第三章8 役割と救い
―――ヘルペナ村、村長宅にて。
その瞬間の激的な感情の変化に驚いたのはヘルペナ村の村長ノリス。
老朽化がすすむ村の桟橋を修理するための見積もりを大工に出させて、修理で済ませるか、別場所に新しく作るかで頭を悩ませていた瞬間、胸に猛烈な痛みが到来した。
心臓が、という話ではなかった。それは、心の痛みだ。
老年ノリスの生きてきた短くない人生において、かつてこれほどの痛みを味わった事はない。
突然村長ノリスの胸を締め付けた感情―――激しく大きな後悔と、ついさっきまでの己への大きく深い失望である。
「なぜ、なぜ、なぜ!ワシは、あの子を忌み嫌った!どうして、あの子の命すら奪おうとした!ワシは、なんて、なんて―――矮小で身勝手な人でなしなんだ!」
「あ、あなたどうしたの?」
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!」
妻の声も耳に入らぬ程、シャツの胸元を両手で握りしめ、蹲り床についた頭から嗚咽と滂沱と流れる涙をそのままに、ノリスは己の頭を床に叩きつけた。
何度も何度も。
それは痛みによる自分への罰であり、許せぬ自分を消し去ってしまいたい衝動だった。
そしてノリスの異常を見た妻が夫を止めようと、息子を隣室から呼んできて、ノリスは息子に無理やり立ち上がらされ、一時的に縄で拘束された。
彼の頭からは血が流れだして、流れた血がノリスの目に入り、彼の目を真っ赤に染める。
その目からとめどなく零れる涙も真っ赤に染め、それを見て妻と息子はノリスを一人にできないと強く感じたから、その日は息子の寝ずの番で見張られ、妻に手を掴まれたまま眠る事になった。
朝が来て、妻に手を引かれてノリスはダイニングキッチンへ。
同じく妻の手で椅子に座るよう促されるノリスの目に光はない。
眠れぬ夜、彼は後悔にまみれ、救いのない自問を繰り返し続けた。
自分が何をしても間違えるような気しかしない。
選ぶこと、差配すること、村人に説く内容ですらきっと己は間違えると。
今やノリスは、村長である自信を完全に失って、同時に一人の大人である自信も完全に失っていた。
だから、何もしない、何も選ばない。
これからずっと、死が訪れる、その時まで。
そこに、ノックの音が響いた。
「はい、あっ、え?どうなって?ちょ、ちょっと待ってくれ。親父!ノリス村長!三人が親父に会いたいってよ!」
三人の来客と、玄関から息子の声があった。若干驚いたような声。
しかし、ノリスはもう誰にもかかわるつもりは無かったから、息子に何も伝えない。
招き入れろとも、追い返せとも。
しかし、息子は判断して招き入れたらしい、ダイニングキッチン内に来客と思しき人の足元が見えた。
そして、ノリスのうつむいた視線の中に、背が低い幼子が映ったから、
―――ノリスは立ち上がって、すぐさま両ひざを折った。
目の前の幼子の両手をとり、腐敗による死を迎えるのと同時に、精いっぱいの謝罪を込めて、彼女の小さな両手の甲に己の額を付けて、
「すまなんだ!許して欲しいなんて言わない!ワシを憎んでくれ!そしてこれからワシが腐敗で死ぬのは決してお前さんのせいじゃない!すまなんだ!」
謝罪の言葉を口にしたのだが、
「………どうして、痛みが来ない?ふ、腐敗の呪い、は?………」
痛みが全く生じないから茫然と疑問を口にし、
「あーたーの?」
ノリスが忌み嫌いつづけた幼女、今考えれば村全体で保護すべき可哀そうな幼子、ノリス自身が冒険者に依頼して死を望んだ相手の声に、ノリスは顔を上げ、彼女が心配そうにノリスを見たから、
「罰は、ワシが受け取るべき罰は、くれないのか?」
幼子に分かる内容の言葉になっていないそれを吐き出して、
「あーおーう!」
ノリスの頭の下でノリスがとった彼女の両手が薄らと光ったから、
「な………ん、だ?この光、は?………」
見ていると優しく暖かなその光に、やはりノリスは涙を流した。
優しい娘だ。
村中でひどい扱いをしたというのに、酷い境遇にあって優しさを失わなかった娘。
どうして、ノリスは彼女自身をきちんと見てこなかったのか、と。
「役割を押し付けられたんですよ、村長さんは」
幼子の手に重ねたノリスの手に、横から男が手を重ねてそう言う。
「役割、とは?」
「『腐敗の呪われ』を毛嫌いする役割、です」
「それは、ワシの心根の問題ではないのか?ワシが人でなしだっただけではないのか?」
「だって村長さん、昨日の夕方に突然後悔したんでしょう?」
これは昨夜宿屋で聞いた情報である。
「そ、れは、そうだが………」
「その時間に、この子が変わったから、村長さんは役割からやっと解放されたんです」
「この子、『腐敗の呪われ』の娘が何に変わったと?」
その質問に、男も両ひざを折って幼子と目線を同じくして。幼子を見てから、ノリスへと向き直った。
「この子は、『腐敗の呪われ』から『祝福者』に変わったんです。世界に祝福を与える者、どうです?この子が今まで苦しかった分を、手に出来なかった幸せを、全部取り戻すような、素敵な職業だと思いませんか!」
ノリスに向けて男が笑い、目の前の幼子がニコリと笑う。初めて見る笑顔に、ノリスはそれでも、
「この子が幸せになれるのなら心から嬉しい。それでも、ワシのしてきた事は許されるものじゃない。ワシは罰っされなければならん………」
自分が許せなかったから真直ぐ幼子を見て、男に告げたのだが、
「じゃあ、村長さんの役割を変えましょう。転職―――」
男がノリスの手に重ねた手がまぶしく光ってノリスを包んでいくから、
「な、なに、が?」
驚きに身じろぐノリスを数秒光が包んで消え去り、
「もう村長さんは、『腐敗の呪われ』に意地悪する役割ではありません。村長さんの役割は『守護者』です。護る役目になったのですから、これからは護っていくだけですよ!さあ、ステータスと言ってみて」
男が何を言っているのか分からないながら、
「す、ステータス?」
口にした途端、見たこともない薄らと輝く板状のそれが眼前に浮かんだから、
「職業『守護者』!なぜ、只人が職業を?それに、冒険者の職業に『守護者』という名を聞いた事がないが?いったいなぜ?」
それに表記されていた驚愕の内容を素直に男に問うた。
「そうです冒険者のなれる職業に『守護者』なんてものは存在しません。そして、この子の『祝福者』なんて職業も。聞いた事もない職業は、苦しい役割を世界から与えられた者のみに渡されるものだと俺は思っています。世界から渡されるお詫びの職業、とでもいいますか。だから、その聞いた事もない職業をもらった村長さんはやっぱり、世界から苦しい役割を与えられていた証拠です。だから―――」
「だから?」
「もう苦しむ必要はないんです。苦しい役割はもう無くなったんだから。それにほら、このお爺さんの事嫌い?」
男が幼子に尋ねると幼子は首を傾げ、
「んーんー?」
その言葉のニュアンスから、
「なんで?って言ってますよ。本人がなんとも思ってないんだから。苦しむだけ損です!損!」
男がそう言いきるから、少しだけノリスの中に熱が戻ってきて、
「それにね、これから村長さんには無茶苦茶頑張ってもらいたいんです!村人全員転職させますし、村人全員強くなってもらいます!それと、村を要塞化してもらいますよ!」
男が理解の及ばぬ事を言い出したから、
「………ああ、ああ、もしワシに成すべき事があるなら、全力で成し遂げよう」
与えらるという新しい役割に、生涯を尽くそうと心に決めた。
―――こうして村長ノリスの転職は、成った。
「それから村長さん、この子の名前はキュルです。これからはどうぞ名前を呼んであげて、たくさん優しくしてあげて下さい」
男の願いにノリスは、
「もちろんだ。命に代えても約束を守ろう!」
そうはっきりと答えた。
―――こうして、漁村ヘルペナ村の村人全員の転職と、要塞化が始まる。
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