音楽性の違い
「シンプルコード解散へ」
人気デュオが解散するニュースは、瞬く間に海外にまで広がった。キャッチーなメロディ、共感を呼ぶ歌詞。メンバーの双方が作詞作曲と音域の広いボーカルをつとめ、すべてのパートをふたりだけで演奏してレコーディングするスタイル。
『できるだけふたりで作りたいから』
流行りのポップスはもちろん、ピアノとヴァイオリンの超絶技巧によるボーカルレスのセミクラッシック、ラップ、ブルースから民謡をベースにした曲までを広くカバー。老若男女誰もが知っている曲もあれば、この曲ってシンプルコードの曲だったんだ、と後でわかるCMソングもある。
ライブではもちろんバックミュージシャンを用意することが多いけど、ふたりだけで舞台に上がる時もある。ギターボーカル+ベースというシンプルな構成だけでなく、ピアノボーカル+サックス、木琴ボーカル+ドラムのような他ではあまり見られない演奏を聞くことができる。
そしてお互いのパートを入れ替えることもある。配信されている音源とボーカルだけでなくパートも変えて演奏もするし、アドリブもガンガンかます。
このようにふたりの音楽的なバックボーンの広さと深さがうかがえるエピソードに事欠かない。そしてどちらもマルチリンガルなので海外ツアーではとっさに歌詞を現地のものに変えたりもする。
そんな世界中で愛されたデュオが解散するという、まだ不確かな第一報を聞いただけでSNSが大荒れになった。
『それは無責任な噂ですね』
そんなファンが期待するようなコメントは本人たちからも所属事務所からも一切出なかった。誰もがやきもきしながら過ごした数日後、ようやく公式からだされたコメントに、ファンは大いに落胆した。
「お騒がせしてすいません。来週、解散についての記者会見を開きます。解散は僕の責任だから、ファンの皆様、関係者の皆様、陽菜にも悪いことをしたと思っています」
デュオの片割れ、山口漣 (やまぐちれん)の投稿は多くの人にリプライされ、多くの言葉に翻訳されて拡散された。
そしてその日、所属事務所が用意した記者会見の場に山口漣が現れた。彼ほどのスーパースターが登場したのにこれほど静まりかえった場も珍しい。いつもの記者会見であればカジュアルな服装が多い彼も、今日はしっかりとスーツを着ている。ただ色合いはやや薄い紺。
『僕の責任だから』
そういうコメントがあったけれど、犯罪などによる謝罪会見ではないというのを関係者たちは理解した。謝罪会見ならもっと濃い色のスーツを着るはず。カメラのシャッター音だけが会場を騒々しくさせる。
正面の長机の中心、彼のための席に座る前に、報道陣に向かって無言で深々と頭を下げた。またシャッター音が鳴り響く。民放の某局はこの会見を生放送で中継しているが、その他キー局のカメラはすべて入っている。
「失礼します」
そう言って漣は腰かけるとゆっくりと口を開く。
「本日、あいにく陽菜は体調を崩しておりまして、私、山口漣が『シンプルコード』を代表して、みなさまに私どもが解散に到った経緯についてお話させて頂きます」
「言葉を飾らず端的に申しますと、私たちはいくつかの問題を抱えていました。これまでの諸先輩方が解散される時に『音楽性の違い』というのをおっしゃってました。私たちも例にもれずそれを以前から感じておりました」
音楽性の違い。これまでも多くのバンドがその一言で解散してきた。
『シンプルコードが目指してきた音楽とは違う』
『もっとメロディ中心の音楽に回帰したい』
『このままだと時代に取り残されると感じていた』
『シンプルコードはもう役目を終えた。もう卒業すべきだ』
だが、実態は金だったり、性の乱れだったり、酷い場合には暴力沙汰だったりする。「音楽性の違い」とはそう言ったことを上手く丸めるための言葉として使われていることを、ここにいる記者たちは当然知っていた。
だが漣はそのまま言葉を続ける。
「例えば僕が詞や曲を書いている時、陽菜が『それは全然ダメ』と言うことがたびたびありました。それはお互い様で、僕も彼女の書いたものに注文を付けることはしょっちゅうあります。よりみんなの心に響くメッセージを届けたいし、素敵なメロディを奏でるためには、そのような議論をバンドの中では絶対にする必要があると思っています。でも僕らはそれに疲れてしまいました」
記者会見の最初はやはり猫をかぶっていたのだろう。すぐにその皮がはげた。一人称が僕に変ったことに報道陣たちは気が付いたが、そのまま漣の言葉を待つ。
「彼女によると僕の感性は化石みたいに退屈らしいですね。そして僕は彼女を前衛的・実験的すぎて誰も彼もをほったらかしにしていると思っています」
漣の声がやや熱を帯びる。その時のことを思い出しているのかもしれない。
「だからちょうど人生の節目を迎えるいい機会なので、ここで解散しよう。そう僕の方から持ち掛けると彼女も即答しました。そうね、と」
ここでようやくこの記者会見場に大きな沈黙が訪れた。
「応援して頂いているファンの皆様には大変申し訳ないのですが、そう言う次第で解散ということになりました。申し訳ありませんでした」
そう言って漣は今度は座ったまま頭を下げた。
「えーっ、それでは記者の皆様から質問などあれば受けさせて頂きます」
司会を務めている事務所の社員からの声が終わらないうちに、記者たちの手が上がった。
「では毎朝新聞さん、どうぞお願いします」
ベテランの芸能記者が指名された。
「山口(漣)さんは、SNS上で『自分の責任』とおっしゃってましたがそれはどういう意味ですか?」
「はい、ファンの皆様にご迷惑をかけてしまったというのが一番大きいですが、陽菜が体調を崩してしまったのも僕の責任があると思っているからです」
「それは音楽性の違いなどのことですか?」
「それもあります」
記者の更問いに漣はすぐに答える。
「では次の質問に行きたいと思います」
ベテラン記者はまだ話したげだったが、思い直したように席に座った。
「では放恣新聞さん、どうぞ」
まだ若い女性記者だ。
「先ほど山口さんは『人生の節目』という言葉を使われていました。その言葉をどう理解すればよいでしょうか?」
「それはプライベートな話になってしまうのですが……、実は結婚したので引っ越し先などを選んでいるところです」
結婚
その言葉が漣の口から出た途端、記者たちの目が変った。それを中継で聞いた女性ファンたちは一斉にため息をついたはずだ。
「山口さんは今、結婚したとおっしゃいましたね」
「はい。実は一昨日に入籍しました。妻はもう妊娠4ヶ月らしいとのことなので、僕も先週に聞いた時は驚きました。急遽それぞれの両親を呼び、簡単な顔合わせをしてから、なんとか一昨日に籍を入れることができました」
いわゆる出来婚、いまだとおめでた婚とも言うが、今日では別に珍しいことではない。聖職者ならともかくミュージシャンならばよくある話とも言える。だがそんな慶事にも関わらず、漣の表情は硬い。一昨日前に結婚したばかりの男性の表情ではないが、これが『解散会見』であることを思えば、この場ではしゃぐわけにもいかないのだろう。
だがここで記者の頭に閃いたことがある。彼女はすぐさまそれを確かめることにした。
「今、ご結婚されたという話がありましたが、それが解散の理由になっているのではないですか?」
「確かにそれも理由のひとつです」
何が音楽性の違いだ。結局のところやはり痴話喧嘩のようなものがあったのだろう。山口漣の相棒である村井陽菜がこの場にいないのは漣の行動に対する無言の抗議なのではないだろうか?
これまで漣の言い分を黙って聞いていた報道陣たちがスキャンダルを嗅ぎつけて湧きたった。指名されていない記者が声をあげる。
「山口さんの結婚に対して、村井さんはどう思ってらっしゃるんですか?」
「僕には理由がわからないですが、陽菜は最初反対していました。でも話せばわかってくれたので、よかったと思います」
三角関係。芸能誌ではよく飛び交う言葉が記者たちの頭を巡る。
これは邪推だが、村井陽菜は自分の相棒に対して、少しは特別な想いを持っていたのではないか? そこに突然妊娠4ヶ月の女性が現れれば動揺もするだろう。なぜこの男は相棒が結婚に反対する理由に気が付かないのだろう。
「それは村井さんにとっても突然のことだったからでしょう? 自分の相棒が女性を妊娠させていたと知れば解散を口に出すのは仕方がないでしょう?」
「えっと、『シンプルコード』の解散理由は先ほど言いましたけど『音楽性の違い』です。僕のプライベート、つまり結婚が関係ないとは言いませんが……」
「いや、直接的な因果関係があるはずです」
「だから関係ないとは言ってません。繰り返しますが解散の主な理由は『音楽性の違い』です。僕と陽菜は詞や曲を書いている時も、スタジオに籠っている時も、なんなら舞台の上でもしょっちゅう意見がぶつかっていました。楽屋に戻ってから大ゲンカなんていうのも数えきれなかったです。なんでいきなり不要なアドリブするかな、みたいに。そんなごたごたを家庭に持ち込みたくないんです」
漣の言い分は随分身勝手なものだと思われた。生中継を見ている視聴者たちのSNSが荒れ始めているはずだろう。
「村井さんが体調を崩されたのもそれが原因ではないですか?」
「それはその通りです。彼女の体調不良については僕に責任があります」
なぜ体調悪化の責任は認めるのに、解散の原因については頑なに認めないのだろうか?
「村井さんは山口さんが女性を妊娠させたと知ってショックを受けたのではないですか? 妊娠4ヶ月まで女性を放っておいたというのも信じられません」
何人かの記者はスマートフォンでSNSを確認した。
「やっぱり男女ユニットはこうなるんだよな」
「4か月ってもう見た目にわかるんじゃないの?」
「陽菜ちゃんついに愛想尽かした?」
「ソロ活動してももう村井の曲は聞かない」
「陽菜ちゃん大丈夫かな? そりゃあこの場に来れないだろうな」
「漣ちゃんがそんな人だったとはショック。もうテレビ消した。奴が歌ってる曲はこれから消去する」
思ったとおり大荒れだ。
「僕が妻の妊娠に気が付かなったのは事実です。それに思い至らなかったのは僕の責任です。でも当たり前ですが、妻は僕より先に自分が妊娠したことを知っていました。妻が自分の妊娠を知った時にどう思ったのかは教えてくれなかったのでわかりません」
漣の言い分をマスコミは認めてくれない。マスコミに話が通じないのはいつものことだけれど、そろそろ第三者が介入してくれないだろうか? 残念なことに漣の想いは事務所の社長にも伝わらないらしい。
「今は山口さんの奥様の話ではなくて、村井さんがそれをどう思われたかの話をしています」
「えっ? えっと? さっきから僕は陽菜の妊娠についての話だけをずっと繰り返しています。それなのに……いったいどう話せばいいんでしょうね……」
それから1年たって、再び「シンプルコード」の名前がネット上をにぎわせた。1年ぶりの再結成の会見には産休から復帰した山口陽菜が対応した。
「音楽性の違いとか全然大したことなかったですねえ。やっぱり一緒に家庭を持って、子育てするって大変ですよね。子育てに比べれば、音楽の意見の違い? そんなの可愛いもんでしたよ」
「今後は夫婦デュオで活動再開とのことですが」
「そうです。解散の時に漣が舞台裏をぶっちゃけてましたねえ。まあこれからもケンカしながら続けていこうと思います」
再結成の会見は和やかに進められた。
本作が面白かったと思った方は私の他の拙作もご覧頂ければとても嬉しいです。
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みんなで私の背中を推して
連載開始当初の予定:100話目途⇒現在:274話 5,592pt
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現代を舞台にした女主人公最強系のお話。芸能界+将棋です。そろそろ終わりが見えかけてきましたが、それでも350話ぐらいになりそうですね……
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ポイント低いですが、本作「音楽性の違い」が良いと思ってくれた読者の方々にはおススメです。