第七話:毒ある蜜への誘い
サロン『リリウム・ノワール』の奥まった談話室。 ルネは、マダム・リリスが広げた羊皮紙の報告書を見つめ、思わず眉をひそめた。
「ベルローズ公爵夫人……。あの、数ヶ月ごとに『お気に入りの騎士』を入れ替えると噂の、社交界の女王様ですわね」
「そうよ。彼女の美意識は苛烈だわ。若く、美しく、そして何より『自分を跪かせてくれるような強い瞳』を持った男しか認めない。裏ギルドが送り込んだ工作員たちは、みんな彼女の毒に当てられて使い物にならなくなったそうよ」
マダムがため息混じりに、けれど楽しげに唇を寄せる。
「報酬は、裏社会の重要拠点の利権。手に入れば、私たちのこのお店も安泰ね。……けれど、彼女のベッドまで潜り込むのは至難の業よ」
「――ならば、私の出番ということでしょうか?」
その時、静かに、けれど有無を言わせぬ響きを伴ってセドリックが言葉を挟んだ。 彼はルネの斜め後ろ、いつものように完璧な距離を保って控えている。
「セディ……本気なの?」
ルネの問いに、セドリックはさらりと微笑んだ。
「ターゲットの好み、目的、そして報酬。すべてを考慮すれば、外部の人間を使うより、私が動くのが最も確実です。お嬢様の手を汚すわけにもいきませんから」
セドリックの瞳は、一点の曇りもない「プロの仕事人」のものだった。 理知的なルネの脳は、即座に「それが最適解である」と結論を出そうとする。……けれど。
(……あの夫人が、セディの肩に触れるの?)
(あの指が、昨夜私を愛しんだセディの髪を撫でるというの?)
知識では分かっている。これは仕事だ。 だが、ルネの心臓の奥が、まるで尖った針で突かれたような鋭い痛みを訴えていた。
「勘がいいわねぇ。多分、セディにしかできない仕事よ」
マダム・リリスが、ルネの握りしめた拳の震えを見逃さず、ニヤリと唇を吊り上げた。
「どうする、ルネ? 嫌なら私が断ってきてもいいのよ? 娘の恋人を、わざわざ『食べ頃な猛獣』の檻に放り込むなんて、お母様も心が痛むし……なんてね。ふふ」
「お、お母様……! ……仕事ですわ。感情で判断を誤るような真似はいたしません」
ルネは必死に声を整えた。 その様子を、セドリックはモノクルの奥から静かに見守っている。
「ありがとうございます、お嬢様。……ご安心を。私は、あのような夫人に興味を惹かれるほど、安っぽい趣味はしておりません」
セドリックがルネの耳元で囁く。その声は低く、ルネだけを甘く縛り付けるような独占欲に満ちていた。 ――こうして、ルネにとって人生最大の「忍耐の数日間」が幕を開けた。




