシア・ノクティス伯爵令嬢は、紛れもない「神童」であった。 だがその傍らには、常に一人の少年がいた。

リュシアン。


彼はただ従うのではなく、問い返し、否定し、組み替える。

アリシアの思考に並び立ち、時にそれを越えようとする、唯一の存在だった。


二人は議論し続けた。

新しい理論を求め、より効率的な術式を探し、世界の在り方そのものを疑いながら。

――だからこそ。 王家からの婚約の打診は、彼女にとって“拒絶すべきもの”だった。


「お断りいたします」


即答だった。


「私は、このリュシアンとしか結婚いたしません」


一切の迷いもなく、言い切る。


「彼は、私の思考を理解し、対等に議論できる唯一の相手です。両親を除けば、私が信頼しているのは彼だけです」


だが、その意志が通ることはなかった。


沈黙。

そして、短い思考の後――


「……では、一度受け入れましょう」

「その上で、私は少しずつ“愚か”になります」


それは感情ではなく、選択だった。 最も確実に目的を達成するための、手段。

アリシアは顔を上げる。


「……リュシアン」


わずかに、声が柔らぐ。


「その時まで、私を信じて待っていてくださる?」


一瞬の間。


「はい」


迷いのない応答。

それだけで、十分だった。


アリシアは、小さく微笑む。

それは計算ではなく―― ほんのわずかに、人としての温度を残した笑みだった。


――それが、すべての始まりだった。


(完)

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