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キッチンの水仙

作者: 諏訪 惠
掲載日:2026/02/26

野原に咲いていた一輪の水仙。屋敷のキッチンに飾られた水仙は、咲いているだけで屋敷の主人を慰める。

1.

「あなたってば、本当になんの役にも立たないわね」

 真っ白な砂糖にそういわれて、水仙は悲しくなりました。

 広いキッチンでは、お茶会の準備が進められています。屋敷の主人のお友だちが来るというので、使用人たちは大はりきりです。香ばしい紅茶の葉っぱも、さらさらの砂糖も、おしゃれなティーカップも、いつもよりちょっぴりおめかしをして、自分の出番を今か今かと待ち構えています。

 食器棚の上で、水仙はぽつんと咲いていました。青い一輪ざしの花びんの中は、朝汲んだばかりの冷たい水で満たされています。みずみずしい水仙は、忙しいキッチンを、悲しい気持ちで見つめていました。

 本当に、自分は何て役立たずなんでしょう。

 昨日の夜、水仙は屋敷にやってきました。花びらを閉じて眠っていた水仙を、小さな女の子が手折ったのです。一緒にいた野原の花たちにさよならを告げることもできないまま、水仙はひとりぼっちになりました。ひとりぼっちになった水仙をそっと花びんにさして、女の子はいいました。

「明日の朝になったらまた咲いてちょうだい。わたしはお茶会に参加できないんですもの」

 お父さまが寂しくないように、ここにいてあげてね。


2.

 まぶしい朝日で目を覚ました水仙は、それはびっくりしました。あざやかな春の野原に咲いていたはずなのに、いつのまにかたくさんの使用人が行き交うキッチンにいたのですから。水仙はしばらくのあいだ、楽しげで忙しそうなキッチンを見つめていました。

 そして今、自分はここで咲いているだけで、誰の役にも立っていないということに気がついたのです。

 水仙は泣きたくなりました。野原にいた頃はただ咲いているだけで幸せだったのに、どうしてこんなところに来てしまったのでしょう。ほろほろと涙を零しても、忙しい使用人たちは水仙に見向きもしません。

 お昼になると、広い庭からお茶会の声が聞こえてきました。ところがどうも、水仙にはそれが楽しそうには聞こえないのです。澄んだ空気を震わせる笑い声が、からっぽのティーカップに響きます。領地の話や国の話、それから税金と結婚の話。それはまるで、知らない国のいびつな言葉のようでした。野原で遊ぶ子どもらは、跳ねる小川のような笑い声だったのに。風がそよぐような声で秘密の話をして、はちみつのように甘い恋をしていたというのに。

 きっとむずかしい話ばかりしているとあんなふうになるのだと、水仙は思いました。答えのないことばかり考えて、果てしない心配ばかりしていると、からっぽな笑い声になるのです。

 水仙は耳をふさぎたくなりました。目をとじて野原を思い浮かべてみても、ますます悲しくなるばかりです。


3.

 やがてお茶会が終わると、屋敷の主人がキッチンに入ってきました。うなだれてしまった水仙を見つけると、ため息をついていいました。

「やれ、なんてつかれるお茶会だったんだろう。お前が咲いてくれてよかった」

 そして花びんに冷たい水を注いだのです。

 水仙はびっくりして、それからやっぱり悲しくなしました。たった一輪の水仙が、この人にとってはどんなに大切なものなのでしょう。

 幼い日の思い出と、小さな女の子のやさしさが!

 いつのまにか、水仙はキッチンできらきらと咲き誇っていました。どこにでも咲いているはずの一輪の花は、食器だなの上で、かけがえのないものになっていたのです。なんの役にも立たない思い出ややさしさなんて、本当はあるはずがないのですから。

 砂糖がすべて甘く溶け、紅茶の葉っぱの香りがなくなっても、水仙は凛と咲いていました。

 やがて屋敷の主人が神さまの世界に行くその日まで、いつまでもいつまでも、みずみずしく咲いていました。


思い出も、やさしさも、いつまでも心に咲いている。


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