8. 鳥人の巣
周囲に立ち込める木の焦げた匂いを感じなくなってきた頃、私たちは遂に森を抜け、高く鋭く天に向かって聳える岩山の麓へと出た。
険しい山道を辿って目線を上へと動かすと、その先には鳥人たちが巣食う洞窟の入り口が見える。
「あそこ、誰か倒れてるぞ?」
私とアルマについて来たアベストスは、山道の傍に倒れた一人の男を発見して急いで駆け寄った。
彼の後を追って近づくと、その負傷者は花婿候補の一人で聖騎士の末裔であるピエールだった。
「大丈夫なのっ!?」
「お……嬢様?」
彼の鎧には爪痕が刻まれ、腹部から流血して意識が朦朧としている。
「大変だ……聖杯が奪われた。エンビが取り返しに向かったが、このままでは危ない」
吐血しながら話すピエール。不老不死の力を授けるという輝石の聖杯は、あろうことか鳥人の手に渡ってしまったらしい。
並の武器では傷一つつけられそうもない頑丈な鋼の鎧を抉る程の力を持った恐ろしい化け物。そんな敵が不死身になってしまったらもはや勝ち目などない。
「はっはっはっ、こんなことなら大人しく神殿に篭って聖杯を守っておけばよかったよ……」
「今はあまり喋るな! 体力を温存するんだ! 止血するから黙ってじっとしてろよ」
アベストスは手荷物から取り出した薬や包帯でピエールの傷の手当てをし始めた。
「あなた怪我の治療なんてできるの?」
「前に舞台で医者役を演じた時に、役作りで医学を少し勉強したんだ。お陰で応急処置くらいならできるようになったってわけさ」
人は思いもよらない特技を持っているものだ。アベストスの手捌きを見た私とアルマは、この場は彼に任せておけば大丈夫だと悟った。
「さて、私は鳥人対峙と聖杯の奪還、そしてエンビ君の救出に向かう」
「アベストス! ピエールのことは頼んだわよ」
アルマを追って私も洞窟を目指して山道を登り始める。
「ルナ? この先は危険だからアベストスたちと待ってて」
彼は少し進むと立ち止まり、振り返って言った。
「いいえ、ついて行くわ。アベストスはピエールの手当てで手一杯。これ以上の足手纏いは彼に負担よ……それに、アルマは強いから私のことちゃんと守ってくれるでしょう?」
誘拐事件の際にアルマの強さを目の当たりにした私は、彼がまだ本気など出していなくて底知れない実力を隠し持っていることを感じていた。だから、彼と一緒なら少々危険な旅路でも大丈夫だと思ったのだ。
「……確かに、そう言われると悪い気はしないな。弱い彼らとここに残るよりも、一緒に来た方が安全かもしれないね」
「だったら急ぎましょう! こうしている間にもエンビは戦っているはずよ」
エンビは何かあった時に私や父を守れるよう一国の兵士並には戦闘訓練を積んでいる。
それでも、聖騎士であるピエールほどの強さはなさそうだし、彼が先にやられてしまったとなるとエンビは今相当危ない状況下にあるはずだ。
「どうか、無事でいて……」
私は祈りながらアルマの背中を追った。
険しい登り坂を上がって行くと、遠くから見えていた洞窟が目の前で想像以上に大きくその口を開いていた。
暗いのも狭いのも苦手だけど、思ったより広さはありそうで少し安心した。
「ここから先は鳥人たちの巣窟。私から離れちゃだめだよ」
鳥人というのは相当危険な相手らしく、冒険慣れしている彼が今までの旅路で見せてきた余裕が殆ど感じられない。
本物の魔族というものを生で見たことがない私でも、今自分がどれだけ危ない状況下にあるのかがはっきりとわかる。
「姿勢を低くして」
洞窟内の天井は高く、凹凸が無数に存在しており、飛行能力を持った鳥人がどこに隠れていてもおかしくない。
私は彼の背中にくっつきながら、慎重に足を進めた。
しばらく歩き続けていると、洞窟の奥の方から冷たい風が吹いてきて私たちの頬を掠めた。
「この先は外に繋がってるの?」
「鳥人は空の支配者。巣の最深部は広い摺鉢状で青天井になっている。暗算石を持つ女王はそこで待ち構えているはず……」
鳥人も暗算石も実在するものだけど、籠の中の鳥である私にとっては書物の中に記された絵空事でしかなかった。
ページを捲ればいつでも私を楽しませてくれるもので、いつかは実物が見てみたいなんて気軽に思っていた。
今こうやって自分の足で大地を踏み締めて気付いたことは、実物を見るためには想像の何千倍もの労力と身の危険が伴うのだということ。
我儘令嬢の言いつけでこんな目に遭わされる男たちは何て可哀想なのだろうか?
彼らが自ら選んだ道とはいえ、同情してしまいそうになる。
「……ん? これは」
さらに前へと進み、流れてくる空気の量が増してきた頃、目の前に一枚の羽が舞い落ちてきた。
「上だ! 身を屈めて」
反響する羽ばたき音ーーアルマが叫ぶと同時に、真上に潜んでいた3体の鳥人たちが急降下してきた。
私は無我夢中でしゃがみ込んで両手で頭をガードする。一瞬だけ半鳥半人の体をした怪物の姿が見えたが、恐怖のあまり目を閉じたのでよくわからなかった。
「終わったよ。さあ、行こう」
これ以上小さくならないというくらいに縮こまっていると、アルマが私の肩に触れて戦いの決着を教えてくれた。
恐る恐る目を開けると、足元には地面に血を流し横たわる3つの骸があった。皆、女性のように見える。
「驚いたかい? 鳥人は蟻や蜂みたいに戦闘員は全て雌なんだ。雄は繁殖のためだけの存在で、個体数が少なく非力だから基本的には隠れている」
私はショックだった。子どもの頃から好きだったある冒険家の伝記には鳥人を倒したことが大きな功績の一つとして書かれていたけれど、あれは確か雄の個体。別に大して凄いことはなかったのだ。
彼なんかよりも、たった今目の前で3体もの雌の鳥人たちを瞬殺したアルマの方が圧倒的に凄い。
そして、これは自分の足で冒険したからこそ知ることができた事実だ。
「彼女たちの恐ろしさは群れで空中から奇襲を仕掛けてくるところにある。それさえ理解していれば、大した敵じゃない」
霊刀ドルフレーゲンの、一滴の血さえも残っていない美しい刀身を鞘に納めるアルマ。
彼にとっては、鳥人なんて大した敵じゃない?
……だとしたら、彼は何でこんなにも緊迫した空気を漂わせているのだろうか?
その答えは言われずとも容易に想像がつく。蟻や蜂と同じなら、群れの頂点に君臨する女王がとてつもなく強いのだ。