とあるダンジョンの非日常録 Ⅲ
後編です
それは私に向かって悠々と近づいてきた。
それを止めれるものはいなかった。カムイもリンも倒れたまま動かない。
やがて、呆然と立ち尽くす私の目の前で止まると、その恐ろしい顔をさらにゆがめる。
私は動けなかった。それこそ蛇ににらまれたウサギのようであった。
私をしばらく見つめた後、そいつは針状の尻尾を私に突き刺した。
それと同時に私は目覚める。私は洞窟の傍らまで何とか歩き、座りこむ。
もう何度目か分からない力ない嗚咽をする。今日食べたものはおそらく全部吐き出してしまった。
息が荒い。汗が止まらない。
苦しい……
そいつは寝る直前に現れ、恐怖をもって私を強引に覚醒させた。眠ることを拒むように。
そう、私は恐れたのだ。また、目覚めないのではないかと。
(なさけない……)
この前まで、もう二度と目覚めなかったらよかったのにと思っていた自分が今度は目覚めないことを恐れているのである。自分勝手もいいところである。
もちろん、理性では分かっている。そんなことは起こらないと。
けれども、どうすることもできなかった。むしろ忘れようとすればするほど強く、より鮮明になっていった。まるで本能が忘れてはならないと忠告するように。
しばらくして少し落ち着いた私はいったん夜風を浴びようと思った。もう一度寝ようとは思わなかった。というか、この騒動ですっかり目が覚めてしまった。
そして、当てもなく歩き回っているとキョウさんと遭遇し、今に至るのである。
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すべてを吐き出せば楽になれる。そしてきっと助けてくれる。
そんなことは分かっている。
……だけどできなかった。
もう、これ以上迷惑をかけさせたくなかった。
意地を張っている。確かにその通りでしょう。はたから見ればくだらないことでしょう。
ですが、ほんの数か月前までの私は気にも留めなかった(押し殺していた)せいか、ほとんどの感情はほんの些細なことでも過剰に反応を示した。友愛、尊敬、感謝。そして恐怖、羞恥。私はこれらをどうするべきか分からない。
リイア様は私のことを『感情豊か』と言った。
でも、実際は『わがまま』だと思う。自分で感情をコントロールできない。
どうやら私は未熟な子供なようである。
「……ヒマリさん?」
「ひゃんっ⁉」
私は情けない声を出しながら我に返った。
「……あら、またまた驚かせてしまいました。すみません」
キョウさんは口では謝っているが少し愉快なものを見ているような目をしていた。多分わざとだ……
私がちょっとむすっとした表情をするとキョウさんは隠さずにクスクス笑った。
「ふむ、リイア様が妾より可愛いとおっしゃるのも納得です」
「???。リイア様がそんなこと言ってたんですか?」
「はい。食べちゃいたいくらいだそうです。……ちょっと、そんな顔しないでください。半分冗談ですから」
半分……ということはさすがに食べちゃいたいというのが誇張表現なのだろう。(注:実際は誇張表現でもなんでもない)
しばらく他愛のない会話を続けた後、キョウさんはとある提案をした。
「こんなところで立ち話するより私の住処に来ませんか? 同じ仲間としてもっと親睦を深めるべく」
思ってもいない提案に少々戸惑ってしまったが、特に断る理由のなかった私はキョウさんの提案に乗ることにした。
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「あの子は脆い」
ミカエル(ジーク)ははっきりとそう言い切った。
七階層の湖のほとりにはリイアとミカエルだけがいた。
私は何も答えない。ミカエルは少し目を細める。
「あの子は……何者なんだ?」
「……」
「……」
「……知らない。どうでもいいから。あの子が神の子だろうとはたまた忌み子だろうと」
ここにいるのはほぼ全員が訳アリの子だ。話せない、明かしたくない過去があるのは明白だ。だから、私から聞くようなことは決してしないと誓っていた。
それにあの子たちが実は凶悪犯罪者であったとしても、はたまた英雄の子であったとしても同じように接していくつもりだ。だからどうでもいい。
「……あの子は子供の過程をとばして大人になったみたいだな」
「私らも大して変わらんよ。きっと」
「そんなものかね」
ミカエルはおもむろに草原の上に仰向けになる。……本当に元貴族なのだろうか。
「やはり、こっちの方が好きだ」
「本当に貴族なのか?」
「……権力争いなんてもう御免だ」
そう言った後、彼は嫌なことを思い出したのかため息をつきながら「つまらない……」と愚痴をこぼした。
「……南では魔王と人間の争いが激化してるってのにあの街の中で行われてるのは次があるかもわからないのに権力争い。たいそう平和なこった」
「随分と酷いいいようね」
「僕はもうあの街を見限ったからね」
そういった彼の顔には一切の曇りはなかった。きっと本心からの言葉なのだろう。
しばらく彼は目を瞑り夜風を感じていたようだが、突如、
「……そうだ」
彼は何かを思い出したのか、立ち上がり面と向かう。
「――――」
「……それは本当なのか」
そういった私の顔はどのように見えただろうか。きっとひどく歪んでいたと思う。
それはあまりにも突然だった。少なくともこんな会話の中で言うことでは決してない。
私が彼の言葉を待った。だけど、彼がつぶやいた言葉は
「……ごめん」
ただ、それだけだった。
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「……どうしてこうなった?」
キョウは思わず口にしてしまう。
「……そのセリフを言う権利があるのは俺だ。貴様が招いたことだろ」
ランドは心底迷惑そうな顔をしながら悪態をつく。
後ろをそっと振り返れば
Zzz……
妾の尻尾を放さないとばかりにガッツリつかみながら眠りに落ちたヒマリがいる。よっぽど安心しているのか、それともそうせざる負えないほど疲れきっていたのかは分からないがランドと小声で話しても起きそうな気配もしない。けれども抜け出せそうな気配もしない。完全にロックされた。
「他人に押し付けようとするからそうなるんだ」
「押し付けようだなんて思ってません。ただただあなたが適任だと思ってのことです」
「……俺を子守か何かと間違えてねえか?」
「あなたがそんなことできるとは思ってませんよ」
「……」
肯定しても否定しても自分が不利になることを悟ったのだろうかランドは黙り込んだ。
途端に訪れる静寂。ダンジョン内部の夜は基本的に静かである。それこそ背中から微かに聞こえてくる寝息を拾えるほどには。
(どうやらこれは……あきらめるしかなさそうですね)
仕事場に戻るのをあきらめ、この階層で寝ることにしよう。
……正直な話、オークたちが裏切るような気配はないし、仮に裏切ってもオーク一強じゃなくなった今のダンジョンなら何ら問題ないだろう。
……あれ? それじゃあ……
(それじゃあ妾は……)
何のために生まれてきた?