第1話・禅正の謀。
海の国・カブール、七月末
「私はいにしえの王の直系だ。私こそ王になるべきなのだ!」
立ち上がった男が、両手を握り虚空を見つめ言った。
男のいる部屋は、三間に四間というさして広くない部屋だ。だが天井は高くその壁の高い場所に明かり取りの窓が三方に作られている。床は細長く奥に行くにつれて一段二段と上がっていく。
三段上がったその中央に大理石で出来た輝く座が設けられている。
上部の明かり取りの窓からは時刻に応じて太陽の光線が差し込み、夜は月の明かりがその座を照らし荘厳な趣を添える。
この座はこの国の王が座る王座を復元した物であった。王座の横に一人、石段の下には三人の男が控えて王座から立ち上がった男を見ている。
大海原に浮かぶ細長い大陸。その北方の西海岸に海の国という王国があった。内陸部では穀物の栽培が盛んで、その穀物を湊から他国に運ぶ海上交易で栄えている王国だ。
海の国の内陸部にある町・カブール。その役所の一間の出来事である。
実はこの町は、海の国のかつての王都であったが、今は静かなたたずまいの古都であり、もはや王都では無かった。ここが、いにしえの王都であったのは、今から八十年以前の事であった。
だからこの男の座る王座は、本物では無く男も王では無い。この男はこの地方を統括する禅正と言う長官である。
四十年配で黒い髪を後にまとめて、中背のしなやかなバランスの取れた身体をしている。整った高貴な顔立ちをしているがその目は妖しく光っている。
「私が王になる道を、もう一度言ってくれ」
と、王座に座った禅正が言った。
「はい。禅正様がこの国を支配する王となるには、まず今の永徳王を亡き者にしなければなりません。来月の初盆には前王の納骨の法要がここで営まれます。その時永徳王は、僅かな人数でこの地を訪れます。この機会を逃してはなりません。その法要が終わった後に、永徳王を暗殺して禅正様が王位に就く事を宣言します」
と、王座の横にいる六十がらみの男が跪いて答えた。
この男はカミタカと言う名だ。
禅正の子供の頃から教育係として仕えている側近中の側近である。禅正が南のトキという町から、カブールを統率している家に婿入りして来たときに同行して来て、今は長官になった禅正の補佐としてカブールのナンバー二の地位にある男である。
「その時に、私が王位に就く名目は?」
「急病で死ぬ間際の永徳王から譲位されたと宣言するのです。少々強引ですが、それで押し通します。そして王都ザルタに使者を派遣して、遷都を申し渡します。その間、街道と湊を封鎖して人の行き来と情報を遮断します。遷都に伴う混乱を避けるためと言う名目です。そして遷都に抗う者は軍の力で排除します」
と、彼の座った王座の前にいる三人の内の一人、初老の男が答えた。
薄くなった頭に白いヒゲを伸ばしたその男は、如何にも頭脳明晰そうな印象を与える。男の名前は、賢信と言う。治政全般に優れた能力を発揮する男で、カブール地方行政の要の人物である。
「我が軍の陣容はどうだ?」
と、禅正が二人目の男を見て聞いた。
「はい。禅正様を警護する精鋭の親衛隊が五百とこの日のために鍛錬を重ねたカブールの兵が三千名。南川と中川の間の我らが支配する地域の地方軍はスレダ一千、トキ一千、クリス一千で、周辺の村の民兵三千五百を合わせて一万が我が軍の勢力です。
これに対してザルタ軍は四千、北部地域全体で五千の兵となっており、圧倒的に我が軍が有利です。尚、ザルタ軍と戦うようになりましたら、新王の命で北部地域に兵を出させ、まず北部地域の軍にザルタ軍と戦わせ我が軍は温存します」
と、背は高く赤毛の髪・茶色の眼を持つがっしりとした大男が答えた。
この男は、カブール地方軍を指揮するデラモント隊長である。
「北部地域が、私に従う見こみは?」
「有無を言わさぬ命令を出す事です。彼らは権力に弱くザルタとは遠く、孤立するのが付け目です」
と、賢信が言う。
「王の一行を討ち取る策は?」
「王の一行はおよそ十名から二十名です。これを我が親衛隊五百で包んで仕留めます。こうすれば万に一つも逃がす恐れはありません」
と、三人の中で一番若い男が答えた。
男は、禅正の親衛隊隊長のヤマモトだ。鋭い目と鍛え抜かれた体をした屈強な男だ。
「儂が王座に就けば親衛隊は近衛隊となる。すなわちこの国の最強部隊だ、抜かるな」
「はっ」
と、ヤマモトは頭を下げた。
「だが、王の武術師範のシュラは厄介ですぞ。英雄と呼ばれる男です。親衛隊でも下手をすると百名程は倒されるかも知れませぬ」
と、賢信が言上する。
「我が近衛隊の兵を百名も失うのは分が合わぬ。何か策を考えろ」
「ゼンキに討ち取らせるのは如何でしょう?」
デラモント隊長が発言する。
「おお、ゼンキか。武術大会三度優勝の英雄。ゼンキに勝った唯一の男・タケイルがいない今、彼が我が国第一の英雄だ。ゼンキはカブールの誇りだ」
「確かに。ゼンキならシュラに負けた事はありませぬ。だが、誇り高い剣士が暗殺に手を貸すでしょうか?」
と、賢信が否定的な意見を述べた。
「何、暗殺ではなくて試合を行わせるのじゃ。真剣でな。勝てば王の武指南役という待遇を用意してな」
と、カミタカが策を出す。
「それで良い。その様に計らえ」
との禅正の言葉で、王を殺して王位を奪う手筈はついた。あとの細かい策は腹心の者が考えるのである。
「見える。見えるぞ・・ 。私の前に跪くザルタ王家の者達が。私こそが正当な王を継ぐべき者なのだ。八十年ぶりに正当な王の手に王権が戻るのだ!!!」
虚空を見つめる禅正の目は狂気の光を宿していた。
禅正がこう思っているのには、理由がある。
それは教育係のカミタカが聞き込んで来た噂話が発端であった。
八〇年前の遷都の直前・王が崩御した時に、宮殿にいた第一王子と第二王子が死んだ。そしてその母親の第一后と第二后それと第二王女が出家した。だが、この三名の女性は生涯に渡って行方不明のままで姿を現わすことが無かった。噂話はその時に三名の女性も一緒に亡くなった、というものであった。
「恐らく後を継いだ第三王子が彼らを殺害して王位を奪ったのでございましょう」
と、カミタカが推察したのだ。
「その証拠に王家の墓の片隅に、それらしき墓がございます」
カミタカが三つの女性の墓と思われるその年代の墓を見つけたのだ。
今の永徳王は、その時に第三后が産んだ第三王子の血筋なのである。だが、その時は既に他家に嫁していた第一后が産んだ第一王女がいた。第一王女はトキの豪族に嫁していたのだ。
その第一王女が産んだ娘が禅正の母なのだ。
つまり、いまいる禅正こそがその第一后・直系の孫なのである。それが、
「私が、王家を継げば、八〇年ぶりに正当な血筋に戻る」
と、思う根拠である。
禅正が座るこの王座は昔からある物では無い。
遷都の時に昔からあった王座は取り壊されて、この王座の間も何故か封鎖されていたのだ。それを他家から養子に入った禅正が興味本位に王家に許可を得ることも無く勝手に復元したのだ。
そうして、この復元した王の座に座る度に、何か得体の知れないものに取り憑かれるように禅正の眼が妖しく、狂気を帯びてきたのである。
そう、この間は封印されていた呪われた間だったのである。それは、封印だけでは済まずに遷都までしなければならないほどの悲惨な出来事だった。それ故に固く口は閉ざされて、その事情は誰にも知らされなかった。
禅正はこの間で起きた過去の惨劇を知らずに、次第に狂気を帯びていく・・・・