表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

5.赤いドア

「そこの赤いドアを開けてごらんなさい。鍵などかかっていないから」


 そう男に言われたものの、ナオミは身じろぎもせずベッドに座ったまま男から視線を外さなかった。


 「さあ」と男に促され、彼女はついに観念して視線を赤いドアに向けた。ためらう気持ちはまだあったものの、ベッドからおりてドアに近づき、ノブをつかんで下げ、意を決してそっと押してみた。すると男の言葉通り鍵はかかっておらず、ドアは外側に少し開いた。


 ナオミは慌ててドアを閉じ、まるで熱いものを触ったかのように、ぱっとノブから手を放した。振り返ってディスプレイを見ると、男は微笑みながら言った。


「我々が望むことはあなたが決断することであり、そのときが来れば、あなたにもきっとそれが理解できるでしょう。そしてそれは我々にとっても決断と同じ強い意味を持つものとなるのです」


 “そのときが来れば”というのはいつのことだろうかとナオミは疑問に思ったが、なぜかそちらではなくそのあとの、“決断と同じ強い意味”という言葉が意味することについて聞いてみた。


「ひとつかたがつくということです」


 と男は言ったが、それがナオミの求めている答えなのかどうか理解できなかったし、なにを決断すればいいのかもわからなかった。


「時間が来たようです。もしまたなにか聞きたいことがあればいつでも呼んでください。あなたにはその権利がある。あらゆるものに権利が!」


「でもどうやって?」


「ベッドのわきにボタンがあるからそれを押してください。これも前に説明したはずなんですがね」


 男は苦笑しながら言った。




 男が姿を消したあと、部屋はいつもと同じ静寂に戻ったのだが、話し声の残響が吹きだまりとなって部屋に散在し、ナオミはいつにないもの寂しさを覚えた。ナオミが感じたそれは孤独というほど高尚なものではなく、反射に近いものといえる。つまり今まであったものが突然なくなったときに生じる心の空隙(くうげき)と、それを埋めようとする心の反作用である。窓から入ってくる茜色の光がそれを増幅させたことは否めない。


 男に問われたときに「まあまあ」と答えた体調が、男の話の異様な速度と量、そしてその内容にあてられたのか、今はひどく悪いほうに傾きはじめた。


 ナオミは体を休めるために、ベッドに横たわった。

 天井をぼんやり眺めていると、先ほどの男の言葉が頭に浮かんだ。


 ――“そのときが来れば”……それはいつ訪れるのだろう。少なくとも今ではないような気がする。


 ナオミは頼りない思考をなんとか前進させようとしたが、じりじりと強まってきた胃のむかつきがそれを押しとどめた。

 ベッドの上で膝を抱えてうずくまり、なんとか胃を落ち着けようとしていると、部屋の外から機械の動作音が響き、ドアの横の戸からトレーが出てきた。最も望ましくないタイミングで現れた夕食のゆで卵だ。


 よせばいいのに習慣には(あらが)えず、ナオミはゆで卵を取ってにおいを確かめてみた。いつもと同じにおいのはずだが彼女の嘔吐中枢はそうとは受け取ってくれなかったようで、ナオミは強烈な吐き気を催し便器を抱えて嘔吐した。といっても吐き出すものなどほとんどなく、微量の胃液と朝に食べた卵の白身の残滓(ざんし)が精液のようにぴしゃっと喉から漏れただけである。そしてその拍子に、膀胱にたまっていたわずかばかりの小便も漏れ出て床を濡らした。


 血を吐いたほうがまだ悲劇的な心持ちになれてましだったのに、とナオミは思った。


 嘔吐後のつかのまの安息の時間は激しい頭痛によって終わりを迎え、ナオミはベッドに戻る気力もなく便器の前の床に倒れ込んでそのまま眠った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ