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芽生え

作者: 二胡奈々子

 私の場合、自分の部屋のドアというのは基本的に開けっぱなしです。そのために、私は私の部屋で起きていたとんでもない異変を見逃していたんです。

 

 私は都市の郊外にある、8階建ての中堅マンションの6階に住んでいます。目の前に高校がありまして、日中、部活動生の咆哮が聞こえること、部屋で一番大きな窓から高校しか見えないこと以外は快適に暮らしておりました。特に私は虫嫌いなものですから、比較的高所に住めることは本当に嬉しいことなのでした。

 自身の家のことを「我城」なんて表現することがありますが、我が家には管理好きな魔物がいまして、家に我がもの顔で居座ることなんて、到底出来そうにありません。母を魔物と表現しましたが、別に毒親というわけではないのですよ。顔立ちがはっきりしているためか、初対面の人に怖がられることが多いですが、日常生活においては柔和な性格の持ち主です。ただの綺麗好き(とは言っても、大枠だけ片付いとけばいいというアバウトなやつですが)でして、汚部屋製造のプロフェッショナルである私を大変管理したがるのです!まあ実際、私の部屋を私のみが管理すると、一週間も持たず足の踏み場がなくなってしまいますから、感謝はしています。しかし、私だってもう高校三年生!ドアを隔てないとできない秘め事など色々あるではないですか!

 色々話し過ぎました…。この話の主人公は私の家の話ではないのです!厳密に言えばそうなのですけれど、今回皆さんにお伝えしたいのはドアの裏の隅っこについてなのです!


 それの存在に気づいたのは、高二の春の日の夜、一年ぶりに母と喧嘩したときことでした。そのときは、お弁当の梅干しが酸っぱ過ぎるという話から、裏表逆の洗濯物やら、お勉強やらに話が飛び火しまして、ソファーのクッションが飛び交う戦争に発展してしまったのでした。クッションの一つが私の顔面にクリーンヒットしたあたりでどうにもやるせない気分になって、部屋に閉じこもってしまいました。

 一年ぶりにドアを閉めると、あることに気がつきました。今までドアに隠されていた部屋の角隅から、謎の植物が芽生えているのです。2cmほどの茎の先についた新緑の子葉に出会った当初は、傷心していたのもあって、奇妙さよりもその可愛らしさが勝っていました。もう少し近くで観察したいと思って顔を近づけている最中、

「悪かった。言い過ぎた。」

とぶっきらぼうに言い放ちつつ、母が勢いよくドアを開け放ちました。ドアの前で前屈みをしていたので、思い切り身体を打たれました。なかなかの勢いだった上、肩の固いところヒットしたものですから、結構痛かったです!

 その後母がパンケーキを焼いてくれて(これがうちのルールなのです。)、1時間ほど話し込んだので、その芽のことはすっかり忘れてしまいました。


 それから夏と秋が過ぎて、冬が訪れました。この間、私は例の芽について一切思い出しませんでした。これは私のおつむが弱いわけでなく(絶対に違います!)、インドア気質のおかげで植物と触れ合う時間もないに等しく、母とも仲良く過ごすことができていたからです。

 そんなある冬の日、とある地域で紛争が始まったとのニュースを見ました。遠く離れた地の話でしたから、あまり気にも留めなかったのですが、何かにつけてそのことを思い出すようになりました。


 「ペンは剣よりも強し」という言葉があります。戦争や暴力に学問や教育の力が勝るという意味でよく使われます。しかし私は、全く違う意味で受け取りました。権力者のサインがデモ活動や革命活動などの実効的な行為に勝るという風に聞こえたのです。それがなんなんだと言われればそれでおしまいなんです。でも、それでも…。


 春が訪れてもその紛争は悪化していき、その報道を見るたびに胸を痛める日々が続きました。瓦礫が散乱している旧都市に、すらっとのびる唯一の植物、いや、生命に心を打たれて泣いてしまうこともあり、とにかく、とにかく、その頃は情緒が不安定だったのです。SNSでは紛争を起こした民族全体への批判が相次いでいて、私にとってのこの紛争の核心に迫る投稿がないことが辛く、私は孤独な人間のような気がしてきました。

 そのあたりからなんとなく何をするにもやる気が起きず、梅雨入りと共に学校にも行かなくなってしまいました。

 ある日、それを見兼ねた母が紫のグラデーションが美しいアジサイを購入して、私をアジサイ育成担当大臣に任命しました。学校にも行かず、生きているものに触れる機会が極端に減ってしまっていたので、私にとって、ベランダでアジサイと対面する時間は、一日の中でも晩御飯に次ぐ重要なポジションにまで上り詰めました。私はアジサイに「紫の上」(源氏物語から着想を得ました。)と名前をつけ、それこそ光源氏のように、彼女に愛情を注ぎ続けました。

 そんなこんなで紫の上が家に来てから3週間が過ぎたとき、あることに気がつきました。早すぎる台風が近づいているということで、紫の上を屋内に避難させようとしていたときのことです。一本の細い根が仕切りの下の隙間を通って隣人のベランダにまで伸びているのです。ナンダコレ珍百景に投稿しようかとも考えていましたが、なかなかに天候が悪く急いでいたものですから、この頃いつもポケットに入れていたカッターで根を断ち切って、運びました。


 屋内に運ばれてきた紫の上の雑草取りをしていたとき、ふと、あの角隅の芽を思い出しました。私はゾッとしました。初めてあの芽と出会って一年以上経ってしまっています!部屋の隅で芽を出すくらいだから、自分が思っているより逞しく成育しているに決まっています!紫の上が鎮座しているリビングから超特急で部屋へ移動して思い切ってドアを閉じました。

 茎はいつの間にか三歳児くらいの高さまで伸びて、葉も6、7枚くらいに増えています。茎と葉脈は赤々としていて、葉の残りの部分は明るい少し落ち着いた緑色です。それぞれベタ塗りの様相ではありません。一つ一つの細胞が同じようで少しづつ違う緑と赤を発し、それが集合した生命の色です。その姿は、少し前に心打たれた植物の姿と一致していました。その奇妙さと生命感におののきつつも、思い切ってその植物を抜こうと試みました。なかなかにしぶとく、全私でもって相対することを求められました。そうして1分ほど格闘したのち、つっかえがとれたかのように急に手応えがなくなりました。全私をかけていましたからそれはもうすごい勢いで後ろにひっくり返り身体中が床に衝突する音が部屋中に鳴り響きます。幸い、部屋に転がっていたぬいぐるみが頭を庇ってくれて、これ以上阿呆になるのを防いでくれました。ぬいぐるみにサッと感謝し、すぐさま立ち上がって状況を確認します。まだ一本の太めの根っこが角隅から伸びています。どうにか絶滅させたいと思って、根っこをするすると引っ張りました。ところが、いつまで経っても終わりが見えません!それを引っ張っている間、冬から春にかけての苦しい時期が走馬灯のように頭をめぐりました。

 

 そうしてようやく気づいたのです。


 おそらく、おそらくです。もちろんありえないという人がいるのはわかっていますが、どうか、私の意見を聞いてください。

 

 この生命はかの紛争地域まで繋がっているのです!さらに言えば紫の上とも、もしかしたら、私たちとも。


 私は孤独では、外界と隔たれた唯一の存在ではありませんでした。かの生命を通して、全世界の全生命とつながり続けていたのです。かの生命は、私にそれを気づかせるために、私の部屋で芽生えを迎え、成長することを決めたと思うのです。

 私は本当に、本当に嬉しくて、心の内側から迫り上がってくる激情に耐えることができませんでした。目からはとめどなく涙が流れ、鼻水もよだれも垂れ流して酷いと有り様となりました。その最中に帰ってきた母は、何も言わずにホットケーキを焼いてくれたのでした。


 かの生命の芽生えによって芽生えた私のこの感情、この思いをどうにか誰かに伝えたいと思わざるをえませんでした。だからなんなんだと言われれば、それでおしまいです。でも、それでも、誰かにとどき、根を張り芽生えを迎えたのならば、それに勝る喜びはありません。

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