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マナー講師vs異世界マナー講師

作者: 菅田原道則
掲載日:2026/01/16


 20××年、日本はマナー大国になっていた。


 何故そうなったかと言うと、インターネットの画期的な発達により、人の行動、つまりマナー違反が可視化されやすくなったからだ。更に、従来からの礼儀作法に厳しかった文化に磨きがかかり、家族から赤の他人にまでマナーを強要する文化が新たに根付き、マナー違反をするだけで避難囂々な世の中にいつの間にかなってしまった。


 そんな追い風もあり、一過性で終わるはずであったマナー講師という職業は発信、発言力の力をつけ、今ではこの国で最も声が大きい職業になってしまった。


 僕はそんな国で細々とマナーを守り生活している。髪型は流行りだが遊びのない黒髪で、服も清潔感があるような、どこにでもある安い服。冴えない野郎だって陰で言われても、事実だし否定しない。


「はい、お待ちどうさま」


「ありがとうございます」


 僕の目の前にサバの味噌煮定食が置かれる。


 徹夜明けの朝食は、家から徒歩五分圏内にある、この少し寂れて趣きがある定食屋の、サバの味噌煮定食を食べるのが常習化していた。


 この定食屋、三四郎は午前十時から開店で、開店直後に僕はやって来て、勝手に指定席にしている店の入り口から二番目に近い二人がけの席に座る。朝食とも昼食ともいえない時間で、大体僕一人だけなのに、今日は一番奥の席に質素な服装の中肉中背なおじさんと、僕と背中合わせになる隣の席に、ジャージ姿で背の高い金髪の女性がいた。

 

 出されたサバの味噌煮定食を前に腹の音が止まらないので、手を合わせて食前感謝をし、食べ始める。


 まずは味噌汁の蓋を開けて椀の隣に蓋口を底に置く。味噌汁を箸でかき混ぜて、そして箸と椀を持って口につける。


 ほどほどな熱さを持った味噌汁が、喉から腹へと伝っていき、体に染み渡る。大きく感動の息を吐いて、心の中で味噌に愛を叫ぶ。美味すぎる!!!


 味噌汁の熱さでエンジンが入った身体は次なるエネルギーを求める。茶碗を持ち、白飯をかっくらい、サバの味噌煮にも口に入れて、咀嚼する。


 う、うんまー、とつい叫びたくなる。白米とサバの味噌煮はどうしてもこんなにマッチするのか、日本人の遺伝子には白米と味噌のマッチングが刻まれているのではないかと勘違いしてもいいだろう。いや、そうに違いない。白米と味噌は純愛だ。


 もう一度味噌汁を片手で持って飲む。完全に目が覚めた。


「おい兄ちゃん」


 と、すぐ側で低い声がした。咄嗟に振り返ると、中肉中背のおじさんがいた。サバの味噌煮定食物語に浸っていた僕は、隣におじさんが立っていること気が付かなかった。


 店員さんを呼んだのかと目線で辺りを見回すも、男は僕だけだし、おじさんは明らかに僕を見て言っていた。近くで見ると、四十は超えているように見える。


「な、なんでしょう?」


「それや。それ」


「そ、それ?」


 おじさんが指を指している。どれを指しているのかは分からないが、僕のサバの味噌煮定食を指しているのは間違いなかった。けどやっぱりサバの味噌煮定食の何を指しているのかは不明だ。


「っ! その蓋の事や!」


 僕が声をかけられた原因を探していると、おじさんは声に怒りの感情を含ませながら答えを叫んだ。


「え? あ? 蓋? …が? …どうかしましたか?」


 困惑した僕の要領の得ない返答に、おじさんはこめかみを掻いていう。


「蓋が下向いてるやろがい」


 定食が乗せられた赤い盆の上に、味噌汁の蓋が下を向いた状態のまま置いてある。


「な、何か問題でも?」


 指摘されても一向に理解ができないのでおずおずと問うと、おじさんの顔が険しくなる。


「ワイはな、三級マナー講師や! お前のマナーのなってない行動を正す義務があるんや!」


 寄れた上着の懐からマナー講師免許を取り出して叫んだ。うわっ、と声がでそうになったが、なんとか抑えた。


 なんだよ直接的な迷惑をかけていないんだから、そんなに大声あげることもない事柄じゃないか。ほら、何事かと見ていた定員さんも、マナー講師との単語を聞いてご愁傷様との顔をしている。


「は、はぁ」


 僕は蓋をひっくり返して置く。


 マナー講師にはへぇへぇと、頭を下げて、黙って従っておけば良い。そうすれば嵐は過ぎ去る。どうせ大体は中身のない利己主義な内容だ。


「若い奴はマナーがなっとらんわ」


 そう吐き捨てておじさんは自分の席に戻って行く。しかし、ピタリと止まって、ジャージ姿の女性を見つめていた。どうやら目をつけられたようだ。


 首だけで後ろを向いて、成り行きを見守ることにする。彼女は横顔からも分かる端正な顔立ちに、綺麗な長い金髪にそぐわないジャージ姿で、姿勢正しく食べている。


「おいお姉ちゃん。なんで食べ終わった箸を折って、それを椀の上に置いてるんや?」


「うん? これがマナーだからだ」


 女性は姿勢を崩さず、面接の受け答えのように整然と返した。


「そんなマナーあるかいな! 箸は食べ終えたら箸袋を使用済みと分かるように折って、口付けた先を入れておくんや! それがマナーや!」


 あり得ないマナーを聞いたおじさんは憤慨する。女性は鼻の上にしわを作った。


「マナー、マナーと言うが、私は異世界初段マナー講師だ。これはウンガモンガブリッジというアッチノセーカイにある、食の流通の起源となった橋を象徴している。私達は食後、橋へ感謝する。それが礼儀だ。これを蔑ろにするのは食を侮辱している行為になる。それを理解しての発言か?」


 臨戦対戦に入ったのか、髪をかきあげると、耳の先がピンと尖った耳が現れた。どうやら彼女は異世界人のようだ。


「ぐっ、しかしだな。郷に入っては郷に従えって言葉があるようにだな」


 おじさんは異世界マナーには疎いのか、歯を食いしばりながら出した声は、苦し紛れであった。


「そうか。この店は異世界保護指定店だぞ? ここでは私たちのマナーも尊重されなければならないのは、マナー講師であれば知っているだろう。しかし貴様はそれすらも侵すというのか? そうなれば私も黙っていられなくなるな」


 異世界人との共生の為に新たな法律が幾つも追加された。彼女は然るべきところへ出るぞと言っているのだ。


「そもそも、貴様はまだ食事の途中であろう。食事の最中に席を立つのがこの世界のマナーなのか?」


 とどめの一撃の如く言葉の槍が突き刺さった。おじさんは何かを言おうと、口を動かして何かを言ったが、言葉と言うよりも、掠れた唸り声だった。


 バツが悪そうに自分の席に戻って、残った定食をもそもそと食べ始めた。


「ゴチソウサマ」


 彼女は祈るように手を合わせてから席を立った。


 彼女はお代を支払ってから、まだ食べている僕にウインクをした。僕も苦手だけどウインクを返した。それを見て彼女は目を見開いて驚いた。大きな目が細くなって、僕に小さく一礼をし、店を後にした。


 この世界ではマナーが人の行動を支配している。僕はそんな世界で慎ましく生きていく。


 ちなみに異世界での対人へのウインクは「頑張って」との意味で、それを返すのは「貴方もね」となる。


「おばちゃん、ご馳走さまー」


 彼女が店を出た時と同様に口元を緩めながら、元気満々になった身体で歩き始める。

 

 さて、今日も異世界学の授業を受けなければ。


 

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