第2話・英雄ゼンキ。
八月十日
ザルタ王宮から大勢の見送りを受けた一行が進発した。
総勢十三名。この国の新たな王となった永徳王と、王室を代表したシクラス大臣の二人が近衛兵十名に守られた一行だ。
春先三月に崩御した高徳王の遺骨を、父祖の地・旧都カブールに分骨するための一行だった。王崩御の初盆に行われる恒例の行事で、一行の警護の指揮は王の武術指南役であるシュラが執っていた。
全員騎乗の王一行の足は速くその日は湊町スレダに早い時間に着いて一泊、翌十一日に余裕を持ってカブールに到着した。
八月十二日
カブールの菩提寺で大勢の僧と参列者により、前王の入骨の儀式と法要が盛大に催された。
永徳王は大事な行事をつつがなく終えることが出来て、その日は安心して就寝した。一行は明日一日カブールに滞在して、明後日に帰路につく予定であった。
その日の深夜。
宮殿の内部が微かにざわめくのが解った。それまでにも、何故か兆した不安が拭いきれなかったシュラは外の様子から時刻を計った。
(夜開け前の時刻か・・・)
音を立てずに起きあがったシュラは、奥の間のドアの前に近付き気配を探る。奥の王がいる間に異常な気配が無いことを確かめると、そっとドアを開けて覗く。安らかで規則正しい寝息を立てて、王は眠っていた。
だが、シュラの不安は消えるどころか大きく膨れあがってくる。
(・・今日、何かが起こる)
それは、確かな予感となっていた。鍛え抜かれた武術の達者だけが感じる事の出来る能力であろう。
ここは、カブールの旧王宮の中の客間だ。
身分のある者が訪れた時に泊まる部屋で、豪華な調度を贅沢に使った最上のこの部屋に永徳王は泊まっている。永徳は前王・高徳王の一人息子でこの春先に前王が死去して、永徳が王に就任した。
シュラは、その永徳王の部屋の控えの間に泊まっている。
ザルタに王都を移す三代前までは、カブールのこの地が王都だった。故にこの旧都には歴代の王の墓がある。王が死去した初盆に、祖先の眠る地に分骨して新たな墓を作る習わしだった。
昨日一日でその法要の全てが、つつがなく終わっていた。
「海の国一の剣術家の腕前を、是非見てみたい」
と、カブール長官の禅正が昨夜の会食の時に言った。
海の国では伝統的に武術が盛んなのである。毎年、海の国武術大会が盛大に催されるのがその大きな理由である。
武術大会は各地方で激しい予選が繰り広げられ、その狭き門を勝ち上がって来た剣士が、王宮前の広場で行われる本大会に出場出来る。
それだけでも、本大会出場者として各地域の有名人として持てはやされる。さらに、その大会で優勝すれば、海の国一の剣士・英雄として広く尊敬されるのだ。
「武術大会で優勝すれば、海の国の英雄になれる」
大人も子供達も、誰もがそれを夢見て日々の厳しい稽古をしているのだ。
シュラは以前、海の国の武術大会・本大会に連続出場していた。四年前には準々決勝で、三年前には決勝戦でカブールのゼンキに当たり敗れた。
二年前にはやはり決勝戦でゼンキに当たり、勝負が決せずに遂に二人共優勝者となって民を大いに湧かせたのが記憶に新しいところだ。
以来ゼンキとシュラはまれに見る好敵手として民の憧れの的・英雄となった。
だがその時以来、二人とも武術大会にはもう出場しなくなって、その雄姿を見ることは出来なくなったのだ。
「それは良い。楽しみだ。師匠、是非お願いします」
シュラに剣術の指導を受けていて、剣術試合に大いに興味がある永徳王が一も二も無く賛同した。
永徳王に仕えるシュラとしては、頷くより仕方が無かった。
ゼンキとは友情で繫がっているシュラも、もし許されるならばゼンキの指導する道場を訪れて旧友を暖めたいと思っていたのだ。故に異論は無かったが、提案した禅正の眼に蛇のように冷たい光があったのが気に掛かった。
「キクラか?」
気配に気付いたシュラが、小さく開けられた窓に近寄り外に声を掛けた。
「はい。さきほどより陣屋内の兵が増えて、警備が厳しくなりました」
窓の外にいた近衛兵姿のキクラが、低い声で答えた。
カブール行きには、王とシュラ・近衛兵十名と大臣代表のシラクスが従っていた。
このキクラは近衛兵十名の中に含まれるが、実は近衛兵では無い。王直属の影警護の者で、カブール行きに不安を感じたシュラが近衛兵の中に加えたのだ。キクラはこの国では珍しい腕利きの忍びの者である。
「シクラらは?」
「街の様子を見に行っています。ゼンキどのと接触すると言って」
一行には別に二名の影警護の者が従っている。それはシクラとソラの二人で、彼らはシュラの幼馴染みで忍びの熟練者である。ソラはシュラの妹でもある。
「そうか。今日は何かが起こると思う。その心づもりを皆に伝えてくれ」
「承知しました」
影警護の二人が気配も無く戻って来たのは、夜が明けて明るくなり始める頃だ。小柄で忍びの達者の彼らに掛かれば厳重な警戒網も意味を成さないのだ。
「街は要所に兵が繰り出して警戒しています。街の出入り口は閉ざされています」
シクラが報告する。
国王が来ているのだ厳重な警戒は頷けるが、出入り口を閉ざす事までは異常な警戒だと言えた。
「ゼンキどのに会えたか?」
シュラが妹のソラに尋ねる。
「道場に居たわ。道場も兵が警備していて難儀したけど、門弟に助けて貰って忍び込んだの」
ソラは以前に道場を訪れたことがあって門弟とも顔なじみだった。
「ゼンキどのは夜の道場で一人剣を振っていたわ」
と、ソラがゼンキとの会話の内容を話し始めた。
「・・・ソラか。やっと来てくれたか」
警備の網をくぐり抜けて、カブールの西道場に侵入したソラ。
そこでは、大ロウソクを一本だけ中央に立てた暗い道場で、独りただならぬ気配で剣を振っているゼンキがいた。
それを黙って座して見ていたソラにゼンキが気付き声をかけたのだ。
「はっはは、お主らはさすがだな。儂も入って来たのに気付かなかったわ」
快活に笑うゼンキだがその笑顔は強ばっていた。
ソラはゼンキの言う事を黙って聞いていた。
まだゼンキが敵か味方か解らないのだ。
「シュラどのに伝えてくれ。明日、儂がシュラどのを始末する事になっている。儂は必ず勝てると請け合ったが兵たちは恐らく弓矢を用意しているだろう。禅正らにとって、剣術の達人・シュラどのが王の傍に控えている事が気になるようだ。
そこで儂にシュラどのを始末させて、その場で永徳王も殺害して王位を奪うつもりだ。禅正はもはや、狂気に取り憑かれている」
ゼンキは恐るべき事を話した。
だが、ソラはある程度予想していたので驚かなかった。これで、ゼンキが敵では無いとわかってホッとしたのも確かだ。
「相手は何人です」
「禅正直属の親衛隊が、密かに城山を取り囲むだろう。その数は五百以上、多数の弓矢を用意している。シュラどのらといえども、普通ではまず切り抜けられない。
切り抜けても、城下には二千を超える兵が出入り口を閉じている。さらに周辺の町にも兵を出させて蟻も通さぬ構えだ」
「なら、今夜の内に脱出する手は?」
「それは無理だ。お主らだけなら出来ようが、王がいる。街の出口は封鎖しているし、騒ぎがあればすぐに囲まれよう。逃げるなら明日、城山に上がってからだろう。唯一の逃げ口は山伝いに逃げる事だ。だがそれも、このあたりの山に詳しくなければ無理だ」
「ゼンキどのは明日どうされる?」
「儂は、尋常にシュラどのに立ち向かう振りをする。その時にはまだ、兵は伏せている筈だ。そして隙を見て王と共に山伝いに逃げる。山は儂が案内する、子供の頃から駆け巡った山だ。山に入ればその場は凌げると思う」
「ゼンキどのが逃がしたと知れば、ユキさんが捕らえられる・・」
「はっはは、三日前に旅に出したわ。今頃はデルリ村に着いていよう」
デルリ村は王都ザルタ近くのソラ達の故郷である。ゼンキの妻・ユキも以前に滞在したことがあるのだ。
「それなら」
とソラは微笑んだ。