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第3話 力

 暗闇に呑まれた意識に光が差した。そこから意識がはっきりするまでが、自分でも驚くほど早かった。すぐに目に映った物はやはり、狂気に満ちた顔のシャオックと当たるか当たらないかの寸前で、それでもジリジリと近づいてくるナイフの刃だった。


 現実ではどれほど時間が経っているのか?

 なんでこんなにも周りがゆっくりに見えるのか?

 さっきまで見ていた男とグレイという人物は何者なのか?


 数々の疑問が一瞬にして湧き出るが、今はそれどころじゃない。このままでは左目が貫かれるだろう。そう考えるだけで、ルンは恐怖一色に染まった。


 時間がゆっくりと進んでいるとはいえ、それはルンの脳が勝手にそうさせているだけだ。そこから逆転の一手を導き出せと言われても、そんなことは不可能だ。


 ――――――刺される!


 今まで感じたことの無い苦痛がすぐにやってくる。怖い。だけど、それはいつものことだ。痛い思いをして、耐え抜けばそれで終わるのだ。ルンは諦め混じりに覚悟した。


 その刹那、ルンは"あの時"のことを思い出した。


 ――――――俺の能力だ。お前はもう――――――


 崩れていく世界の中、夢の最後に聞いた言葉だ。その言葉と共にまとわりついた違和感。その違和感は、いまだルンの心臓にベッタリとまとわりついている。


 ――――――ドクンッ!!


 心臓が鼓動を打つ。ルンにまとわりつく違和感が、少しずつ広がっていっているのをルンは感じた。それと共に、不思議と力が湧いてくる。


 もし、今の空間が限りなく圧縮された時間の中なのなら、ナイフが左目に襲いかかるまでの一瞬に、何回心臓が脈打っただろうか。


 ――――――ドクンッ!!!


 ルンのそんな疑問は、あっさりと体から消え去った。心臓が鼓動する度に溢れる力が、先程まで感じていた恐怖すらも呑み込み、高揚感へと変わっていた。


 ゆっくりと進む時の中、ルンは両腕の拘束を強引に振りほどき、ナイフの刃を素手で受け止めた。激痛が走った。冷たい刃が手の肉を切り、温かい血が手から腕、肘へと流れていく。


「――――――は?」


 シャオックの顔から、先程までの狂気さは完全に消えていた。代わりに、目を大きく見開き、口は半開きの状態のまま硬直していた。それほど、シャオックにとって衝撃的だったのだろう。だが、それはシャオックだけではなかった。


「素手でナイフを止めた!?」


「嘘だろ? あいつから感じるの⋯⋯魔力か!?」


「そんな⋯⋯あの"無魔のルン"が⋯⋯!?」


 周囲のクラスメイトと、拘束を振りほどかれて床に転がった取り巻きたちがざわつき始めた。


 だが、そんな声はルンの耳には何一つ届いていなかった。今、ルンを満たしているのは目の前にいるシャオックに対する恐怖でも、先程までの仕打ちに対する怒りでも、これまでの憎しみでもない。自身の体から溢れ出てくる不思議な力だけだった。


「クッソ⋯⋯ルン! てめぇ、さっさとその手を放しやがれ! 今なら許してやる!」


 シャオックはルンを睨み、威嚇するように言い放った。だが、その顔に焦りと恐怖があるのは誰が見ても明白だった。


「こんな状態で⋯⋯まだ君はそんなに偉そうにものを言えるんだね?」


 ルン自身でも心の底から驚いていた。今まではシャオックに対して何かを言うことだけでなく、口を開けることさえ恐怖でできなかったのに、今はたださっきまでの"恐怖"という名の霧は晴れ、怯えることなく声を出せていた。


「僕はこれまで、君にずっと痛めつけられてた」


「はぁ!? 魔力のねぇお前を! 可愛がってやっただけじゃねぇか! お前なら知ってるはずだ! 魔力のねぇ人間が! どれだけ惨めに! 孤独に! 生きなきゃなんねぇかをな! そんなお前に手を差し伸べてやったんだ! それをこんな形で――――――」


 ――――――バキンッ!!!


 シャオックの言葉は、何かが砕ける音に遮られた。それと同時に、綱引きの綱を急に離されたように、シャオックはよろめきながら倒れた。


「痛ってぇ⋯⋯! 何がどうなって――――――」


 シャオックの顔が一瞬にして青ざめた。左手に持っていたナイフの刃が、真っ二つに折られていたのだ。シャオックがルンを見ると、ルンの手には折られた刃が力強く握られていた。


「お⋯⋯お前⋯⋯まさか⋯⋯折ったのか⋯⋯!?」


 ルンがシャオックを見下ろしながら歩み寄った。ジリジリと近づくルンに、シャオックは人生で初めて"恐怖"を感じていた。


「⋯⋯っ! ナイフが一本だけだと思ってんじゃねぇ!」


 懐からもう一本のナイフを取りだし、ルンの腹を刺すべくナイフを突き出し、ルンに向かって走っていった。シャオックはあとのことなど微塵も考えてなどいなかった。後でどうにどうにでもなる。そう思っていただけだった。


 その時ルンは、自身の手から肘にまで伸びている血の線を見ていた。手の甲から手首へ、手首から腕へ、そして肘へと流れた血の筋は、なにかの道標のように感じた。


 ルンは無意識に右手を握りしめた。すると、心臓から溢れ出していた力が、血の流れを辿るようにルンの細い右腕へと集まっていくのを感じた。


 だが、その行動は周りの生徒には、悪手と捉えていた。


「ルンのやつ、魔力だけじゃ身体能力の向上はできないことを知らないのか!?」


 魔力は、バフ魔法や能力以外では身体能力に影響を及ぼすことはない。それは、魔法使いにとってはごく当たり前の知識だった。それをルンは知らなかった。


「ん? 待てよ?」


 キョトンとした顔で、ある生徒は呟いた。


「だったらなんでルンは、ナイフをあんなに簡単にへし折ったんだ⋯⋯?」


 その疑問は、今ルンが無自覚に取っている行動が合理的であるという答えになった。周囲の生徒はすぐに、ルンとシャオックの激突を見るべく視線を移した。


 シャオックの握るナイフはルンの腹を貫く寸前だった。

誰もが勝負は着いたと思った。


 ――――――ドゴッ!!!


 凄まじい衝撃音が、クラス全体に響いた。吐血が床を赤に染めた。その瞬間は、クラス中の時間だけが止まっているようだった。


 銀色の刃は空を切り、その代わりにルンの拳がシャオックの頬を捉えていた。シャオックは、糸切れた人形のようにばったりと床に倒れた。


 教室はいまだ静まり返ったままだ。


 ルンは、まだ嫌な感触の残る拳をゆっくりと下ろした。張り詰めた緊張が一気に解けた。魔力を持たず、弱いだけの自分が、自分を見下し、いじめていたシャオックを倒した。


 それを理解する寸前、ルンの視界は大きく揺れた。全身に力が入らなかった。ルンはそのまま床に叩きつけられるように倒れた。


 ――――――やばい、死んだかも――――――


 ルンの意識は再び闇に放り投げられた。

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