31話
「エツジ君、集中してる?」
「もちろんしてるって…」
できるわけない。
「ならいいのだけど。さっきからソワソワしてるから……」
「気のせいだって」
仕方ないだろ。
「わからないところは遠慮なく聞いてちょうだい」
「頼りにしてるよ」
俺の部屋にエリカがいるのだから。
事の発端は期末テストの結果が出てからだった。勝負に関しては有耶無耶になったのだが、結果から言えば、エリカが総合的に一番だった。次いで俺、サユリ……という感じだ。マコトは点数的にはエリカの少し下だったが、受けたテストが違うので総合的に比べるのは難しい。
その結果を受けてエリカが俺に勉強を教えてくれるというのだ。「マンツーマンがいいのでしょ?」と言うエリカは勉強会で俺が冗談で言ったことを覚えていたのだろう。それでもエリカから言ってくれるのであればお言葉に甘えることに。
場所は図書館が無難かなと考えていると、「エツジ君の家!」と強い要望があった。「マコトはよくて私は駄目なの?」と迫ってくるエリカ様に楯突くことは許されるはずもなく、夏休みの都合が良い日に俺の部屋で勉強することとなった。
「今日、暑いわね」
「冷房下げるか?」
「大丈夫よ。部屋は涼しいわ」
「そっか…。暑いとか寒いとか思ったら我慢せず言ってくれ」
「ありがとう」
たどたどしく感じるのは俺だけなのか。
「それにしても、ここがエツジ君の部屋なのね」
ぐるりと部屋を見渡すエリカが何を思うのか、気になるところだ。
「あんまり見られると恥ずかしいのだが…」
「そうかしら?結構綺麗にしてると思ったのだけど」
「そうか?」
「ええ。男の子の部屋ってもっと散らかってると思ってたわ」
その発言から、男子の部屋に入るのは初めてというのが読み取れる。
俺自身、部屋に女の子を招くのは初めてではない。といってもその女の子というのはマコトだ。彼女は少々特別なので、カウントしないとすると、実質女の子を招くのは初めてで、その相手がエリカということになる。
一度そう考えてしまうと、味わったことのない緊張感が漂う。多分、まごついているのは俺だけだが。
ちなみに両親は仕事で、現在この家には俺とエリカの2人だけ。やましいことはないのだが、意識するなというのは無理な話だ。
1人ドギマギしながらも、悟られないように問題集と向かい合う。
俺の配慮は無用だったようで、滞りなく勉強は進んだ。
エリカの教え方は丁寧でわかりやすい。「エツジ君の教え方を参考にしているのよ?」と言っていたが、とっくの前に超えている。
エリカのような家庭教師がいたら、やる気も点数も上がるだろう。
疲れてきたので休憩を挟むことに。目の前には、ふう、と息を吐くエリカが居る。時間が経っても、まだ現実味はない。
第三者から見たら、俺とエリカはどう見えるのだろう?恋人?あるいはそれに近い関係?
男女部屋で2人きりという状況は、そう見えなくもない。当たり前だが、俺とエリカはそんな関係ではない。小学校からの仲の良い友達、そんな背景があるからこそ、この場が成立している。
今まで、ずっと、そうだった…。
一時、会話が無くなる。静かすぎて俺の心臓の鼓動が聞かれてないか不安になる。ドクンッ、ドクンッ。エリカが髪を耳にかける。その動作が、鼓動の高鳴りに拍車をかける。
「漫画、たくさん持っているのね」
本棚のほとんどを漫画が占めていて、小説は端のほうにちょろっと置いてあるだけ。読んだものも当然あるが、読みかけのもの、中には全く手を付けていないものもある。
「ああ、エリカはあんまり読まないんだっけ?」
エリカからそういう話はあまり聞かない。
「ええ、そうね。でも興味はあるわ。休憩の間、読ませてもらってもいいかしら?」
「どうぞどうぞ。好きなのを読んでくれ」
本棚に並べている漫画は健全なものばかりで、読まれて困るものはないはずだ。
「これにしようかしら」とエリカが手に取ったのは少年誌で連載されているラブコメもの。主人公がハーレム体質なのでエリカが読むには際どいが、ギリセーフといったところか。
エリカは黙々と読み始めた。
勉強の合間に漫画を読んでしまうと止められないというのはあるあるだ。俺たちも例外ではない。俺も一緒になって漫画を読みふけっていた。
「こんなことあるのかしら?」
エリカが漫画の描写に疑問を持つ。
「どれのことだ?」
エリカの手元を覗き込むと見開きにそのシーンが描かれている。
主人公がヒロインを押し倒している場面だ。一度読んでいるので、そのシーンの前後も記憶している。たしか体育倉庫で、ヒロインがつまづいてよろけたところを主人公が支えようとしたはずだ。間に合わずに主人公も倒れこみ、薄暗い倉庫内で押し倒すような体勢になってしまうという展開。
「そういうこともあるんじゃないか?」
「そうかしら?こんなに上手くいくかしら?」
「まあ漫画だしな。多少は目を瞑ってくれ」
「そもそもこの主人公、エッチなことばかりしてるじゃない。こけるだけで胸なんて触るかしら?」
世に言うラッキースケベだ。リアルだとアウトだし、男の浪漫と言うのはやめておく。
「私だったら半殺しにしているわ」
胸を隠すジェスチャーをしながら嫌悪感をあらわにしている。エリカの前ではうかつにこけれないな。間違ってでも触れたら終わりだ。
「……今、触る程の胸はないって思ったでしょ?」
「思ってないって」
確かにエリカの胸は小ぶりだが、俺はどちらかと言えば小さいほうが好きだ。口が裂けても言えないが。
「サユリやマコトに比べると小さいけど……。一応あるわよ?……何なら確かめてみる?」
「だから思ってないって!そういうの男の前で言うのやめろよ…」
テンパって本気で返した俺を見てエリカがクスクス笑っている。
「冗談よ。それに、他の男の人の前では言わないわ。エツジ君の前だけよ?」
からかわれているだけ。それはわかっているのだが……。
「話を戻すけど、こんなに上手くいくかどうか疑問だわ」
「そう言われてもな…。どうしたいんだよ?」
「今ここで試しましょう。ほら、エツジ君立って」
へ?理解が追い付かぬまま腕を掴んで強制的に立たされる。
「今から私が倒れるから、エツジ君は支えようとしてね。それでどんな体勢になるか、検証しましょう」
「いやいや、あれは漫画の世界で……。そもそもやろうとしてやるものじゃないだろ……」
「いいからやるわよ」と倒れこもうとするが、それすらもぎこちないエリカ。倒れるとわかっているので俺も容易に支えることができる。
何度かやってみても、早々あの場面のようにはならない。
「だから言っただろ?深く考えることじゃないんだよ。わかったら勉強を再開しよう」
「……そうみたいね。わかったわ。付き合わせて悪かったわね。終わりにしましょ」
茶番は終わり。元の位置に戻ろうとした時だった。
「これで最後よ」
エリカの体が傾きだす。受け身をとることを考えず、重力に身を任せている。
解放されたと思って気を抜いた俺は、手を差し出すのが一瞬遅れる。なんとか手を掴んだものの、支えることができず、一緒に倒れ込む。頭だけでも守ろうと、エリカの頭を抱えるようにするのが精一杯だった。倒れた先がベッドの上だったので、杞憂に終わったのだが。エリカもわかってやったのだろう。焦ったのは俺だけだった。
腕を立てて体を起こしたとき、俺とエリカの体の位置関係は、あの漫画の見開きのシーンと一致していた。
「……まんざら、有り得ないってわけでも無さそうね」
漫画読みだすと止まらない…




