第3話・御前試合。
「いよいよ今日だ。私が王になる日だ」
再建した王座に座った禅正は、明かり取りの窓から差し込む月明かりを浴びて、独り光る眼で呟いていた。
「王になって、ここに王都を戻す。有無は言わせぬ。逆らう者は殺す」
元はと言えば、仁孝王の第三后の子供・三男の善行が王になったのが間違いなのだ。
「間違いは正さなければならない。明日から正しい王権が復活するのだ」
海の国の王都は国の中心に位置するここカブールだ。ザルタなんて辺鄙な所では無い。
昨夜の晩餐のあと、街の出入り口は完全に封鎖した。周辺にも兵を配してザルタの密偵を逃さない配置を取った。それにカブールの全兵力三千の兵を出した。
王宮のまわりは五百の兵で固めた。やがては近衛兵となる兵たちだ。
万一の事態に備えて軍を出してくれと周辺の街に連絡して、各地の街道などを警備させている。
全て合わせて一万近い兵だ。これが俺の兵だ。ザルタと周辺にいる兵・五千を圧倒している。
(ザルタが言う事を聞かなければ、力で攻撃するまでだ)
境界の南川を固めて、まず北方の町を落す。
そして一万五千の兵で、南川を一気に超えて制圧するのだ。制圧した後には、ザルタの王宮は破壊する。王宮は二つも要らない。
「あと少しで朝が明ける・・ああ・朝が来るのがなんと待ち遠しいことか・・・・」
禅正の座る王座の廻りには、幾つかの白いものが霧のように霞のように蠢いていた・・
八月十三日 午前
王の一行は、禅正の側近に案内されて城山に登っていた。
側近は案内に先立って護衛の近衛兵達が全ての装備を付けているのを見て驚いた様だが、何も言わなかった。逆に鼻先で冷笑したのをキクラは見ていた。
ソラがゼンキから聞いた報告を受けて、シュラは近衛兵を集めこれから起こる事を告げて準備をさせたのだ。
今回の王一行の警護の指揮はシュラが執っている。シュラは近衛兵の剣術の指導もしており、兵たちもシュラを師として認めているのだ。
近衛兵は特に驚きもせずに淡々と準備をした。肝の据わった男達だ。彼らは近衛兵五百の代表で、武術の優れた信頼出来る者達なのだ。
「シクラス大臣は捕らえられても殺されはすまい。王のみを守って逃れるのだ」
シュラの冷静な命令に皆は黙って頷いた。
城山は小さな見張り小屋があるだけで、他の建物は全て取り払われて、今では民の行楽の地となっていた。
その頂上広場に、陣幕が張り巡らされた試合会場が出来ていた。王の一行は会場の上手、奥に設けられた床几に案内された。
一行はそこで観戦する。この試合の出場者のシュラは、用意されたものを身に着け試合の支度をする場所にいた。
その場所のうしろは、深い空堀で区切られ柵を張り巡らした狭い北の丸があった。そこからさらに、二重の空堀で区切られて背後の山に続いている。
急斜面の空堀を上る時には、背後ががら空きになり弓矢の餌食となる。ここはまさに、逃げ場の無い死地である。
禅正が、街中でなくこの山城の跡地を試合会場に選んだのは、人目に付かないのと絶対に逃がさない為だ。
そして禅正らカブールの者は、王一行の対面、登城してきた路側に陣取る。逃げ道を塞ぐ形だ。これで王一行はまさに死地に落ちたのだ。
親衛隊の隊長・ヤマモトは禅正の傍に従いながらも、まだ暗澹たる気持ちを押さえる事が出来なかった。兵にとっては英雄は憧憬の対象であった。
昨夜の事だ。
王座の間に呼び出されたヤマモトは、王一行を壊滅させる策を告げられた。
「ヤマモト隊長、明日は手筈通り合図があれば一行を取り囲み全滅させるのだ」
王座の横に立ったカミタカが厳かに命じた。それを王座に座った禅正が光る眼で見ていた。
「承知しました」
ヤマモトは受けざるをえなかった。
本当はシュラほどの英雄をこんな汚い罠にかけたくはなかった。だが一介の剣士に過ぎなかったヤマモトを召し抱え、遂には親衛隊の隊長までになったのは、禅正の引き立てがあってのことだ。断れる筈がない。
「だれ一人逃がすではないぞ」
禅正がうなされた様に念を押した。ヤマモトはただ頭を下げた。
王座を復元してから禅正はおかしくなり始めたのだ。とヤマモトは当時を振り返った。最初は古い絵図を見て面白がって復元してみたのだ。
その頃の禅正は明るく好青年だった。幸いな事に、その昔王座を作った職人の末が城下にいて、当時の資料が残されていたためにスムーズに復元作業は進んだ。
「へえ、当時と変わらねえ出来だと思いまさあ」
と、職人頭が太鼓判を押した出来上がりだった。
禅正は凄く気に入って、暇さえあれば王座に座っていた。
そして、段々と目つきが変に粘つく様になり、その言動がおかしくなりはじめ、ある種の狂気さえ感じられるようになっていった。
禅正の腹心たちは、その事を知ってか知らずか禅正の指示に諾々と従い、さらに唆して反対する者を粛正していった。廻りを言うことを聞く者たちで囲み、自らの地位の安定を図っていったのだ。
「どん、どん、どん」
太鼓が打ち鳴らされると、禅正側から試合支度の白い鉢巻きのゼンキが進み出た。
王の一行からもシュラが歩み寄って来る。
会場の中心で二人だけが立って対峙している。
今回の英雄同士の試合を判定出来るほどの審判は、カブールにはいない。
よって今日の御前試合に、審判はいない。
「どーん」
と、大きく太鼓が打ち鳴らされると、両者が中央で礼をして木剣を構えた。
そして、そのまま膠着したように動かなくなった。
息も出来ないような、緊張した時間が過ぎていった。観戦している者は、一瞬の動きも見逃さないと、瞬きもせずに見つめている。
対峙したまま微動もしなかった両者が、どちらともなく回り始めて、両者が入れ替わった半周で止まった。
「えい!」
「やあ!」
気合い声ともに打ち込んだ木剣が、
「カンッ」
と乾いた音を立てて、目の前で交差して止まった。そして、再び両者の動きが止まったが、すぐに離れると今度は眼にも見えない速さで攻防が続いた。
廻りの者は手を握り締めて前屈みになり、食い入る様に英雄同士の戦いを見ている。
数えきれぬ程の攻防があって、不意に二人の凄まじい攻防が止まった。
シュラの木剣がゼンキの額に止まり、ゼンキの木剣はシュラの胴で止まっている。
相打ちだった。
「ゼンキ。真剣で闘え!」
禅正が声を上げて、ヤマモトを振り向いて合図した。
ヤマモトは、ゼンキが木剣を腰に差すと替わりに剣をスラリと抜いたのを横目で見て、幕外にいる副長に合図を送った。
副長は頷くと下の方に合図を出した。既に中腹まで上がって来ていた親衛隊が城山を絞るように取り巻いて上がって来るのだ。
試合は真剣での対峙になって、場にさらに緊張が漂っていた。
じりじりとゼンキが間を詰めて行く。シュラはそれに合わせて後退して行く。二人の攻防は、自然に王の近くに移っていった。
「えい!」
鋭い気合いと共に、ゼンキが踏み込んで下段から逆袈裟に振り抜いた。
シュラはそれを僅かに下がって逸らした。
(俺なら、躱せまい・・)
ゼンキの鋭い斬撃にヤマモトは背筋が寒くなった。
ヤマモトはまだ実戦経験が無かったのだ。ヤマモトに限らず、平和なこの時代に剣を抜いて実際に闘った者は殆どいないであろう。
じりじりとさらにゼンキが迫ってゆく。シュラは正眼に構えたまま、ゼンキの動きに合わせて退いている。
その時、横の陣幕が揺れて弓矢を持った兵が入って来た。兵の配備が終わったのだ。ヤマモトは舌打ちをして副長を叱った。
「まだ早い。勝負はついておらぬ」
だが、遅かった。
「罠だ! 兵に囲まれているぞ! 」
その弓手に気付いた王の一行の近衛兵が警戒の声を上げたのだ。
「グラウド、王を守れ」
シュラの警戒の声に近衛兵が王の前を固めた。
それを見た禅正が、いらだった大声で叫んだ。
「ゼンキ! さっさとシュラを殺せ!」
その声に反応したゼンキが、振り向きざま腰の木剣を抜いて投げた。
木剣はビュンビュンと唸りを上げて、首を縮めたヤマモトと禅正の頭のすぐ上を通過して、後ろの陣幕を大きく揺らした。
「お前の指図は受けない。この薄汚い反逆者め!」
と、ゼンキがこちらに向かって叫んだ。
それを聞いたヤマモトの血流がドクンと波打った。
(そうか。ゼンキどのは、王に味方するのだ・・)
尊敬するゼンキが敵になったのだ。
だが、ヤマモトの心の中には何故か暖かい炎が点ったような気がした。王を裏切る情けない自分が救われたような気分だった。
(英雄ゼンキは、そうでなくてはならない・・)
「おのれ! 裏切ったな。構わぬ、ゼンキともども射殺せ!」
だが怒りを露わにした蓮如は、兵たちに直接命じた。
先に入っていた兵が弓に矢をつがえる。後方からもさらに陣幕を上げて親衛隊がなだれ込んできた。
「逃げろ!」
ゼンキの声に、近衛兵は王を誘導して陣幕の後に後退した。王の横と後は、近衛兵の盾が囲んでいる。咄嗟の行動にも近衛兵は見事な動きをしている。
親衛隊が射かけた矢はゼンキとシュラによって切り落とされ、それを超えて飛ぶ矢を近衛兵の盾が防ぐ。
こちらから追っていった兵は、シュラとゼンキによって忽ち切り倒されて進めなかった。
「左右から回り込め!」
シュラとゼンキの二人を牽制しながら、左右から親衛隊が王に向かって駆け出す。
「行かすな!」
と、叫んだシュラとゼンキは王たちに続く。
空堀に降りた二人は瞬時に見えなくなり、再び空堀の対岸を駆け上がる。それを親衛隊が団子になって真っ直ぐに追う。左右からも親衛隊が分散して追っている。味方の兵と重なり、もう弓矢は使えなくなった。
しかし、兵の配置は充分だった。
前方の空二重の堀の左右に、五十名ずつ伏せていた親衛隊が一行の退路を断つべく飛び出して来た。
(逃げられぬぞ・・・・)
「グラウド、突破するぞ!」
「おお、横の者は前に行け、道を切り開くのだ!」
左右から出て来た兵が、剣を煌めかせて一行に迫る。
だが、不意にその先頭の者が二人、四人と倒れ込んで列を乱した。
「何だ?」
「敵に別働隊がいるぞ!」
親衛隊の背後の山中から、矢が飛んで来たのだ。しかしその姿は見えない。
たちまち兵たちの足並みが乱れた。そこへ王の近衛兵が突っ込んだ。その間にも山中からの矢は続き次々と味方の兵が倒れていく。
追い付いたシュラとゼンキが親衛隊に突っ込んだ。
「ああ・・・・・・・」
さすがに強い。ため息が出るほどだ。鎧袖一触というか、あっという間に親衛隊は追い落とされてゆく。
「今だ! 弓を!」
空堀を一つ越えた。さらにもう一つの斜面を登る一行の背に弓矢を浴びせる。
だが山中から飛んでくる矢は、今度はこちらに向かって放たれて、満足な射撃が出来ない。しっかりと盾で守られた王が、空堀を上がって尾根道を進んで行くのが見える。
「追え。逃がすな!」
残りの全軍が空堀に駆け下りて一行を追う。その間にも山中からは矢が飛んで来てそれを邪魔する。
すぐに王一行の姿は木々に遮られて、遂に見えなくなった・・・・・
(逃げられた・・・あれほどの鉄壁の囲みを破られたのだ・・・・)
と自分で敷いた網を破られた予想もしなかった事実に、ヤマモトは衝撃を受けていた。