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神さまとの約束-僕は最愛の人を亡くしたあなたを選んだ-

作者: 仲田さくら


子は親を選べない。




 お昼のニュース番組。

虐待の報道を受け、「教育評論家」の札を前に台本にある様なありきたりな言葉を並べて意気揚々と語るコメンテーター。

「そんなことないのに。」

誰が最初に言ったかは分からないけれど、聞き飽きた言葉に当時6歳だった僕は辟易としながら、パンケーキの最後のひとかけらを口に放り込み、呟いた。

そんな僕のそばでマリア様のような優しい目で微笑んでいた母はもういない。


 僕には生まれる前の記憶がある。

大体、3歳くらいまではみんな憶えてる。だけど、この世に生まれると覚えないといけないことが山ほどあるから。

息を吸って、吐くこと。

おしっこが出たり、お腹が空いたら泣くこと。

幸せな気持ちになったら笑うこと。

寝る時におしりを踏ん張って向きを変えること。

大人たちがカメラを向けたら手をひらひら振ること。

小さな手と膝こぞうをついて、前に進むこと。

足の裏で踏ん張って立ち上がること。

大きい頭を揺らしながら1歩ずつ歩くこと。

人間の脳にはUSBメモリのように容量があって、勝手に取捨選択されて古い記憶ほど消えやすい。その容量は人によって違うけれど。

でも、僕が生まれる前の記憶が残っているのは容量が大きいからじゃない。神さまはたくさんの子どもの中から何人かを選んで、生まれる前の記憶に鍵をかけて消えないようにする。僕はその中の1人に選ばれた。

理由は分からないけれど。

でも、それは絶対に秘密なんだ。生まれる前の記憶を誰かに話さないように、神さまは僕の口に人差し指を立て、鼻の下に押し当てた。

おかげで鼻と口の間に跡がついちゃってる。



 空から地上にはすべり台で降りる。

僕たちがいたところには、すべり台がたくさん並んでいて、お父さんとお母さんの顔が見える。

みんなそれぞれ その人たちの人生を見て選ぶ。

裕福な家を選ぶ子もいれば、貧しい家を選ぶ子もいる。

優しくて強いお母さんを選ぶ子もいれば、少し弱くて寂しそうなお母さんを選ぶ子もいる。

まだ大人になってないお母さんを選ぶ子も。

中には、置いて来てしまった自分の子どもや恋人の元に戻る子も。

いっぱい考えて選ぶ子もいれば、なんとなく直感で決める子もいる。それぞれだけど、みんながみんなお母さんの元に辿り着けるわけじゃない。

すべり台はそれぞれコースが違う。

すごく早いものもあれば、傾斜がゆるくて中々進まないものもある。天気が悪くなると前が見えなくなって進めなくなることもあったりする。そうなると、神さまがもう1回安全なすべり台を滑れるように迎えに来てくれる。

すべり台を滑って五体満足かつ健康でお母さん達の元にたどり着くのは中々難しい。


 すべり台を滑る前の僕たちは体の無い蛍のような姿で生まれる。

そして、始めに目を選ぶ。よく見える目、大きな目が人気。最近ではちょっと茶色がかった目がトレンドらしい。早いもの勝ちなんだ。でも、どれも神さまがキレイに磨いてくれてるからピカピカ。

目を与えられて初めて、すべり台を選ぶ。

そして、すべり台を滑りながらひとつひとつアイテムを手にしていく。受け取る順番はバラバラで、用意されたアイテムは選べない。

時に、取り忘れちゃう子もいたりする。でも、怒らないで。きっと早くお母さんに会いたかったんだと思う。

神さまが慌てて届けることもあるけれど、神さまもお母さんを見て届けないこともある。きっと大丈夫と。

 そして、お母さんの部屋に入る前に最後のアイテム 耳を受け取る。

人がこの世を去る最期まで無くならない機能が耳と言われるのは、1番最後に手に入れるからなのかもしれない。

もちろんそれも選べないけど。


 僕にはお母さんがいなくなる未来が見えていた。

最愛の人を亡くして、悲しみに押しつぶされそうになるお父さんの姿も。

だから、この家を選んだ。だって、お父さんがあまりにも寂しそうだったから。

分かってはいたけれど、お母さんが亡くなった時は涙が止まらなかった。小さな胸が焼け突きそうなほど熱くなったのを今でも憶えてる。

有り余るほどの愛情を受けて育った6歳の僕にはあまりにも辛い現実だった。

だけど、人生の半分以上を共に歩んで来たお父さんの悲しみはもっと大きかった。いつも力強く握ってくれるお父さんの手は小さく弱く震えていた。

お父さんは僕のお父さんである以上に、頼れる係長とできる奥さんと優しいお母さんと沢山の役割をこなさなくてはならなくなった。

大変そうだったけど、僕の前ではいつも笑顔でいた。

お母さんがいた頃のお父さんの口癖は「ありがとう」と「お父さんすごいだろ」だった。

お母さんがいなくなってから、「ごめんな」と「お父さんが悪いね」が増えた。


 お母さんが亡くなったのは、僕が自転車の補助輪を外して乗れるようになった翌日だった。

いつもお母さんの後ろに乗っていた僕だったけど、クリスマスプレゼントで貰った自転車で猛特訓した。上手に乗れるようになって、いつしかお母さんを追い越していた。だから、あの日僕の背中を追っていたお母さんは赤信号で突っ込んで来た車に気付かなかったんだ。

自転車の乗り方を教えてくれたのはお父さんだった。


 僕はあの日から自転車に乗らなくなった。

そして、お父さんを励まし続けた。苦手な絵をプレゼントしたり、おばけごっこで驚かせたり、流行りのお笑い芸人の物真似をしたり、寝ているお父さんの鼻にティッシュで作ったこよりを入れたり、お掃除をしてお父さんのトロフィーを壊したり、パンケーキを焼いて真っ黒焦げにしたり。

僕もお父さんもいつまでも悲しんでいる暇は無かった。

お父さんは少しずつ元気になって、僕を「親友」って呼ぶようになった。


僕は最愛の人を亡くし、それでも強く生きるお父さんを選んだ。

それは、僕たち2人のマドンナでもあるお母さんの為でもあった。マドンナが安心して、新しい人生を歩めるように。


「1秒前まで自分が死ぬと思っていなかった人を助けたい」高校生の時に人道支援に携わる医療チームのコラムを読み、感銘を受けた僕はこの春、医師としての第一歩を踏み出した。



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