1. 令嬢の憂鬱
窓辺から眺める街並みは、今日もいつもと何一つ変わりない。
人々が動き、物と金が引き換えられ、それが永遠と繰り返されるだけ。
営みはまるで一つの生命体の呼吸や鼓動のように続いていく。
ああ、今日も退屈だ。ここに佇む私の頬を掠める風はいつだって乾いている。
「お嬢様、お食事の用意ができました」
「後で行くわ。今は気分じゃないの。私が食べる頃に適温になるようにしておいて」
「畏まりました」
ドアを隔てて聞こえる声に答え、私は再び屋敷の外を見る。
相変わらず注文の多い我儘娘だーー背後から微かに舌打ちと愚痴が聞こえたような気がしたが、別にそんなことはどうだっていい。
富と権力、そして美貌。私は生まれながらにして全てを手に入れ、満ち足りた人生を歩んできた。
それなのに、何故だろう? 私は今、心にぽっかりと穴が空いたように虚しい気持ちに浸っている。
「ああっ、もうこれ以上何を手に入れたら幸せだっていうの?」
そう問いかけたなら、間違いなく父は"お前に足りないのは婿だ。早く結婚相手を決めなさい"と言うに違いない。
確かに、今の私にないものといえば夫と子どもくらいだろうか?
でも、別に好きでもない男と一緒に暮らすことは、私にとって幸せを感じる要素など何処にもないというのが本音だ。
「もう考えたくないっ」
ベッドに体を投げ出して微睡もうとするも、眠気すら感じられない。
「お嬢様、いらっしゃいますか?」
先程とは別の使用人がドアをノックする音が響いた。
「一体何の用?」
「花婿候補の方々がお見えです」
「わかったわ。食事をとったら向かうから、それまで待たせておいて」
「畏まりました」
重い体を無理矢理起こし鏡台の前に座ると、楕円の枠内に紫紺の髪をした年頃の少女が映り込んだ。
化粧などしなくても十分美しいが、それは若さ故のこと。この一瞬の輝きが誰か一人だけのものになるのは勿体ないけれど、誰にも見てもらえないというのも寂しいものだ。
身だしなみを整えると、私は食べ頃な温かさの料理が待つ食卓へと向かった。
私が部屋を出るのを物陰から確認した使用人は、足音一つ立てずに急ぎ足で厨房へと向かう。
それを承知の上で敢えて遠回りで食卓の間へ向かうと、絶妙な温度の食事が綺麗に並べられている。
世間一般には悪女だとか我儘娘だとか言われているであろう私も、こんな風に根は心優しいのだ。
「いただきます」
父はこの西の都で最も力のある男。つまり、王に等しい存在だ。
その娘である私は一国の王女と遜色ないくらい大事に扱われてきたと自負している。
ただ甘やかされてきただけでなく、食事の作法など、高貴な人物として身につけておくべきことは厳しく教え込まれた。
だから、例え食欲が振るわなくてもせっかく用意された食事を無駄にしたりはしないし、客人が待っていようとも焦って汚い食べ方をしたりはしない。
ナイフで切った肉を口に運び、しっかりと咀嚼して飲み込む。都で一番の腕前を持つ専属料理人の味付けをこの肥えた舌で堪能する。
それが、ただ出された料理を食べるだけの私が最低限守るべき礼儀であり、我儘お嬢様として振る舞う中でも譲れない部分なのだ。
「ご馳走様でした」
食事はいつも腹八分で済ませるべしーーそれが父・オーキナーからの食にまつわる教えだ。
人は満腹になってしまえば思考が停止してしまう。その隙に、他者に出し抜かれる恐れがある。
常に少し満たされないくらいが向上心を維持できて丁度良いらしいけど、私の場合は少なくとも今より上を見据えることができていないことは確かだ。
「お嬢様、広間へどうぞ」
部屋の出口で待ち構えていた使用人に案内され、私は求婚者たちの待つ広間へと向かった。
今までにもこうやって待たせる場面は何度かあったが、毎回どの男も忍耐強く振る舞ってくれていた。
将来得られるかもしれない莫大な財産と権限に比べれば、そのくらいの時間の浪費は痛くも感じないのだろう。言わば、未来に向けた時間の投資だ。
「待たせたわね」
平民同士の待ち合わせなら怒ってもおかしくないくらいに待たせていたけど、私は一言も謝る気はなかった。
悪意はあれど、別に悪いことはしていない。皆、好きで待っているだけなのだから。
広間の上座に置かれた謁見用とでも言うべき無駄に豪華な玉座のような椅子に腰掛けると、目の前に並んだ5人の男たちが深々と頭を下げた。
「面を上げなさい」
私の声で、跪いていた男たちは皆立ち上がって眼差しを向けてきた。
今の私は一国の王女どころか女王様みたいだ。
「さて、金剛宝樹の枝は取って来てくれたのかしら?」
ここに集った5人はこれまで私のために財産や命を擦り減らしてまで誠意を示してくれた。
人では勝ち得ないような恐ろしい怪物が持つ秘宝が見たいと言っても、諦めることなく果敢に挑んで帰って来た。
それだけの実力があるならば、この都で頂点に立たなくても他所で不自由なく生きていける筈だ。
それでも私の婿になりたいということは、本気で結ばれたいということなのだろうか?ーーいや、きっとそうじゃない。
ここまで来てしまった彼らは皆、もう退くに退けないのだろう。
だからこそ、私は彼らにこの世に存在する筈もない架空の宝物を持ってくるように告げたのだ。
「それでは、この私から」
「いや、この僕が先だ!」
金剛宝樹は前回召集した時に思いつきで言った私の想像の産物であるにも関わらず、何故か彼らの大半は自身満々な表情を浮かべていて報告の順番を争い始めていた。
「静かにしなさい!」
もしかして、私が適当に言ったものは偶然にも実在していたのだろうか?
黄金の枝にダイヤモンドを実らせる植物なんて、生物学的に存在し得るのだろうか?
そんなことを考えながら、私は一人ずつ名指しして成果を報告させることにした。